特別展 北京故宮博物院200選 その2

 と言うコトで特別展 北京故宮博物院200選の続き。展示会場の1/4を占めるダイチン・グルン(大清国)の展示です。個人的にはこのあたりが一番内容濃かったように思います。この展示内容だと、基本的には書道磁器青銅器も来てますが、メインは絵画だと思います。特にこのあたりは絵画の濃度が濃かったように思います。では、始めましょう。

 まずは、《康煕南巡図》ですね。この絵画も風俗画としての側面もある以上、《清明上河図》と比較されるでしょう…。存在は知っていましたがなかなか全幅を掲載している図録も見当たらず、まして直に見るような機会はなかったので、この機会に見ることが出来たのは幸いでした。図録を見るに全巻が残っているわけではなく現存するのは全11巻の中、9巻分のみで、しかも世界中に散らばっているようですね…。作成の意図はあくまで政治的なデモンストレーションの絵画的な記録と言うコトなんでしょう。芸術品ではないからか、鑑蔵印や鑑賞印は押されていませんでした。まぁ、流石の乾隆帝も敬愛する祖父・康煕帝の御影には判子攻撃は出来なかったってコトなんでしょうけどねw
 №110 康煕南巡図巻南巡の日程としてはクライマックスにあたる箇所で、康煕帝龍船に乗って、江南を旅している様子が描かれています。感心したのは康煕帝の側に仕える旗人黄馬掛の人が多いと言うあたりです。見つけた時は小さく叫びましたwまた、康煕帝の周りには八旗を掲げた船に囲まれていて、八旗制を視覚的に描くという意味もあるのだなぁ…と、感じ入りました。同治元(1862)年に制定された、清国国旗正黄旗の船旗が元だと言いますから、実に康煕帝の船に立つ正黄旗こそが元祖と言うコトになります。話は変わりますが、清末漢人を迷信深いと小馬鹿にしたネタで、船には眼がついていないと進まないと信じていた!と言うのがありますが、この絵を見る限り、船には眼は書いてないようですね。
 南巡の途中、康煕帝が通った街並みや寺院を克明に描いている点が見所でしょう。この辺も写実的に南巡の料亭を描いた…と言うよりは、旅程の印象をコラージュのように名場面集にしたんでしょうね。街行く人々は大体男性で、笠を被り長襂馬掛と言う出で立ちです。ただ、建物の屋内には女性が見られたり、笠を被らずに辮髪を晒す男性も描かれています。これを素直に受け止めて、江南では女性は日中出歩くことはなく、殆どの人が辮髪を晒すことはなかった…と考えるのは早計でしょうね…。清末の写真を見ると思ったよりも女性が街中を歩いていたり、男性が笠も被らずに辮髪を鉢巻きにしている姿が存在します。どちらが正解とかではないのですが、宮廷画では服装を形式的に描き、写実的には描かないことがママあると言うことです。事実、台湾故宮を象徴する絵画・清院本清明上河図は、清代蘇州を描きながら登場する人々は明代漢服で描かれていたりします。
 で、お次は№111 康煕南巡図巻 第十二巻です。面白い構成になっていて、康煕帝の帰りを待つ太和殿の中から絵巻は始まっています。人っ子一人いない太和門を経て、百官と象が列ぶ午門外端門の外から天安門から千歩廊を経て大清門まで、騎馬の旗人がまばらに見えます。大清門の横には下馬標らしきモノが見えるのですが、この人達は下馬標すら免除された人達なんでしょうかねぇ?まばらな騎馬の旗人正陽門こと前門まで続きます。以前、前門の関帝廟という記事でネタにした、前門甕城内にある関帝廟が克明に描かれています。残念ながら関羽像があるかどうかまでは確認出来ませんでしたがw
 前門を出て前門大街に出てくると、ようやくようやく黄色い天蓋の康煕帝がお目見えします。賑やかな前門大街皇帝が通るために通りに面した店は全て規制で雨戸を閉めている状態です。通りの向こうの筋ではいつも通りの人だかりのようです。康煕帝の後には八旗を掲げた騎馬の群れが、康煕帝を頂点として雁行する様な特殊な陣形で騎行しています。好き勝手無茶苦茶に馬を歩かせているように見えて、俯瞰するとシンメトリックなあたり面白いですね。騎馬の群れが通りきらないにも関わらず、交通止めで不便していたような民衆は待ちきれずに扉を押し開けようとしています。扉を押さえる側の役人も行列が終わっていないのでヒヤヒヤしていそうですね。郊外に出て来ると人文字…まあ、マスゲームで天子万年と言う文字を形作っています。北京が好きな人なら、この絵は何時間見ていても飽きないでしょう。というか、飽きませんww
 お次は№113~120 雍正帝行楽図像冊です。平たく言うと雍正帝コスプレ写真集ですね。今回展示されていたのはモンゴルハーンチベット僧道士文人漁師狩人に変身した雍正帝でした。冷徹で過酷な皇帝として知られる雍正帝ですが、文物を通して見る雍正帝はリキの入ったコスプレ好きなオッサンです。今回は来ていませんでしたが、ルイ14世風のヅラを被って洋服を着て何故か槍を構えた雍正帝が虎と戦う場面も雍正帝行楽図像冊にはあります。というか、コスプレ絵画に便宜上雍正帝行楽図像冊と言う名前をつけているに過ぎないので、何個かシリーズはあるみたいです。
 このコスプレイヤーの血は着実に乾隆帝にも受け継がれたようで、№174 乾隆帝文殊菩薩画像 のような、コスプレタントラまで作るようになるわけです…。まあ、こんなにコスプレ絵画が好きなのもこの親子くらいなモンですが…。でも、珍妃紫禁城にカメラを持ち込んで、光緒帝とコスプレ写真を撮って二人してノリノリで楽しんだと言いますから、案外歴代皇帝コスプレを多かれ少なかれ好きだったのかも知れませんねw
 書籍もいくらか来ていて、№122 《御製五体清文鑑》内藤湖南瀋陽故宮で発見して、《満文老檔》同様の価値を認めた、満漢蒙蔵回の五カ国語の辞書、№123 《清聖祖実録》漢文本№124 《清聖祖実録》満文稿本康煕帝実録漢文版マンジュ語版の草稿、№125 《世宗実録》満文稿本順治帝実録マンジュ語版の草稿。見るだけでもワクワクしますね。
 また、乾隆帝コレクションカタログである、№147《西清古鑑》№148 《西清硯譜》、№149《秘殿珠林№150 《石渠宝笈》(貯乾清宮套)№152 《天禄琳琅》も展示されていました。
 №91 乾隆帝像です。本によっては乾隆朝服座像とか称される絵画です。乾隆帝の肖像としては、おそらく最も有名な絵画ではないでしょうか?大きいとは思いましたが、畳一畳ほどの実に大きな絵画です。落款はありませんが、おそらくはジョゼッペ・カスティリオーネ(郎世寧)の作だとされています。西洋絵画の手法を取り入れた絵画なので、てっきり油絵のような重ね塗りの技法が使われているのかと勝手に思っていたのですが、使用しているのは顔料みたいですね。つまりこの明暗を重ね塗りではなく色の濃淡だけで表現しているわけで、この辺は驚きですね。画面構成上、特に主張するべきだとも思えない絨毯の描写がかなり手が込んでいて驚きました。
 基本的に東洋では肖像画は死後、祖先崇拝の祭祀のために飾られるコトの方が多く、事実台湾故宮に収蔵されている帝王像の多くはその用途で使用されたと考えられます。しかし、この乾隆帝像は即位の年に描かれたようです。朝服を着た姿で描かれた写実的な肖像画です。基本的に帝王肖像画はその用途からも、鑑賞印鑑蔵印は押されないことが多いのですが、何故かこの肖像画には五福五代堂古希天子之寶八徴耄念之寶太上皇帝之寶の三つの印爾が押されています。いずれも乾隆帝が老境に差し掛かってから…というか70~80代という高齢になってから使用した印なので、おそらく書かれてから随分後になって押した印なんでしょうが、なんとも謎ですね。老いてからこの絵を見返して、かつての青年の日々を思い出したのでしょうか?
 もう一つ、有名な乾隆帝の肖像画が来てましたね。№192 乾隆帝大閲像軸NHKシリーズ故宮の図録が出た際に最終刊はこの絵が表紙でした。
 これも、№91 乾隆帝像と同じく、ジョゼッペ・カスティリオーネのタッチで描かれた乾隆帝像ですね。甲冑と馬が実に見事でした。間近に見るに、こんな淡い色でどうやってあんなに立体的に見える様に塗れるのかは本当に不思議です。隣に№96~97の甲冑が置いてありましたけど、まあ、ここに描かれている甲冑とは違うモノでしょうねw参考展示って感じデス。
 №121 乾隆帝紫光閣遊宴図巻は何より、冰嬉が描かれているのが楽しいですね。冰嬉は要するにスケート競技です。スケートを履いた旗人が、スケートリンクに置かれたゲートに吊られた的めがけて滑りながら矢を射かける競技だったようです。競技は八旗対抗で行われたらしく、どのような態勢でどの部位を射たのか?で、点数が決まったようです。なので、滑ってる人は各自分が所属するグサを背負って滑っているわけです。乾隆帝マンジュ復興策によって振興された競技で、乾隆年間皇帝を始め熱狂的に支持されたスポーツだったようです。なので、この絵でも右側に冰嬉が競技されている所を描き、左側では南海にある紫光閣中央に座った乾隆帝から宴が下賜される様子を描いています。ただ、氷が張るほど寒いのに、地べたに座卓で料理食べるのはどうでしょうかね?随分と寒々しい感じがします。また、こういった絵では珍しく、紫光閣の裏手でテントを張って料理の準備をする蘇拉?が描かれています。蒸し器を使っている所から見ると、饅頭でも蒸しているんでしょうか?
 さて、№121 乾隆帝紫光閣遊宴図巻マンジュハーンとしての乾隆帝の絵だとしたら、№126 乾隆帝是一是二図軸漢人皇帝としての絵ですかね。中国絵画ではよくある、文人が己のコレクションを自慢するタイプの絵画なワケですが、この絵画が凄いところは、この絵画に描かれた文物が台湾故宮北京故宮に別れているとはいえ、今も現存することですね。事実この展示では、№128~№133、№135と絵の中で紹介されている八つの文物が展示されていました。まぁ、何とも贅沢な話です。
 後は、個人的には円明園万方安和という卍型の宮殿の模型、№143 円明園「万方安和」模型 があったのも嬉しかったですね。これ自体は実際に宮殿を作る前に作られたモックアップみたいなモノみたいですが、実に精巧な出来です。宮殿自体は英仏連合軍の焼き討ちにあってとっくに消し炭になってるわけですが、こうやって模型の方がまだ残っていると言うのも不思議な感じデスね。
 №199 万国来朝図軸は画面の1/5あたりの下の方で、乾隆帝に新年の挨拶に訪れた各国の使節が主題のワリには小さいです。ご丁寧に旗に国名まで書いているわけですがwまぁ、軸なんで下の方にかためないと見えないんでしょうけど…。で、門の前で待たせておいて、当の乾隆帝は宮殿でまだ子供達と年越し行事を楽しんでいたりするわけで、その対比も面白いですね。
 №200 乾隆帝生春詩意北京図軸 は、乾隆帝が北京の名所で詠んだ詩を、北京の俯瞰図を使って、ここのことを詠んだ詩だよ?という様なことをしている絵ですね。まぁ、Googleマップでやれってはなしですよね。しかし、これで乾隆帝が具体的にどの風景を読んだのか分かる。今は失われてしまった名所の場所がこれで分かったりするわけですね。そう言う意味では京迷にはたまらない、素晴らしい絵です。細かいことですが、やっぱり中南海冰嬉をやっていて、これはこれで個人的には感動的です。
 三希堂の再現展示も面白かったんですが、雍正帝乾隆帝親子のだまし絵はキャプションでも用意しておかないと、見た人若らんのじゃないですかね?大体の人はあそこでポカーンとしていましたので…。
 と言うコトで、備忘録がわりにザッと思いつくまま書いてみました。いや~やっぱり良い展示ですね。清明上河図の展示期間が終わってからもう一度見に言って見ますw

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