ダイチン・グルンの歴代モンゴル・ハーン号?(2016/05/22追記)

※この項を書いた後、コメントでご指摘のあったようにダイチン・グルンのハーン号はホンタイジまでで、順治帝以降のの称号については元号のモンゴル語訳でしかなかったようです。本来なら全面改定すべきですが、コメント自体が興味深かったのでモンゴル語の発音だけご指摘通り直してあとはそのまま残します。

 昨日の杉山センセ本のメモでホンタイジの本名に触れましたが、あの本では次にモンゴル・ハーン号に付いて触れられていたので、他の皇帝についても気になって検索してみたところ、中文Wikipediaに蒙古大汗という項目があったので、メモ。正直どこから取ってきたのかよく分からない。ちなみに、カタカナ表記とアルファベット表記は自分が適当につけたモノなので、間違ってる可能性は大いに大デス!
 あと、ヌルハチのモンゴルハーン号も補ってみました。

(ヌルハチ⇒スレ・クンドゥレン・ハーン Sure Kundulen Khan 昆都倫汗)
ホンタイジ⇒ボグダ・セチェン・ハーン(Богд сэцэн хаан=Bogd setsen khaan 博格逹徹辰汗)
順治帝⇒エイェベル・ジャサクチ・ハーン(Эеэр Засагч хаан=Eyebeer Zasagch Khaan 額耶爾札薩克汗)
康熙帝⇒エンケ・アムグラン・ハーン(Энх Амгалан хаан=Enkh Amgalan khaan 恩赫阿木古朗汗)
雍正帝⇒ナイラルト・トプ・ハーン(Найралт Төв хаан=Nairalt Töv khaan 納伊拉爾圖托布汗)
乾隆帝⇒テングリ・イン・テトククセン・ハーン(Тэнгэр тэтгэгч хаан=Tngri Yin Tedkügsen khaani 騰格里特古格奇汗)
嘉慶帝⇒サイシヤルト・イルゲルト・ハーン(Сайшаалт ерөөлт хаан=Saishaalt yeröölt khaan 薩伊什雅爾圖伊魯格爾圖汗)
道光帝⇒トル・ゲレルト・ハーン(Төр Гэрэлт хаан=Tör Gerelt khaan 托爾格勒特汗)
咸豊帝⇒トゥゲメル・エルベクト・ハーン(Түгээмэл Элбэгт хаан=Tügeemel Elbegt khaan 圖格莫爾額爾伯特汗)
同治帝⇒ブリン・ジャサクチ・ハーン(Бүрэн засагч хаан=Büren zasagch khaan 布倫札薩克汗)
光緒帝⇒バダロールト・トル・ハーン(Бадаргуулт төр хаан=Badarguult tör khaan 巴達古爾特托爾汗)
宣統帝⇒ゲプト・ヨスン・ハーン(Хэвт Ёс хаан=Khevt Yos khaan 哈瓦圖猷斯汗)

 思いついて、各皇帝のマンジュ号の表も作ってみたのですが…

ヌルハチ=スレ・ゲンギイェン・ハン(Sure Genggiyen Han)
    =天命汗⇒アブカイ・フリンガ・ハン(Abkai Fulingga Han)
ホンタイジ=天聰汗⇒スレ・ハン(Sure Han)
     =崇徳帝⇒
順治帝⇒イジシュンイジスフン・ダサン・フワンディ(Ijishūn Dasan Hūwangdi)
康煕帝⇒エルへ・タイフィン・フワンディ(Elhe Taifin Hūwangdi)
雍正帝⇒フワリヤスン・トブ・フワンディ(Hūwaliyasun Tob hūwangdi)
乾隆帝⇒アブカイ・ウェヒイェヘ・フワンディ(Abkai Wehiyehe Hūwangdi)
嘉慶帝⇒サイクンガ・フェンシェン・フワンディ(Saicungga Fengšen Hūwangdi)
道光帝⇒ドロ・エルデンゲ・フワンディ(Doro Eldengge Hūwangdi)
咸豊帝⇒グブチ・エルギイェンゲ・フワンディ(Gubci Elgiyengge Hūwangdi)
同治帝⇒ヨオニガ・ダサン・フワンディ(Yooningga Dasan Hūwangdi)
光緒帝⇒バダランガ・ドロ・フワンディ(Badarangga Doro Hūwangdi)
宣統帝⇒ゲフンゲ・ヨソ・フワンディ(Gehungge Yoso Hūwangdi)

 スレ・ハンは天聰年間であって、崇徳年間にスレ・フワンディと名乗ってはいないと思うんで、ホンタイジは正確に一致するわけではないんですが、順治帝以降はマンジュ号のモンゴル訳をハーン号として採用してるんじゃないの?これ…って感じになってますね。ザッと見た感じですけど。順治帝と同治帝に共通したЗасагчと言うモンゴル語単語とマンジュ語単語Dasanが対応してますし、道光帝と光緒帝に共通するТөрというモンゴル語単語もマンジュ語のDoroと対応しているようです。
 あと、明代は年号+帝というのは通称と言うように説明されますが、清代に関してはマンジュ語では帝号=年号になっており、そのモンゴル語訳がハーン号になってるわけですね。なので、順治帝や康煕帝でもマンジュ的考え方なら通称ではなく正式名称と言うコトになりますね(もっとも、正確には順治皇帝なり康煕皇帝になりますが)。宣統帝はダイチン・グルンのハン=皇帝として即位していた時にはこの法則が適用されるわけです。この辺ちょっと自信ないですけど。

  1. WikipediaではТэнгэрийг Тэтгэгч хаан=Tengeriig Tetgegch khaan [戻る]

10 comments

  • 蒙古旗人

    お久しぶりです。

    Wikipediaの「蒙古大汗」の項ですが,ホンタイジ以外は在位時の元号を記しています。なお「蒙古大汗」の項のウイグル式モンゴル文字の綴りに誤りが散見されますので,以下にローマ字アルファベットで転写しておきます。

    boGda secen qaGanボグダ=セチェン=ハーン(神聖にて賢明なハン)
     ※崇徳はdegedü erdemtüデード=エルデムト(崇高な徳行あるもの)になります。
    eyeber jasaGciエイェベル=ジャサクチ(順治:協調によって支配するもの)
    engke amuGulangエンケ・アムグラン(康煕:安らかな平和)
    nayiraltu töbナイラルト=トプ(雍正:調和ある正当)
    tngri yin tedkügsenテングリ=イン=テトククセン(乾隆:天が援けたこと)
    sayisiyaltu irügeltüサイシヤルト=イルゲルト(嘉慶:賞賛と祝福あるもの)
    törü gereltüトル・ゲレルト(道光:道法の光あるもの)
    tügemel elbegtüトゥゲメル=エルベクト(咸豊:完全な豊饒あるもの)
    bürin jasaGciブリン=ジャサクチ(同治:あまねく支配するもの)
    badaraGultu töruバダロールト=トル(光緒:あまねく拡がりある道法)
    gebtü yosunゲプト=ヨスン(宣統:大いなる政道)

    ※ガンマで転写すべきところはGに,羽根の付くc/jはc/jに替えています。
    ※カナ表記は古語・口語,方言の別や,個人の好みによって異なります。
    ※括弧内は拙訳であり,研究者の間で共有されているものではありません。

    『八旗通志』では,ホンタイジのことをtaizdung genggiyen šu hūwangdi(太宗賢明文皇帝)と書きます。一方年号は,崇徳はwesihun erdemunggeウェシフン=エルデムンゲ(崇高な有徳の人)ですが,たとえば天聡4年ですとsure han i duici aniya(スレ=ハンの4年)と書き,「天聡」は他の年号とは少し扱いが違います。ちなみにsure hanに対応するモンゴル語はsecen qaGanになります。

    ご存じのとおり,奉呈されたホンタイジの皇帝としての称号はgosin onco hūwaliyasun endulingge han寛温仁聖皇帝です。ヌルハチがハルハ五部から奉呈されたのはkündülen(『満洲実録』ではkündelen) qaGan号で,それ以前から呼ばれていたのはsure genggiyen hanです。genggiyenはモンゴル語のgegegen(ゲゲーン,縮めてgegenゲゲンとも)に相当します。

    管見のかぎり,同時代史料が過去の皇帝のことを言及する場合,漢文ですと太宗あるいは太宗文皇帝,寛温仁聖皇帝などを使用し,在位時の年号で呼ぶケースというのは無さそうです。モンゴルから奉呈されたヌルハチとホンタイジの称号は「ハーン号」と言えなくもありませんが,「蒙古大汗」の項で「ハーン号」として挙がっている順治帝以降のものは即位時の年号であって,その皇帝の人となりを称揚するものではなく,称号と解することには違和感を覚えます。それに順治帝との呼称は現在の我々が研究上使用する術語と私は考えていますが,反証(同時代史料における用例)をご存じでしたら教えて頂けると有り難いです。なお年号は必ず満洲語・モンゴル語・漢語の三体で定められますので,その意味するところは一緒です。

    一般に皇帝としての正式名称は「応天興国弘徳彰武寬温仁聖睿孝敬敏昭定隆道顕功文皇帝」という諡号でして,諡号にも満洲語とモンゴル語があるはずですが,時間のあるときに調べておきます。もしハーン号を示すとするなら,このモンゴル語バージョンがそれに相当するのだと思います。

    なお,揚げ足取りになってしまい恐縮ですが,Ijishūnは一般には「イジスフン」とカナ転字されます。日本語のローマ字shで発音される音はšの字で転写されます。例)ダイシャンdaišan

    • >>蒙古旗人様
      お久しぶりです。この項も自分も半信半疑でどうなんだろうなぁ…と思いながら書いていたので、ご指摘有り難いです。
      何らか確固とした持論があって帝号云々のことを書いたわけでは無く、ヌルハチとホンタイジについては生号としてのマンジュハン号と、モンゴルハーン号が明らかに提示されているのに、順治帝以降帝号について触れているような概説書がないことと、雍正(Hūwaliyasun Tob)帝の即位前の雍親王(Hūwaliyasun Cin Wang)と、嘉慶(Saicungga Fengšen)帝の即位前の嘉親王(Saicungga Cin Wang)など、王号と元号にある程度の連続性があるのかも?と思ったことが切っ掛けだったのですが、考えて見ると、乾隆(Abkai Wehiyehe)帝と宝親王(Boobai Cin Wang)、道光(Doro Eldengge)帝と智親王(Mergengge Cin Wang)にはなんの関連性もないですねぇ…。
      元々、マンジュの封号…たとえば、Erke Cūhur(エルケ・チュフル)からerke cin wang(豫親王)への連続性と、akdun giyūn wang(信郡王)の断絶あたりに興味があって、そこからの連想でしたけど、やっぱり無理がありましたねぇ…。
      この項はモンゴル・ハーン号では無くて、元号のモンゴル訳とすべきですね。
      後済みません、モンゴル語に疎いものですから、ご指摘頂いた元号のモンゴル訳の部分を本文の訂正に使わせて頂いてもよろしいでしょうか?

      • 蒙古旗人

        お久しぶりです。
        お願いをされていたことに気づかず,大変失礼致しました。拙訳で宜しければどうぞお使いください。上記コメントの直後に発表や論文の執筆に忙しくなったもので,申し訳ありませんでした。最近ようやく落ち着きました。
        在位時の年号での呼称についてですが,明朝の皇帝に対してはそういうケースがありますね。万暦帝をwan li(lii) han,崇禎帝をcung jeng hanと書いた史料があったはずです。どの史料かは失念しました…。『エルデニ=イン=トプチ』などのモンゴル年代記でも,隆慶帝をdayiming lung cing qaGanと書いたりしています。その一方で,自らの皇帝については年号で呼称しないんですよね。
        それとホンタイジが清朝皇帝に再即位する際,ギオチャンガやタクシなどの祖先に追号していますが,モンゴル語版『太宗実録』でそのモンゴル語バージョンを確認しております。また後ほどお知らせ致します。

        • ■蒙古旗人 樣
          お久しぶりです。お忙しい中またのご来訪ありがとうございます。
          年号での呼称については、順治帝あたりからはモンゴル南部はよりマンジュの支配が進んでよその国のハーンではなく、我らが盟主なので今上的な呼び方に統一されたのかなぁ…とぼんやり考える様になりました。
          となると、モンゴル北部のたとえばハルハとかはどうなのよと言う問題は残るわけですが…。

          >ギオチャンガやタクシなどの祖先に追号
          気になります!また教えて下さい。

          • 蒙古旗人

            乾隆三修『太宗実録』天聰10年4月丙戌(12日)条の記事に見える,ホンタイジによる祖先への追尊をまとめました。《漢》は漢文版の尊号,《蒙》はモンゴル語版の尊号です。()内は拙訳です。
            ※『旧満洲檔』『老檔』の同日条では省かれている内容です。

            始祖
            《漢》澤王
            《蒙》buyan-tu wangブヤント=ワン(福徳ある王)
            高祖
            《漢》慶王
            《蒙》tegüs jayaGatu wangテグス=ジャヤート=ワン(完全な命運持てる王)
            曾祖
            《漢》昌王
            《蒙》kücün delger wangフチュン=デルゲル=ワン(力富める王)

            《漢》福王
            《蒙》tügemel öljeitü wangトゥメゲル=オルジェイト=ワン(あまねく福持てる王)
            伯祖リドゥン=バトゥル
            《漢》武功郡王
            《蒙》baGatur güng-tü giyün wangバートル=グント=ギユンワン(武勇の功ある郡王)

            ホンタイジとの続柄に従えば祖福王はタクシ,曾祖昌王はギオチャンガ,高祖慶王はフマンにあたります。始祖澤王というのが分かりませんが,フマンの父シバウチ=フィヤングではなく,後に肇祖原皇帝との廟号・諡号を贈られるメンテムでしょうね(「始」「肇」「原」ともに同義,かつシバウチ=フィヤングとその父チュンシャンはともに廟号・諡号を贈られていないため)。
            『世祖実録』順治5年11月乙丑(5日)条にヌルハチ以前の祖先に対し廟号と諡号を贈る記事があり,
            高祖澤王→肇祖原皇帝(ドゥドゥ=メンテム)
            曾祖慶王→興祖直皇帝(フマン)
            祖昌王→景祖翼皇帝(ギオチャンガ)
            考福王→顕祖宣皇帝(タクシ)
            という対応関係になっていて,なぜか続柄が一つ繰り下がっています。順治帝との続柄であれば一つ繰り上がるはずですし,ドルゴンとの続柄だとしてもホンタイジと同じはずなんですが…。ともあれ澤王はメンテムで間違いないでしょう。
            それとギオチャンガの長男であるリドゥン=バトゥルにも尊号が贈られています。güngは「功」の音訳そのものですね。彼に関しては完全に漢語の直訳という印象を受けます。

            さて満洲語表記が気になるところですが,残念ながら順治初纂満文『太宗実録』のうち天聰10年分を所持しておりませんので同日条を確認できません。ただし順治初纂漢文『太宗実録』では上記の追尊が省かれているため(『旧満洲檔』『老檔』と同様),順治初纂本では尊号を確認できないと思われます。そのうえ康煕重修本・乾隆三修本ともに満文版を確認できませんし,『内国史院檔』には天聰10年分が存在しませんので手詰まりです。

          • ■蒙古旗人 樣
            大量の情報ありがとうございます。調べようと思えば出てくるもんですねぇ。
            諡号はまたジャンルが違うのかなと言う気もしますが、基本的にはマンジュ語をそのままモンゴル語に訳した印象のある感じなんですね。
            圧倒されてますけど、少しだけ質問も…。

            >>※『旧満洲檔』『老檔』の同日条では省かれている内容です。
             蒙文乾隆四修《太宗文皇帝実録》には却って残っているのに、順治初纂本や《満文老档》《満文原档》にはこのあたり載ってないって事ですかね…。それとも、蒙文本にだけ記載が残されているのでしょうか。滿洲語表記も満文乾隆四修《太宗文皇帝実録》確認すると出てくるんじゃないのかなぁ…と、素人考えだと考えちゃいますけど、このあたり漢文本、蒙文本と違いがあるんでしょうか?

            >>なぜか続柄が一つ繰り下がっています
             となると、ホンタイジではなくヌルハチを基軸に考えたとか、そう言うことでしょうか。この辺全く今まで興味無かったので思いつきで書いてるんですが。

            重ね重ねありがとうございます。

  • 蒙古旗人

    訂正させてください。

    >それ以前から呼ばれていたのはsure genggiyen hanです

    こちらの称号はkündülen qaGanの後に奉呈されたものでした。すみません。

  • 蒙古旗人

    すみません,『太宗実録』に「乾隆四修」本が存在するということを存じません。私は順治初纂・康煕重纂(21年)・乾隆三修(4年)の3つが存在すると理解しております。乾隆三修とは華文書局『大清歴朝実録』や中華書局影印本に収録されているバージョンになります。とりあえず上記のことを前提としてお答え致します。
    まず私がアクセスできる『太宗実録』を整理致しますと,順治初纂本の満文(ただし天聰10年分欠)・漢文版,そして乾隆三修本の蒙文・漢文版となります。
    まず『旧檔』・『老檔』,そして順治初纂本の少なくとも満文・漢文版には追尊の記事が存在しません。証拠はありませんが,おそらく蒙文版にも存在しないでしょう。
    ただし乾隆三修本の漢文・蒙文版には追尊の記事が存在します。
    この記事に限らず,初纂・重纂・三修の間には違いが認められます。また,満文・蒙文・漢文間にも前者間ほど大きくはありませんが,僅かなながら差異が認められます。例えば蒙文版に漢文版には無い「古い」という言葉が存在する,などです。このような差異は論点によってはかなり重大な事実となり,私はこのおかげで論文を一つ書くことができました。
    実際にお手元の『太宗実録』同日条を確認して頂きたいのですが,確実にホンタイジを軸にして続柄を記しています。祖と記される福王(ギオチャンガ)はホンタイジに祖父ですよね。問題は『世祖実録』の方で,こちらの続柄はヌルハチを軸にしているのです。

    • ■蒙古旗人 様
      ≫『太宗実録』に「乾隆四修」本
      すみません。太祖実録の記事書いてるうちにごっちゃになりました。混乱させてしまい申し訳ありません。

      ≫乾隆三修本の漢文・蒙文版には追尊の記事が存在します
      やっぱり、乾隆三修本でも言語毎に違いあるんですね。なんだかその辺の齟齬を全部整理したイメージでいたんですが。ご教授ありがとうございます。
      にしても、中華王朝としての体裁を整えるための編纂だと思っていた乾隆三修本が何処からその尊号持ってきたのか、やはり謎ですよねぇ。

      ≫『太宗実録』同日条を確認して頂きたいのです
      昨晩、ご教授いただいた箇所を確認しました。これだけまとまった文章が順治初纂や老档、原档には見られないのは何だか妙ですね。しかも何だか洗練されてない封号が太宗の頃のセンスっぽいので、何を元にこの記述が書かれたのか気になりますね。満文本にないというのも奇妙ですし。

      ≫問題は『世祖実録』の方で,こちらの続柄はヌルハチを軸にしているのです。
      ホンタイジが中華のしきたりにうとくて間違えたのが、順治年間にこっそり正された…というのがこの王朝だとありそうですが、ならなんで太宗実録にわざわざ削られていた記事を復活させるのか謎ですよね。皇帝の祖先に対する追封なんて国家祭祀的には重大事項でしょうに説明もなくサラッと終えてるのもなんだかそれでええんかい?って気もしますし。

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