[歴史屋のたわごと2]露伴の『運命』とその彼方─ユーラシアの視点から

 と言うワケで、久しぶりに神田に行ったついでに東方書店冷やかすつもりで、何冊か本買っちゃいました…。その中でも、杉山正明『[歴史屋のたわごと2]露伴の『運命』とその彼方─ユーラシアの視点から』平凡社 がいつも通りの感情論で押し進めるやり方がむしろ清々しかったのでメモ。


 と、まずは朱元璋です。表現はともかく事績については書いてある通りなんですが、何故かずっと朱元璋で通していて、廟号である太祖はともかく、朱棣永楽帝と称するのに朱元璋のことは洪武帝とすら呼びません…。徹底して朱元璋ですね。拘りがあるようなら本名である朱重八とかでも良いような気はしますけどねぇ…。

 ところで、明帝国の創始者・朱元璋は、一介の”野人”からのしあがって「天下」を取った希有の人物として、たとえば日本の豊臣秀吉にもたとえられたりする。人によってはというべきか、朱元璋を史上屈指の大英雄とたたえるむきも決して少なくない。だが、はたしてそうか。事実だけを眺めれば、まことにとんでもない男であった。
 彼については、あばた面の醜悪きわまりない肖像がのこる。実際、彼はおよそ人間離れしたおそろしい姿・形で、さらにその人柄もおそるべき邪悪さに溢れ、かつはひとつひとつの言動すべてが不信と猜疑心におおわれ、なににつけすべからく臭気に満ちていた。およそ人として、歴史上でこれほどの悪人はめずらしい。なお、朱元璋像にはもうひとつの別物があり、それは穏やかでふっくらとして、いかにも円満・温厚な理想の”聖天子”のように描かれている。しかし、もとより美化の限りをつくした”にせもの”でしかない。率直に、あわれなものである。
 もともとは野盗というか、ほとんど「コソドロ」あがりで、人殺しは当たり前、仲閒を裏切るのは日常茶飯事、悪事は数え切れない。彼が生涯かけて殺した人間の数は、おそらくとてつもない数になる。では、なぜそんな人間が中華皇帝になってしまったかといえば、それこそが「運命」であった。このあたり、是非をこえて率直に述べたい。彼がこの世に生をうけたころ、人類史上最大のモンゴル世界帝国は急速に翳っていった。かつて、いいかげんで無責任な歴史家たちは、「モンゴルが野蛮だったからだ」などと安直な考えを平気で文に綴った。それは洋の東西を問わない。まことにお気楽で、お幸せな時代であったというほかない。i

 たしかに、洪武帝朱元璋は群盗同然の流賊から身を起こして皇帝にまで上り詰めているのは事実ですけど、元末の群雄は皆似たような身分ですし、洪武帝だけが特別卑賤だったわけでは無いと思うんですけどねぇ…。それに、モンゴルでもチンギス・ハンは前半生の経歴はよく分からないワケで、コソドロやだまし討ちはおろか兄弟殺しもやってるので、このあたりはチンギス・ハンについても同じ評価を下すんですかねぇ…。
 また、この文章のように洪武帝の肖像画は全く違う容貌のものが二系統伝わっています。どちらの系統の肖像画が実際の洪武帝により近いか?については、身体的特徴が他の文字史料では見当たらないため、どちらとも言えない…ので並列的に紹介するのがセオリーですね………。容貌からの人格否定とか、ネットでよく見かける卑劣な批判と同じことをやってますね。杉山センセは朱氏に先祖でも殺されたんですかねぇ…。
 まぁ、人類の英知たるモンゴル帝国の天下を掠め取った憎っくき洪武帝!なんですかねぇ…。でも、たしか大元ウルスは敗戦して北京を明け渡したわけでは無くて、北帰…すなわちモンゴルの故地に帰っただけだったんじゃ…。それに、漢土大元ウルスの中心部では無かったし、耶律楚材のような漢人大元ウルスの中枢まで浸透していなかったのなら、別に偏狭たる漢土を掠め取ったコソドロ如きにこんなに青筋立てるように怒らなくても良いと思うんですけどねぇ…。エッセイだとしてもw

 いっぽう、朱元璋はユーラシアをおおった寒冷化による大混乱のお陰で、「天下」をとったといっていいかもしれない。もっとも、この時期のユーラシアを見渡すと、小氷河期のためかもしれないと考えられる事例はいろいろなところで思いあたる。ii

 当時の気象状況が原因で大元ウルスは衰退して漢土を放棄せざるを得なかった…というのは杉山センセの持論ですが、ならなんで漢土を統一して間もない大明にはモンゴル高原に遠征するような余力があったんでしょうか?もし、小氷河期が原因の不作からの飢饉が大元ウルス衰退の原因だとすると、国内をようやく統一した大明は、その負のスパイラルから抜け出すのは容易ではないでしょうから、外征するような余力を養うまでには本来それなりに時間も掛かるはずです。おまけに、戦乱によって穀倉地帯たる江南が疲弊していたはずですが、洪武帝北京を陥落させて20年で北伐を指示しています。この辺は専門外で分からないンですけど、小氷河期って10年とかそんな短いスパンで元に戻るんでしょうか?若しくはモンゴル高原が局地的に小氷河期で、モンゴルの馬や羊はバタバタと斃れる一方、漢土の作物はうなる程実ったんでしょうかねぇ…。どうもこの説聞く度に、大元ウルスの崩壊はともかく、洪武永楽の派手な北伐はどう言うからくりで実現できたのか不思議でなりません。

 閑話休題。話を戻して、朱元璋はおそろしいほどの幸運に恵まれるつづけ、たまたま皇帝となってしまってからも、なんと五度にもわたってみずからの政府関係者とその家族・一族・縁者を、そのたびごどに数千、数万の単位で殺戮しつづけた。ぐうぜん握ってしまった権力を誰にも渡さぬため、盟友・親僚・功臣たちも皆殺しにした。
 おそらくそこには、富裕層や知識人への底知れない憎悪があったのだろう。その結果、朱元璋の一代で、中華における「知の世界」はいったんほとんど亡びかかった。逆にいえば、”力”だけの野蛮世界に立ち戻ったといえるほどである。明代というおよそ低劣きわまりない時代は、朱元璋の遺産・賜物といっていいものなのだろう。こんな異様すぎる権力者は、世界史上でも見あたらない。iii

 洪武帝は即位後に功臣を粛正しまくったという記録は明代の公文書にも残っているわけで、これは間違いが無い事実です。しかし、この一事を以って「低劣きわまりない時代」という決めつけは「モンゴルが野蛮だったからだ」と同じような、短絡的な結論では無いかと…。というか、改めてテキストに起こすと凄いですねぇ…。

 それにしても朱元璋について、「平民からはいあがった英雄」などと賛美するむきがしばしばあるのはおよそトンチンカンといわざるをえない。英雄どころか、人類史上でも屈指の猜疑心に満ちた人殺し、ほとんど血に飢えた稀代の大魔王といっていいのかもしれない。なお、この家系をひととおり眺めてみると、どうやら、のきなみ流血が大好きな人たちだったらしい。であれば、血筋というほかはないのかもしれない。それにしても、いわゆる「靖難の変」(一三九九~一四〇二年)と呼ばれる政局の大逆転で、最終の勝利者となった燕王あらため永楽帝も、父とそっくりであった。南京政府側の要人をいたぶりながら殺すのみならず、宮女を含めて万を大きく上回るさまざまな人たちを指を一本一本切りおとすなど、異常きわまりないやり方でトコトンなぶり殺すところは、およそ人間の域を遙かに超えている。iv

 今度は永楽帝に対しても同様の罵倒を繰り返すわけですね。こっちはほとんど洪武帝の血統は皆異常な殺戮者だ!という流れで出てきますが、永楽帝はとばっちりですよねぇ…。まぁ、永楽帝が異常快楽殺人者であることは否定しませんけど、これは永楽帝個人の趣味や趣向であって、血筋は関係ないと思います…思いたいです。そもそも、血統というのならサンプルが二例だけというのは少なすぎますね。他にも類例を出さないと…。まぁ明代皇帝から探すのならあんまり苦労しないような気はしますがw

 かたや、洪武・永楽の時代を、ともすれば不用意なほどに誉めたたえるかの如く綴る日・中の歴史家たちの行文には、大いなる疑問を感じざるをえないこともかなりある。たとえば日本の研究者たちのなかには、足利義満が永楽帝に朝貢して、「日本国王」に封ぜられ、その結果、いわゆる日明貿易(勘合符という渡航証明書をバックにした通商)が、一四〇四年から十六世紀なかばまで展開したことをもって永楽帝をもちあげたり、またかの宦官・鄭和による南海遠征を不自然なほどに過大視したりするむきがあるが、いずれもそうしたことと洪武・永楽をもちあげることとはまったく別のことである。(中略)なお、稀代の殺戮者・朱元璋を心より敬愛したのは、毛沢東とオウム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)で、ふたりとも南京の朱元璋の陵墓にもうでていることをここに附記する。v

 大元ウルスの海外交易をクビライ個人の業績のように評価する人が、永楽帝南海遠征については評価しないのか…と、いささかビックリしました。自分も鄭和南海遠征については正直、キリン北京に連れてきたことしか実績が無いのではないか?と、疑問視をしています。自分も過大評価は禁物だとは思いますが、それでも大元ウルス時代の交易路を復活、拡大したという点は功績とすべきなんだとは思いますが、それも過大評価に含まれるんでしょうかねぇ…。
 まぁ、最後の文章はなんというか、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いんだなぁ…としか…。それはそうと、毛沢東のことは智津夫程度の評価なんですねぇ…。

 この本はこれ以降、幸田露伴の『運命』に言及しつつ、カスティーリャ王国の使者がティムールに謁見したこと等を交え、次第にティムールイブン・ハルドゥーンの会見に話がシフトしていきます。なので、ハッキリ言って自分が上で引用した箇所は話の枕でしかありません。それにしても、この枕は流石に中華滅殺モンゴルパンチが過ぎるんじゃ無いかと…。歴史的人物に対して好悪を明確にして、好きな人物は手放しで褒めちぎり、嫌いな人物に対しては人格攻撃とも言える激しい罵倒を投げつけるのが杉山節だと理解してます。しかし、昨今は杉山センセの尽力のお陰で、モンゴルに対する理解が広がってますし、もう少しトーン下げても良いんじゃ無いかと思った次第です…。
 歴史屋のたわごとシリーズの(シリーズなのです)もう一冊、『[歴史家のたわごと1]海の国の記憶 五島列島─時空をこえた旅へ』も書店でパラ見した限りではおんなじ調子でしたねぇ…。

  1. 杉山正明『[歴史屋のたわごと2]露伴の『運命』とその彼方─ユーラシアの視点から』平凡社 P.25~26 [戻る]
  2. 杉山正明『[歴史屋のたわごと2]露伴の『運命』とその彼方─ユーラシアの視点から』平凡社 P.25~26 [戻る]
  3. 杉山正明『[歴史屋のたわごと2]露伴の『運命』とその彼方─ユーラシアの視点から』平凡社 P.28~29 [戻る]
  4. 杉山正明『[歴史屋のたわごと2]露伴の『運命』とその彼方─ユーラシアの視点から』平凡社 P.29 [戻る]
  5. 杉山正明『[歴史屋のたわごと2]露伴の『運命』とその彼方─ユーラシアの視点から』平凡社 P.30~31 [戻る]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。