ドルゴン最後の嫁取り合戦

 たまたま《清世祖実録》パラパラ見てたら気になったので、メモ。

(順治六年十二月)壬子。攝政王多爾袞元妃薨。令兩白旗牛彔章京以上官員、及官員妻、皆衣縞素。六旗牛彔章京以上官員、皆去纓。i

 順治六年十二月にドルゴンの正妻であるボルジギット氏が薨じます。壬子は計算上12月28日になると思います。ド年末ですね。この葬儀に際して両白旗の官員とその夫人に喪服を着るように命令が出ていることから、晩年のドルゴンは正白旗だけではなく鑲白旗をも支配下に置いていた証拠とされる記述ですね。ともあれ、翌年十二月にドルゴンもハラ・ホトンで薨じていますから、なんだか偶然にしても出来過ぎてますね。

(順治七年正月)丁卯。攝政王以玉冊玉寶、追封其妃博爾濟錦氏、為敬孝忠恭正宮元妃。ii

 で、翌年正月丁卯にボルジギット氏を敬孝忠恭正宮元妃に追封して玉冊にそのことを記したようです。この頃の清朝皇族がどのような宗教に基づいて葬儀を行っていたのかは気になりますが、丁卯は1月13日ですから、元妃が薨じてから15日が経過しています。

(順治七年正月)己卯。攝政王召議政王、貝勒、固山額眞、內大臣、議政大臣會議是日、納和碩肅親王豪格福金博爾濟錦氏。iii

 ドルゴンはさぞや意気消沈しているのだろう…と思っていると、次に当たるのがこの記事デス…。亡きホーゲの未亡人を娶ることを同月己卯に議政王大臣会議に報告したようです。己卯は1月25日ですから、元妃が薨じてから27日目ですね…。あくまで報告がこの時期ですから、実際にはもっと早い時期に娶っていたんだと思います。ちなみにこの時期はまだ宗人府ができてないので、議政王大臣会議に報告してるわけですね。

(和碩粛武親王 豪格)嫡福晋博爾濟吉特氏依爾社齋董郭羅公之女iv

 《愛新覺羅宗譜》によると、ホーゲの嫡妻はボルジギット氏のイルドゥチ(依爾社齋)の娘だと言うことです。董郭羅公は多分、モンゴル封爵の音訳なんでしょうけどこれについてはよく分かりませんでした。

(崇徳元年七月)丙午、科爾沁國貝勒依爾都齋偕其妻、送女於粛親王豪格爲福金。(中略)癸丑、和碩粛親王豪格、納科爾沁國貝勒依爾都齋女。v

 嫡妻が嫁いできたことは《太宗実録》からも確認できます。前年である天聰九年にマングルタイ兄弟反乱未遂事件の際に、マングルタイの同母妹のマングジの娘である当時の嫡妻をホーゲは自らの手にかけて殺しています。その埋め合わせという意味なんでしょうかねぇ。

○ ice duin de, korcin i ilduci beile i sargan jui de, hošoi fafungga cin wang de sargan benjime jimbi seme donjifi, hošoi fafungga cin wang okdome genehe;
⇒四日、Korcin のIlduci Beile の娘を和碩粛親王に妻として送って來ると聞いて、和碩粛親王が迎へに行つた。vi
○ juwan emu de, non i korcin i ilduci beile i sarugan jui de, geren hošoi fafungga cin wang sargan gaijira(後略)
⇒十一日、Non の Korcin の Ilduci Beile の娘を和碩粛親王が娶る(後略)vii

 と言うことで、『満文老档』にも記述があるので間違いなさそうですね。ただ、このイルドゥチという人物がよくわからんのですがね…。杜家驥センセの《清朝満蒙聯姻研究》を見ると棟果爾とあります。と言うことは、ジャサク・ボドレガタイ・チンワン(扎薩克博多勒噶台親王)家の祖…つまり、センゲリンチンの祖先であるドンゴルに比定されたと言うことなんでしょうが、根拠がイマイチ分かりません。

和碩顕懿親王富綬 崇徳八年癸未五月十七日亥時生母嫡福晋博爾濟吉特氏依爾社齋董郭羅公之女 viii

 ともあれ、《愛新覺羅宗譜》によると、ホーゲ嫡妻であるボルジギット氏イルドゥチの娘という人物が後に粛親王家を再興するフシェオの生母です。ドルゴンは再婚したホーゲの未亡人とフシェオを自邸に招いていますから、普通に考えると生母とその子供だと考えられますよね。

七年正月,王納肅王福金,福金,妃女弟也。ix

 で、このホーゲ嫡妻ですが、《清史稿》によると、元妃の妹だと言うことみたいなんですよね…。

(和碩睿忠親王 多爾袞)嫡福晋科爾沁博爾濟吉特氏索諾穆台吉之女x

 ところが、《愛新覺羅宗譜》によると、ドルゴン嫡妻の元妃はホルチン・モンゴル出身なのは変わらないようですが、ソノム・タイジの娘とあります。杜家驥センセの《清朝満蒙聯姻研究》を見ると、ジャイサンの子でウクシャンの弟…と言うことは孝荘文皇后・ブムブタイの兄弟であるソノムとしていますから、ホーゲ嫡妻と元妃は同じホルチン部の王族出身ながら、姉妹と言うことでは無いと思われます。むしろ、ブムブタイの姪ですね。ドルゴン、ホーゲ、ブムブタイ、元妃は同世代ですから、ホーゲ嫡妻は彼らより一世代下の世代かもしれませんね。
 ネットで見かけた説に、このホーゲ嫡妻こそがマングジ失脚を招いた、リンダン・ハンの未亡人であるベキ皇后その人ではないか?と言う説がありました。なかなかおもしろい説ですね。確かにベキ皇后自体のその後の消息は分かりませんし、ホーゲ未亡人のホーゲに嫁ぐ前の消息は分かりません。同一人物でもおかしくないんですが、史料的な制約もあって確証はとれませんね…。

(順治七年正月壬午)攝政王遣官選女子於朝鮮國。xi
(順治七年五月)癸酉。攝政王率諸王大臣、親迎朝鮮國送來福金於連山。是日成婚。xii

 と言うわけで、順治七年に話を戻すと、ホーゲ嫡妻を娶ったことを報告した2日後、今度は来朝していた朝鮮の使節に対して、選女を行い嫁を連れてこいと命じてます。正月壬午は1月28日ですから、元妃が薨じてから実に30日目のことです。実際に同年五月にはドルゴンが朝鮮国からの嫁を受け取りに行ってます。

 なんとも、最後の一年にして少なくとも二人は娶っていて、かつ嫡妻の死後一ヶ月の間に行動を起こしているわけですね。

(順治六年十二月)丁未。攝政王多爾袞率大軍還。xiii

 ただ、ドルゴンは嫡妻・元妃が薨去する5日前に、大同に遠征中に急遽北京に帰っています。恐らく愛妻の看病の為に火急の仕事を放り投げて、取るものとりあえず帰還したのだと思います。前後の行動を一体全体どういうつもりで取ったものだったのか?史料からは伺い知れませんが、この辺の機微がなかなか難しいですねぇ…。

  1. 《世祖実録》巻四十六 [戻る]
  2. 《清世祖実録》巻四十七 [戻る]
  3. 《清世祖実録》巻四十七 [戻る]
  4. 《愛新覺羅宗譜》 [戻る]
  5. 《清太宗実録》巻三十 [戻る]
  6. 『満文老档』VI 太宗3 太宗崇徳二十 P.1159 [戻る]
  7. 『満文老档』VI 太宗3 太宗崇徳二十一 P.1177 [戻る]
  8. 《愛新覺羅宗譜》 [戻る]
  9. 《清史稿》 卷二百十八 列傳五 諸王四 太祖諸子三 睿忠親王多爾袞 [戻る]
  10. 《愛新覺羅宗譜》 [戻る]
  11. 《清世祖実録》巻四十七 [戻る]
  12. 《清世祖実録》四十九 [戻る]
  13. 《世祖実録》巻四十六 [戻る]

3 comments

  • 蒙古旗人

    確かに,管見の限り清朝の史料にイルドゥチの出自は明確に記されていませんよね。
    モンゴル年代記『アルタン=フルドゥン=ミンガン=ヘゲストaltan kürdun mingGan kegesütü』(以下AKMK)記載のホルチン部の系譜を確認しますと,ナムサイnamsaiの子にミンガンmingGanが,ミンガンの子にドンゴル=イルドゥチdunggor ilduciがいます。イルドゥチの弟にダグル=ハタンdaGur qatanなる人物がいます(AKMK巻五4B-7A)。
    一方『老檔』太宗1p.233にはホルチン部の王公たちが列挙されており,ミンガンの次にイルドゥチが,太宗2p.597にはイルドゥチの使者とともにダグル=ハタンの使者がやってきております。
    上記よりホーゲの嫡妻の父イルドゥチは,ホルチン部ミンガンの子イルドゥチに比定できるのではないでしょうか。ドンゴルはイルドゥチの別名というところで,センゲ=リンチンの祖先に間違いないでしょう。
    なお,AKMKの系譜史料は
    マングスmangGus―ジャイサンjayisang―ソノムsonom
    ミンガンmingGan―イルドゥチilduci
    と伝えております。マングスとミンガンは兄弟(ナムサイの子)です。
    ハン・皇帝家を中心としたホルチン部首長層との婚姻関係については,楠木賢道『清初対モンゴル政策史の研究』第2章(pp.71-112)が参考になります。ただしあくまでハン・皇帝家との婚姻関係が中心です。

    • ■ 蒙古旗人 樣
      やはり、モンゴルの史料当たらないといけなかったんですねw
      でも、ドンゴルがイルドゥチの別名であるというのは、これで間違いなさそうですね。
      自分としては、何故ドルゴンの元妃とイルドゥチの娘が姉妹とされたのか…とか、イルドゥチの娘にドルゴンとフリンが拘った理由がなんだか気になりますね。

      >楠木賢道『清初対モンゴル政策史の研究』
      手元に有るので、確認して見ます!

      知見が広がりました。ありがとうございます。

  • 蒙古旗人

    「ドンゴル=イルドゥチdungGor ilduci」
    でした。失礼しました。

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