特別展 北京故宮博物院200選

 と言うワケで特別展 北京故宮博物院200選に行ってきました。どうにもこうにもお蔵出しの清明上河図が人を呼ぶらしく、噂に違わぬ盛況ぶりでした。8:30に東博について列んで、見られたのが11:00なので思ったよりは早かったモノのやはり結構掛かりましたね…。でも、予想外だったのがそれ以降にも結構な時間掛かったことですね。17:00に設定したオフ会ギリギリまで掛かって見てしまいましたね…。あんまり期待せずに行ったんですが、清明上河図以外にも結構良いものが来てます。大物の絵巻物の展示が3巻もあったので図録にすると小さいのですが、全幅載っているのは素晴らしいですね。絵の部分だけではなく賛や跋の部分もカラーでガッツリ載ってますから、自分の様に鑑賞印とか鑑蔵印見るだけでニヤニヤ出来る人には勝って損なしです。と言うか、展示に行かなくても図録だけ買っても良いくらいですね。実に素晴らしい!と言うワケで以下備忘録です。

 まあ、この展示での売りはなによりかにより、№2.清明上河図巻です。個人的には中国絵画の中でもとびきり好きな絵なので、オリジナルが見られたのは本当に感無量です。学生時代に卒業論文書く際に恩師の研究室で白黒のコピーで絵の部分だけ全幅見せて頂いてからもう20年近く経ちますが、ようやく見ることが出来ました。といっても、北京に行った際に故宮で2回模筆は見てますし、模筆のカラーコピーも持ってるんですが、うーん…やはりオリジナルはよかったです。
 サイズ自体は模筆はオリジナルと同じ程度なのですが、やはりオリジナルの方が気持ち線が細く、人物の表情も豊かなように見えます。それに思ったほど経年劣化も酷くなく色鮮やかな画面に驚きました。模筆とオリジナルの差が明らかな、例のギャロップする馬も確認出来ました。感無量です。
 折角なので判子ばっかり見ていたんですが、嘉慶鑑賞、嘉慶御覧之寶、宣統御覧之寶、宣統鑑賞が確認出来ました。図録によると《続資治通鑑》の編纂をした畢沅の所有物だったモノを白蓮教徒の乱の時に畢沅が失脚して、家財を没収された時に宮中に入ったと言うので、乾隆年間には宮中になかったので乾隆御覧之寶とか五福五代堂古希天子之寶とか八徴耄念之寶とか三希堂とか太上皇帝とか乾隆辰翰とか色々な判子をボコボコ押されずに済んだみたいですね…。この記事書くためにWikipediaの畢沅の項みたら、袁枚にラブレター送りつけたガチホモだったとか、実にいらん知識も入ってしまったのですが、まぁ、畢沅グッジョブ!
 北宋社会史やる人間の大半はこの清明上河図と《東京夢華録》にやられて道を踏み外すのですから、この魔力たるや実に大したものです。4時間待ちもむべなるかな…です。
 それにしても感激したのが、図録の解説でキチンとこの絵が溥儀満州国コレクション経由で北京故宮に収蔵されたことがキチンと書かれてることですね。まぁ、サラッとですけど。でも、最近は清明上河図張択端徽宗の画院で書いたことになってるんですねぇ…。それはちょっと自分は賛同出来ないんですけど、最近出た本読んでまた勉強してみます。
 北宋の書については結構来てましたね。蔡襄については№24 草書入春帖№25 行楷書蒙恵帖№26 行楷書山堂帖№27 行書扈従帖と四点も来てました。書はサッパリ分からないですが、多分この手の展示で蔡襄が一度にこんなに来ることはそう無かったと思います。
 更に米芾№28 行書苕渓詩巻黄庭堅№29 草書諸上座帖巻が来てました。米芾の方がエキセントリックなイメージあったんですが、なんだか黄庭堅の方がもの凄い突っ走った書でしたね。何書いてるのかは分かりませんでしたが、何か凄かったですw
 №3 瑞龍石図 は徽宗の作と言うことになっていますが…どうなんですかねぇ…。自分は宋代の絵には見えませんでしたけど、そうなんですかねぇ…。徽宗痩金体もなんだかわざとらしく見えるんですが…。まだ、№31 楷書書簡中秋月詩帖の方がまだしも徽宗が書いたように見えますw
 あと、絵画では№11 長江万里図も山水画というか水墨画の逸品ですね。霞というか霧というか、山あいの表現の仕方が素晴らしいと思いました。今回の展示では南宋の一番お気に入りの絵です。
 何故かこの展示、趙孟頫をやたらとフューチャーしていたのですが、実際には№13 水村図巻№35 楷書帝師肝巴碑巻№36 行書洛神賦巻くらいで、趙孟頫の次子・趙雍、孫の趙麟、嫁の菅道昇とファミリーで水増ししてる感がありました。でも、№35 楷書帝師肝巴碑巻には帝師・パスパ(巴思八)の名前も見えたんですが、図録では触れられてませんね…。どう言う経緯で書かれたのか興味あるんですがw
あと、モンゴル時代に相応しい書として№43 草書述張旭筆法巻 が出展されてました。作者は康里巙巙というトルコ系遊牧民出身の色目人と言うコトですが…いたって真っ当な書でしたね。出自が面白いだけで書としては実にスタンダードです。

 と、長くなったので残りはまた今度…。

3 comments

  • ごぶさたしてます。永一です。
    1月に都合つかなかったので、2月になって上野行ったら「清明上河図」は中国に帰ってました。およよ(泣;

    「清明上河図」動漫版でも見ながら傷心を癒すことにします。

    http://www.youtube.com/watch?v=UdRIbCP4N4Q

    ところでネット上に張擇端の生没年まで出てるようなところがいくつかあるんですが
    http://en.wikipedia.org/wiki/Zhang_Zeduan
    http://baike.baidu.com/view/28216.htm
    張著の跋以外に張擇端の伝記がわかるような史料ってあるんですかね。

    • お久しぶりです!取り急ぎ、出先のメリケン国からです。
      清明上河図はやはり、盛況なだけはある内容で満足してます。でも、清代の文物も負けず劣らずすごいの来てましたねw
      張択端については自分も跋文以外の根拠を知りません。そもそも、本当にそんな名前の作者だったのか?辺りから疑わなきゃいかんような感じですもんね。旅行中に清明上河図の本読んで、ふむふむうーむと唸りましたけど、この本、ちゃんと溥儀の満州国コレクション経由で北京故宮に入ったことを紹介してて、ストレスのたまらない本でした。

  • アメリカですか。いいなあ…。
    今回清代文物も凄かったですね。一級品を揃えたうえで乾隆帝の愉快な一面が分かる展示になってました。
    カスティリオーネの乾隆帝大閲像軸はあんなデカいものだとは思ってなくて、たまげました。康煕帝南巡図は礼帽かぶったおっさんばかりで女の人いないし、故宮の建物の遠近法がおかしかったり。やっぱり実物見るのはいいものですね。
    野嶋剛『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)を読んでたんですが、これは溥儀が持ち出さなければ重慶・台湾コースでしたね。

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