江と戦国と大河

 と言うワケで小島毅『江と戦国と大河 日本を「外」から問い直す』光文社新書 を読みました。……ホント、小島センセ中国史の本より日本史の本の方が多いですねぇ…。


 ご本人も初っ端書かれてますけど、大河ドラマの便乗本です。見も蓋もないですが…。まあ、中国思想史の本と比べればかなり気楽に読めます。
 曰く、最近の大河ドラマの主人公は禁欲的な一夫一婦的な人ばかりが主人公になって、ともすれば一夫多妻男色が盛んであった当時の実情からかけ離れたホームドラマになっている。曰く、女性の立場を強調するあまり、軍義評定など表の場で女性がもの申すシーンがあるが、実際には戦国大名の政策決定には僧侶が深く関わっている。曰く、当時の戦国大名が皆が皆、天下統一泰平の世を希求していたかどうかは疑わしい…等々…まあ、大河ドラマ見てるオッサンの愚痴として珍しい話ではないですよね?w
 後、面白かった部分のメモ。
 秀忠の三男である保科正之は幕府を支える重臣、有能な藩主として知られる。家光の死に際して跡継ぎ家綱の後見役を任されるくらい家光の信頼も篤かった。家光の異母弟だが、の子供ではないため、終生徳川を名乗ることは許されなかったi保科正之を郷土の英雄として村おこししたい長野県では保科正之大河の主人公に!と運動したが、決まったのがよりによって宿敵のであった。
 林羅山儒者として有名だが、生前は剃髪僧形で四代にわたる将軍家に出仕する僧侶・道春として知られた。その後、孫である林鳳岡が好学であった綱吉に儒者として使えるように命じられ、その時初めて畜髪して僧形をやめた。天海崇伝と違い子孫があったため道春というイメージは払拭され、家康の重臣である儒者・林羅山という虚像が横行するようになった。
 江戸初期の芸能である女歌舞妓宝塚歌劇団若衆歌舞伎ジャニーズをイメージすればいい模様ii女歌舞妓若衆歌舞伎も観客の夜のお供もした(どっちともお客さんは男性主体)。戦国大名は両刀の人が多くて男性にも女性にも手を出したが、三代将軍・家光は平均よりも男性の比重が高く、よって家光の治世下では女歌舞妓を規制出来ても若衆歌舞伎は規制できなかったiii
 中世から近世の女性にとって、男性に本名を知られると言うことは、その男性のモノになると言うことに等しいiv
 信長の書状の宛名→木下藤吉郎殿/羽柴藤吉郎殿/羽柴筑前守殿(豊臣秀吉宛)、細川兵部太輔殿(細川(長岡)藤孝宛)、直江大和守殿(直江景綱宛)、小早川左右衛門佐殿(小早川隆景宛)、吉川駿河守殿(吉川元春宛)、不識庵殿(上杉謙信宛)、近衛殿(近衛前久宛)。

 力抜いて読むには良い本でしたね。次の平清盛も期待してますw

  1. 子孫は松平姓の名乗りを許されているが、正之はそれすら許されなかった [戻る]
  2. 個人的には若衆歌舞伎はテニミュのノリの方が近いと思う [戻る]
  3. 試みに調べて見ると、女歌舞伎(遊女歌舞伎)の禁止は家光治世の寛永6(1629)年だが、若衆歌舞伎の禁止は慶安5(1652)年で、家光没後一年目 [戻る]
  4. つまり、昔の女性の正確な本名が不明なのは女性の地位が低かったから…という要因以外の理由もあると言うこと [戻る]

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