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	<title>宣和堂遺事</title>
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	<modified>2008-09-07T14:27:29+00:00</modified>
	<tagline><![CDATA[宣和堂の節操のない日記]]></tagline>
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		<title>《西遊記》のイメージ</title>
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		<issued>2008-09-07T23:11:18+09:00</issued>
		<modified>2008-09-07T14:11:18Z</modified>
		<summary>　ボーッと考えるに、同じ《西遊記》でも、日本では西天取経のエピソード、つまり唐僧初めとする一行がシルクロードを旅しながら妖怪退治す...</summary>
		<author>
			<name>宣和堂</name>
		</author>
		<dc:subject>中国文学</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　ボーッと考えるに、同じ《<strong>西遊記</strong>》でも、日本では<strong>西天取経</strong>のエピソード、つまり<strong>唐僧</strong>初めとする一行がシルクロードを旅しながら妖怪退治する話…と言うイメージなのに対して、大陸では<strong>大鬧天宮</strong>のエピソード、つまり<strong>斉天大聖</strong>が<strong>二郎神</strong>や<strong>哪吒</strong>を相手に大暴れするイメージの方が強いような…。まあ、自分は小さい頃から<strong>大鬧天宮</strong>の方が好きなので違和感ないんですけど、ヤッパ違いますよねぇ…。端的に言うと、<strong>悟空</strong>が輪っかつけてるかつけてないか、触角付きの鎧着てるか紅い服着て虎の皮腰に巻いてるか？と言うぐらいの違いなんですが…。<br />
<br />
　などと言うコトを<strong>張紀中</strong>が《<strong>西遊記</strong>》を撮るという記事を眺めながらうつらうつら考えました。七月に<strong>梁羽生</strong>原作の《<strong>大唐遊侠伝</strong>》を放送したとか言う話だから、彼の中では<strong>唐代</strong>がブームなのかなぁ…。]]></content>
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		<title>歴史のかげにグルメあり</title>
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		<issued>2008-09-07T21:53:20+09:00</issued>
		<modified>2008-09-07T12:53:20Z</modified>
		<summary>　と言うワケで、黒岩比佐子『歴史のかげにグルメあり』文春新書 を読んでいたら、李鴻章が下関に来たときの記事があったのでちょっとメモ。...</summary>
		<author>
			<name>宣和堂</name>
		</author>
		<dc:subject>日本史 &gt; 書籍</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　と言うワケで、黒岩比佐子『<strong>歴史のかげにグルメあり</strong>』文春新書 を読んでいたら、<strong>李鴻章</strong>が下関に来たときの記事があったのでちょっとメモ。<br />
<br />
<blockquote>日本滞在中は自炊した清国使節団<br />
　三月十九日、李鴻章と総勢百数十人の随員を乗せた二隻の汽船が、関門海峡沖に到着して碇を下ろした。伊藤博文は一行のために食事を用意したが、李鴻章はそれを断っている。（中略）<br />
　到着した使節団の船からは、おびただしい荷物が陸揚げされ始めた。その様子を『東京朝日新聞』が次のように報じている。<br />
<br />
　引接寺に運ぶもの統べて車二十六輛荷物百四十個、鍋、釜、火鉢、箸、破茶碗、炭は勿論中には、切掛の豆腐二丁、料理かけし鶏肉数臠、焼豚二三塊も亦竹籠の中にころがれり<br />
<br />
　料理人まで連れてきた使節団は、日本滞在中もずっと自炊で通している。李鴻章は高齢でもあり、異国の食べ慣れない食事で体調をこわすことを何よりも恐れたに違いない。食料品や飲料水、日用品など、大量の荷物を船に積んできた。（P.127～128）</blockquote><br />
　<strong>李鴻章</strong>は<strong>下関</strong>くんだりまで来て、<strong>河豚</strong>も食べずに<strong>李鴻章雑炊</strong>＝<strong>チャプスイ</strong>でも作っていたのかしら…と思いました。もっとも、交渉相手の<strong>伊藤博文</strong>は馴染みの<strong>春帆楼</strong>を会見場所に指定して、条約締結後にはドンチャン騒ぎをしたみたいです。<strong>伊藤博文</strong>はこの料亭の河豚を愛したみたいで、折に触れて食べたみたいです。コレより以前、自分で<strong>春帆楼</strong>にふく料理公許第一号にしたぐらいで、かつ、この後も暗殺直前渡航前にも河豚を食べたみたいですから、よっぽど好きだったんでしょうね。一方、<strong>李鴻章</strong>は自炊に励んで勧められても拒んだと言うコトみたいですね。何だかその対比が面白かったのでメモ。]]></content>
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		<title>千年の都・北京 樹と石と水の物語＃４</title>
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		<issued>2008-09-06T20:34:46+09:00</issued>
		<modified>2008-09-06T11:34:46Z</modified>
		<summary>　と言うワケで、何度もネタにした本ですが、総括。　巻末を見ると元々はテレビ番組と連動した本だった模様…。ちなみに原書はコレだと思わ...</summary>
		<author>
			<name>宣和堂</name>
		</author>
		<dc:subject>中国史 &gt; 書籍</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　と言うワケで、何度もネタにした本ですが、総括。<br />
　巻末を見ると元々はテレビ番組と連動した本だった模様…。ちなみに原書はコレだと思われます。<br />
<br />
阿南史代《<strong>尋訪北京的古迹：古樹、雄石、宝水 -外国人看中国</strong>》五洲伝播出版<br />
<br />
　で、ネットでも雑誌『<strong>人民中国</strong>』日本版 で連載されていた関係で、日本語でいくらかの記事は読めます。<br />
<dl><a href="http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/lianzai/nan/nan.htm" target="_blank">木と石と水が語る北京</a> <span style="font-size:80%"><a href="http://www.peoplechina.com.cn/" target="_blank">人民中国</a></span></dl><br />
　で、この本で紹介されている建物ですら、残った建築物よりも失われた建築物が多いわけです。この本の中でも<strong>義和団事件</strong>の際に<strong>八ヶ国連合軍</strong>が<strong>北京</strong>に侵入した時や、<strong>日本軍</strong>が<strong>北京</strong>を占領した際に壊れたとする建築物も紹介してます。でも、原因として一番多いのがやはり<strong>文革</strong>。<strong>文革</strong>によって破壊された<strong>寺廟</strong>、放逐された<strong>僧侶</strong>、被害を被りながら何とか生き長らえた<strong>文物</strong>が淡々と紹介されてます。<br />
　十数年前に観光ツアーで<strong>北京</strong>を廻った際、ガイドの<strong>中国</strong>の方は今日、観光名所として開放されている場所が、かつて<strong>八ヶ国連合軍</strong>によって被害を被ったコトを強調してました。聞きはしませんでしたが、恐らく<strong>文革</strong>による被害の方がもっと大きかったはずです。被写体として写真に撮影されている<strong>宮殿</strong>はいつ壊れたのか？は比較的判断しやすいのですが、市井の小さなや<strong>寺廟</strong>は記憶にしか残らないんでしょうねぇ…。と言うコトで、大陸の漢語版がどうなっているのか気になったので購入…届くまで待ってみます。<br />
　最近の<strong>北京</strong>では、<strong>文革</strong>で否定したはずの<strong>民国期</strong>の様式を形だけ模倣したテーマパークのような建物が増えている様です。寺廟には既に信仰がない観光地のようですし（<span style="font-size:80%">コレについては日本も似たようなモノかも知れませんが…</span>）、綺麗に整備された<strong>衚衕</strong>（<span style="font-size:80%">《乾隆京城全図》や《日下旧聞考》では胡同はこう表記されてます</span>）は、大規模なテーマパークというべきモノで、生活とは切り離された空間なんでしょうねぇ…。ともあれ、<strong>北京奥運</strong>に便乗する形で2008年版が作られた旨、あとがきでも触れられています。<strong>北京</strong>の来し方行く末を考えさせられる本だったと思います。<p><a href="http://sengna.com/log/eid1338.html#sequel">[続きがあります]</a></p>]]></content>
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		<title>日々雑感</title>
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		<issued>2008-09-04T22:22:57+09:00</issued>
		<modified>2008-09-04T13:22:57Z</modified>
		<summary>　と言うワケで、ネタはあるけど気力がない。そんなときの小ネタ連発。【開幕プレビュー】今季開幕戦はNFC伝統の一戦 NFL JAPAN.COM　気がつくと今...</summary>
		<author>
			<name>宣和堂</name>
		</author>
		<dc:subject>その他 &gt; ネタ</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　と言うワケで、ネタはあるけど気力がない。そんなときの小ネタ連発。<br />
<br />
<dl><a href="http://www.nfljapan.com/headlines/detail/512" target="_blank">【開幕プレビュー】今季開幕戦はNFC伝統の一戦</a> <span style="font-size:80%"><a href="http://www.nfljapan.com/" target="_blank">NFL JAPAN.COM</a></span></dl><dd>　気がつくと今週末には<strong>NFL</strong>が開幕する模様。嗚呼…いつの間にか９月だったなんて…。正直、<strong>マニング弟</strong>の試合はどうでも良いのだけど、やはり開幕戦は楽しみ。</dd><br />
<br />
<dl><a href="http://www.google.com/chrome/index.html?hl=ja&brand=CHMG&utm_source=ja-hpp&utm_medium=hpp&utm_campaign=ja" target="_blank">Google Chrome (BETA) for Windows</a></dl><dd>　<strong>Google</strong>っ子の自分も早速DL。早い。しかもかなり…。この記事も<strong>Google Chrome</strong>を使って書いてます。ここ二日使ってみたんですが、個人的にはかなり好感触です。まあ、トータルで考えると<strong>FireFox３</strong>の方が使い勝手がイイです…当たり前ですが。でも、漢語サイトを表示させると気持ち<strong>Google Chrome</strong>の方が早いですね。β版なのでマダマダ色々不都合ありそうですけど、ブックマークはおろかクッキーまで引き継いでくれてしまうので、乗り換えストレスはありません。ただ、<strong>Google</strong>のブラウザなのに<strong>Googleツールバー</strong>に対応していないのでちょっと不便。他にも<strong>IE７</strong>や<strong>FireFox３</strong>なら出来るのに、出来ないコト結構あります。まあ、しばらく遊んでみます。</dd><br />
<br />
<br />
<dl><a href="http://www.moji.gr.jp/shop/products/t-shirts/T001.html" target="_blank">西夏文字Tシャツ</a> <span style="font-size:80%"><a href="http://www.moji.gr.jp/shop/" target="_blank">ショップもじもじ</a></span></dl><dd>　以前、<a href="http://samayoi-bito.cocolog-nifty.com/mutous/" target="_blank">武藤 臼</a>様が<a href="http://samayoi-bito.cocolog-nifty.com/mutous/2008/07/t_d82d.html" target="_blank">紹介していた西夏文字Tシャツ</a>がついに通販開始とか…。メールでのやりとりで通販という流れの様なので、週末にでもオーダーしてみようかと…。</dd><br />
<br />
<dl><a href="http://www.wagang.jp/blog/logdata/eid192.html" target="_blank">お犬様が……</a> <span style="font-size:80%"><a href="http://www.wagang.jp/blog/" target="_blank">中華・電脳マキシマリズム</a></span></dl><dd>　この前書いた<strong>燈市口東</strong>にある<strong>哮天犬像</strong>のネタが！現在、<strong>哮天犬</strong>のお尻が壁にめり込んできてる模様！ショック！（<span style="font-size:80%">逆だ！</span>）！！そして今更、千田先生のサイトに<a href="http://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/index.php?cmd=read&page=雑文/これが哮天犬だ！&word=犬" target="_blank">哮天犬の写真付きの記事</a>があることを思いだしたり…。一個覚えると一個忘れる…自分の記憶の容量はいつも変わらない模様。</dd><br />
<dl><a href="http://www.shakariki-movie.com/" target="_blank">シャカリキ！</a></dl><dd>　……何かの悪い夢なんだよ。それにしても曽田正人原作に当たりなしという気がしてきましたぞ…。</dd><br />
<dl><a href="http://www.goodsmile.info/products/others/kaiyodo/kai0810-02.html" target="_blank">■ リボルテックSFO テイラン</a></dl><dd>　急ピッチで張紀中版《<strong>碧血剣</strong>》を見ていて、「この何鉄手で出してくれればいいのに…」等と思っていたら、ようやっと発売するようなので…。コッチはともかく<strong>胡斐</strong>が泣けるデザインなのがなんとも…勝手にウルヴァリンにされちゃってるし…。まあ、縁起物だと思って買うと思いますが…。<strong>リュウ</strong>と<strong>春麗</strong>買うついでに。</dd><br />
　ウワ！思ったよりダラダラしてる！]]></content>
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		<title>哈達門</title>
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		<issued>2008-09-03T22:34:03+09:00</issued>
		<modified>2008-09-03T13:34:03Z</modified>
		<summary>　秋口に北京に行こうと画策してます。で、交通に便利なので、地下鉄崇文門駅あたりで宿を探していているのですが、哈徳門飯店も候補に入れ...</summary>
		<author>
			<name>宣和堂</name>
		</author>
		<dc:subject>中国史 &gt; 故宮</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　秋口に<strong>北京</strong>に行こうと画策してます。で、交通に便利なので、<strong>地下鉄崇文門駅</strong>あたりで宿を探していているのですが、<strong>哈徳門飯店</strong>も候補に入れていたりします。<strong>北京烤鴨</strong>の老舗（<span style="font-size:80%">正確には老舗に便乗した類似店で、本家が先に潰れてしまっただけみたいですが…</span>）<strong>便宜坊</strong>も入っているホテルです。変な名前です。そう言えば<strong>崇文門</strong>って別名・<strong>哈徳門</strong>と言ったりしたような…と、うっすら覚えていたのですが、調べ物をしていて由来を一応…発見。<br />
<blockquote>南之左曰文明。<br />
文明門即哈達門。哈達大王府在門内、因名之。<br />
　〔臣等謹按〕明史地理志、文明門、正統間改為崇文門。本朝伋其名。<br />
<span style="font-size:80%">《日下旧聞考》巻十五 城市 内城東城一</span></blockquote>　……で、<strong>哈達大王</strong>って誰なんだろう…。一瞬、<strong>満州</strong>の<strong>ハダ部</strong>かなぁ…とも思ったのですが、どうも違うようです。この記事の<strong>哈達大王</strong>の下りは《<strong>析津志</strong>》からの引用なんですが、《<strong>析津志</strong>》自体は<strong>元代</strong>に書かれた<strong>地方志</strong>のようです。既に散逸しているようで、現在の輯本も《<strong>永楽大典</strong>》からの抜き出しです。なので、《<strong>四庫全書提要</strong>》にも項目がないみたいですね。まあ、《<strong>析津志</strong>》が話題にするくらいですから、<strong>哈達大王府</strong>は<strong>元</strong>より前の時代にあった屋敷のようです。<br />
　で、後は当然、<strong>哈達大王</strong>って誰よ？と言う話になるんですが、コレがよくわかりません。もしかしたら、<strong>金軍主力部隊</strong>を率いて、<strong>オゴデイ</strong>の<strong>征金戦</strong>で<strong>トゥルイ</strong>軍と戦った<strong>完顔合達</strong>の屋敷かもしてません。旗下の<strong>完顔陳和尚</strong>と共に<strong>モンゴル</strong>と戦って善戦したので、<strong>モンゴル</strong>でも人気があったようですが、<strong>完顔合達</strong>の屋敷が<strong>崇文門</strong>内にあったかどうかも分からないので、何とも言えません。そもそも、《<strong>金史</strong>》巻一百十二 列伝第五十 完顔合達伝によれば、<strong>完顔合達</strong>は<strong>王</strong>に封じられたことはないようですし、<strong>大王</strong>と言われる人なのに、本名で呼ばれたりするの？という疑問もありますし…。まあ、<strong>哈達</strong>自体が本名ではなく尊称であった可能性も捨てきれませんが…。<br />
　ともあれ、<strong>大都</strong>が建設された当初から、この門には<strong>文明門</strong>という立派な名前があったのにも拘わらず、今となっては誰だか分からない人の屋敷にちなんだ<strong>哈達門</strong>という通称で愛され、<strong>明</strong>・<strong>正統年間</strong>に<strong>崇文門</strong>と改称された後も相変わらず<strong>哈達門</strong>とか<strong>哈大門</strong>とか<strong>哈徳門</strong>とか言われ続け、現在もホテルの名称などにその名が生きているようです。<br />
　地名のルーツ探るのって、何の役にも立たないんですが面白いですよねぇ…。分かったところで、へーそうなんだ…で終わっちゃうんですが。<strong>哈徳門</strong>って何だか<strong>半蔵門</strong>みたいだなぁ…とは思いました。]]></content>
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	<entry>
		<title>燈市口二郎廟を探す</title>
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		<id>http://sengna.com/log/eid1335.html</id>
		<issued>2008-09-01T23:07:38+09:00</issued>
		<modified>2008-09-01T14:07:38Z</modified>
		<summary>　と言うコトで、しつこく阿南・ヴァージニア・史代/小池晴子『千年の都・北京 樹と石と水の物語』ランダムハウス講談社 で気になった個所そ...</summary>
		<author>
			<name>宣和堂</name>
		</author>
		<dc:subject>中国史 &gt; 故宮</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　と言うコトで、しつこく阿南・ヴァージニア・史代/小池晴子『<strong><span style="font-size:80%">千年の都・北京</span> 樹と石と水の物語</strong>』ランダムハウス講談社 で気になった個所その二、二郎廟。以下文章抜き出し。<br />
<blockquote>　犬のための健康祈願の場所があるほど、かつて犬は北京の市民生活に大きな位置を占めていた。ある高級ホテルの近くに、頭部の欠けた石の動物が忘れられたように立っていた。通りに面した店ではランジェリーを売っているが、裏手はお堂の後で、北京唯一の〈犬廟〉だった。〈犬廟〉とは人々が親しみを込めて呼んでいた名である。千年以上も前に建てられたとされるこの廟は、本来は二郎神〈顕聖二郎神君〉を祀ったものであるが、ここで土地の人々が祈りを捧げる対象は二郎神の愛犬＝神犬である。二郎神は道教神仙のひとりで、人々はこの神に健康回復を祈願するのだが、ここだけはペットの病気平癒も祈願できたのである。このように〈神犬〉は北京唯一の動物守護神であった。昔、人々は木や石膏でつくった小さな愛犬の形代を持参して祭壇に供え、祈ったものである。いまでは歩道に忘れられた石像だけが、この廟の存在を偲ぶ遺物である。道行く人たちはそうとは知らずに、通りすがりにこの石獸の頭部を軽く叩いていく。（P.107）</blockquote><br />
　そもそも、自分がこの廟の存在を知ったのは、澤田瑞希『<strong>中国の民間信仰</strong>』工作舎 の「<strong>二つの二郎廟─信仰と環境─</strong>」という項を紹介されて…でした。<br />
<br />
<blockquote>　北京には二郎廟と呼ばれる廟が二箇所ばかりある。最もよく知られているのは、東城燈市口東の二郎廟。現在でこそすっかり規模が縮小されて貧弱きわまる小祠となりはてているが、唐代からあるといわれるほどの古廟で、地の利を得ているせいか、月の朔望には参詣者ひきもきらず、ために線香なども狭い廟内に山と積まれて、景気はなかなか良さそうにみえる。（P.64)<br />
おなじく二郎神を祀る東城燈市口の二郎廟にいってみるがよい。廟内には犬の玩具が還願の品として無数に供えられてある。いうまでもなく子供の病気が平癒したお礼の品だ。この廟にもまた神狗に関する口碑があって、夜ごと近所の肉屋に肉を盗み食いにゆき、亭主に見つかって肉庖丁で足を傷つけられた。翌朝廟にいってみると、泥塑の狗の足には生々しい血がにじみ、白い繃帯が巻かれてあった。その肉屋はやがて衰微してしまった云々。この狗は天狗とまでは語られていないが、神狗のくせに腹をすかせていたことになっている。（P.66)</blockquote><br />
　なんだか、前の本と御利益が違うような気もしますねぇ…。『<strong><span style="font-size:80%">千年の都・北京</span> 樹と石と水の物語</strong>』ではペットの病気平癒祈願で、『<strong>中国の民間信仰</strong>』では子供の病気平癒祈願…。どちらにしても、廟内には犬の形代でいっぱいだったと言うコトだけは分かります。ともあれ、この<strong>二郎神廟</strong>の在所は<strong>東城燈市口東</strong>と言うコトみたいですね。『<strong><span style="font-size:80%">千年の都・北京</span> 樹と石と水の物語</strong>』の巻末地図と見比べると、場所自体はあんまり動いてないみたいです。<p><a href="http://sengna.com/log/eid1335.html#sequel">[続きがあります]</a></p>]]></content>
	</entry>
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		<title>普渡寺を地図上で探索</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://sengna.com/log/eid1334.html" />
		<id>http://sengna.com/log/eid1334.html</id>
		<issued>2008-08-31T23:35:03+09:00</issued>
		<modified>2008-08-31T14:35:03Z</modified>
		<summary>　と言うコトで、阿南・ヴァージニア・史代/小池晴子『千年の都・北京 樹と石と水の物語』ランダムハウス講談社 で何よりも気になったのが、...</summary>
		<author>
			<name>宣和堂</name>
		</author>
		<dc:subject>中国史 &gt; 故宮</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　と言うコトで、阿南・ヴァージニア・史代/小池晴子『<strong><span style="font-size:80%">千年の都・北京</span> 樹と石と水の物語</strong>』ランダムハウス講談社 で何よりも気になったのが、元の<strong>叡親王府</strong>＝<strong>普渡寺</strong>。<strong>皇城内</strong>にあったみたいなんですが、何だか不安な記述があったり…。<br />
<br />
<blockquote>　１９３９年の地図を頼りに、１９８５年に普渡寺を探したとき、その所在を尋ねると大抵の人はすぐにわかった。しかし、この一帯の胡同は格別わかりにくい迷路であった。やっとひとりの老人が高さ５メートぐらいの土手を指さしたが、びっしりと建て込んだ煉瓦小屋が境内の入り口をふさいでいた。ここは本来１４５７年建造の宮殿であり、かつ清の時代には順治帝の摂政であった満州のドルゴン太子の館でもあった。のちの１６９１年、康煕帝はこの建築群をラマ教寺院に改装し、有名な摩訶迦羅像がモンゴルから運ばれてここに祀られた。明らかに満州族は慎重にモンゴル族の象徴を満州族帝国内に加えたのであった。実際、寺院は皇城内に置かれた。（P.97）</blockquote><br />
　何だか見つかるのか不安にある記述ですねぇ…。こう言うときに役に立つ于敏中<span style="font-size:80%">等編</span>《<strong>日下旧聞考</strong>》北京古籍出版社 を紐解いてみました。さてさて、どんな記事が出てきますかねぇ…。<br />
<br />
<blockquote>普渡寺在裏新庫北。<br />
〔臣等謹按〕普渡寺舊名瑪哈[口葛][口刺]廟、康煕三十三年建、乾隆四十年修、四十一年賜名曰普渡寺。大殿額曰慈濟殿、殿内額曰覺海慈航、皆皇上御書。寺内殿基高敞、去地丈餘。國初為叡親王府、相傳即南城舊宮、後改今寺。左為黒護法佛殿、内藏甲弓矢、皆叡親王舊物也。（P.634）</blockquote><br />
　うわ…短ぁ…。もっとこう…無いんですかねぇ…。ともあれ、<strong>康煕年間</strong>に<strong>マハカラ廟</strong>（<span style="font-size:80%">摩訶迦羅廟、瑪哈[口葛][口刺]廟</span>）と称されたこの<strong>ラマ寺院</strong>は、<strong>乾隆年間</strong>の改修を経て<strong>普渡寺</strong>と名前を変えたようですね。とりあえず、気を取り直してと、『<strong><span style="font-size:80%">千年の都・北京</span> 樹と石と水の物語</strong>』巻末の地図を見ると大雑把な位置は把握できます。とりあえず、ザッと検索してみましょう…。<br />
<br />
<dl><a href="http://dsr.nii.ac.jp/beijing-maps/" target="_blank">古都北京デジタルマップ</a> <span style="font-size:80%"><a href="http://dsr.nii.ac.jp/" target="_blank">ディジタル・シルクロード</a></span> </dl><br />
　それっぽい場所がここの地図ですね…。<br />
<dl><a href="http://dsr.nii.ac.jp/toyobunko/II-11-D-802/V-9/page/0006.html.ja" target="_blank">乾隆京城全図 : vol.9</a></dl><br />
　……何だかそれっぽい場所が破損して正確に判別できませんが、どうも、<strong>唖満達口嘎廟</strong>と書かれている箇所が<strong>普渡寺</strong>の模様…。この地図正確なのは有り難いんですが、やっぱり破損箇所が多いんですよねぇ…。とりあえず、手元にある<strong>民国十年</strong>の<strong>北京</strong>の地図で大体の場所を比定…よし。気を取り直して、いつものGoogleマップで探してみました。<br />
<br />
<div style="text-align:center"><iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&amp;hl=ja&amp;t=h&amp;s=AARTsJrdRuz9zjQycWh04z_7vqTrxzdV0g&amp;msa=0&amp;msid=105160738895615789629.000455c31f8a1178ce901&amp;ll=39.911752,116.398795&amp;spn=0.005761,0.00912&amp;z=16&amp;output=embed"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&amp;hl=ja&amp;t=h&amp;msa=0&amp;msid=105160738895615789629.000455c31f8a1178ce901&amp;ll=39.911752,116.398795&amp;spn=0.005761,0.00912&amp;z=16&amp;source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">大きな地図で見る</a></small></div><br />
<br />
　うーん…やっぱり場所自体は<strong>唖満達口嘎廟</strong>と同じ場所ですから、そう言う風にも呼ばれたんでしょうか…ここまで来ると自分の手には余りますが…。ともあれ、分かりやすい場所にはあるんですが、まわりが迷路の様というのは上から見ても何となく分かりますね…。近くには来ているけど辿り着けないという、十年前に<strong>白塔</strong>で味わった悪夢のような状況になりそうです。<br />
　ネットで検索すると、現在は整備されて観光できるみたいですね。<br />
<dl><a href="http://www.geocities.jp/kjbmh507/tera1/pudu.html" target="_blank">普度寺</a> <span style="font-size:80%"><a href="http://www.geocities.jp/kjbmh507/index.html" target="_blank">北京写真集</a></span></dl><br />
　ここで紹介されている伝説では、<strong>紫禁城</strong>と<strong>普渡寺</strong>は地下通路で繋がっている…というコトのようですね。<strong>ドルゴン</strong>と<strong>孝荘皇太后</strong>がこの地下道を使って逢瀬を重ねたと考えると…何だか行く気なくすんでやめときます。まあ、ホントに地下通路で繋がっているなら、<strong>皇城</strong>にほど近いこのお寺が荒廃するはずはないと思うんですが、脱出に使う事を考えて、敢えて荒廃させたとしたら凄いカムフラージュですね。<br />
　ともあれ、今度行くときには絶対に訪れたい場所です。]]></content>
	</entry>
	<entry>
		<title>ドリル幇会</title>
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		<issued>2008-08-30T23:34:41+09:00</issued>
		<modified>2008-08-30T14:34:41Z</modified>
		<summary>　ボヤボヤしていたら、何だかこんな時期…。と言うコトで、既に武侠モノですらなくなってきた関東幇会の次回、9/20（土）開催の幇会のお知ら...</summary>
		<author>
			<name>宣和堂</name>
		</author>
		<dc:subject>その他 &gt; 関東幇会</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　ボヤボヤしていたら、何だかこんな時期…。と言うコトで、既に武侠モノですらなくなってきた関東幇会の次回、9/20（土）開催の幇会のお知らせ。<br />
<br />
<dl><a href="http://bbs11.fc2.com/php/e.php/Kantou-houkai/" target="_blank">関東幇会茶論</a></dl><br />
　アニメ映画見て宴会するという、既に武侠ですらない会合になっているあたり不安を感じないでもないですが、細かいことは気にしないことにしました。<br />
<br />
　あと、現在自分は秋頃に北京に行こうと思っているのですが、大体、11/22（土）～11/24（月）あたり、宿は宣武門あたりにしようかなぁ…と思ってます。フリープランで一日は故宮、一日は北京市内を観光しようと目論んでいます。出来れば北京幇会開きたいナァ…。]]></content>
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		<title>千年の都北京 樹と石と水の物語＃３</title>
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		<issued>2008-08-30T21:14:01+09:00</issued>
		<modified>2008-08-30T12:14:01Z</modified>
		<summary>　と言うワケで、ようやっと、阿南・ヴァージニア・史代/小池晴子『千年の都・北京 樹と石と水の物語』ランダムハウス講談社 を読了。テーマ...</summary>
		<author>
			<name>宣和堂</name>
		</author>
		<dc:subject>中国史 &gt; 書籍</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　と言うワケで、ようやっと、阿南・ヴァージニア・史代/小池晴子『<strong><span style="font-size:80%">千年の都・北京</span> 樹と石と水の物語</strong>』ランダムハウス講談社 を読了。テーマはともかく、あとの方は結構グダグダだったかも…。以下にメモ。<br />
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<div style="text-align:center"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/427000374X/sengnadou-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51U3GociBXL._SL160_.jpg" alt="千年の都・北京 樹と石と水の物語" style="border: none;" /></a></div><p><a href="http://sengna.com/log/eid1332.html#sequel">[続きがあります]</a></p>]]></content>
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		<title>武侠迷合同企画　「たくいた先生紫雨宮小姐結婚祝いメッセージ」</title>
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		<issued>2008-08-28T22:53:03+09:00</issued>
		<modified>2008-08-28T13:53:03Z</modified>
		<summary>　と言うコトで、去年の秋行われた、金ちゃん来なかったけどとりあえず飲んで騒ごうぜ？オフ（所謂、京都記念幇会）が縁となって、たくいた...</summary>
		<author>
			<name>宣和堂</name>
		</author>
		<dc:subject>その他 &gt; オフ会</dc:subject>
		<content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　と言うコトで、去年の秋行われた、<strong>金ちゃん来なかったけどとりあえず飲んで騒ごうぜ？オフ</strong>（<span style="font-size:80%">所謂、京都記念幇会</span>）が縁となって、<a href="http://shinsengumi11.blog.so-net.ne.jp/" target="_blank">たくいたさん</a>と<a href="http://nyan-ouji.at.webry.info/" target="_blank">しうぐーさん</a>がご結婚されることになったようです。というか、この間、横浜でオフ会をした折にそんな話を聞いて、ご両人を前に散々「プロポーズの言葉は？」とか「ライクとラヴの境目はどの辺だった？」とか「リアル武侠対決するなら、この後よく分からない理由で離ればなれになるのはどう？」とか適当なことを言ったようなことをうっすらと…覚えているようないないような…いずれにしても答えを覚えていないのは確かなんですが…。<br />
　思えばかの会合の折に、何でだか意気投合してピーチの契りを交わしたたくいた氏（<span style="font-size:80%">宣和堂と同年齢</span>）が、この会合が切っ掛けで嫁をゲットしてたわけです。どちらかというと、自分はしうぐーさんはたくいた氏のセクハラ被害者だとして認識していたわけですが、いやよいやよも好きのウチを地でいく…なんというか二人の世界はアンリミテッド・ブレイド・ワークスさ！といった状態だった模様。自分もマダマダ修行が足りません。そうそう、関西でお祝いするときはWelcome To The Jungleをテーマ曲にすることをお薦めします。宴会してる間中、絶えずモーリー氏絶叫。<br />
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　と言うコトで、他の方々のブログ記事を見るまで、この企画のことをやっぱり忘れていたのには流石に失笑しました。最近ホントに忘れるなぁ…。そうそう、最後に改めて、お二方おめでとうございます！]]></content>
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