崇徳末年の王公序列

 ネットで《清實錄順治朝實錄》…まぁ、要するに《順治実録》のテキストを見つけたので、ツラツラ読んでいたのですが、いきなりこんなの見つけたのでメモ。フリンの擁立が決まりその継位を天地に報告する誓詞を王公が証人となった…みたいな記事に親王郡王ベイレベイセがズラーッと羅列されています。おそらくこれが崇徳末年ダイチン王公の序列です。たかが序列と思うなかれ、意外とこういう時の席次が当時の力関係を如実に示していたりするのでメモがてら列挙してみます。

崇德八年癸未、八月(中略)乙亥(中略)嗣皇帝位共立誓書昭告天地王等誓詞曰、代善、濟爾哈朗、多爾袞、豪格、阿濟格、多鐸、阿達禮、阿巴泰、羅洛宏、尼堪、博洛、碩托、艾度禮、滿達海、吞齊、費揚古、博和托、吞齊喀、和托 等i

 折角なので、順番は変えずに想定される所属旗と崇徳8年8月時点の爵位を当て嵌めてリストアップしてみましょう。

1 正紅旗:和碩禮親王・ダイシャンii、2 鑲藍旗:和碩鄭親王・ジルガランiii、3 鑲白旗:和碩睿親王・ドルゴンiv、4 正藍旗:和碩肅親王・ホーゲv、5 鑲白旗:多羅武英郡王アジゲvi、6 正白旗:多羅豫郡王ドドvii、7 正紅旗:多羅郡王アダリviii、8 正藍旗:多羅饒餘郡王アバタイix、9 鑲紅旗:ドロベイレ・ロロホンx、10 鑲紅旗:グサベイセ・ニカンxi、11 正藍旗:グサベイセ・ボロxii、12 正紅旗:グサベイセ・ショトxiii、13 鑲藍旗:鎮國公アイドゥリxiv、14 正紅旗:輔國公マンダハイxv、15 鑲藍旗:輔國公トゥンチxvi、16 鑲藍旗:輔國公フィヤングxvii、17 正藍旗:輔國公ボフトxviii、18 鑲藍旗:輔國公トゥンチカ?xix、19 鑲白旗:輔國公ホト?xx

 ザッと19名ですかね。ホンタイジの皇帝権を脅かしたと言われる、三大ベイのうちのアミン系マングルタイ系…とデゲレイ系が姿を消し、ホンタイジの即位を支えたダイシャン系支流のヨト系サハリヤン系が次世代に入っています。次世代の封爵から考えると、ヨトサハリヤン以外のダイシャン系ショトマンダハイのみでワクダフセの名前が見えません。又、ホンタイジ系ではショセの名前もこの時はありませんね。あと、意外にジルガラン系以外のシュルガチ系鑲藍旗旗王が多いですね。
 この数日後にドルゴン擁立を謀ったとして処刑されるアダリショトの序列が意外に高いのには驚きました。第7位と第12位です。しかし、ダイシャン正紅旗の中ではこの二人は確かに浮いた存在の様に見えます。切羽詰まった事情があったのかも知れませんね。
 あと、この当時はやはり、ジルガランの方がドルゴンより上の序列で、ホーゲドルゴンより下の序列なんですね。今まで何となく感じていた事がこのリスト見ると何だかスッキリします。
 また、ホンタイジ治世中には散々掣肘を加えられた後でもダイシャンがやはり王公筆頭で、アンバ・ベイレの頃の威厳を保っていることが分かります。実際にホンタイジ崩御後の後継者を決める会議もダイシャンが開催していますし、ドドがやけくそながら後継者として立候補するように説得に行ったりもしています。

 ただ、18人までは特定できたこのリストも、一人…13人目の鎮國公アイドリ?だけ詳細が分からないので、続けて確認します。……と、その後の調べから、どうやらアミンの第二子で鑲藍旗グサ・エジェンだったようですね。⇒参照:艾度禮艾度禮 その2

  1. 《順治実録》巻一 [戻る]
  2. Hošoi doronggo cin wang Daišan ヌルハチ嫡二子。 [戻る]
  3. Hošoi ujen cin wang Jirgalang シュルガチ第六子。 [戻る]
  4. Hošoi mergen cin wang Dorgon ヌルハチ第十四子。 [戻る]
  5. Hošoi fafungga cin wang Hooge ホンタイジ長子。 [戻る]
  6. Doroi baturu giyûn wang Ajige 後に和碩英親王。ヌルハチ第十二子。 [戻る]
  7. Doroi erke giyûn wang Dodo 後に和碩豫親王に復位。ヌルハチ第十五子。 [戻る]
  8. Doroi giyûn wang Adali ダイシャン第三子サハリヤンの長子。崇徳8年8月刑死。 [戻る]
  9. Doroi bayan giyûn wang Abtai ヌルハチ第七子。 [戻る]
  10. Doroi beile Lorohon 後に衍禧郡王。ダイシャン長子ヨトの第二子。 [戻る]
  11. Gûsai beise Nikan 後に和碩敬謹親王。ヌルハチ嫡長子・チュエンの第二子 [戻る]
  12. Gûsai beise Bolo 後に端重親王。アバタイ第三子。 [戻る]
  13. Gûsai beise Šoto ダイシャン第二子。崇徳8年8月刑死。 [戻る]
  14. Gurun be dalire gung Aiduri アミン第二子。鑲藍旗グサ・エジェン。順治元年6月刑死。 [戻る]
  15. Gurun de aisilara gung Mandahai 後に和碩巽親王。ダイシャン第七子。 [戻る]
  16. Gurun de aisilara gung Tunchi 後にグサベイセ。シュルガチ第四子・トゥリンの第二子 [戻る]
  17. Gurun de aisilara gung Fiyanggû シュルガチ第八子。元・鑲藍旗グサエジェン。崇徳8年12月卒。 [戻る]
  18. Gurun de aisilara gung Bohoto 後にグサベイセ。アバタイ第二子。 [戻る]
  19. Gurun de aisilara gung Tunchika? 後にグサベイセ。シュルガチ第四子・トゥリンの第一子 [戻る]
  20. Gurun de aisilara gung Hoto? アジゲ第一子。順治3年病没。 [戻る]

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