Home > 中国史 > 故宮 > 哈達門

哈達門

 秋口に北京に行こうと画策してます。で、交通に便利なので、地下鉄崇文門駅あたりで宿を探していているのですが、哈徳門飯店も候補に入れていたりします。北京烤鴨の老舗(正確には老舗に便乗した類似店で、本家が先に潰れてしまっただけみたいですが…便宜坊も入っているホテルです。変な名前です。そう言えば崇文門って別名・哈徳門と言ったりしたような…と、うっすら覚えていたのですが、調べ物をしていて由来を一応…発見。
南之左曰文明。
文明門即哈達門。哈達大王府在門内、因名之。
 〔臣等謹按〕明史地理志、文明門、正統間改為崇文門。本朝伋其名。
《日下旧聞考》巻十五 城市 内城東城一
 ……で、哈達大王って誰なんだろう…。一瞬、満州ハダ部かなぁ…とも思ったのですが、どうも違うようです。この記事の哈達大王の下りは《析津志》からの引用なんですが、《析津志》自体は元代に書かれた地方志のようです。既に散逸しているようで、現在の輯本も《永楽大典》からの抜き出しです。なので、《四庫全書提要》にも項目がないみたいですね。まあ、《析津志》が話題にするくらいですから、哈達大王府より前の時代にあった屋敷のようです。
 で、後は当然、哈達大王って誰よ?と言う話になるんですが、コレがよくわかりません。もしかしたら、金軍主力部隊を率いて、オゴデイ征金戦トゥルイ軍と戦った完顔合達の屋敷かもしてません。旗下の完顔陳和尚と共にモンゴルと戦って善戦したので、モンゴルでも人気があったようですが、完顔合達の屋敷が崇文門内にあったかどうかも分からないので、何とも言えません。そもそも、《金史》巻一百十二 列伝第五十 完顔合達伝によれば、完顔合達に封じられたことはないようですし、大王と言われる人なのに、本名で呼ばれたりするの?という疑問もありますし…。まあ、哈達自体が本名ではなく尊称であった可能性も捨てきれませんが…。
 ともあれ、大都が建設された当初から、この門には文明門という立派な名前があったのにも拘わらず、今となっては誰だか分からない人の屋敷にちなんだ哈達門という通称で愛され、正統年間崇文門と改称された後も相変わらず哈達門とか哈大門とか哈徳門とか言われ続け、現在もホテルの名称などにその名が生きているようです。
 地名のルーツ探るのって、何の役にも立たないんですが面白いですよねぇ…。分かったところで、へーそうなんだ…で終わっちゃうんですが。哈徳門って何だか半蔵門みたいだなぁ…とは思いました。

ツッコミ:2

T.Fujimoto 2008/09/03 23:38
ご無沙汰しています。
さすがに宣和堂師匠。地名のルーツ探し、おもしろいです。
析津志の記述をどこかで引用されているのを読んだことがありますが、完顔哈達という人物が、存在するのですね。
宣和堂 2008/09/03 23:55
■T.Fujimoto様
 コメント頂いている間に書き直しました。何だか完顔哈達って聞いたことあるなぁ…と思ってドーソン『モンゴル帝国史』東洋文庫引っ張り出して確認したところ、完顔合達のことジャン!と合点がいったので。多分、哈達大王は完顔合達のコトだとは思うんですが、他にそう言う事言っている記事にはググっても出てこなかったんでよく分からないんですが…。

トラバ:0

この記事のトラバ
http://sengna.sakura.ne.jp/sb/sb.cgi/1336
哈達門 from 宣和堂遺事
トラバなし

Home > 中国史 > 故宮 > 哈達門

その他
  • RSS1.0
  • Atom0.3
  • SB2.19R

    管理室

    宣和堂遺事

    宣和堂電網頁

    フィードメーター - 宣和堂遺事

    track feed

    この日記のはてなブックマーク数

    Add to Google

    life_box

    回頭