劉桃枝と崔季舒

 『蘭陵王』を読んでいて割に印象に残ったのが、劉桃枝。小説中はツルツル頭の巨漢で歴朝の処刑人として出て来ます。多分、田中芳樹の創作をモノともしないほど不気味な人物だったんだと想像してザッとググると…まあ、間違いではない模様デスな。

 で、この期にザッと読んでる岡崎文夫『魏晋南北朝通史 内篇』東洋文庫 を読んでいると、北斉・文宣帝高洋の悪行を史書から意訳している個所で…

多くは劉桃枝、崔季舒なる二人の力持に追われて行く。(P.392)

 なんて書いてます。おお…おっかないことに、劉桃枝と並び表されるような人がいるんだ…と、崔季舒なる人物が気になった次第。と言うのもこの直前に、

孝静帝は武芸にも熟達し、また文学の修養も深かった。高澄はこれを忌んで腹心の崔季舒をして帝の行動を監視せしめた。高澄かつて季舒に書を与え「癡人復何似、癡勢小差未」と。猜忌の感情露骨に顕われて居る。またかつて酒杯を帝にすすめ、「臣澄勧陛下」といったので、帝はその無礼悦ばざるの色をなした。高澄これを見てまたも怒りて「朕、朕、狗脚朕」と呼び、季舒をして帝を殴たしめたという。(P.389~390)

と言う記事があり、崔氏と聞いて清河崔氏をイメージした自分に何だか酷い違和感を覚えさせたわけです。え~!キレた高澄の代わりに孝静帝ブン殴るってどういう役どころだ~!ググってみると、崔季舒北齊後主高緯晋陽に行こうとするのに反対して処刑されたと言うことですから、劉桃枝とそう変わらない時期に活躍して、しかも北魏皇帝に三回殴りつけた!(三回もぶったな!親父にもぶたれたことがないのに!)と言う派手な経歴の持ち主なんですな…。劉桃枝と二人で騎馬戦みたいに高洋を担いで街中闊歩したとか、何だか絵面的には愉快ですが、ウソ寒い光景だったんでしょうねぇ…。
 ともあれ、何だか劉桃枝にしろ崔季舒にしろ、こういう暴力装置みたいな人が粛正もされず、歴朝で重宝されたというのが北齊という王朝の異常性だったわけですね…。気になったので、ちょっと《廿二史箚記》でも読んでみますかねぇ…。

 あと、読み返して気になったことをメモ。

北斉の百官は鮮卑の風によりて妾を持たなかったという。しかも、北斉の王室に流るる淫乱の風は、始祖高歓に始まり高洋にいたってもっとも甚だしきこと趙翼の箚記に詳らかであり、その出処は北史の本紀に拠って居る。(P.393)

 意外に鮮卑ってフェミニンで、北齊皇室ってそれに比べると淫蕩だったと言うコトですか…。