バトゥ麾下のイギリス人貴族 その2

 と言うわけで、昨日の記事を上げたところ、ありがたいことにTwitterでご指摘を頂きまして…。

 確認したら確かに記述がありましたので、メモついでにこれも上げておきます。

 ハンガリー侵入
 モンゴル軍の一部がシレジアとモラヴィアを劫掠している間に、バトゥ自ら指揮する一隊はハンガリーを侵略していた。ハンガリー王国は、その領域はアドリア海にまで及んでいたが、五年以来、父アンドラーシュ[二世]のあとを嗣いだベーラ四世の支配下にあった。バトゥはこれを攻撃するに先立ち、書をベーラ四世に寄せて、もし、なんじの生命とその臣民の生命を保ちたいなら、モンゴルの君主に服従を誓うよう勧告した。一人のイギリス人があり、その本国から追放されて、モンゴル人に仕えていたが、この者がハンガリー国王にこの書簡をもたらす任務にあたった。i

 ド直球にドーソンのモンゴル史に記述がありますね…。基本資料じゃないですかこりゃ…w更に、”任務にあった”に原註が付されているので、ついでに上げておきましょう。

フランスの聖職者[上記のイヴォン]は、一二四二年にモンゴル軍の一支隊がハンガリーからウィーン付近の小都市ノイシュタットを脅かしに来たとき、この都市にいたのであるが、かれはボルドーの大司教に宛てた書簡の中で、この分遣隊は大軍の接近を知って退却し、八人が捕らえられ、その中には、本国から終身追放の罰を受け、タルタル族の陣営に走ってこれに仕えていた一人のイギリス人があり、この者はモンゴルの首領の命令で二度、ベーラ四世のもとへ派遣され、降伏を勧告したと語っている。「ボルドーの大司教ギラルドにあてたナルボンヌのイヴォンに書簡」(Matthew Paris,《Historia Angliae》第一巻、六〇八頁所収)
[Matthew Paris(ca. 1199-1259)は中世イギリスの年代記作者。ヘンリー三世の知遇を得、その歴史を書いた人]ii

 と言うわけで、元ネタ的にはマシュー・パリス?と言う人が書いたイギリスの年代記に引用された書簡と言うことなんでしょうかね。オーストリアのフリードリヒ公と面識があったとか、マグナ・カルタ云々、バグダードに滞在したとかについてはドーソンの本には記述がなさそうなので、恐らく岡田英弘センセが参考にしたのは元ネタの方なんでしょうかね。

 同タイミングで教えて頂いた本を取り寄せてるので、それ確認してからでしょうかねぇ…。

ガブリエル・ローナイ 著/榊優子 訳『モンゴル軍のイギリス人使節─キリスト教世界を売った男─』角川選書262

 正直、このネタだけで一冊書けるっていうのは信じがたいんですけどねぇ…wネットで検索したところ、書評では大体裏切られたって感じのようですが…。

  1. ドーソン 著/佐口透 訳『モンゴル帝国史2』東洋文庫128 P.172 [戻る]
  2. ドーソン 著/佐口透 訳『モンゴル帝国史2』東洋文庫128 P.172 [戻る]

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