索頭と辮髪

 と言うワケで、以前に

 個人的には蘭陵王が索頭ではないことが残念でなりません。こう、兜を脱ぐと剃り上げた索頭があらわになって、「あ、文襄帝のご遺児がやってこられた!」みたいなシーンを期待する方がバカなんですが…。1

と言う記事を上げた際に、

この語は『漢語大詞典』によると「南朝人の北方異民族への蔑称」なので、このように「=弁髪」と使われると個人的には違和感があります。2

コメント覧でご指摘を頂いた件でネタにしてみました。

 そもそも、索頭なり索虜なりは鮮卑の自称ではなく、南朝側からの蔑称なんです。まあ、変な髪型した野蛮人~という意味になろうかと思います。索髪というのは…まあ、が編むという意味ですから、編み込んだ髪という意味になるかと思います。字面だけ見るとドレッドヘアみたいな髪型かと思いますよね。
 満洲辮髪を見た西洋人pigtailと称したのとそう変わらない発想でしょう。もっとも、今でもお下げ髪を指してpigtailと言うようですから、図らずも辮髪の字義的な意味からの翻訳ではあるみたいです。もっとも、英語圏西洋人辮髪を見る前からあった語彙なのかどうかまでは調べてませんが…。
 また、契丹独自の髪型を髠髪というのですが、これも漢人の古代に於ける刑罰の一つで、髻を落とす刑罰であった髠刑を処されたような髪型…という発想でしょうから、似たようなモノですね。まあ、でも差別的な視線で見ていても、漢人のように髪を結わずに髪の毛を剃る…という意味合いに於いては実に的を射た表現だと言えます。

 で、話戻って索頭です。史書で索頭をなり索髪を検索すると、北魏を建国した拓跋氏を指して鮮卑索頭と称したようですね。殆ど民族名みたいに索頭索頭と出てきます。ザッと検索したところを上げてみます。
 まず、《資治通鑑》に出てきますが、やっぱり、本文の索虜なり索頭に対する註として胡三省が附した文章がヒットしますね。三国とか東晋の頃に活躍した鮮卑の記事に付けられた註です。

索虜者,以北人辮髮,謂之索頭也。島夷者,以東南際海,土地卑下,謂之島中也。3
索頭,鮮卑種。言索頭,以別於黑匿郁鞠;以其辮髮故謂之索頭。4

 まあ、いずれにしろ宋元の頃には索頭なり索髪辮髪だと考えられていたわけです。

 で、時代下って北魏東魏西魏に分裂するかしないか?くらいの時期の話。

 始宣武、孝明間謠曰:「狐非狐,貉非貉,焦梨狗子齧斷索.」識者以為索謂本索髮,焦梨狗子指宇文泰,俗謂之黑獺也.5

 これは高歓宇文泰に翻弄された、孝武帝本紀に出てくる記事デスね。北魏八代皇帝 宣武帝の頃から第九代皇帝 孝明帝の頃(499~528年)に流行った童謡に関する記事デスが、「狐は狐にあらず、貉は貉にあらず、焦梨狗子に索を囓りきられるぞ!」と言う歌ですかね…なんで焦梨狗子宇文泰を指すのか全く意味不明ですが、北魏が分裂しそうな頃でも索髪は廃れず忘れられず、囓りきられるのは不吉なり不名誉なコトだと認識されていたようですね。
 で、この文の索髮の後に付けられた註に…

識者以為索謂本索髮 通志「謂」下有「魏」字.按當時宋、齊稱北魏為「索頭虜」,即因其辮髮之故.此疑脫「魏」字.6

とあって、やっぱり北魏辮髪をしていたが為に索頭虜と呼ばれていたらしいことが書かれてます。中華書局版につけられた註なのは間違い無いんでしょうけど…まあ、手元に《北史》がないので、いつ附された註なのかは分かりませんが…。

 で、文字文献にばっかり頼っていても、こういった風習や習俗の問題は解決しませんから、目先を変えて発掘文物を見てみましょう。
 北齊墓北周墓に比べると豪華絢爛で、壁画もかなりきらびやかな色彩のモノが残っています。その中の一つである山西省太原王郭村で発掘された、北齊 安東王 婁叡墓の壁画7には、かなり見事な壁画が残っていました。婁叡自身は文宣帝 高洋の生母・武明皇后 婁昭君を叔母とする、所謂外戚なので、北齊皇室に非常に近しい人物だと考えられます。
 日本で出ている書籍で手っ取り早く婁叡墓壁画が見られるのは図書館には入ってる率の高い『世界美術大全集』の南北朝の巻8でしょうか?まあ、もっとお手軽に、Googleの画像検索を使うという手もありますね。
 で、壁画を見るとやたらおでこの広い騎乗の人物像が描かれています。絵では髪を結い上げてるのか?特異な形の帽子を被っているのかは判然としません。しかし、先に挙げた『世界美術大全集』では…

 なかでも墓道の騎馬出行図は出色である。騎馬人物が二人ないし数人のグループで進軍するさまが描かれているが、全時代に比較するとたいへん進歩した表現が見られる。人物は、剃り込んだ頭髪の髻に頭巾をつけ、筒袖の軽快な服装で乗馬しており、鮮卑の風俗を表していると思われる。への字型の濃い眉に精悍なまなざしといういかにも武人らしい顔貌描写だが、ふっくらとした瓜実顔に小さめのおちょぼ口というやや女性的な特色も併せ持つ。9

…と、されています。辮髪という言葉こそ使っていませんが、「剃り込んだ頭髪の髻に頭巾をつけ」と、頭髪を剃り込んだ髪型をしているという見解が出されている点が興味深いです。索頭辮髪だとしても、どちらにしろ、結った髪…という意味の漢字を使っているので、頭を剃り込む髪型であったとは限らないわけです。ともあれ、何という名称で呼ばれた髪型かは断定できませんが、少なくとも、墓主である婁叡はこういう髪型の人物に囲まれて生活していたことは間違いがないのです。
 これが索髪だ!というキャプションが付けられて発掘された絵画ではありません。しかし、北齊皇室に近い人々の風俗を知るという意味合いでは、貴重な資料に他ならないわけで、それこそ百聞は一見にしかず!と言うコトじゃないでしょうか?

  1. 当日記の記事:蘭陵王
  2. 蘭陵王の記事に付けられた殷景仁様のコメント
  3. 《資治通鑑》巻六十九 魏紀一 世祖文皇帝上 →寒泉 臺灣大学
  4. 《資治通鑑》巻九十五 晉紀十七 顯宗成皇帝中之上 →寒泉 臺灣大学
  5. 《北史》巻五 魏本紀第五 孝武帝元脩→中央研究院 漢籍電子文獻
  6. 《北史》巻四 魏本紀第五 孝武帝元脩→中央研究院 漢籍電子文獻
  7. 北齐东安王娄睿墓山西省文物局
  8. 『世界美術大全集 東洋編3 三国・南北朝』小学館
  9. 『世界美術大全集 東洋編3 三国・南北朝』小学館 P.114

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