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後白河法皇

 昨日に引き続き本郷恵子『日本の歴史 六 京・鎌倉 二つの王権』小学館 ネタ。今回は後白河院について書かれた箇所を長めに引用。
 安徳天皇に続いて即位した後鳥羽天皇も含めて、後白河院は院政の主催者として五人の天皇の上に君臨した。さぞかし強大な権力を持ったかと思うが、実は彼ほどひどい目にあった院はいない。
 父の鳥羽院が崩御するとすぐ保元の乱(一一五六年)。これには勝利を収めたが、続く平治の乱(一一五六年)では藤原信頼勢に幽閉され、熊野詣でから急遽引き返した平清盛勢の反撃に乗じて自力で脱出。平氏全盛の世となれば、治承三年(一一七九)の清盛のクーデターで引きずる下ろされる。平氏の威勢が危うくなれば、都落ちに同行されそうになり、御所から逃亡。変わって入京した木曽義仲にも幽閉され、その次は壇ノ浦で平氏を滅ぼしてきた源義経が京都を制圧する。義経は、鎌倉にいる兄頼朝と不仲になり、後白河に頼朝に対する追討命令を出すように迫る。遠くの頼朝より近くの義経ということで、後白河は頼朝を朝敵とする追討宣旨をを出してしまうが、今度は頼朝に詰問され、釈明に努めなければならない。義仲・義経が京都を追われる際には、一緒に連れて行かれるのではないかと怯え、彼らが出て行ったあとは、頼朝が上洛して攻撃されるのではないかと心配し……と、都が武力に蹂躙されつづけるなか、つねに新しい勢力に脅かされてきたのである。そのうえ天皇の権威の象徴である三種の神器は、都落ちの平氏に持ち去られ、壇ノ浦で海に沈む。神鏡・神璽は見つけ出されたが、宝剣は失われてしまった。安徳天皇にかわった後鳥羽天皇は、神器なしで践祚・即位という代替わりの儀式を行わねばならなかった。
 つぎつぎと入れ替わる武士の勢力に翻弄され、後白河院の対応は、ひたすらご都合主義であった。政治理念と言えるようなものが、彼にあったかどうかはきわめて怪しい。だが、京都を制圧したあらゆる勢力の交渉相手は、方法が政治的か暴力的かはともかくとして、後白河以外ではありえなかった。その意味では、彼は比類ない権力の持ち主だったし、自身もそのことをまったく疑っていなかったであろう。(P.26~27)
 保元の乱での勝利後、後白河天皇親政期を支えた藤原信西(通憲)は、後白河の人物について次のように述べたという。
「当今(現在の天皇)は古今東西のうちで、比べるもののないほど愚かな王である。謀叛を企てる臣下が身近にいても気づかず、他の臣下から忠告されても分からない。これほどの暗愚は今までに見たことも聞いたこともない。ただし、二つだけ長所がある。第一に、一度思い立ったことは他人がなんと言おうと必ずやり遂げる。第二に、一度聞いたことは年月を経ても決して忘れない」
 第一の長所は但し書きがついており、賢主であればひどい欠点になるところだが、ほかによいところがないので、美点として数えるのだという。信西は非常に優れた人物で、数多い彼の子息もみな優秀だった。この一族の後白河に対する評価はなかなか厳しく、息子のひとりである俊憲も、後白河を中国・西晋の惠帝になぞらえたという。(P.28)
 源義経の圧力に負けて、兄頼朝の追討を命じる宣旨(勅命を伝える文書)を出した後白河は、つぎに頼朝に対して釈明することを迫られる。義経の謀叛(この語を用いることによって、今度は義経を朝敵とみなすことになる)は「天魔の所為」だと主張するのである。要するに人為の結果ではなく、天の悪意の結果であるといいたかったのだが、これに対する頼朝の返事は、それをもたらした使者の態度とともにまことに厳しかった。(中略)「天魔とは仏法に妨げをなし、人倫をわずらわせる存在である。多くの朝敵を倒し、君に忠節を尽くしている頼朝は、断じてそのようなものではない。あえていうなら、日本国第一の大天狗は、他ならぬ後白河院であろう」
 目先の武力に屈してつぎつぎと節を曲げる後白河に対し、現在の混乱した状況を天の悪意のせいにするなら、天の悪意を体現しているのはあなた自身だと決めつけたのである。(P.30~31)
 今まで、後白河院に対しては妖怪じみた腹黒い政治家というイメージを持っていたんですが、これからはちょっと改めて、可哀相な彼を慈愛の目で見なくてはならないと思いました。『耶律楚材とその時代』くらいエモーショナルだとネタ臭いんですが、これは淡々と事実を述べているだけに、反論できない重みが…。後白河院惠帝みたいなモンだと思わなくちゃいかんのか…。

ツッコミ:2

ぐんまま 2008/06/06 01:02
 私も後白河院と言えば、「腹黒」「陰謀家」のイメージでした。
 う〜ん、そうか。見方を変えれば、ホンマ、巻き込まれまくった一生ですな。
 ところで、昔のNHKドラマ「草燃える」のおかげで、未だに頼朝っつーと石坂浩二に、義経っつーと国広富之に、北条政子と言うと岩下志摩に、北条義時っつーとマツ健に脳内変換します。
 そういえば、頼家はヒロミ・ゴ〜でしたな。
 あのドラマ、もう一回見たいなぁ。
宣和堂 2008/06/08 21:38
  最近、古い時代劇や大河ドラマはワリにCSでかかりやすいですよね…。時代劇チャンネルとファミリー劇場が狙い目ですよ!
 『風と雲と虹と』がかかってるくらいですから。でも、義経が国広トミーって時代ですねぇ…。

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