入関前の旗王と八旗

 旗王と八旗の変遷のメモ

ヌルハチ即位以前
黄旗⇒ヌルハチ直轄、グサイ・エジェン:エイヅ、アンバ・ジャルグチ:フュンドン
白旗⇒ベイレ:チュエン、グサイ・エジェン:ダルハン・ヒヤ
紅旗⇒ベイレ:ダイシャン、グサイ・エジェン:ホホリ
青旗(藍旗)⇒ベイレ:シュルガチ、グサイ・エジェン:ションコロ・バツルi

 ヌルハチの共同統治者たる同腹弟・シュルガチは青旗、後継者=アルガ・トゥメン チュエン白旗を管轄している。

ヌルハチ即位以後
正黄旗⇒ヌルハチ直轄
鑲黄旗⇒ヌルハチ直轄
正紅旗⇒ダイシャン
鑲紅旗⇒ダイシャン
正白旗⇒ホンタイジ
鑲白旗⇒ドゥドゥ
正藍旗⇒マングルタイ
鑲藍旗⇒アミンii

 四旗が八旗に増設。チュエンシュルガチの死によってベイレも代替わりしている。白旗チュエンの長子・ドゥドゥ鑲白旗と、ホンタイジ正白旗に、青旗シュルガチの第二子・アミン鑲藍旗マングルタイ正藍旗に引き継がれている。四大ベイレ(ホショ・ベイレ)=アンバベイレ・ダイシャンアミンマングルタイドゥイチ・ベイレ・ホンタイジがそれぞれグサイ・ベイレ(gūsai_beile)を兼任しているが、正鑲紅旗を管轄するダイシャンが相対的に権力を持ち得る環境にあったことが分かる。

ホンタイジ天聰年間
正黄旗⇒ホンタイジ直轄
鑲黄旗⇒ホーゲ、アバタイ
正紅旗⇒ダイシャン、サハリヤン
鑲紅旗⇒ヨト、ドゥドゥ
正白旗⇒ドド
鑲白旗⇒アジゲ、ドルゴン
正藍旗⇒マングルタイ、デゲレイ
鑲藍旗⇒ジルガランiii

 アミン失脚後、マングルタイ失脚前と言うコトになる模様。ホンタイジが即位に伴って正白旗から正黄旗に移動、鑲黄旗ホンタイジの長子・ホーゲドゥドゥ鑲白旗からダイシャンの縄張りの鑲紅旗に移動、ダイシャンの長子ヨトが独立して鑲紅旗に、ヌルハチ最晩年に正鑲黄旗に配されたと思われる、アジゲドルゴンドド兄弟が正鑲白旗に移動、鑲藍旗アミン失脚後、ホンタイジ即位前からホンタイジ派と目されていた、アミンの弟であるジルガランが継承している…と言う具合。
 《太宗実録》と《瀋陽日記》からの復元なので二人上げた場合はどちらがグサイ・ベイレだったのかは不明。両紅旗ホンタイジの即位に関して功績のあるヨトサハリヤンダイシャンの勢力の中でも発言力を増したと捕らえるべきか…。ただ、鑲白旗アジゲ天聰2(1628)年にドドの婚姻を勝手に手配してグサイ・ベイレの任を解かれているので、以後はドルゴン鑲白旗グサイ・ベイレとなっている。また、正藍旗天聰6(1632)年のマングルタイ死後にデゲレイ正藍旗グサイ・ベイレを継承している。そのデゲレイ天聰9(1635)年に死去、その後、マングルタイデゲレイは罪に問われて宗籍を追奪、子孫も庶人に落とされて正藍旗ホンタイジに摂取されている。これが皇帝直属の上三旗の発端(順治年間にドルゴンが自らの正白旗と正藍旗と入れ替える)。
 
ホンタイジ崇徳年間
正黄旗⇒ホンタイジ直轄
鑲黄旗⇒ホショ・ファフンガ・チンワン(Hošoi fafungga cin wang 和硯肅親王)・ホーゲ
正紅旗⇒ホショ・ドロンゴ・チンワン(Hošoi doronggo cin wang 和碩禮親王)・ダイシャン(サハリヤン)
鑲紅旗⇒ホショ・キセヘ・チンワン?(Hošoi kicehe cin wang?和碩成親王)・ヨト
正白旗⇒ホショ・エルケ・チンワン(Hošoi erke cin wang 和碩豫親王)・ドド
鑲白旗⇒ホショ・メルゲン・チンワン(Hošoi mergen cin wang 和碩睿親王)・ドルゴン
正藍旗⇒ホンタイジ直轄
鑲藍旗⇒ホショ・ウジェン・チンワン(Hošoi ujen cin wang 和碩鄭親王)・ジルガランiv

 と言うワケで、天聰末年ホショ・ベイレの中でも、グサイ・ベイレを兼ね備えた者がホショ・チンワンに封じられた模様。天聰末年にはホショ・ベイレであったサハリヤン崇徳元(1636)年時点では親王には封じられていない。しかし、その後間もなく崇徳元(1636)年に死去した際に追封してホショ・スレ・チンワン(Hošoi sure cin wang 和碩穎親王)となっているので、ダイシャンの後釜と目されていたと考えられる。ヨトはこの後、罪に問われてベイセに降格し、死後ドロ・キセヘ・ギュンワン(Doroi kicehe giyûn wang 多羅克勤郡王)に追封されているので、マンジュ語の王号がこれで合っているのかは分からない。
 ヨト大明遠征中崇徳4(1639)年に死去している以外は順治まで異動は無かったと思われるが、その後の鑲紅旗グサイ・ベイレが誰に継承されたのかは調べていないので、今後の宿題にしようかと…。

  1. 承志『ダイチン・グルンとその時代 ─帝国形成と八旗社会─』名古屋大学出版P.47~48 [戻る]
  2. 承志『ダイチン・グルンとその時代 ─帝国形成と八旗社会─』名古屋大学出版P.48 [戻る]
  3. 神田信夫『清朝史論考』山川出版社「清初の貝勒について」P.42 [戻る]
  4. 神田信夫『清朝史論考』山川出版社「清初の貝勒について」P.46 [戻る]

マンジュの年号と王号

と言うワケで、清初の人物を調べていてマンジュ語の表記がある事に気がついたモノのメモ。

年号⇒
天命(1616-1626):abkai fulingga
天聰(1627-1635):sure han
崇徳(1636-1643):wecihūn eedemungge
順治(1644-1661):ijishūn dasan
康煕(1662-1722):elhe taifin
雍正(1723-1735):hūwaliyasun tod
乾隆(1736-1795):abkai wehiyehe
嘉慶(1796-1820):saicungga fengšen
道光(1821-1861):doro eldengge
咸豊(1851-1861):gubci elgiyengge
同治(1862-1874):yooningga dasan
光緒(1875-1908):badarangga doro
宣統(1909-1911):gehungge yosoi
 これだけあると、祺祥とか保慶マンジュ語にも興味が出てきますね。後で気がつきましたけど、普通にWikipediaにこの辺は出てますね…。

 あと、国初の親王郡王号マンジュ表記をば。

親王・郡王号⇒
和碩禮親王・代善:Hošoi doronggo cin wang Daišanii
和碩英親王・阿濟格:Hošoi baturu cin wang Ajige
和碩睿親王・多爾袞:Hošoi mergen cin wang Dorgoniii
和碩豫親王・多鐸:Hošoi erke cin wang Dodoiv
和碩肅親王・豪格:Hošoi fafungga cin wang Hoogev
和碩承澤親王・ 碩塞:Hošoi kesingge cin wang Šosevi
和碩鄭親王・濟爾哈朗:Hošoi ujen cin wang Jirgalangvii
和碩敬謹親王・尼堪⇒Hošoi ginggun cin wang Nikan
和碩穎親王・薩哈璘⇒Hošoi sure cin wang Sahaliyen
和碩端重親王・博洛⇒Hošoi jingji cin wang Bolo
多羅通達郡王・雅爾哈齊⇒Doroi hafuka giyûn wang Yarhaci
多羅饒餘郡王・阿巴泰⇒Doroi bayan giyûn wang Abtai
多羅克勤郡王・岳託⇒Doroi kicehe giyûn wang Yotoviii
多羅謙郡王・瓦克達⇒Doroi gocishûn giyûn wang Wakda
多羅順承郡王・勒克徳渾⇒Doroi dahashûn giyûn wang Lekdehunixx

 ちなみに、八大鐵帽子王家乾隆43(1778)年に決まったというから多分、この記事のタイミングで世襲罔替が決まった模様。

乾隆(中略)四十三年春正月(中略)辛未,追復睿親王封爵及豫親王多鐸、禮親王代善、鄭親王濟爾哈朗、肅親王豪格、克勤郡王岳託原爵,並配享太廟。xi

  1. 河内良弘・淸瀨義三郎則府『満洲語文語入門』京都大学出版社P.58 [戻る]
  2. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  3. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  4. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  5. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  6. 八大鉄帽子王家⇒和碩荘親王⇒Hošoi ambalinggu cin wang [戻る]
  7. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  8. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  9. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  10. ベルリン州立図書館デジタルアーカイブ欽定宗室清文王公功績表伝 [戻る]
  11. 《清史稿》本紀巻十四 本紀十四 高宗 弘曆五 [戻る]

孝荘文皇后と愉快な仲間達-ダイチン諸王編1

 と言うワケで、「辮髪を惜しんで大事が成せるか!」「辮髪も守れずに国を守るだと?」「だが、これからは死んでも辮髪は失わない」などの名台詞と共に、一気に辮髪ドラマの金字塔になった態のドラマ『宮廷の泪 山河の恋』のお話です。取りあえず、あらすじだけでも見て欲しい…。
 と、今回はドラマの主役の一人、ドルゴンとその兄弟たちです。

 

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孝荘文皇后と愉快な仲間達-ダイチン諸帝編

 と言うワケで引き続きBSジャパンで放送中の《山河戀·美人無淚(邦題:宮廷の泪 山河の恋)に出て来る人物についてツラツラ書いてきます。今回はアマガ・アイシン・グルン(後金国)からダイチン・グルン(大清国)の帝王で孝荘文皇后と関わりのある人をズラッと並べようかと…。

 

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孝荘文皇后と愉快な仲間達-モンゴル女性編

 と言うワケで、BSジャパンで始まった《山河戀·美人無淚(邦題:宮廷の泪 山河の恋)》をツラツラ見てます。このドラマ、清初皇后というか皇太后というか太皇太后として有名な孝荘文皇后の一代記ですね。孝荘文皇后モンゴルホルチン部ボルジギット氏出身なので、お粗末ですがモンゴルのシーンがあります。意外と新鮮ですね。こんなに頻繁に往来できるほど、盛京(ムクデン・ホトン)とホルチン部の放牧地が近いとは思えませんが、孝荘文皇后のドラマというとホンタイジに嫁いでからドルゴン初めとしたマンジュの人々と絡む印象があったんですが、確かに孝荘文皇后の叔母である孝端文皇后も姉である敏恵恭和元妃も当然モンゴルに居たときからの血縁ですからモンゴルから話を始めて因縁を描くのはありだなぁ…と感心した次第です。まぁ、そこは良いのですが、モンゴルの装束の考証は無茶苦茶ですし、折角八旗が出て来るのにホンタイジドルゴンも馬に乗らずに袁崇煥と対戦してるあたりは…そこまで予算無かったのかなぁと悲しくなりますが…。まぁ、ちゃんとドルゴン正白旗の鎧着てたりするので、その辺は大目に見ないとダメっすかねぇ…。
 と、ドラマ見てて気になったのでこのドラマに出て来る人達の記事をWikipediaとか百度の記事あたりを見ながらツラツラまとめてみようかと思います。
 尚、人名はカタカナ(マンジュ語ローマ字表記 漢語表記)という順番で表記していこうかと。

 

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