特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」2

 と、昨日に引き続き東博の展示の備忘録です。これで中々個人的には役に立つんですが、他の方の役に立ってるのかなと思うこともあるモノの、取りあえず後半部分です。

 6:中国工芸の精華─天と人との競合はこういった展示では珍しく、工芸品がメインのセクションです。磁器や刺繍がこれでもカー!と置いてました。同行した人達の中ではNo.144~151八仙の刺繍がうけてました。個人的には今まで堆朱の彫り物とかあまり評価してなかったんですが、No.127 梅花彫彩漆輪花合子などは漆の色を三層に分けて、それを彫刻で三段階の色合いを見せるという離れ業をやってしかもデザイン的にもあまり煩くない感じにまとまってて面白かったデス。No.124 七仏堆朱鉢はお経を堆朱で浮き彫りにするとか、なかなか斬新なデザインでやられました。《永楽大典》も飾られてましたけど、やっぱり手書きとは思えないくらい字が均一的で綺麗でしたね。あれだけでも凄いです。
 もっとも、義和団事件当時、東交民巷近くにあった翰林院に保管されていた《永楽大典i、大陸ではだいたいは八ヶ国連合軍によって略奪を受け…って事になってますけど、そもそも清軍によるイギリス公使館攻撃の際に隣接していた風上の翰林院に火がかけられたのが原因だってあんま言わないんですねii。もっとも、この後進駐してくる八ヶ国連合軍が焼け残った《永楽大典》を大砲の下敷きに使って、トドメを完全に刺した事には変わりは無いんですけどね…。

 7:帝王と祭祀─古代の玉器と青銅器のセクション。この辺は定番ですが…一つだけ。No.13 龍冠鳳文玉飾や、No.14 龍鳳文柄形玉器あたりは…鳥のようなモノを形象した文物や蛇なんだか虎なんだか分からない様なモノを象った文物を鳳凰だの龍だの言うのはいい加減夜目にした方が良くないですかね…。最近は何でもかんで饕餮文じゃないですよね?獣面文って言いますもんね…おんなじなんじゃ…。

 8:清朝皇帝の素顔─知られざる日常。色々ありましたが、個人的にはNo.203 朱批奏摺(河南順撫田文鏡)No.206 載湉入承大統詔などのマンジュ文献の展示があったことが純粋に嬉しかったですね。まだ読めませんけど細くて綺麗な字を書くもんだなと感心しました。丁度読んでいた本に満保のことが書いてあったので、No.202 朱批奏摺(閩浙総督覚羅満保)は個人的にはタイムリーでしたね。帝鑑図説はマンジュ文のモノもあったようなので、そっちならテンション上がったんですけどねぇ…。

 9:乾隆帝コレクション─中国伝統文化の再編あたりは、まぁ、乾隆帝のひとり舞台ですよね。台湾行ったときに初めて見て衝撃を受けたNo.190 鷹文玉圭もありました。新石器時代の出土品に自作の詩を彫り込んで(しかも上下逆に)、古希天子印まで彫らせてますから衝撃的です。これを見ていからは、どんな文物に乾隆帝の自作の詩書き付けてあったり、鑑蔵印がベタベタ押してあっても、こういう人なのでしょうがないんだろうなとは思えましたが…(但し文物にマーキングする行為を認めたわけではない)。この辺は工芸品も多いので他の展示の乾隆帝を主題にした展示とはちょっと趣が違いますね。まぁ、No.199 「古希天子之宝」「八微耄念之宝」玉爾は、どうも鑑蔵印的に押されているモノとは違うモノの様だったので、これなら藤井斉成会有鄰館にある「十全老人之宝」の方が…と思わないでもなかったですけどw
 この間のNHKスペシャルでは乾隆帝のライフワークみたいにされていた《四庫全書》ですが…。まぁこれのおかげで我々調べ物するときに凄く便利だったりするので(マンジュ史というかダイチン・グルンやるとありがたさ万倍)、ありがたやありがたやと手を合わせて拝んできましたが…。あれ、文化事業で漢人知識人抱き込んで(これは順治年間にドルゴンが《明史》の時にやった手口)、その上マンジュというかダイチンに批判的な著作は抹消しちまおうぜ!って言うのが、乾隆帝にとっての《四庫全書》だと思うんですがねぇ…。勿論他にもいろんな側面があると思いますが、為政者としての乾隆帝としてはこれが一番の目的だったんだと思いますが。

 10:清朝工房の名品─多文化の交流は、ココも工芸品がメインですね。個人的にはNo.160 豆彩葡萄文瓢形壺No.161 臙脂紅碗No.163 琺瑯彩孔雀文碗の様な、色の綺麗な雍正年間の磁器が印象に残りました。ケバケバしい印象の乾隆帝の好みよりも、カラフルなのにシックな雍正帝の好みが分かるような年になったんですかねぇ…。あと、もう一つの目玉として前売り券のストラップにもなっていたNo.231 人と熊はやっぱりキャッチーでかわいらしかったんですが、まぁ、可愛いですねぇ…としか。人の方はマンジュの子供なんですかね。兎耳っぽいフード被ってます。図録によると養心殿に保管されていたようなので、多宝格のなかに納められていた玉器だったのでは無いかと言うことですね。

 会場の中で乾隆帝太上皇帝之宝を使ったのは二年くらいだったようなこと言ってしまったんですが、今確認したら崩御は嘉慶4(1799)年なので太上皇帝時代は4年あったって事ですね…。会場で声かけて貰った方には9年くらいあったんじゃないかと言われたんですが、どっちも不正解でした。

 とまぁ、色々ブチブチ文句言いながら見たわけですが、何のかんの平成館の展示は結構じっくり三時間くらい使っていたので展示としては高水準な内容だと思います。そもそも、国交のない台湾の国立博物館からの展示品貸し出しですから、普段やる大陸からやってくる展示会とはちょっと意味合いが違うんですよね。昔から、台湾が故宮文物を日本に貸したところに大陸が文物の返還要請があったら日本政府は断り切れないとされていたので、今まで台湾の文物展示が無かったわけです。今回の展示に際しても、法整備を行って今回も開催前にいざこざがありましたが、このことで次回はないかもなんて言う記事も見かけましたが、あながちそれも無いこととは言えません。しかし、楽観的に考えれば、今回盛況で政治的に追い風が吹けば、次回は気合いの入った展示が見られるかも知れません。自分は台北にいても中々見ることが出来ない絵画がいっぱい来るような展示が開催されることを夢想して〆たいと思います。

  1. 《四庫全書》編参時にはすでに借りパチに次ぐ借りパチのあげく、歯抜け状態であったらしいが… [戻る]
  2. 北京籠城回顧録によれば、服部宇之吉はこの際《永楽大典》を火事から数冊をか救ったが、戦後清朝政府に返還するというのでイギリス公使に託していたがその行く先は不明 [戻る]

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