聶隠娘と高駢

 と言うワケで、も少し聶隠娘ネタです。先に引用した《太平廣記》本文には、文章の最後にこう書かれてます。

出《傳奇》。

 出典:《伝奇》と書いてあるんですね。ちなみに、宋代の人が唐代の小説を『伝奇』と称したのは、この本からだそうで、そうしてみると、聶隠娘というのは現在の伝奇小説の遠い祖先に当たるようです。
 で、この《伝奇》って本を調べて見ましょう。まずは、《新唐書》芸文志です。

裴鉶 《傳奇》三卷。高駢從事。i

 と言うワケで、どうやら裴鉶と言う人が書いた本らしいのですが……ってこの人、高駢の部下だったと書かれてます。

 高駢という人物は唐末の武家生まれのサラブレッド武将で、南詔の侵入を度々防いで軍功を上げます。で、この軍功で靜海軍節度使に任命されます。しかし、黄巣の乱が勃発したため、その後は西川節度使を皮切りに各地を転戦します。この頃は朝廷の期待通りの働きを見せて、あと一歩の所まで黄巣を追い詰めますが、功績を独り占めしようとして却って黄巣の反撃に遭います。この打撃が後を引いたモノか、以後淮南節度使として揚州に引き籠もり、朝廷からの再三の出兵要請にも従わず、最後には部下に謀反を起こされて殺されています。
 …という、史実だけ見ると立派だけど最後は全うしなかったお武家さんのようですが、この人、逸話の大半が神仙絡みというか妖術を好んだ事でも有名なんですよね…。式神の軍団を呼び寄せたとか、雷法で開削工事を行ったとか。まぁ、逸話だけなら作り話かなと言う気もするんですが、最後に叛乱起こされた理由が道士の呂用之を重用して部将を難癖付けて害するようになったので、恐慌に駆られた部下が叛乱を起こすという事が、《新・舊唐書》と《資治通鑑》に書かれているんですね。要するに唐末の神仙絡みの怪しい人です。
 で、ついでなので、裴鉶についてネットで調べてみたんですが、結構色々あるんですね…。調べ疲れました。

 たとえば、南宋の《郡齋讀書志》にはこう書いてます。

《傳奇》三卷。右唐裴鉶撰。《唐誌》稱鉶為高駢客,故其書多記神仙詼譎之事,駢之惑於呂用之,未始裴鉶輩導諛所致。ii

 やっぱり、高駢が道士優遇して身を滅ぼしただけ有って手厳しいこと書かれてます。まぁ、裴鉶も呂用之と似たようなモンでロクな人間じゃないと。高駢が神仙のことに興味があったので、裴鉶は《伝奇》を献上したのは事実でしょうが、何かバイアスかかってますね。

 同じく南宋の《唐詩紀事》ではこうなってますね…。

裴鉶
乾符五年,鉶以御史大夫為成都節度副使。《題石室詩》曰:「文翁石室有儀形,庠序千秋播德馨。古柏尚留今日翠,高岷猶藹舊時青。人心未肯拋膻蟻,弟子依前學聚螢。更嘆沲江無限水,爭流只願到滄溟。」
時高駢為使,時亂矣,故鉶詩有「願到滄溟」之句,有微旨也。鉶作《傳奇》,行於世。iii

 乾符5(878)年には成都節度副使の位にあったと。始めて官職出てきましたね。あとは、高駢の部下だった時に乱世であったためにこう言う句が生まれたのだ…という感じで、まぁ詩に関する伝記なのでそう言う書き方になってますね。

 で、これまた南宋の《通志》ではこういう感じで出てきます。

《道生旨》一卷。谷神子撰或云裴鉶。iv

 道教の経典の作者として名前が挙がっていると。しかも、谷神子という別名がありますと…。ちなみに、この《道生旨》は《雲笈七籤》にも収録されている由緒正しい書物みたいですね。この《道生旨》によると、裴鉶は洪州鍾陵で修行したといいますから、普通に道士が小説書いたと考えた方が良さそうですね。

 時代下って明代の《少室山房筆叢》には伝奇という言葉の起源に触れつつこうありますね。

 傳奇之名起自何代陶宗儀謂唐爲傳奇宋爲戯諢元爲雜劇非也唐所謂傳奇自是小說書名裴鉶所撰中如藍橋等記詩詞家至今用之然什九誕妄寓言也裴晚唐人高駢幕客以駢好神仙故撰此以惑之其書v

 これも、基本は《郡齋讀書志》と同じで、神仙を好む高駢に諂うために世を惑わす文書を書いたのだと。だから、唐代の小説を妄りに伝奇と称すのは云々と書いてますね。ブログかよ。

 更に時代下って清代の《全唐文》の記事です。《全唐文》は嘉慶年間の勅撰なんですが、膨大な叢書類を典拠としているので、上の記事にない事も典拠があるのかも知れません。

裴鉶
鉶,咸通中為靜海軍節度高駢掌書記,加侍禦史內供奉。後官成都節度副使,加禦史大夫。vi

 いきなり、咸通年間に靜海軍節度だった高駢の部下だったことになっています。これだと、高駢の輝かしき対南詔方面軍の武将時代の幕僚と言うコトになりますね。成都節度副使になったのはどのみち、高駢と関係ないと言うコトはないんでしょうけど、その後袂を分かち、高駢が四川で知り合ったという説がある呂用之とは関係が深くないと言うことになりますから、後ろ暗さがなんかロンダリングされてる気もします。ともあれ、伝奇作家としては異例の出世を遂げた後は、政争から身を引いて忽然と姿を消すって言うのは、なんとも作者自身が聶隠娘のような神仙的な存在のようですねぇ…。

 と言うワケで、ネットで裴鉶の記事を追いかけたもんの、結局事績についてはよく分からない結果になってしまいました。もしかしたら、呂用之の同僚として高駢麾下の道士軍団に在籍したのかも知れませんし、彼らとは馬が合わずに道士らしく山間に去って行ったのかも知れません。ともあれ、黄巣の乱前後の段階で、高駢に献上した《伝奇》が、よく《太平廣記》編纂時まで残って居たモノだと感心しますね。唐宋変革を高駢という危なっかしい武将の元でやり過ごしたとか、奇跡に近いんじゃないでしょうか。《伝奇》には聶隠娘や崑崙奴などが収録されており、妙に描写が細かい上に実話かと思わせるような時代設定は今でも人を惹きつけます。

 と、映画《刺客 聶隠娘》を見た時に、もしも、この張震が高駢だったら面白そうなのになぁ~と思いながら見ていたので、作者と高駢の関係を知って驚いたわけです。
張震
 いっそのこと、田季安とか魏博節度使なんかほったらかして、高駢と裴鉶に直接、聶隠娘を絡ませる話の方が面白かったんじゃないかと個人的には思うんですけどね。実は作者と作中人物が知り合いだったんだけど、事情があって魏博節度使に仮託したとかそういう感じに。
 それか、衣装にしろ小道具にしろ建築にしろ、考証が行き渡った映画なのに、アトラクション施設のラメラメ忍者っぽい聶隠娘と、金仮面卿の精精兒が浮いてるンだし、あの人達はもうサンジェルマン伯みたいな存在にして、いっそのこと時空でも空間でも飛べば良かったのかなぁ…と言う気もします。
 それにしても、やっぱり、張震の古装はカッコイイですねぇ…。舒淇姐さんがなんちゃって忍者だったのは残念でしたが、張震だけで補ってあまりある見る価値ある映画だと思います。

  1. 《新唐書》巻五十九 志第四十九 藝文三 丙部子錄 小說家類 [戻る]
  2. 晁公武《郡齋讀書志》卷十三 小說類 [戻る]
  3. 計有功《唐詩紀事》卷六七 [戻る]
  4. 鄭樵《通志》卷六十七 藝文略 道家 [戻る]
  5. 胡応麟《少室山房筆叢》巻二十五 荘嶽委談下 [戻る]
  6. 董誥《全唐文》巻八〇五 [戻る]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です