大玉兒

 今回も陳捷先《順治寫真》遠流出版 のメモ。孝荘文皇后 ブムブタイの異称:大玉兒についてです。

 フリン=順治帝生母であるブムブタイ=孝荘文皇后はドラマなどでは大玉兒、若しくは玉兒と称されることが多いです。《山河戀·美人無淚(邦題:宮廷の泪 山河の恋)》でもやはり玉兒ですね。勿論、孝荘文皇后の本名はブムブタイであって大玉兒も玉兒も発音的に全くかすりません。他の后妃はモンゴル名なのになんでかなぁ…と思ってたわけです。てっきり、ドラマか映画で付けられた最近の風潮なんだろうなぁ…と漠然と思っていたんですが、《順治寫真》を読んだところ、意外と歴史の古い呼称だったようです。
 ホンタイジの后妃については、松村潤『明清史論考』山川出版 「清太宗の后妃」という論文にも書かれています。大清建国期のことを記したマンジュ文史料《満文老檔》の元史料である《旧満洲檔》にそれぞれ名前が記されているようです。と言うワケで、ハイランチュやナム チョンも《旧満洲檔》がソースと言うコトになります。
 『中国史籍解題辞典』によると、《旧満洲檔》は1931年と1935年、二回にわけてに故宮博物院の内閣大庫から発見されましたが、影印が出版されたのは1969年になってからです。これは戦後の話ですし、そもそも漢文以外のソースをあまり重視しない”清代史”の立場に立つ人から見たら無いも同然の史料ですしね。いずれにしても、それまでに出版された通俗的な清朝モノが《旧満洲檔》を参照できなかったことは確かです。
 で、そんなのあったのかよ!と言うと、民国に入ってから清朝に関する通俗小説がそこそこ出たみたいですね。《順治寫真》によると、民国5(1916)年にはすでに蔡東藩《清史通俗演義》が出版されているようです。ネットでザッと調べたところ、この本では孝荘文皇后は皇太后吉特氏であって大玉兒では無いようです。で、いよいよ大玉兒ですね。引用しましょう。

 民國三十七i年、又有一位王浩沅出版了《清宮十三朝》、又名《清宮秘史》(中略)而布木布泰名「大玉兒」輿其妹名「小玉兒」也是王浩沅的發明之一。ii

 と言うワケで、ドラマなり映画なりで孝荘文皇后を大玉兒と称すのは《清宮十三朝》に始まるようですね。しかし、本文読むと大玉兒と小玉児出て来ると、玉のような肌なので玉兒なのです!が何回か出てきてちょっとキモいっすね…。
 まぁ、真田幸村にしろ大玉兒にしろ一度小説なんかで名前が売れると、興業的には中々本名に戻せないってことなんですかねぇ…。

  1. 1948 [戻る]
  2. 陳捷先《順治寫真》遠流出版 P.122123 [戻る]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。