東洋文庫収蔵 皇史宬旧蔵紅綾本《大清聖祖仁皇帝實録》漢文本について

 去年くらいからにわかに《清実録》の事が気になっていたので、ちくちく検索をしていたところ、こんな記事を見つけました。

初公開!『大清聖祖仁皇帝実録』の楽しみ方

 2014年2月10日付の記事ですが、どうやら東洋文庫ミュージアムで《大清世祖仁皇帝実録》が展示されていたと言う内容のようです。この記事ではこの実録の収蔵先がよく分かりませんが、基本的に東洋文庫ミュージアム東洋文庫の収蔵品のみを展示しているはずです。色々知りたいことはあるものの情報量が少なすぎて何とも言えません。しかし、この記事を見かけて自分は…え?日本に大紅綾本なんてあるの?それって瀋陽本なの?皇史宬本なの?と、一人で舞い上がってしまいましたが、とりあえずこれ以上の情報が検索しても出てこなかったので、悶々としていました。

 で、清実録のことを腰入れて調べようとして、谢贵安《清实录研究》上海古籍出版社 を購入してパラパラめくっていると、こんな記事にぶつかりました。

(5)东洋文库所蔵红绫本《圣祖实录》和《徳宗实录》部分卷册
 位于东京都文京区的东洋文库、是日本最大的亚洲研究图书馆、以中国图书与文化作为主要収蔵和研究对象、是着名的汉学研究重镇、1948年成为日本国立国会图书馆的分馆。它所蔵的《清实录》、主要是圣宗、徳宗两部大红绫本《实录》的部分卷帙。其中《圣祖实录》有50函、150卷、始于第51函、第151卷康熙三十年四月、迄于第100函、第300卷康熙六十一年十一月;《徳宗实录》有80函、357卷、始于第1函、第1卷同治十三年十二月、迄于第80函、第357卷光绪二十年十二月。红绫封皮、胡蝶装、半页九行、行十八字。东洋文库所蔵的这两部实录卷帙、占《清实录》分部卷帙的八分之一强。
 这两部大红绫本《实录》是原皇史宬所蔵正本《清实录》的部分卷帙、民国时期流落到日本、为东洋文库所蔵。原所蔵皇史宬的《清实录》正本、少部分被运至台湾、蔵台北”故宫博物院”,绝大部分现蔵于北京中国第一历史档案馆。王瑞来发现、中华书局影印《圣祖实录》时以第一历史档案馆所蔵皇史宬大红绫本为主、但卷151卷至卷198和卷202至卷300则用的是现蔵故宫的小红绫本、”而这部分大红绫本所缼、正为东洋文库所蔵”。至于《徳宗实录》、在第一历史档案馆现蔵本中”已缼同治十三年十二月至光绪二十年九月部分”、”而这部分也正为东洋文库所蔵”、仪缼光绪二十一年正月至九月这一部分。”这一事实并不是巧合。它说明东洋文库収蔵《清实录》大红绫本、正是原皇史宬残蔵本”。原蔵皇史宬、现蔵第一历史档案馆的大红绫本、其版式也是”半页9行、行18个字”、”在装帧上、大红绫本为胡蝶装”、显然与东洋文库本的版式一样。i

 おお…ほんまかいな…。《清實録影印説明読んだにも、《大清聖祖仁皇帝実録》の後ろ半分を何で皇史宬本から影印されていなかったのかと言う疑問はあったんですが、これで謎は氷解しました。《大清聖祖仁皇帝実録》の後ろ半分…具体的には巻151~巻300は東洋文庫に収蔵されていたわけです。時期は《清实录研究》によると民国に入ってからのようです。おそらくは民間に流出したものを三菱財閥が入手して、そのまま東洋文庫に移管されたんでしょうけど、この辺は想像するしか有りませんねぇ…。

貴重書 XI-3-B-36 大淸聖祖合天弘運文武睿哲恭儉寛裕孝敬誠信中和功德大成仁皇帝實録三百卷 闕卷第一至第百五十淸内府朱絲欄鈔本 用卷第百九十九至第二百一別鈔本補配 150册 皇史宬舊藏本

 これ、東洋文庫のオンライン検索でビダっと検索できなかったんですが、多分、自分が検索した文字に異同があったんでしょうねぇ…。ともあれ、請求番号とかで検索するとガシッと出てきました。皇史宬旧蔵本の記述もあります。巻199~巻201は別の抄本で補っている旨もキチンと表記があります(後述)。こちらは自分も閲覧してきました。

 《大清徳宗景皇帝実録》については経緯が複雑なのでアレですが(清朝崩壊後に成立した上に、最終稿が提出されてから決定稿までに時間がかかっていて、おまけに日本の記事がいくらか書き直されているのが発見されているため、かの大陸では結構版本について神経質に扱われる)、ともあれ皇史宬本の597巻首巻4の内の1巻~357巻まではどうやら東洋文庫に収蔵されているようです。

貴重書 XI-3-B-37 大清德宗同天崇運大中至正經文緯武仁孝睿智端儉寬勤景皇帝實録三百五十七卷淸内府鈔本 80册

 こちらは皇史宬旧蔵本とは明記されていないので、まだまだ謎は深まります。また、《清实录研究》では1~80函という表記ですが、東洋文庫に登録されている80冊と言う表記には微妙に差異があるので引っかかりますね…。こちらもいずれは実物を閲覧してみようかと思います。

 で、いてもたってもいられなかったので、自分は東洋文庫に直接行って《大清聖祖仁皇帝実録》については、貸出窓口で申請書を提出した上で後日閲覧してきました(貴重書は申請後閲覧なので、それなりに期間は必要です。その際の記事は後日上げようと思っています)。その際に《大清聖祖仁皇帝実録》について紹介されている出版物がある旨ご教授頂いたので、併せて載せておきます。『記録された記憶』という東洋文庫収蔵図書について紹介したムック本です。

 清朝の実録は、太祖から光緒帝まで一一代あり、光緒帝の実録を除き、漢文のほか満洲語とモンゴル語が併記されています。実録の編纂は、いずれも皇帝の死後まもなく始められ、正・副の鈔本五部(大紅綾本二部、小紅綾本二部、小黄綾本一部)が作られました。とりわけ紅色の雲鳳紋綾で装幀された皇史宬の大紅綾本は、金匱(龍紋の浮き彫りのある金銅板を張った楠の箱)に入れられて、大切に保管されていました。東洋文庫が収蔵する『大清世祖仁皇帝実録』(全三〇〇巻のうち巻一五一~一九八、巻二〇二~三〇〇を収蔵)は、皇史宬旧蔵の大紅綾本です。なお、首三巻、巻一~一五〇、巻一九九~二〇一は、北京にある中国歴史第一歴史檔案館に収蔵されています。ii

 まぁ…実物見ましたけど、マンジュモンゴルは併記されてませんよね…(《満洲實録》と混同していると思われ…詳しくはこの記事を参照)。あと、特記されている巻199~巻201の皇史宬本は、中華書局版《清實録》の底本になっていてこの記事でも触れたとおり、現在は中国第一歴史档案館に収蔵されています。しかし、《清实录研究》によると、東洋文庫に収蔵されている補巻はそれなりに由緒がある鈔本のようです。

 値得一提的是、东洋文库所蔵《圣祖实录》第199卷至第201卷共三卷、并非大红绫本原本、而是补配本、其函套为紫绫、书的封皮亦为紫绫、内分用纸亦为泾县榜纸、画朱絲栏、装帧亦胡蝶装、行格亦为半页九行、行十八字。据方甦生指出、八国联合军攻下北京后、”皇史宬所蔵实录颇有散亡”、事后”于内阁设修书处、稽其阙佚而补善之。今皇史宬实录中、绫衣作纬紫色者皆是。阁库亦有修书处档案可考”。然而、东洋文库所蔵《圣祖实录》补配的这三卷(紫绫装)、其实并未真亡、只是当时找不着时补配的、后来这三卷汲然存在、中华书局影印《清实录・圣祖实录》的、底本恰恰”用的是原皇史宬的大红绫本”。iii

 要するに、義和団事件に端を発する八ヶ国連合軍による北京占領(いわゆる北支事変)での混乱の最中に失われた…と思われた部分を補填した部分の様です。まぁ、実際にはこの時には紛失していなかった様ですが、当時は探し出せなかったので補ったと有ります。この補巻、実物を見ましたけど、お世辞にも質の高い補修ではなかったですね…。他の巻と比べると、すべてに於いて…一言で言うと雑な印象を受けました(詳しくは後日纏めようと思います)。

 更に、《大清徳宗景皇帝実録》を調べたところ、義和団事件からの混乱時期に皇史宬が荒らされ、実録聖訓がいくらか紛失したらしいこと、その実態を調査したこと、欠けた部分を補ったこと等の記述があります。前に《清実録》のテキストを”皇史宬“で全文検索した時に、この辺がヒットしたので何じゃこりゃ?とは思っていたんですが、ようやく話がつながりました。

(光緒二十七年七月)癸酉。全權大臣大學士李鴻章奏、查皇史宬尊藏實錄聖訓。暨金匱內外物件遺失大概情形。得旨著即派員敬謹清查。將應用各物制備齊全所需經費。核實開報。iv
(光緒二十七年十月)庚子。大學士榮祿等奏、查明皇史宬遺失書數。並派員修補依議行。v
(光緒二十九年八月)以補修皇史宬實錄聖訓竣事賞總辦外務部左丞紹昌頭品頂戴。予總辦內閣侍讀潤昌、總校侍讀恩佑等、滿蒙漢謄錄兼詳校侍讀紹明中書麟春、阮惟和、供事孫汝權等、升敘有差。vi

 何でもかんでも李鴻章に任せるのはどうかと思いますよねぇ…。それに、李鴻章光緒27年11月に他界していますから、苦労かけすぎたんでは…って気になりますね。もっとも、李鴻章が責任者として名前を挙げなければ成らない程、清朝に於ける実録の意味合いが重かったとも言えるんでしょうけど。

谢贵安《清实录研究》上海古籍出版社
東洋文庫[編]『記録された記憶 ─東洋文庫の書物からひもとく世界の歴史─』山川出版社

  1. 《清实录研究》P.370~371 [戻る]
  2. 『記録された記憶』P.102 [戻る]
  3. 《清实录研究》P.371 [戻る]
  4. 《大清徳宗景皇帝》巻四百八十五 [戻る]
  5. 《大清徳宗景皇帝》巻四百八十八 [戻る]
  6. 《大清徳宗景皇帝》巻五百二十 [戻る]

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