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ちょんまげと絵巻

 週末、本屋に行ったら 本郷恵子『日本の歴史 六 京・鎌倉 二つの王権』小学館 が出ていたので、最近、鎌倉時代には思い入れが深いので、購入してみました。チョロチョロと序章を読んでいると、興味深いことが書いてあります。

前略)牛飼童で、『年中行事絵巻』のなかでも、無帽で長い髪を後ろに結んだ姿で描かれている。(中略)子供や僧侶を除いて、成人男性は冠や烏帽子など、なんらかのかぶり物を着けており、それこそが社会のまっとうな構成員としての約束事だった。『東北院職人歌合絵巻』に見える、負けこんだ結果、身ぐるみはがされてしまった博打打ちも、体は真っ裸だが、烏帽子だけはかぶっているのである。(P.13~14
 この場面で注目したいのは、扇を突きだしている男の風体である。相手の男が、武装はしているが烏帽子をかぶり、言わば善良な一般市民のスタイルを保っているのに対し、彼は頭をむき出しにして、長くした髪を後ろで結んでいるらしい。彼の後ろの稚児は、やはり同じ髪型だが、こちらは年齢が若く、元服前だから烏帽子をかぶっていないという説明をすることが容易である。しかし、前面に出ている男は明らかに若くはなく、頬骨や顎のあたりの骨格を強調する描き方は、彼に個性的な表情を与えるとともに、その年齢を表現するためのものと解釈できよう。先の牛飼童が、年を取っても童形なのが異様だったように、この男の風体もかなり異様である。垂髪に鎧を着け、刀を差した彼の姿、その尋常ならざる迫力は、画面上のエポックとして生かされている。(後略。P.20)

 要するに、中世絵巻を題にとって、ちょっとした絵解き的な解釈を加えている箇所ですね。どういうコトかというと、中世の頃は皆、烏帽子なり冠を被るのが一般市民のスタイルだったと言うコトです。つまり、これから外れて無冠のまま垂髪をさらす人は、一般市民とは言いがたい人ですし、勿論、剃髪した僧侶も一般市民ではないわけです。
 中世社会では、髪型や服装は所属する社会や階級に準じる形で決められているわけで、そこから逸脱すると言うコトはその社会や階級に所属することをやめると言うコトを意味します。無縁の人になるわけですよね。社会や階級から逸脱すると言うコトは、社会的に抹殺されるに等しい行為だったと思われます。なので、剃髪して僧侶になるというのは、現在から考えるよりも遙かに敷居の高い行為で、単純に「頭がはげ上がってきたので剃っちゃった」と言う程度の行為ではないわけです。中世社会では、冠や烏帽子を被らない、と言うだけで相当異端視されたはずです。およそ一般社会から逸脱した彼らは、帝にお仕えする者か、神社に仕える者でなければ、蔑視されるような身分だったのだと思います。自分が見た絵巻物自体は少ないのですが、平安時代から鎌倉前期の絵巻物には、大体、男性は烏帽子を被った姿で書かれています。肌脱ぎで力仕事をする人も烏帽子を被っていましたが、この本によると、博打でスって身ぐるみ剥がされようとも烏帽子だけは取り上げられはしなかったようです。
 さて、絵巻物も鎌倉後期にもなるとチラホラと、チョンマゲのような風体の人物も描かれるようになります。例えば『蒙古襲来絵詞』であるとか『一遍上人聖絵』などには烏帽子を被らず、チョンマゲをさらした男性が散見されます。またチョンマゲかよ!と言うコトなかれ、先ほど書いたように平安時代から鎌倉前期にかけては良俗一般市民は烏帽子なり冠を被っていたわけです。髪をさらしている人はよほど特殊な社会や階級に属する人だと考えていい…と自分は思います。
 文献上に現れる最古のチョンマゲ記録は関白太政大臣・九条兼実の日記である『玉葉』に記されている…と言われています。この辺、結局本に当たれていないので、孫引き曾孫引きになりますがご容赦。『玉葉』自体は源平合戦の記事が多く記されている日記として知られているワケですから、その取り扱う時代は平安末期から鎌倉初期です。一般的にはこのあたりを最古のチョンマゲとして紹介している記事は多いのですが、あの文面が記しているのが果たして現在我々の知るチョンマゲであったかどうかは実に怪しいものだと宣和堂は思います。むしろ、絵巻物などの絵画の中にその起源を求めた方がより確実だというのが持論ですが、それはともかく…。チョンマゲ発生の原因としては、兜を被ると蒸れるから剃った…などと言われていますが、先に見たようにこの時代に髪型を変える、しかも、月代を剃るような面妖な髪型に変えることが、果たして「頭、蒸れちゃうし」と言う理由で出来たモンでしょうか?そもそも、江戸時代には成人男性の殆ど全ての髪型であったチョンマゲですが、その起源や伝播に関しては洒落みたいな説がまかり通っていて、マトモに考察されたことすら無いのが現実です。いつごろ始まったのか?何故伝播したのか?全てが謎です。
 チョンマゲや辮髪に関して自分が惹かれるのはこの辺なんですよね。チョンマゲにしろ辮髪にしろ、放っておくと剃った部分から毛が生えてきますから、非常に手間がかかる髪型です。電気カミソリなんて無い時代ですから、恐らく頻繁に髪結いに行くなり呼ぶなりして、頭を剃って貰ったり結い上げて貰うなりしないといけない髪型です。このように手間がかかる上に見た目に珍妙な髪型です。長髪を結い上げて髷を結っていた人たちが憧れるような髪型には見えません。日本全国総チョンマゲ状態になる要因が全く見えてきません。見えてくるのはマイナス条件ばかりです。もっとも、如何に当人が何かの間違いでチョンマゲに憧れたとしても、社会、階級に所属するためには断念せざるを得ません。それが中世という社会だからです。
 なので、自分は、おそらく中世の段階では、チョンマゲはある限られた社会、階級に属する人たちの髪型だったのではないか?と考えています。絵巻物を見ながらニヤニヤ笑いながら浮かんだ考えは、水に関係する仕事に携わる人びとにチョンマゲが多い気がする…ので、恐らく水運業に携わる人びとの髪型だったのかなぁ…とボンヤリ考えてはいます。ただ、自分が見たサンプルは数があまりにも少ないので、根拠には薄いのですが。それに、絵巻物は写真ではないので、絵に描かれる風俗というのは、全部が全部描かれているままの姿ではない…と言うことも頭に入れないといけないのがくせ者なんですが、この辺は省きます。
 ともあれ、鎌倉時代には少数派だったチョンマゲも、室町時代を迎えると、少なくとも絵巻物の中では烏帽子や冠を被る人とチョンマゲを結ってさらす人が半々くらい、モノによってはチョンマゲ圧勝という状態にまで流行するわけです。勿論、一枚や二枚の絵をもって日本全国の風俗を云々できるわけではありませんが、少なくとも絵師の側ではチョンマゲをチョンマゲとして描くことに抵抗がない社会になっていて、社会や階級に特有の髪型ではないという認識の元で描かれていると言うことは間違い無いと思います。更に江戸期になると、日本は元服したら男はちょんまげというのが当たり前という、空前のちょんまげ国家となったわけです。別にお隣の中国のように、征服者がちょんまげしていたので、おもねるためにちょんまげにしたわけでもなく、髪を留めたければ首を切れ!とちょんまげを強要されたわけでもないのに、あんな珍妙な髪型に慣れ親しんだわけです。しかも、「運動部に入部すると丸坊主にしなきゃいけないので、女にモテないからオレ帰宅部」みたいなワガママが通らない社会になったわけです。中世が烏帽子や冠以外の一般市民を認めなかったように、近世はチョンマゲ以外の一般市民を認めなかったのです。チョンマゲを結わないというコトは、出家か罪人かゴロツキになると言う選択肢を選ぶに等しい意味合いがあったわけです。
 とまあ、自分はファッションとしての辮髪やチョンマゲではなく、モードとしての辮髪なりチョンマゲに興味があるんだよ、と言うことを書こうとして、いつの間にかこんなに長い記事になってるわけですが…。

ツッコミ:2

中川@やたナビ 2008/06/06 04:16
烏帽子の中にマゲが入っていて、マゲで烏帽子を固定していたようです。
烏帽子から髪の毛が出るのがブサイクなので、剃り上げたのが月代の起源と聞いております。
中世では、被り物を落とす、落とされるというのは、最大の屈辱だったようですから、なぜ江戸時代以降、被り物をしなくなったかは僕も興味がありますね。
宣和堂 2008/06/08 21:58
■中川@やたナビ様
 お久しぶりです。中の人です。
 烏帽子から髪が出てくるのがブサイクなのでそり上げた…というのは合理的なようですが、
ではなんでお公家さんがちょんまげをしなかったのか?と言う問題が残りますよね。
お歯黒や眉反りなどの奇習が保存されて、ちょんまげだけは他の階級に残ったというのはちょっと解せません。
これも恐らく、根拠がある説ではなく酒の席の馬鹿話程度の発想なんじゃないかと思います。
 確かに烏帽子の中身は絵画からは分からないのですが、侍烏帽子着用を念頭に置けば、
上の説も考慮すべきことかも知れませんね。でも、やっぱり日本全国にだけ流行した風習の原因としては弱い気がします。
 絵画で注意しなくてはいけないのが、絵画上のお約束ごとと実際の風習とは違うということですね…。
中国の例で恐縮ですが、清代の絵画で結構辮髪ではない人物画であるとか、キチンと帽子を被って辮髪をさらさない絵が多く
絵を信じると清代の人は辮髪をしていなかったか、さらす風習がなかったかのように見えます。
でも実際は辮髪ではない人物画は中国古典に照らし合わせた、言わばコスプレ絵だったり、帽子を被る絵は官職につく人の
正装であって、普段着ではないわけです。写真を見ると清末の人びとは辮髪さらして生活していたことが分かりますが、
宮廷画だけだとこういう結論が出がたいんですよね。
 なので、平安時代の絵画の中で烏帽子を必ず着けていると言った所で、では実際の生活で烏帽子を着けない人はいなかったのかというと、絵画に描かれているよりも更に多くの人が烏帽子を被っていなかった可能性はあるわけですよね…。結局、絵師なり絵画を依頼した人物の意識を云々するしかないというのが歯痒いところですね。

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