九王奪嫡のマンジュ封号

 さて、辮髪乙女ゲードラマこと《歩歩驚心(邦題:宮廷女官・若曦(ジャクギ))》の再放送をツラツラ見てました。何のかんのやっぱ面白いですよねぇ。自分は主人公の若曦にはあんまり感情移入出来ないんですが、まぁ、乙女ゲードラマなので、この人は阿哥たちを描くための狂言廻しですしねぇ。てか、マンジュなので本来ルォシィとでも呼ぶべきでしょうけど、この時代だとどうですかねぇ…。元々漢字を想定した名前は漢字のママで良いのかなとも思います。ともあれ、このドラマは史料読んだだけではさして魅力的とも思えない多羅敦郡王胤䄉はじめ他の阿哥たちを魅力的に描いてますよね…。確かに十阿哥は愚かかも知れないけど、案外気持ちの良い奴だったのかも知れないなどとはこのドラマ見るまで思いもしませんでしたというか、さして印象強かったわけでもないですしw

 と言うワケで、今回は九王+α達の名前のマンジュ語読みとマンジュ語の封号を調べて見ました。

 以下、爵位は生涯最上爵位でかっこ内が康煕帝崩御時の爵位です。

大阿哥 Amba age 胤禔 In jyi (允禔 Yūn jyii)⇒多羅直郡王 Doroi Sijirhūn giyûn wang? iii(皇太子廃嫡後の呪詛発覚で爵位を剥奪され王府で軟禁状態)
皇太子 Hūwang taidzi 胤礽 In cengiv(允礽 Yūn cengv)⇒追封和碩理親王 Amcame Hošoi giyangga cin wang?vi(二次廃嫡後は紫禁城内の咸安宮で軟禁状態)
三阿哥 Ilaci age 胤祉 In c’y?(允祉 Yūn c’yvii)⇒和碩誠親王 Hošoi Unenggi cin wang? viii
四阿哥 Duichi age 胤禛 In jenix)⇒和碩雍親王 Hošoi Hūwaliyasun cin wangx
八阿哥 Jakuci age 胤禩 In syxi(允禩 Yūn syxii)⇒和碩廉親王 Hošoi Hanja cin wangxiii(ドロ・ベイレ)
九阿哥 Uyuci age 胤禟 In tangxiv(允禟 Yūn tangxv)⇒グサ・ベイセ Gûsai beise
十阿哥 Juwanci age 胤䄉 In o?(允䄉 Yūn oxvi)⇒多羅敦郡王 Droi Jiramin giyûn wang?xvii
十三阿哥 Juwan ilaci age 胤祥 In siyangxviii(允祥 Yūn siyangxix)⇒和碩怡親王 Hošoi Urgun cin wangxx(康煕帝崩御まで封爵なし。皇太子二次廃嫡の時には成人皇子は大阿哥と八阿哥以外は一様に昇爵していることから見ると異常)
十四阿哥 Juwan duici age 胤禵 In jengxxi(允禵 Yūn tixxii)⇒多羅慎郡王 Droi Boljonggo giyûn wang? xxiii(撫遠大将軍 グサ・ベイセ)

おまけ(康煕帝崩御に立ち会った阿哥)
七阿哥 Nadaci age 胤祐(允祐)⇒和碩淳親王 Hošoi Dolgo cin wang? xxiv(多羅淳郡王)
十二阿哥 Juwan juweci age 胤祹(允祹)⇒多羅嘉郡王(多羅履郡王) Doroi Dorolon giyūn wnagxxv(グサ・ベイセ)

 四阿哥の封号である雍親王は元号である雍正と字が通字なのだなぁ…と思っていたのですが、マンジュでも王号がHošoi Hūwaliyasun cin wangで元号がHūwaliyasun Tob。やっぱり同じHūwaliyasunという語彙を使用していたんですね。
 あと、は漢字が違うだけではなく、マンジュでもスペルが違うのだな~と言うのが分かりました。特に四阿哥十四阿哥漢音もさることながら、マンジュ音がよく似ていたので他の阿哥と違って名前を総取っ替えされたというのも理解できます。

 あと、雍正帝康煕帝の遺詔を書き換えて十四阿哥の皇位を奪った!…という定番のネタがありますが、封号調べるのにザッと資料調べていたときに莊吉發〈滿文史料與雍正朝的歷史研究という論文を読んでいたら、内閣大庫明清檔案からマンジュ文の〈康煕帝遺詔〉を引っ張り出してますね…。これを元にちょっと組み替えてみました。ちなみに遺詔では皇帝の諡には黄簽貼り付けるので空いた状態になります。

Manju:hūwaliyasun cin wang duici age □□(in jen),niyalma wesihun,mimbe umesi alhūdahabi , amba doro be afabuci mutembi , mini sirame hūwangdi i soorin de tebu
漢文:雍親王□□(胤禛),人品貴重,深肖朕躬,必能克承大統,著繼朕登基,即皇帝位

 これをもしも、十四阿哥にしたらどんなもんかいという文章も上げてますね。漢文は自分が組み替えました。

Manju:beise juwan duici age □□(in jeng) , niyalma wesihun , mimbe umesi alhūdahabi , amba doro be afabuci mutembi , mini sirame hūwangdi i soorin de tebu
漢文:貝子十四□□(胤禎),人品貴重,深肖朕躬,必能克承大統,著繼朕登基,即皇帝位

 太字の箇所を全部代えなきゃ行けないわけで、マンジュ文にしろ漢文にしろ、線一本足しただけでどうにかなるモンじゃないだろと言うことですね。まぁ、確かに名前に関してはマンジュ文だとgを最後に付けるかどうか位しか違いは無いのですが…。もっとも康煕帝が生前遺詔を残す事無く崩御して、康煕帝の意思を曲げて雍正帝が帝位を簒奪したという説は充分説得力あります。そもそも、康煕帝までのヌルハチホンタイジ順治帝の崩御後の経緯についても充分怪しいですし、康煕帝自身の継位についても順治帝の意図ではなかったと言う説もあるわけです。これを康煕帝が制度改革しよう(皇太子制度の導入)と望んで果たせず、雍正帝秘密建儲制(太子密建制)によって継位制度を確立したと言えるわけですね。

 と、今回の調べ物していて、アキナサスヘについての記事も見つけたので、次回の更新はこれをネタにしようと思います。

  1. 莊吉發〈滿文史料與雍正朝的歷史研究兩岸故宮第一屆學術研討會:為君難-雍正其人其事及其時代_會議論文 [戻る]
  2. 允禔 – 维基百科,自由的百科全书 [戻る]
  3. 程大鲲〈清代宗室郡王封谥考〉《满语研究》2000年01期 清宗室爵号清语考(简版) [戻る]
  4. 莊吉發〈滿文史料與雍正朝的歷史研究兩岸故宮第一屆學術研討會:為君難-雍正其人其事及其時代_會議論文 [戻る]
  5. 河内良弘「滿漢合璧雍正朝奏摺譯注」京都大學文學部研究紀要 第31号 [戻る]
  6. 程大鲲〈清代宗室郡王封谥考〉《满语研究》2000年01期 清宗室爵号清语考(简版) [戻る]
  7. 莊吉發〈滿文史料與雍正朝的歷史研究兩岸故宮第一屆學術研討會:為君難-雍正其人其事及其時代_會議論文 [戻る]
  8. 程大鲲〈清代宗室郡王封谥考〉《满语研究》2000年01期 清宗室爵号清语考(简版) [戻る]
  9. 莊吉發〈滿文史料與雍正朝的歷史研究兩岸故宮第一屆學術研討會:為君難-雍正其人其事及其時代_會議論文 [戻る]
  10. 河内良弘「滿漢合璧雍正朝奏摺譯注」京都大學文學部研究紀要 第31号 [戻る]
  11. 允禩 – 维基百科,自由的百科全书 [戻る]
  12. 河内良弘「滿漢合璧雍正朝奏摺譯注」京都大學文學部研究紀要 第31号 [戻る]
  13. 河内良弘「滿漢合璧雍正朝奏摺譯注」京都大學文學部研究紀要 第31号 [戻る]
  14. 允禟 – 维基百科,自由的百科全书 [戻る]
  15. 允禟 – 维基百科,自由的百科全书 [戻る]
  16. 莊吉發〈滿文史料與雍正朝的歷史研究兩岸故宮第一屆學術研討會:為君難-雍正其人其事及其時代_會議論文 [戻る]
  17. 程大鲲〈清代宗室郡王封谥考〉《满语研究》2000年01期 清宗室爵号清语考(简版) [戻る]
  18. 胤祥 – 维基百科,自由的百科全书 [戻る]
  19. 胤祥 – 维基百科,自由的百科全书 [戻る]
  20. 河内良弘「滿漢合璧雍正朝奏摺譯注」京都大學文學部研究紀要 第31号 [戻る]
  21. 莊吉發〈滿文史料與雍正朝的歷史研究兩岸故宮第一屆學術研討會:為君難-雍正其人其事及其時代_會議論文 [戻る]
  22. 莊吉發〈滿文史料與雍正朝的歷史研究兩岸故宮第一屆學術研討會:為君難-雍正其人其事及其時代_會議論文 [戻る]
  23. 程大鲲〈清代宗室郡王封谥考〉《满语研究》2000年01期 清宗室爵号清语考(简版) [戻る]
  24. 程大鲲〈清代宗室郡王封谥考〉《满语研究》2000年01期 清宗室爵号清语考(简版) [戻る]
  25. 莊吉發〈滿文史料與雍正朝的歷史研究兩岸故宮第一屆學術研討會:為君難-雍正其人其事及其時代_會議論文 [戻る]

2 comments

  • 個人的には上三人がこけたのとアホ(三男の人格がどーもろくなものとは思えない、息子とつるんで戸部からエクストリーム横領やらかすし)だったのでしょうがねえ四番目でってのもあり得る気がしてならんのですけどね……
    候補に挙がってる八・九男はそも皇太子廃立でやらかしてるし十四男はまさか同母兄がいるのに立てるわけにもいかんのではないかと

    • >遊牧民 さん
       大阿哥から三阿哥までは多分そうだろうけどねぇ。でも、アジゲ、ドルゴン、ドドが同母兄弟だった点を考えても、適格者なら別に弟が皇帝に立ってもおかしくない感じだったんじゃない?
       まぁ、八阿哥九阿哥については封爵の面から考えても康煕帝から徹底マークされてたみたいだからないにしても、十阿哥、十三阿哥にもチャンスあったんじゃないの?とは素人考えで思うけどねぇ…。

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