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櫛田神社

 と言うワケで九州旅行で行ってきた蒙古襲来関係使節一発目デス。今回は櫛田神社博多の祭りとして有名な祇園山笠祭りは、この櫛田神社のお祭りですね。

櫛田神社 祇園山笠

 平安末期平清盛が、勢力下の博多日宋貿易によって繁栄することを祈って勧請したと言う説もありますが、社伝では天平宝字元757)年に松阪にあった櫛田神社を勧請したとあります。

櫛田神社本殿 櫛田神社境内

 まあ、いずれにしても、蒙古襲来というか文永の役の頃には、博多の街には既に櫛田神社があったようです。で、文永の役が始まり鎌倉武士蒙古軍が激突したわけです。しかし、合戦の方式が全く違った蒙古軍と善戦したモノの、勝利を収めることが出来ず、武士団は一旦太宰府にまで退きます。当時、既に博多総鎮守として信仰されていた櫛田神社や、博多の街の人びとをほったらかしにして…。で、蒙古軍はそのまま、守備軍が撤退した博多に進軍し、街を略奪してまわった上に火をつけてまるのですが、どうやら、その際に櫛田神社も焼失したようです。

碇石説明 蒙古の碇石

 その後、五代目(厳密に言うと三代目鎮西探題阿曾流北条随時によって、広大な探題館に隣接する形で櫛田神社は現在地に再建された様です。

碇石のある銀杏の木

 で、以下蛇足ですが…。北条随時の後任の六代目厳密に言うと、四代目鎮西探題赤橋流北条英時鎌倉幕府が崩壊した際の鎮西探題で、元弘の乱の嚆矢である菊池武時の叛乱=菊池合戦を鎮圧し、残党狩りをしている際に、義弟・足利高氏足利高氏の正室は北条英時の実妹)が、鎌倉幕府に反旗を翻して六波羅探題を攻め落としたと言う報に接します。ココから情勢がガタガタと崩壊していきます。結局は、英時旗下で従順に指示に従っていた少弐(武藤)貞経大友貞宗に裏切られ、島津貞久に攻め立てられて、探題館で一族二百四十名と自害します。福岡市地下鉄空港線祇園駅にほど近い、祇園町遺跡からはこの際に自害した人たちと思われる、百十体もの夥しい人骨が発掘されています。この際に、探題館は燃やされているので、櫛田神社もいくらかは被害を被ったはずです。

塩水みたいな味のする泉
 蒙古襲来の記事の分量よりも、南北朝動乱の記事の方が多くなってしまいましたが、櫛田神社ってそういう所みたいです。

大きな地図で見る

 ホントは、写真貼り付けてお茶濁すだけのつもりだったんですが、つい乗って調べてしまいました…。帰ってきてから調べたので、探題館の推定地は全然廻らず…。もう一回行った際に又見てみたいデス。

最寄り駅:
福岡市地下鉄空港線 祇園駅 徒歩五分
参考文献:
森本繁『北条時宗の決断 「蒙古襲来」を歩く』東京書籍
中世都市 博多を掘る』海鳥社
新井孝重『戦争の日本史7 蒙古襲来』吉川弘文館
森茂暁『戦争の日本史8 南北朝の動乱』吉川弘文館

ツッコミ:2

迷子 2008/04/16 01:18
九州幇会のレポートがすばらしく脱線、さすが宣和堂さんと感心しているところです。私も数年前に櫛田神社にいったことがありますが、松阪と縁があったとは・・・不勉強でした。ご存知でしょうが、松阪市には櫛田川という川が流れ、今も櫛田という地名もあります。思わぬところでつながっているもんですね。
宣和堂 2008/04/20 22:08
■迷子様
 九州幇会のレポ……。食い物美味しさは文章で表現しがたく…。
 松坂には自分は縁がなくて彼の地に櫛田神社があることもしらなんだです。ご教授有り難うございます。こういうのって調べると面白いですね。

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