《顔氏家訓》にも蘭陵王

 と言うワケで、顔之推/宇都宮清吉訳註顔氏家訓 2』東洋文庫 を結構前に読了。一応、書評的には自らの子孫に残す警句…みたいなコトになるんでしょうが、基本的にはBlog的なアラカルト記事がジャンル毎にまとまっていると言った印象で、自分後半しかまだ読んでいないんですが、言葉としての家訓でイメージするような内容が色濃いのは巻第七 終制第二十1だけですね…。

 北齊北周政界貴族階級の同時代的な記事や、史書とか音楽とか芸事とか文字だとか色々な蘊蓄が詰まっていてます。前にも書きましたが、ワンセンテンスが短いので携帯文化に慣れ親しんだ現代っ子にも優しい構成ですね。
 で、ワクワクして読んでいて、終盤に差し掛かった頃に見慣れたキーワードを発見したのでとりあえずメモしておきます。

  投壺之禮,近世愈精.古者,實以小豆,為其矢之躍也.今則唯欲其驍,益多益喜,乃有倚竿、帶劍、狼壺、豹尾、龍首之名.其尤妙者,有蓮花驍.汝南周2,弘正之子,會稽賀徽,賀革之子,並能一箭四十餘驍.賀又嘗為小障,置壺其外,隔障投之,無所失也.至鄴以來,亦見廣寧、蘭陵諸王,有此校具,舉國遂無投得一驍者.彈亦近世雅戲,消愁釋憒,時可為之.3

 で、蘭陵王と兄の広寧王投壺の段で出てきてます。当該個所の宇都宮訳を引用すると以下の通り…。

(前略)ところが、私が鄴(北斉の都)に行って(五五七頃)からの経験では、広寧王や蘭陵王のところで、やはりこの遊具があるのを見かけたこともあったくらいのことで、斉ではついに誰一人として一驍さえできる者がいなかったというわけだ。4

 南朝貴族サロンでは投壺が盛んで、古代のルールから離れた楽しみ方がされていたみたいですね。一昔前のポリゴン格闘ゲームみたいに連続コンボを決めるのが大流行だったようです。一方、北齊では辛うじて道具を見ることはあっても、ついぞプレイヤーを見ることはなかった…という記事デスね。で、北齊での数少ない遊具保持者として蘭陵王の名前が挙がってます。顔之推蘭陵王投壺をプレイしているところは見なかったようですが、蘭陵王邸に入って投壺が保管されているのを見かけるようなことはあったみたいですね。
 多分、田中芳樹が知っていれば、『蘭陵王5ではこれ見よがしに顔之推蘭陵王府中を徘徊させていたはずなので、この段は見逃したんですかねぇ…。

 ちなみに、東洋文庫版解題を読むと6顔之推は人を褒める際には、《顔氏家訓》の中では必ずその姓名を書き記すモノの、醜聞に属することを書く際にはその姓名を明記しなかったようです。なので、直接的に名前は出さないモノの、祖珽徐之才が下手の横好きと揶揄されているみたいですね…。にもかかわらず、実は顔之推祖珽はかなり仲がよかったらしく、尊敬すらしていたらしい…とも書かれてますね。この辺も田中芳樹が小説中に生かしてくれれば、祖珽の人物像も銀英伝ラングくらいには深みは増したんでしょうけどねぇ…。

  1. 東洋文庫版では第二十章 遺言
  2. 東洋文庫版によると[王貴]
  3. 中央研究院 漢籍電子文獻 顏氏家訓集解 巻第七 雜藝第十九
  4. 東洋文庫版『顔氏家訓』P.194
  5. 田中芳樹『蘭陵王』文藝春秋
  6. 東洋文庫版『顔氏家訓』P.215

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です