満漢将軍号対照表

 というわけで、ようやく国会図書館で調べてきた論文のネタを書くのです。マンジュの親王・群王号について論文がある程大鲲センセの〈清代大将军满文名号考iという論文に書いてあることを表にまとめてみました。

満漢将軍号対照表

年号西暦マンジュ号漢号対象者備考
崇徳31638hese be aliha amba cooha i ejenii奉命大将軍睿親王・ドルゴン明への侵攻の為
崇徳31638horon be algimbure amba jiyanggiyūn揚威大将軍iiiベイレ・ヨト明への侵攻の為
崇徳71642hese be aliha amba jiyanggiyūn奉命大将軍バヤン ベイレiv・アバタイ明への侵攻の為
順治元1644hese be aliha amba jiyanggiyūn奉命大将軍睿親王・ドルゴン入関作戦の為
順治元1644goroki be geterembure amba jiyanggiyūn靖遠大将軍英親王・アジゲ李自成攻撃の為
順治元1644gurun be toktobuha amba jiyanggiyūnv定国大将軍豫親王・ドド南明・江南攻撃の為
順治21645julergi be necihiyen amba jiyanggiyūnvi平南大将軍ベイレ・レクデフン南明・江南攻撃の為(ドドと交代)
順治21645waugi be toktobure amba jiyanggiyūn定西大将軍内大臣・ホロホイ張献忠攻撃の為
順治31646goroki be toktobume amba jiyanggiyūnvii靖遠大将軍肅親王・ホーゲ張献忠攻撃の為
順治31646julergi be dailare amba jiyanggiyūn征南大将軍ベイレ・ボロ南明・閩浙侵攻の為
順治31646horon be algimbure amba jiyanggiyūn揚威大将軍viii 豫親王・ドドモンゴル ハルハ、ソニト部攻撃の為
順治31646julergi be dailara amba jiyanggiyūn平南大将軍グサエジェン・タンタイ江西の金聲桓反乱鎮圧の為
順治51648waugi be necihiyere amba jiyanggiyūn平西大将軍ベイセ・トゥンチ陝西ムスリム教徒鎮圧の為
順治51648goroki be toktobuha amba jiyanggiyūnix定遠大将軍鄭親王・ジルガラン南明・湖広進撃の為
順治51648waugi be necihiyere amba jiyanggiyūn平西大将軍英親王・アジゲ大同防御の為
順治61649waugi be toktobure amba jiyanggiyūn定西大将軍敬勤郡王・ニカン大同・姜瓖の反乱鎮圧の為
順治61649waugi be toktobure amba jiyanggiyūn定西大将軍端重親王・ボロ山西汾州鎮圧の為
順治61649waugi be amba jiyanggiyūn征西大将軍巽親王・マンダハイ朔州寧武鎮圧の為
順治61649waugi be amba jiyanggiyūn征西大将軍謙郡王・ワクダマンダハイと交代
順治91652goroki be toktobure amba jiyanggiyūn定遠大将軍敬勤郡王・ニカン南明・李定国攻撃の為
順治101653goroki be toktobure amba jiyanggiyūn定遠大将軍ベイレ・トゥンチ陣没した敬謹郡王・ニカンの代役
順治101653horon be algimbure amba jiyanggiyūn宣武大将軍x安郡王・ヨロ帰化城防御の為
順治111654julergi be elhe obure hūlha be geterenbure amba jiyanggiyūn寧南靖遠大将軍グサエジェン・チェンタイ?xi湖南防御の為
順治111654goroki be toktobuha amba jiyanggiyūn定遠大将軍ジドゥxii南明・鄭成功攻撃の為
順治121655julergi be elhe obure hūlha be geterenbure amba jiyanggiyūn寧南靖寇大将軍グサエジェン・アルチン南明・孫可望侵攻の為
順治121655mederi be elhe obure amba jiyanggiyūn寧海大将軍グサエジェン・イルデ南明・浙江舟山侵攻の為
順治141657julergi be elhe obure hūlha be geterenbure amba jiyanggiyūn寧南靖寇大将軍グサエジェン・宗室ロト荊州防御の為
順治141657waugi be necihiyere amba jiyanggiyūn平西大将軍平西王・呉三桂貴州侵攻の為
順治151658goroki be elhe obure hūlha be geterenbure amba jiyanggiyūn安遠靖寇大将軍信郡王・ドニ南明・永暦政権雲南侵攻の為
順治161659mederi be tuwakiyara amba jiyanggiyūn鎮海大将軍グサエジェン・劉之源鎮江防御の為
康煕121673julergi be elhe obure hūlha be geterenbure amba jiyanggiyūn寧南蕩寇大将軍xiii順承郡王・レルギイェンxiv湖広呉三桂反乱軍攻撃の為
康煕131674goroki be elhe obure hūlha be geterenbure amba jiyanggiyūn安遠靖寇大将軍ベイレ・シャンシャン湖広呉三桂反乱軍攻撃の為
康煕131674hese be aliha amba jiyanggiyūn奉命大将軍康親王・ギイェシュ耿精忠反乱軍攻撃の為
康煕131674waugi be toktobure amba jiyanggiyūn定西大将軍ベイレ・ドンエ?xv四川呉三桂反乱軍攻撃の為
康煕131674horon be algimbure amba jiyanggiyūn揚威大将軍xvi 簡親王・ラブ江寧進軍の為
康煕131674goroki be toktobure hūlha be necihiyen amba jiyanggiyūn安遠平寇大将軍安親王・ヨロ江西進軍の為
康煕141675goroki be dahabre amba jiyanggiyūn撫遠大将軍信郡王・オジャチャハル部侵攻の為
康煕151676goroki be dahabre amba jiyanggiyūn撫遠大将軍大学士 都統・トゥハイ?xvii陝西王輔臣反乱軍攻撃の為
康煕171678goroki be elhe obure hūlha be geterenbure amba jiyanggiyūn安遠靖寇大将軍ベイレ・チャニシャンシャンと交代
康煕171678horon be yendebure amba jiyanggiyūn奮武大将軍平南王・尚之信広東から広西侵攻の為
康煕181679goroki be toktobuha hūlha be necihiyen amba jiyanggiyūn定遠平寇大将軍ベイセ・ジャンタイ湖南から雲貴侵攻の為
康煕191680julergi be dailara amba jiyanggiyūn征南大将軍都統・ライトゥ?xviii雲貴侵攻の為
康煕291690goroki be dahabre amba jiyanggiyūn撫遠大将軍祐親王・プチェンxixガルダン攻撃の為
康煕291690amargi be elhe obure amba jiyanggiyūn安北大将軍恭親王・チャンニンxxガルダン攻撃の為
康煕341695goroki be dahabre amba jiyanggiyūn撫遠大将軍右衛将軍・フィヤングガルダン攻撃の為
康煕351696amargi be necihiyen amba jiyanggiyūn平北大将軍領侍衛内大臣・マスハxxiガルダン追撃の為
康煕571718goroki be dahabre amba jiyanggiyūn撫遠大将軍ベイセ・胤禵チベット進軍の為
康煕611722goroki be dahabre amba jiyanggiyūn撫遠大将軍都統・宗室ヤンシンxxii胤 禵と交代
雍正元1723goroki be dahabre amba jiyanggiyūn撫遠大将軍川陝総督・年羹堯青海進軍の為
雍正71729jecen be bolgo obure amba jiyanggiyūn靖辺大将軍領侍衛内大臣・フルダンxxiii北路よりジュンガル侵攻の為
雍正71729goroki be elhe obure amba jiyanggiyūn寧遠大将軍川陝総督・岳鍾琪xxivジュンガル侵攻の為
雍正91731goroki be dahabre amba jiyanggiyūn撫遠大将軍大学士・マルサイxxv帰化城防禦の為
雍正91731jecen be bolgo obure amba jiyanggiyūn靖辺大将軍順承郡王・シボxxviフルダンと交代
雍正101732goroki be elhe obure amba jiyanggiyūn寧遠大将軍吏部尚書・チャランガ?xxvii岳鍾琪 xxviiiと交代
雍正101732goroki be dahabre amba jiyanggiyūn撫遠大将軍康親王・崇安臨時就任
雍正111733jecen be toktobure amba jiyanggiyūn定辺大将軍平郡王・福彭ジュンガル進攻の為
雍正131735jecen be toktobure amba jiyanggiyūn定辺大将軍戸部尚書・慶復福彭と交代
咸豊31853hese be aliha amba jiyanggiyūn奉命大将軍恵郡王・綿愉総理京師巡防を司る

 この辺は註を確認して頂きたいのですが、清の官選書である《玉牒》と《実録》でもマンジュ号、漢号で異同があったり、授封の年月に差があったりするようですが、概ね表のような感じです。清代通じて満遍なく大将軍号が授与されていたかどうかというと、どうやらそういうわけでもないようで、どうも期間に偏りがありますね…。順治年間は入関後からの対李自成、対張献忠、対南明及び、金聲桓・姜瓖などの反乱鎮圧、康煕年間は三藩の乱、対ジュンガル戦、雍正年間も対ジュンガル戦で大将軍号が授与されています。それからしばらく将軍号の授与は記録になくなり、咸豊年間に太平天国の際に久しぶりに大将軍号が授与されています。
 ホンタイジの頃はどうやらマンジュ号では大将軍は”amba cooha i ejen”であったようですが、マンジュ版《玉牒》及び《実録》でも漢語由来である”amba jiyanggiyūn”に改竄されているようです。これは、《清理紅本紀》と言う本と順治年間の檔案に押してある印字によって判明します。

hese be aliha amba cooha i ejen「hese be aliha amba coohai ejen」xxix

 なので、おそらくは揚威大将軍も、少なくとも崇徳年間は”horon be algimbure amba cooha i ejen”であったはずです。記録も檔案もないので、憶測になってしまいますが。
 ホンタイジ期には、ただ奉命大将軍と揚威大将軍があるだけだったのが、入関後からだんだん将軍号が増えていきます。順治年間にはむしろ、奉命大将軍と揚威大将軍は使われなくなる印象すらあります。順治帝はどうやら将軍号に関して改革を行ったようで、順治12(1655)年の記事として将軍印の鋳造を命じた記事があります。

(順治十二年十二月)乙卯。鑄寧海大將軍、寧海將軍、鎮海大將軍、鎮海將軍、揚威大將軍、揚威將軍、征東大將軍、征南大將軍、征西大將軍、征北大將軍、鎮東將軍、鎮南將軍、鎮西將軍、鎮北將軍、靖南將軍、安東將軍、安南將軍、安西將軍、安北將軍、靖東大將軍、靖南大將軍、靖西大將軍、靖北大將軍、撫遠大將軍、鎮西大將軍、安東大將軍、安南大將軍、安西大將軍、安北大將軍、定南大將軍、定西大將軍、定北大將軍、定東大將軍、平南大將軍、平西大將軍、定西將軍、定南將軍、定北將軍、定東將軍、鎮東大將軍、鎮北大將軍、平東大將軍、平西將軍、平東將軍、靖北將軍、靖西將軍、征北將軍、靖東將軍、撫遠將軍、平北將軍、平北大將軍、鎮南大將軍、征東將軍、征西將軍、征南將軍、平南將軍印。xxx

 何じゃよくわからんけど、いっぱい将軍号があります。なんだか順不同なので、ちょっと表にまとめましょう。

大將軍將軍
1安東大將軍安東將軍
2安西大將軍安西將軍
3安南大將軍安南將軍
4安北大將軍安北將軍
5征東大將軍征東將軍
6征西大將軍征西將軍
7征南大將軍征南將軍
8征北大將軍征北將軍
9鎮東大將軍鎮東將軍
10鎮西大將軍鎮西將軍
11鎮南大將軍鎮南將軍
12鎮北大將軍鎮北將軍
13定東大將軍定東將軍
14定西大將軍定西將軍
15定南大將軍定南將軍
16定北大將軍定北將軍
17平東大將軍平東將軍
18平西大將軍平西將軍
19平南大將軍平南將軍
20平北大將軍平北將軍
21靖東大將軍靖東將軍
22靖西大將軍靖西將軍
23靖南大將軍靖南將軍
24靖北大將軍靖北將軍
25揚威大將軍揚威將軍
26撫遠大將軍撫遠將軍
27寧海大將軍寧海將軍
28鎮海大將軍鎮海將軍

 このとき鋳造されたのは大将軍印28個と将軍印28個であったことがわかります。内容を見ていくと、安○大将軍(将軍)、征○大将軍(将軍)、鎮○大将軍(将軍)、定○大将軍(将軍)、平○大将軍(将軍)、靖○大将軍(将軍)の各将軍号が東西南北で合計24個×2。それに、揚威大将軍(将軍)、撫遠大将軍(将軍)、寧海大将軍(将軍)、鎮海大将軍(将軍)の4個×2で総計28大将軍号と28将軍号の印綬がこのとき鋳造されたようです。
 実際には順治12(1655)年の段階でも、寧南靖寇大将軍の授与が行われているように、将軍印の鋳造と実際に付与される将軍号の間には関係がなさそうですが、個人的には奉命大将軍印を作らなかったあたり、順治帝は徹底的にドルゴンの痕跡を消し去ろうとしてたのでは…と、いう意図を読みとってしまいます…。

平西大将軍「wargi be necihiyere amba jiyanggiyūn i doron/平西大將軍印」xxxi

 時期は違いますが、このときに鋳造されたのも、おおよそ上の画像のような満漢合璧印だったようです。元々の影印はどうやら印字に関するカタログの一部なんだろうと思いますが、満漢合璧で解説がついてます。解説によると、この印は順治5年閏4月に鋳造されて、順治6(1649)年に英親王・アジゲ、順治14(1657)年に平西王・呉三桂に賜与された印だということです…。てか、解説通りなら、順治12年に鋳造された印は無視されてるってことになるんでは…。

 それはともかく、由緒ある将軍号である奉命大将軍も揚威大将軍も順治帝親政以降はあまり使われなくなり、次第に撫遠大将軍や定遠大将軍などがそれに変わって使われるようになったという感じですかね。
 皇族が多いのは軍団を率いるに足る人材が旗王に多かったということでしょうから、ある意味当然でしょう。で、皇族以外では内大臣やグサ・エジェンが任命されることが多かったのが、次第に内大臣や藩邸旧人など皇帝本人に近しい人間が任命されるようになっていくようです。なんだか、皇帝権の確立の一面として語れそうですね。
 ホロホイはこうしてみると、正藍旗の乱というか、マングルタイ兄妹の謀反未遂事件の密告による功績だけではなく、よほど出自がよかったのかなぁ…というか、そうでもないと納得できない抜擢ですね。清代の大将軍は一軍の将というより、大規模な軍事行動の方面軍司令官というイメージですし。あと、こうしてみると皇子にして撫遠大将軍に任命されているのは胤禵くらいなんですね。周りを宿老で固めたにしてもやはり異例だと思えます。

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2 comments

  • 定西大將軍と平西大將軍の転写で、
    wargi が waugi になっていますよ。

    • >匿名さま
      ご指摘ありがとうございます。タイプミスに気がつきませんで…訂正しておきました。

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