マングルタイ兄弟謀反未遂事件に登場する「金国汗印」について

 今回はマングルタイ兄弟謀反未遂事件に登場する、「金国汗印」もしくは「大金国皇帝之印」、「金国皇帝之印」の話です。

 すでに病没していたマングルタイ兄弟が謀反の嫌疑にかけられ、その遺族である同母妹=マングジ・ゲゲらの裁判が終わった後に続けてこんな記事があったりします。まずは日本語の本から。

 その後、家宅捜索の結果、不軌の証拠として「金国汗印」なるものが発見されたという。i

 マングルタイ兄弟謀反未遂事件自体が、日本語ではまとまった文献というと、杉山センセの本にしか載っていないのですが、要するに「金国汗印」の発見がマングルタイ謀反の物的証拠とされたっていうことです。このあたり個人的にはなんだか違和感があってしっくりこなかったんですよね。なので、ソースを確認して見ましょう。

(天聰九年)搜得牌印十六,文曰「大金國皇帝之印」。ii

 《清史稿》のマングルタイ伝を確認すると、牌印十六とあります。「牌印」?印璽ではないんですかね…。おまけになんだか「大金國皇帝之印」と、杉山センセの本とは印文が微妙に違います。

(天聰九年十二月辛巳)莽古爾泰家復獲所造木牌印十六枚。視其文、皆曰金國皇帝之印。iii

 更に《清太宗實録》を確認すると、こんな感じです。マングルタイの家を家宅捜索したところ、木製の「牌印」を十六枚見つけたと。木製とわざわざ断っている点にも、個人的にはなんだかずっと引っかかっていたんですよねぇ…。で、印文は「金國皇帝之印」です。むーん…なんじゃこりゃ。

(天聰九年十二月初五日)后抄莽古尔泰贝勒家器皿时、获木制牌十六枚、视其文、曰;”金国汗之印”。iv

 で、満文内国史院檔ではこんな感じのことが書いてるようです。相変わらず元のマンジュ文がないので何とも言えませんが、ほとんど実録と内容は変わりませんね。ただ、印文が「金国汗之印」になっています。思うにこりゃ、マンジュ文の漢訳のブレでしょうね。

 で、以前も引用した「グルンの印璽制度をめぐって─ダイチン・グルン太祖と太宗時代の実態─」を見ると、こんなことが書いてあるので、長めですが引用してみましょう。

 さて、太宗のホンタイジより年長であるマングルタイ(莽古爾泰 manggūltai、ヌルハチの五子)等は、かつて簒奪を企てていたことを、マングジの家僕レンセンギが刑部のジリガランに密告し、これを知った諸王は懲罰を決議、ホンタイジも裁可し、かくて関係者が逮捕処刑された。そこではマングルタイの家から不軌の証拠として[金国汗印]なるものが発見されていた。その記事を以下の『満文内国史院檔』から引用する。

また、後にマングルタイ・ベイレの家で器物を調べると、木で造った「pai doron・牌印」が十六箇も見つかった。みると[aisin gurun i han i doron]と書かれていた。その印を大衙門に持っていて、諸ベイセ、大臣にすべての民を集めて、その事実を読み上げた。

とある。manggūltai beile の家から木で作った「pai doron」が十六個も見つかっており、それに[aisin gurun i han i doron]と記されていた内容がうかがえるが、印璽であるには間違いないだろう。つまりこれは[金国汗印]なるものが「pai doron」という、訳せば「牌印」という意味であることがわかる。かつて Fuchsにより学界に紹介されたが、それは「くぼんだ12.1cm の一面に朱印を捺した紙が貼り付けられたが、その朱印は[aisin gurun i han i doron]なるものの「牌」である。その正面には三種類の文字が刻まれていたが、おそらくヌルハチ時代からホンタイジ時代にかけて使われたインペアルコマンド」だと述べられている。確かに【図 6】によると、無圏点のマンジュ文字(HAN I TORON / han i doron)以外に、モンゴル文字(qagan u tamga)と漢文(皇帝之寳)も刻まれている。明の場合にはもっぱら詔書や勅書に捺されていたのは[皇帝之寳]という印璽である。だが、これは「印」として詔書に捺すものではなく、身分証明書として使われた「パイ」に使用されたものである。かつて天命年間に馬に財貨を載せて運ぶときには必ず「パイ」を持たせたし、これに関しては罰則も規定されていた。こうしたものは瀋陽故宮博物院には、五百個ほど所蔵されており、「パイ」はグルンで文書などを送達するときに欠かせない存在であり、さらに「パイ」自体に欠かせないものこそ、やはり「印璽」であった。v

 おお……。謎は氷解。やはり、印文は「aisin gurun i han i doron」というマンジュ文を漢語に翻訳する際のブレですね。かつ、なんだろう?と思っていた「牌印」はパイと呼ばれる木製の牌だということですね。身分証というか通行証というか…虎符や割符のように所持していることで、ハンの代理人であることを証明するものが牌印=パイと言う理解でいいんじゃないかと思います。論文で写真も上がっていますが、折角なので手元にある《大清盛世 瀋陽故宮文物展》図録の写真を見てみましょう。

パイ(表)「han i doron/qagan u tamga/皇帝之寳」vi
パイ(裏)「aisin/gurun i/ han i/doron」vii

 おお…グレイト。論文で指摘されている通りの文面の通りです。まぁ、瀋陽故宮にはこんなのが500個残ってたと言うので、ありがたみはないんでしょうけど。要するに、マングルタイは自宅に「aisin gurun i han i doron」が捺されたパイを16枚隠匿していたのが、謀反の証拠とされたようですね。もっとも、こういったパイは公務に携わる人間に支給されるものなので、恐らくマングルタイ邸は旗王継承の段階で主人が代わってデゲレイ邸となっていたのでしょうから、この年に病没したデゲレイがパイを持っていても不思議ではないはずです。まぁ、もしかしたら厳重に管理すべきパイを王府に持ち帰っていたことが問題視されたのかもしれません。でも、500枚も現存するパイが16枚あったからといって果たして謀反の物的証拠になるのかというと、個人的にはやっぱり言いがかりなんじゃないかと感じてしまいますが…。
 何はともあれ、今まで気になってた記載の意味がわかって個人的には大満足なのでした。画像もあるとわかりやすいですね。

 あと、ついでですが、先ほどの論文は続けて崇徳年間のパイについても触れています。

 ホンタイジは崇徳三年(1638)三月一日に北に向かって行軍し、狩猟しながらモンゴル各部を訪問し、いたるところに懇ろな歓迎を受けたり、温泉に入ったり、時折盛京城を留守する王や大臣等に勅書を下したりしていた。ところが、崇徳三年(1638)三月二十六日付けの記事を見てみると、助手三人に「akdun temgetu・信牌」を持たせ、盛京城の国史院大学士ガリンのもとに遣った。ガリンに「帰化城に交易に赴いた我が国の人を迎えに、駐防前鋒兵を速やかに差遣せよ」と諭して、助手三人に「akdun temgetu」を持たせて盛京に行かせたのである。『清文総彙』によると、「akdun temgetu」は「聖旨龍牌、乃伝布聖旨于四方用者」と解釈され、『五体清文鑑』はこれを「信牌」と訳し、文字通り信憑性のある「牌」の意味である。つまり、「信牌」とは身分証明書でもあり一種の交通手形でもある。ここで三人が所持した「akdun temgetu」は『清史図典』に収録された「寛温仁聖皇帝」という信牌に違いない。それはマンジュ・漢文・モンゴルの三文字で刻まれたもので、それぞれ「gosin onco hūwaliyasun/enduringge han i akdun temgetu:」・「寛温仁聖/皇帝信牌」・「aγuu örüsiyeici nayiramda-qu boγda qaγan –u itegel-tü temdeg」とあり、「寛温仁聖皇帝」とは、崇徳元年(1636)四月にマンジュ・モンゴル・漢の八旗の推戴をうけて、「金国ハン」から「大清皇帝」に即位した太宗ホンタイジの称号である。つまり、この「akdun temgetu」は崇徳年間に発行されたものとわかる。文字の部分がくぼんで、金色を塗りつけた陰文の信牌であるため読みやすい。赤色で塗られた木で作られ、上部に浮き彫りの龍がはめ込まれ、その上の穴から金色の紐が、革で作られたカバーの穴に通されている。さらにカバーの表面には龍の文様が描かれている。それは、皇帝権力のシンボルとする五爪の龍である。このような信牌は諭旨や身分証明書等によく使われるようである。もともとの「信牌」については、意訳の「akdun temgetu」でなく、「パイ」あるいは「パイ・ドロン」と称していた。

 手元の図録にあるので、これも見てみましょう。

akdun temgetu「寛温仁聖皇帝信牌」viii
寛温仁聖皇帝信牌 拡大「gosin onco hūwaliyasun/enduringge han i akdun temgetu:/
皇帝信牌/寛温仁聖/
aγuu örüsiyeici nayiramda-qu/boγda qaγan–u itegel-tü temdeg」拡大ix

 実際の文物がこうやって画像上がると、ホホーッと説得力出ますねぇ。と言うわけで、崇徳年間のホンタイジの生号は「寛温仁聖皇帝=gosin onco hūwaliyasun enduringge han」ということになるみたいですね。ふむふむ。こういうことがあるので図録収集もやめられないんですよねぇ…。

  1. 杉山清彦『大清帝国の形成と八旗制』名古屋大学出版 P.240 [戻る]
  2. 《清史稿》巻二百十七 列傳四 諸王三 太祖諸子二 莽古爾泰 [戻る]
  3. 《清太宗實録》巻二十六 [戻る]
  4. 中国第一历史档案馆《清初内国史院满文档案译编》光明日报出版社 上巻 P.214~215 [戻る]
  5. 庄声 「グルンの印璽制度をめぐって─ダイチン・グルン太祖と太宗時代の実態─」『歴史文化社会論講座紀要』 第12号 [戻る]
  6. 《大清盛世 瀋陽故宮文物展》国立故宮博物院 P.59 [戻る]
  7. 《大清盛世 瀋陽故宮文物展》国立故宮博物院 P.59 [戻る]
  8. 《大清盛世 瀋陽故宮文物展》国立故宮博物院 P.60 [戻る]
  9. 《清史図典》紫禁城出版社 巻一 太祖 太宗朝 P.189 [戻る]

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