- 2007/08/28 火
- 中国史 > 書籍
と言うワケで、東京行きがてら新幹線で岡村秀典『夏王朝 中国文明の原像』講談社学術文庫 を読了いたしました。非常に堅実で手堅いイメージの本でした。文献と考古学の双方から夏王朝に迫るスタンスは好感が持てますね。
と言うワケで、まともな書評はもう上がっているので、肩を抜いて書きますね。
と言うワケで、まともな書評はもう上がっているので、肩を抜いて書きますね。
もう、禹は宇に繋がる創造神で良いんじゃないかと思ったり…。何か本を読む程に、黄河が度々氾濫して人間社会に影響を及ぼすのは、自然破壊が進んだ戦国時代から!という説に説得力を感じてしまいます。禹歩とかはやっぱり後付けなんではないだろうかと…。夏の都を考察すると、考古学的実績と文献上の考証が乖離する結果となっているあたりから考えても、禹を実在の人物として考えるよりも、後世、夏と称される王朝の祖先神と考えた方が説得力ありますしね…。
あと、羿が夏王に取って代わったとか言う記事も、寡聞にして始めて読みましたけど面白かったです。
で、個人的に気になった記述…。長いけど焼肉とか肉食に関するところばっかり抜粋。
この本では、二里頭文化の四期目に二里頭遺跡の王城が破壊されていること、および、二里頭遺跡からわずか六キロの位置に築かれた二里岡文化の偃師城遺跡が殷の初期の王都と考えられたため、二里頭文化こそが、後世、夏と呼ばれる王朝だったという前提に立ってこのように書かれている訳です。
では、夏は焼肉派、殷はしゃぶしゃぶ派若しくはシチュー派というイメージで良いのかなぁ…とか、伊尹が桀王に作ったのは焼肉で、紂王が酒池肉林で食べたのはしゃぶしゃぶか…とか考えると面白いですね。自分のイメージだと紂王は焼肉派なんですけど…。あと、豚好きの関東は夏人の末裔、牛好きの関西は殷人の末裔…なんて言う考え方もできますね。夏の焼肉は牛をあんまり使わないので、テジカルビとか豚トロなんだ…とか。
冗談はともかく、同じ主題を扱った宮本一夫『中国の歴史01 神話から歴史へ 神話時代 夏王朝』講談社 は全く楽しめなかったんですが、この本はワクワクしながら読めました。むしろ、今の段階でこの本を読み返すと面白そうですね。ともあれ、久しぶりに続きが気になる専門書でした。
あと、羿が夏王に取って代わったとか言う記事も、寡聞にして始めて読みましたけど面白かったです。
で、個人的に気になった記述…。長いけど焼肉とか肉食に関するところばっかり抜粋。
灰や焼土のほか、竈の周囲には多数の焼け焦げた獣骨が散乱し、ここで焼肉料理を盛大につくっていたことがわかる。次章で詳しくみるように、焼け焦げた獣骨が出土するのは二里頭文化までの特徴で、二里岡(にりこう)文化ではそれが急速に消失する。つまり、夏人は焼肉料理を好んだのにたいして、殷人はむしろ煮た料理を好んだらしい。周の時代になっても、祭祀や食事に用いるのは基本的に生肉・乾し肉・鼎で煮た肉であり、焼肉はほとんど用いられていない。中国の食文化において、焼肉料理が夏王朝の滅亡とともに久しく中断することになったのである。(P153)
さきに二里頭遺跡の宮殿区の厨房跡から多数の焼け焦げた獣骨が出土したことによって、饗宴用の焼肉料理を盛大に作っていたことを紹介した。人類は北京原人のころから火を使うようになり、肉を焼いて食べるようになった。やがて土器が発明されて肉を煮て食べることも可能になったが、二里頭文化になっても焼肉が盛んに行われていたのである。(中略)
ところが、二里岡(にりこう)文化になると、焼け焦げた獣骨の出土は急速に減少する。殷周時代には肉を煮る礼器の銅鼎が発達し、犠牲の全身を薪柴(たきぎ)の上に載せて焼く燎祭(りょうさい)をのぞけば貴族の祭祀や食事に用いるのは基本的に生肉・乾し肉・鼎で煮た肉であり、焼肉はほとんど用いられていない。その後も漢代の画像石には肉の串刺しを焼いている描写があるけれど、それは西域(さいいき)の影響であり、伝統的な中華料理には肉を直火であぶる焼肉はみられない。(P207)
二里頭(にりとう)文化の洛陽市皁角樹遺跡から出土した脊椎動物の骨は、数の多い順にブタ、イヌ、ニホンジカ、小型シカ類、ウシ、コイ、スッポン、ニワトリ、ネズミ、ウサギ、アナグマであった。ヒツジの骨は出土していない。哺乳類だけの比率でみると、ブタがもっとも多く三三パーセント、ついでシカ類二五パーセント、イヌ一七パーセント、ウシ一三パーセントである。(中略)
王都の鄭州市二里岡遺跡では一三五一点ものおびただしい数の動物骨が出土し、その内訳はウシ五七パーセント、ブタ一七パーセント、ヒツジ九パーセント、シカ六パーセントと、ウシの比率がひじょうに高くなっている。つづく殷後期の河南省安陽(あんよう)市殷墟(いんきょ)の苗圃北地遺跡でも一五〇〇点あまりの動物骨が出土し、その構成比はウシ六五パーセント、ブタ一五パーセント、ヒツジ九パーセント、シカ五パーセントと二里岡遺跡にかなり近似している。(中略)二里岡文化の王都においてウシを優位とする大量の肉消費がみられることは、国家の体制を整えつつあった殷王朝が、のちに周王室に継承されるような大規模な牧場経営を始めるとともに、王都において惜しげもなくそれを消費するようになったことを示している。農業の副業としてブタを主とする自給自足的な畜産が普遍的に広がる中で、ウシを優位とする王権が形成されたのが二里岡文化であった。(P206、208~209)
この本では、二里頭文化の四期目に二里頭遺跡の王城が破壊されていること、および、二里頭遺跡からわずか六キロの位置に築かれた二里岡文化の偃師城遺跡が殷の初期の王都と考えられたため、二里頭文化こそが、後世、夏と呼ばれる王朝だったという前提に立ってこのように書かれている訳です。
では、夏は焼肉派、殷はしゃぶしゃぶ派若しくはシチュー派というイメージで良いのかなぁ…とか、伊尹が桀王に作ったのは焼肉で、紂王が酒池肉林で食べたのはしゃぶしゃぶか…とか考えると面白いですね。自分のイメージだと紂王は焼肉派なんですけど…。あと、豚好きの関東は夏人の末裔、牛好きの関西は殷人の末裔…なんて言う考え方もできますね。夏の焼肉は牛をあんまり使わないので、テジカルビとか豚トロなんだ…とか。
冗談はともかく、同じ主題を扱った宮本一夫『中国の歴史01 神話から歴史へ 神話時代 夏王朝』講談社 は全く楽しめなかったんですが、この本はワクワクしながら読めました。むしろ、今の段階でこの本を読み返すと面白そうですね。ともあれ、久しぶりに続きが気になる専門書でした。
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