六部管理部務王とウラ=ナラ閨閥

 と言うワケで、清初ウラ=ナラ氏閨閥のことを調べていた事についてのメモ。

天聰5(1631)年3月
太宗 スレ・ハン ホンタイジ(繼妃 ウラ=ナラ氏 ボクド娘i
工部 鑲黄旗・ベイレ アバタイ
戸部 正藍旗・ホショ ベイレ デゲレイ⇒鑲黄旗・ホショ ベイレ ホーゲ(母系 ウラ=ナラ氏 ボクド娘ii
刑部 鑲藍旗・ホショ ベイレ ジルガラン(母系 ウラ=ナラ氏 ブガン娘 フナイiii)
吏部 鑲白旗・ホショ メルゲン ダイチン ベイレ ドルゴン(母系 ウラ=ナラ氏 マンタイ娘 アバガイ iv
兵部 鑲紅旗・ベイレ ヨト
禮部 正紅旗・ベイレ サハリヤン(嫡福晋 ウラ=ナラ氏 ブジャンタイ娘vvi

 天聰5(1631)年にホンタイジは始めて六部を設立します。中華帝国的な行政機関を設置したと言うことで評価されることが多いのですが、実際に機能していたのかは疑問視されています。この頃、ホンタイジを掣肘していた三大ベイレのうちアミンは既に罪を得て幽閉中。残りのダイシャンマングルタイは存命中…にもかかわらず名を連ねていません。明らかにホンタイジが自派の権力強化のために設置したのが六部…なんですよね。従来はホンタイジの母系であるイェヘ=ナラ系の閨閥が人選に関与しているという見方は指摘されていましたけど、上のようにウラ=ナラ系の閨閥関係者が半分占めているってコトです。本来はこの下の承政啓心郎の閨閥を調べないと意味無いんですけどね…。素人には手が余りますw
 天聰9(1635)年にはデゲレイが死去。その後のマングルタイデゲレイマングジフチャ氏グンダイ出生兄弟の叛乱未遂?事件を経て、崇徳年間には戸部ホーゲの所轄に移行していた模様。しかし、その年の内にサハリヤンが死去、更にヨトが罪に問われて革職されていますが、後任についてはよく分かりません。いずれにせよ、ホンタイジ崩御の後は、摂政王二人の業務の煩雑さを軽減させるため、管理部務王は廃止されるわけです。

順治8(1651)年
順治帝 フリン
吏部 正紅旗・巽親王マンダハイ(理政三王)
戸部 正藍旗・端重親王ボロ(理政三王)
禮部 鑲紅旗・敬謹郡王ニカン(理政三王)
兵部 鑲紅旗・承澤親王ショセ
刑部 正紅旗・順承郡王レクデフン(母系 ウラ=ナラ氏 ブジャンタイ娘) vii
工部 正紅旗・謙郡王ワクダ
都察院 鑲白旗・ベイセ ウダハイ
理藩院 鑲紅旗・ベイレ カルチュフンviii

 で、ドルゴン死去の翌年に管理部務王が復活します。ドルゴン死後なら順治帝なり孝荘文皇后ジルガランの意向を汲んでそうなモノですが、自分はそうは思いません。ドルゴン在世中に六部の業務を監督するよう命じられていたのが理政三王(マンダハイ、ボロ、ニカン)ですし、ショセレクデフンワクダドルゴンに王位を授けられていますから、基本的にはドルゴン晩年の実力者が名を連ねています。その証拠というか何というか…翌順治9(1652)年にはこの時の管理部務王のほとんどが死去しています。2月にマンダハイが、3月にボロレクデフン、8月にワクダカルチュフン…そして11月にニカンが陣没します。皆理由はよく分からないのにバタバタと立て続けに死去しています。後々、この中の幾人かはドルゴンに阿諛したという罪状で爵位を追奪されたりしていますが、直接の死因はよく分からないんですよね…。疫病にしてもこんなに立て続けに狙った様に有力者ばかりバタバタ死ぬモノかと思うくらいなんですが…。
 その辺はともかく置くにしても、管理部務王の所属旗を見ると天聰年間のバランスの良い配置に比べると両紅旗だけで戸部以外の全てのポストを埋めているのは気になりますね…。ドドの息子ドニドルゴンの後継者であるドルポはまだ幼年なので入りません。順治8年のこの段階だと、アジゲやその息子が入らないのも納得なんですが、ドルゴン在世中にも重要なポストには就けてませんから、ドルゴン自体はドドはともかくアジゲやその家族については全く権力を与えるつもりが無かったのでしょう。

 と言うワケで、ザッと並べて見てもレクデフン以外のウラ=ナラ閥関係者は名を連ねてません。ホンタイジ崩御後の継位については暗躍していたウラ=ナラ閥関係者ですがドルゴン政権下ではあまり重用されなかったようです…ってコトです。妄想すると、三大ベイレ排除のためにホンタイジウラ=ナラ閨閥を利用、天聰年間にある程度目的を達成したので、崇徳年間には逆に勢力が強くなったウラ=ナラ閨閥を弾圧、その崩御に際してウラ=ナラ閨閥は復権を果たすべく暗躍したものの、旗頭に選んだドルゴン自体はウラ=ナラ閨閥とは距離を置いた…とかなるのかなと…。

  1. 《星源集慶》 [戻る]
  2. 《愛新覚羅宗譜》 [戻る]
  3. 松村潤『明清史論考』山川出版社 「シュルガチ考」P.145 及び 松浦茂『中国歴史人物選 第11巻 清の太祖 ヌルハチ』白帝社 P.103 [戻る]
  4. 《愛新覚羅宗譜》 [戻る]
  5. 《愛新覚羅宗譜》 [戻る]
  6. 磯部淳史「清初における六部の設置とその意義 ―太宗の「集権化」政策の一例として― (PDF)」『立命館文學』第619号を元に作成 [戻る]
  7. 《愛新覚羅宗譜》 [戻る]
  8. 内田直文「清朝入関後における内廷と侍従集団–順治・康煕年間を中心に PDF『九州大学東洋史論集』第37号を元に作成 [戻る]

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