- 2008/10/06 月
- 中国史 > 辮髪
レンタルビデオ屋に行って、ボヤーッと王晶版《雪山飛狐》のDVDの箱に書いてあるあらすじなんかを見ていると、胡斐(こ・ひ)とか、程霊素(てい・れいそ)などと書いてありました。ふむふむ…まあ、令狐冲は姓は令狐、名は冲だったりするので、一般向けには姓・名という感じでルビ振ったりするのは仕方ないか…と思っていて、フガフガ言いながら見ていたんですが、福康安(ふく・こうあん)という箇所でちょっと目線が止まってしまいました。いや…まあ、揚げ足取るつもりはないんだけどこれはいただけないなぁ…。と言うのも、満州人は基本的に名前だけ名乗って、姓は名乗らないんですよね…。

金庸の原作の原文でも福公子、福大帥などと称されているので、姓は福、名は康安みたいに勘違いされるかも知れませんが、設定上、彼は満洲八旗の旗人ですから、満州人です。というか、設定も何も福康安…というかフカンガは乾隆年間に実在した人なので、《清史稿》巻三百三十 列伝一百十七にも伝あります。鑲黄旗、つまり皇帝直属の上三旗出身の旗人です。
フカンガにはフルンガ(福隆安)、フチャンガ(福長安)など、紛らわしい名前の兄弟がいますが、父親は乾隆帝の孝賢皇后の弟・フヘン(溥恒)ですから、姓が福と言うことではありません。彼ら一族の出身はフチャ(富察)氏ですから、愛新覚羅溥儀みたいな表記をするとフカンガは富察福康安とでもなるんでしょうか。
《飛孤外伝》ではフカンガは乾隆帝の私生児とか言うコトになってますが、これも乾隆帝=漢人説同様、当時から言われた俗説ですね。父親のフヘンは武功は立てたモノの有力な氏族の出身ではありません名門氏族の出身とはいえ権門の出身とは言えません(10/8訂正)。にも拘わらず、フカンガがあんまりにも乾隆帝に寵愛されたから私生児なんじゃないの?と言われたわけです。
ただ、フカンガについては金川を平らげ、甘粛回部ムスリム(10/8訂正)の叛乱、台湾の林爽文の乱を鎮圧し、緬甸(ミャンマー)、安南(ヴェトナム地方)などの動乱に進軍してこれも鎮圧し、チベットで廓爾喀(ネパール)軍を撃退するなど、乾隆帝の十全武功の内の過半数の戦役に従軍して成果を上げているワケですから、やはり乾隆年間を代表するお武家さんと言って良いと思います。と言うワケで、同じく乾隆帝の私生児説のあるヘシェン(和珅)の方が、フカンガに比べると出自も功績も見劣りするので、私生児説についてはヘシェンの方が何だか説得力有るよなぁ…と個人的には思うのです。
ただ、この記事を書くのに参考にした『世界史大系 中国史4 明▽清』山川出版 でも、満州人全員がカタカナ表記というわけでもなく、例えば、ヘシェンの弟、和琳は漢字表記だったりと、比較的新しくてバランスの取れたこの本でも表記はちぐはぐです。そもそも、満州人の名前を一律カタカナ表記にするのであれば、清朝皇帝の諱だってカタカナ表記にしなくてはいけないわけですよね。自分は寡聞にして太祖・ヌルハチ、太宗・ホンタイジ、世祖順治帝・フリンの後の世代の名前をカタカナ表記にした例を見たことがありません。皇族も入関後に生まれた世代からは漢字名ですしねぇ…(アキナ、サスヘは例外ね)。どうも、その辺どうも曖昧ですねぇ。
では、そもそも、福公子、福大帥という用法自体が間違いか?と言うとそうとも言えません。先に紹介した森田憲司『北京を見る読む集める』あじあブックス で地図についての文章で紹介されていた用例を上げてみましょう。
清末には慈嬉太后の弟・桂祥の邸宅を桂公府、モンゴル八旗の勇将・サンゴリンチン(僧格林沁、センゲリンチンとも)の邸宅を僧王府と称したみたいです。桂祥の公爵は承恩公ですし、サンゴリンチンの王爵は最初は科爾沁札薩克多羅郡王、最後は博多勒噶台親王です。ですから、桂公府、僧王府というのは、漢字名の頭の一字を取った用法ですし、当然、邸宅の主は桂公爺とか僧王爺と称されたわけです。
ちなみにタマタマ自分が読んでいた愛新覚羅烏拉煕春/吉本道雅『最後の公爵 愛新覚羅恒煦 激動の中国百年を生きる』朝日選書 の中に…
乾隆帝がさっさと自分の子孫の字輩を永綿奕載溥毓恒燾闓増祺と、ズラズラ決めてしまったので、嘉慶帝の兄弟、栄純親王・永琪の末裔である烏拉煕春センセのお爺さま・恒煦は溥儀の二世代下の代と言うコトになりますね。多分、字輩の最初の文字+公爺だと何人もいるので(それこそ乾隆帝の子孫はよほどのことがない限り、この法則に従って命名されているので)、二番目の文字+公爺と言うのが通例だったんでしょうね。まあ、それならフカンガだって福公子ではフチャンガやフルンガと紛らわしいと思うんですけどねぇ…。
まあ、これは満州人が緩やかに漢化していった様を表しているんでしょけど、喀絲麗をカスリーにしたり、華箏をコジンにしたんですから、翻訳の際に福康安をフカンガにしてもよかったと思うんですけどねぇ…。まあ、この辺ちょっと曖昧なので悩みどころだとは思うんですが…。
ともあれ、関係ないんですが、コメント覧で教えて貰ったところ、漫画家・荒木飛呂彦に檄似と自分が前から言っている、中国の俳優・呉京も公式ホームページのプロフィールを見ると、出身民族は滿族正黄旗とあるので(高らかに上三旗であることをアピール!)、実は姓は呉、名は京ではなくて、ウージンという満洲名なのかも知れないですねぇ…。
フカンガにはフルンガ(福隆安)、フチャンガ(福長安)など、紛らわしい名前の兄弟がいますが、父親は乾隆帝の孝賢皇后の弟・フヘン(溥恒)ですから、姓が福と言うことではありません。彼ら一族の出身はフチャ(富察)氏ですから、愛新覚羅溥儀みたいな表記をするとフカンガは富察福康安とでもなるんでしょうか。
《飛孤外伝》ではフカンガは乾隆帝の私生児とか言うコトになってますが、これも乾隆帝=漢人説同様、当時から言われた俗説ですね。父親のフヘンは武功は立てたモノの
ただ、フカンガについては金川を平らげ、甘粛
ただ、この記事を書くのに参考にした『世界史大系 中国史4 明▽清』山川出版 でも、満州人全員がカタカナ表記というわけでもなく、例えば、ヘシェンの弟、和琳は漢字表記だったりと、比較的新しくてバランスの取れたこの本でも表記はちぐはぐです。そもそも、満州人の名前を一律カタカナ表記にするのであれば、清朝皇帝の諱だってカタカナ表記にしなくてはいけないわけですよね。自分は寡聞にして太祖・ヌルハチ、太宗・ホンタイジ、世祖順治帝・フリンの後の世代の名前をカタカナ表記にした例を見たことがありません。皇族も入関後に生まれた世代からは漢字名ですしねぇ…(アキナ、サスヘは例外ね)。どうも、その辺どうも曖昧ですねぇ。
では、そもそも、福公子、福大帥という用法自体が間違いか?と言うとそうとも言えません。先に紹介した森田憲司『北京を見る読む集める』あじあブックス で地図についての文章で紹介されていた用例を上げてみましょう。
清末には慈嬉太后の弟・桂祥の邸宅を桂公府、モンゴル八旗の勇将・サンゴリンチン(僧格林沁、センゲリンチンとも)の邸宅を僧王府と称したみたいです。桂祥の公爵は承恩公ですし、サンゴリンチンの王爵は最初は科爾沁札薩克多羅郡王、最後は博多勒噶台親王です。ですから、桂公府、僧王府というのは、漢字名の頭の一字を取った用法ですし、当然、邸宅の主は桂公爺とか僧王爺と称されたわけです。
ちなみにタマタマ自分が読んでいた愛新覚羅烏拉煕春/吉本道雅『最後の公爵 愛新覚羅恒煦 激動の中国百年を生きる』朝日選書 の中に…
当時の宗室王侯の中で、祖父の輩分[世代]は最も下であった。当時、祖父の世代を示す「恒」字輩の人はまだ多くなく、公爵も祖父一人であった。そのため祖父は、正しくは煦公爺と称されるべきであったが、恒公爺と称されていた。(P.75)と言う記事があります。
乾隆帝がさっさと自分の子孫の字輩を永綿奕載溥毓恒燾闓増祺と、ズラズラ決めてしまったので、嘉慶帝の兄弟、栄純親王・永琪の末裔である烏拉煕春センセのお爺さま・恒煦は溥儀の二世代下の代と言うコトになりますね。多分、字輩の最初の文字+公爺だと何人もいるので(それこそ乾隆帝の子孫はよほどのことがない限り、この法則に従って命名されているので)、二番目の文字+公爺と言うのが通例だったんでしょうね。まあ、それならフカンガだって福公子ではフチャンガやフルンガと紛らわしいと思うんですけどねぇ…。
まあ、これは満州人が緩やかに漢化していった様を表しているんでしょけど、喀絲麗をカスリーにしたり、華箏をコジンにしたんですから、翻訳の際に福康安をフカンガにしてもよかったと思うんですけどねぇ…。まあ、この辺ちょっと曖昧なので悩みどころだとは思うんですが…。
ともあれ、関係ないんですが、コメント覧で教えて貰ったところ、漫画家・荒木飛呂彦に檄似と自分が前から言っている、中国の俳優・呉京も公式ホームページのプロフィールを見ると、出身民族は滿族正黄旗とあるので(高らかに上三旗であることをアピール!)、実は姓は呉、名は京ではなくて、ウージンという満洲名なのかも知れないですねぇ…。

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ツッコミ:6
- Divane 2008/10/07 01:32
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些末なコトで申し訳ないのですが。
甘肅回部→甘肅回民の方がよろしいかと。
(阿桂が行ったヤツですよね?)
詰まらないことで済みません。 - 電羊齋 2008/10/08 00:55
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どもです。
フカンガの氏族のフチャ氏は名門「満洲八大姓」の一つで、皇后や妃、大臣もたくさん輩出していますし、自分のサイトで紹介しているロシア人部隊もフチャ氏の持ち物です。満洲族の中でも新興勢力といえるアイシンギョロよりもよほど名門かもしれません。
ただ、フカンガが乾隆帝から臣下としては異例ともいえる寵愛を受けたのは事実で、ほぼ皇族待遇だったといっていいですね。
史料や文献を読んでいても、確かに私生児説が出ても不思議ではないかわいがられぶりで、院生時代も「なんでこいつがこんなに可愛がられるの?」と常々不思議がってたもんです。ヘシェン(和珅)といい、彼といい、乾隆帝が人をかわいがる時はとことんかわいがるところがありますな。
あと余談ながら、以前瀋陽の日本語学校でバイトしてた時、母方がフチャ氏だという生徒がいました。ちなみにその生徒の母は「富」という姓を名乗っているそうです。 - 宣和堂 2008/10/08 22:59
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■Divane様
ご指摘感謝です。この場合、回民=ムスリムでも良いんでしょうか…。
やっぱりこの辺は付け焼き刃の知識なので、どうも正確さに欠けますネ。
この場合やっぱり、回部だと所謂新疆というか東トルキスタンあたりを指すことになっちゃうんですか?
■電羊齋様
ご指摘感謝です。このあたり全然詳しくないので、質問しちゃうんですが、具体的にフカンガはどの辺が可愛がられたんですか?
ヘシェンは武功を立てたわけではないのに、あれだけ賄賂溜め込んでいただけでも脅威的ですが、息子への公主降嫁と言い弾劾からの庇い方と言い、依怙贔屓という感じが目立つワリに、フカンガはどちらかというと西はチベット、南はミャンマー・ヴェトナム、東は台湾と相当酷使されているイメージが強いんですが…。
乾隆帝とほぼ同時期に逝去しているのは過労死かと思うほど酷い扱いだったとも思えるんですが…。 - 電羊齋 2008/10/09 22:44
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フカンガは確かにかなり酷使され、手柄も立てているんですが、その「手柄」の内容が問題でして。
いわゆる「十全武功」全体がそうなのですが、乾隆帝によって敗北や痛み分けを「勝利」にとりつくろってもらったり、失策を部下、特にハイランチャ(海蘭察)にかなりフォローしてもらってるんですよ。そのため、中国では彼の軍事的才能を疑問視する見方もあります。
グルカ遠征では「自称諸葛亮の再来」として羽扇を手にを発揮して大失敗してます(そしてハイランチャがフォロー)
あと有名な例では台湾の林爽文の乱の鎮圧での柴大紀への讒言疑惑もあります。 - 電羊齋 2008/10/09 22:58
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タイプミス陳謝!
羽扇を手にを発揮して→羽扇を手に指揮して
フカンガは決して無能ではないんですが、ときどきこういう「自称天才」ぶりを発揮しちゃうおちゃめな人です。 - 宣和堂 2008/10/19 10:14
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■電羊齋様
返答遅れてしまいすんません。
十全武功って結構名前を聞くワリにどう言った内容の武力行使だったのか?と言うのが分かりやすい日本語の文献ってそう出てないですよねぇ…。ともあれ、フカンガの調子の良さだけは理解しました。
>羽扇を手に指揮して
このあたりに何となく、乾隆帝の影響を見てしまうのは自分の見方が穿ってるんですかねぇ…。




