蘭陵王

 と言うワケで田中芳樹ファンの中ではノストラダムスの大予言的な扱いを受け、出る出る詐欺の典型とまで思われていたタイトル、田中芳樹『蘭陵王』文藝春秋 が出てしまいました。らいとすたっふのブログでは一切触れられていなかったので、都市伝説だとばかり思ったんですが、ホームページの方では告知がされていたというのを発売後に知りました。意味ネージャン。
 と言うワケで宿願のタイトルだったので、喜び勇んで読んだわけですが…何というか良くも悪くもツッコミどころがないというか、興味があまり惹かれないというか…個人的には良くも悪くも残念な内容だったように思います。
 色々無粋に突っ込もうかと思ったら、既にnagaichiさん冷静に突っ込んでいるので、この辺はウルトラスルー。また、一般的に蘭陵王のことが知りたいよ~と言う人は素直にさいらさんの所の記事を読むと良いです。日本語で読むならここ以上に記事揃ったところ無いです。と言うワケで、ここの記事以外の蘭陵王高長恭の記事はフィクションなワケです。だから、田中版『蘭陵王』で蘭陵王江南に行ったのは、王琳呉明徹蕭摩訶出したかったんだろうナァ…と、突厥と戦わせたのは、チュルク軽騎兵と戦っても負けないくらい強いんだぜ!と言うコトが言いたかったんだろうナァ…と温かい目で見られますな。

 そんなこんなで気が付いた点。

北斉蘭陵王長恭、才武而貌美、常著仮面、似対敵。
北斉の蘭陵王・長恭は、才武くして貌美しく、常に仮面を著け、似て敵に対す。
(資治通鑑 巻百七十一)
(P.13)

 帯では以てとなっているんですが、本文中は似ると言う字を以てと読ませるナカナカ難解な読ませ方しています。最近の学説ではこういう風に読むんですかねぇ?…冗談はさておき、一応検索するとそれに類する個所は寒泉検索しても出てくるんですがねぇ…。

武士歌之,為蘭陵王入陳曲,〔杜佑曰:北齊蘭陵王長恭,才武而貌美,常著假面以對敵。嘗擊周師金墉城下,勇冠三軍。齊人壯之,作此舞,以郊其指麾擊刺之容,謂之蘭陵王入陳曲。〕
(《資治通鑑》第百七十一巻 陳紀五)

 まあ、《資治通鑑》本文ではなくて、蘭陵王入陣曲に付けられた胡註で引用されている杜佑通典》の記事デスわな…。まあ、胡註とセットで読むのが現在の《資治通鑑》を読む際のスタイルなのでウソではないのですが、ちょっと誤解を招く描き方ですね…。本文というよりは煽りなんでしょうから、田中芳樹本人ではなく、スタッフの犯行かとは思われますが…。《通典》よりも《資治通鑑》の方がネームバリューがあると感じたのかも知れませんが、一般的な訴求力としてはあんまり変わらないと思うんですがねぇ…。むしろ、《北齊書》や《北史》の「長恭貌柔心壯,音容兼美.《北齊書》巻十一補 列傳第三 文襄六王 蘭陵武王孝瓘 及び《北史》巻五十二 列傳第四十 齊宗室諸王下 文襄諸子 蘭陵王長恭)」の方ならウソにはならなかったと思うんですが…(この項とある人のつぶやきが元ネタ)。

「密勅をたずさえてまいった。蘭陵を呼べ」
 呼び捨てである。(P.307)

 田中芳樹ワールド内では、王号をそのまま呼ぶのは不遜みたいですね…。蘭陵王を呼び捨てるのなら、長恭!とか言うんだと思うんですが…。
 浅田次郎ワールドでを呼ぶのは親しい間だけというのにも違和感感じましたが(むしろあまり親しくない人に諱で呼びかけるのは不遜だったので)…。

 周軍の総帥ともいうべき蜀国公・尉遅〓(P.32)

 本文中は〓はしんにょうに冂の中に儿と口ですが、一般的には尉遅迥とされる人物ですね。ええ…うっちけいと読みますが、うっちかいと読む凡例はしらんですな…。ルビ振られる度に気になって仕方なかった…。

 徐仙姑は北斉の宰相の息女とされているが、北斉は短命の王朝で、徐と言う姓の宰相は徐之才のみである。(P.340)

 この辺はnagaichiさんの指摘にあるように、《太平廣記》あたりが元ネタみたいですね…。寒泉で検索すると…。

 徐仙姑者,北齊僕射徐之才女也。不知其師。已數百歲,狀貌常如二十四五歲耳。(中略)出《墉城集仙錄》(《太平廣記》第七十巻 女仙十五)

 コッチでは徐之才の娘と最初に出てきますね。もっとも、文中に出て来る《瑯環瑣記》?は調べがつきませんでしたが…これは民明書房刊とか言うオチかなぁ…。

 最後に雑感をまとめて…。
 個人的には蘭陵王索頭ではないことが残念でなりません。こう、兜を脱ぐと剃り上げた索頭があらわになって、「あ、文襄帝のご遺児がやってこられた!」みたいなシーンを期待する方がバカなんですが…。
 そうそう、あとネットで散々蘭陵王入陣ではない!と言われ続けてたので、いいかげん蘭陵王入陣に直ってましたね。
 あと、何というか…。イケメンで性格よくて立派な武将で潔くて…というこの小説の蘭陵王は…何というか史実通りでつまんなかったですね…。田中芳樹モノにしては珍しくラストに濡れ場…らしきモノで締めたのは意外でしたが、もっと欠点のある人間でもよかったように思います。少なくともラインハルトくらいには欠点持ってて欲しかったですね。どうしようもない女ったらしとか、常につまらない冗談吐いてるとか、いつもご飯ばっかり食べてるとか。
 徐月琴こと徐仙姑は『奔流』に出てきた祝英台よりは、まだ使い方が巧かったと思います。大飯ぐらいで猿のように身軽というのは、使い勝手が良いですよね。
 あと不満だったのが、斛律光を代表とする勳貴和士開を代表とする恩倖祖珽……を代表とする漢人貴族の三竦み状態が北斉政権の面白さだと思うのですが、今ひとつ魅力的に描けていなかったような…。勳貴達の鮮卑色が薄く(この小説では、北斉の鮮卑色を極力控えるようにしている気もしますが…)、和士開ソグド説にも触れることなく、唯一祖珽の気味悪さを描くのには成功していたモノの、アレは祖珽のパーソナリティーであって漢人貴族を代表するような人物かというと疑問ではあるので、結局他の時代を舞台にしても良いような…という印象を受けたりしたんですが…。
 あと、北斉に於ける晋陽の特殊性も描き切れてなかったですしね…。
 この時代のチュルク=突厥が明らかに北周北斉を凌駕していて、衛星国扱いしていたと言うのも極力ライトに書かれているのも気になりましたが…。もっと強大な敵として描けば、対突厥戦も緊張感があったんでしょうけどねぇ…。対陳戦の方がなんか緊張感ありましたし…。
 まあ、いいかげん中国史中華主義だけで見るのもどうかなぁ…という考えの自分が読んだ感想ですから、あんまり参考にはならないと思いますが…。

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