欽定宗室王公功績表伝

 ネットをウロウロしてたら漢文版の《欽定宗室王公功績表伝》が見つかったので、ベルリン州立図書館デジタルアーカイブ…についたローマ字に直したマンジュ語漢語版から拾った漢字との対応表でも作っておくかと…。

《欽定宗室王公功績表傳》⇒Hesei toktobuha uksun i wang gung sai gungge faššan i iletun ulabuni
◇巻一 表一 親王 郡王⇒Iletun i uju. Cin wang. giyûn wang

◇巻二 表二 貝勒 貝子 鎮國公 輔國公 以罪黜宗室貝勒⇒Iletun i jai. beile beise gurun be dalire gung gurun de aisilara gung Weilei turgunde uksun i dangse ci tucibuhe beile

◇巻三 傳一 親王⇒Ulabun i uju. Cin wang
和碩禮親王・代善:Hošoi doronggo cin wang Daišan i ulabun
和碩英親王・阿濟格:Hošoi baturu cin wang Ajige i ulabun

◇巻四 傳二 親王⇒Ulabun i jai. Cin wang
和碩睿親王・多爾袞:Hošoi mergen cin wang Dorgon i ulabun

◇巻五 傳三 親王⇒Ulabun i ilaci. Cin wang
和碩豫親王・多鐸:Hošoi erke cin wang Dodo
和碩肅親王・豪格:Hošoi fafungga cin wang Hooge
和碩承澤親王・碩塞:Hošoi kesingge cin wang Šose

◇巻六 傳四 親王⇒Ulabun i duici. Cin wang
和碩鄭親王・濟爾哈朗:Hošoi ujen cin wang Jirgalang

◇巻七 傳五 親王⇒Ulabun i sunjaci. Cin wang
和碩敬謹親王・尼堪⇒Hošoi ginggun cin wang Nikan
和碩穎親王・薩哈璘⇒Hošoi sure cin wang Sahaliyen
和碩端重親王・博洛⇒Hošoi jingji cin wang Bolo

◇巻八 傳六 郡王⇒Ulabun i ningguci. Giyûn wang
多羅通達郡王・雅爾哈齊⇒Doroi hafuka giyûn wang Yarhaci
多羅饒餘郡王・阿巴泰⇒Doroi bayan giyûn wang Abtai
多羅克勤郡王・岳託⇒Doroi kicehe giyûn wang Yoto
多羅謙郡王・瓦克達⇒Doroi gocishûn giyûn wang Wakda
多羅順承郡王・勒克徳渾⇒Doroi dahashûn giyûn wang Lekdehuni

◇巻九 傳七 貝勒⇒Ulabun i nadaci. Beile
和碩貝勒・阿敏⇒Hošoi beile Amin
多羅誠毅貝勒・穆爾哈齊⇒Doroi cing baturu beile Murgaci
多羅篤義貝勒・巴雅喇⇒Doroi joriktu beile Bayara
多羅廣略貝勒・褚英⇒Doroi argatu tumen beile Cuyeng
多羅貝勒・芬古⇒Doroi beile fiyanggû
多羅安平貝勒・杜度⇒Doroi elehun beile Dudu
多羅貝勒・察尼⇒Doroi beile Cani
多羅貝勒・哈爾楚渾⇒Doroi beile Kalcuhûn
多羅貝勒・巴思哈⇒Doroi beile Basha

◇巻十 傳八 貝子⇒Ulabun i jakûci. Beise
固山貝子・務達海⇒Gûsai beise Mudahai
固山貝子・博和託⇒Gûsai beise Bohoto
固山貝子・固爾瑪渾⇒Gûsai beise Gûlmahûn
固山貝子・洛託⇒Gûsai beise Loto
固山貝子・傳喇塔⇒Gûsai beise Fulata
固山貝子・穆爾祜⇒Gûsai beise Murhu
固山貝子・特爾祜⇒Gûsai beise Terhu
固山貝子・薩弼⇒Gûsai beise Sabi
固山貝子・蘇布圖⇒Gûsai beise Subutu
固山貝子・温齊⇒Gûsai beise Unci

◇巻十一 傳九 鎮國公 輔國公⇒Ulabun i uyuci. Gurun be dalire gung. gurun de aisilara gung
鎮國公・阿拜⇒Gurun be dalire gung Abai
鎮國公・巴布泰⇒Gurun be dalire gung Babutai
鎮國公・漢岱⇒Gurun be dalire gung Handai
鎮國公・恭阿⇒Gurun be dalire gung Gungga
鎮國公品級・屯齊⇒Gurun be dalire gung ni jergi Tunci
輔國公・塔拜⇒Gurun de aisilara gung Dabai
輔國公・頼慕布⇒Gurun de aisilara gung Laimbu
輔國公・瑪瞻⇒Gurun de aisilara gung Majan
輔國公・穆布爾善⇒Gurun de aisilara gung Bamburšan
輔國公・巴爾堪⇒Jakûn ubude dosimbuhakû gurun de aisilara gung Barkan
輔國公品級・扎喀納⇒Gurun de aisilara gung ni jergi Jakana

◇巻十二 傳十 以罪黜宗室貝勒⇒Ulabun i juwanci. Weilei turgunde uksun i dangse ci tucibuhe beile
和硯貝勒・莽古爾泰⇒Hošoi beile Manggûltai
多羅貝勒・徳格類⇒Doroi beile Degelei
多羅貝勒・拜音圖Doroi beile Baintu
多羅貝勒・碩託⇒Doroi beile Šoto
多羅貝勒・延信⇒Doroi beile Yansin

 それにしても、ベルリン州立図書館、他にもマンジュ語文献サラッと公開してくれてるんですが、何やってくれてるんですかね…。
おまけに、Uksun i wang gung sai gungge faššan be iletulere ulabun = 宗室淸文王功續表傳 5卷iiとかいうのも別にあって、これは編者が二十四阿哥允秘になってたりするんですが何ですかこりゃ…。1765年作成となってるから、乾隆30年ってコトになるけどそういや二十四阿哥は乾隆38年まで存命だったからありえるんですねぇ…。

  1. Digitalisierte Sammlungen der Staatsbibliothek zu Berlin 欽定宗室清文王公功績表傳》12巻 [戻る]
  2. 宗室淸文王功續表傳 [戻る]

ネット上のマンジュな電子史料

 と言うワケで、デジタルアーカイブを図書館などで公開してくれるおかげで、かなりイカした感じのモノが読めたり眺めたりが可能になってきてるので、備忘録がわりにまとめてみたり…。

国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
清国北京皇城写真帖 小川一真⇒八ヶ国連合軍北京占領時に撮影された紫禁城内の写真集。故宮の古写真はだいたいここからの転載。
満文老档. 太祖の巻 藤岡勝二 訳⇒フリーハンドの《満文老檔》の訳
満文老档. 太宗天聡の巻 藤岡勝二 訳
満文老档. 太宗天徳の巻i 藤岡勝二 訳

ディジタル・シルクロード 国立情報学研究所 – ディジタル・シルクロード・プロジェクト 『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ
圓明園東長春宮西洋樓圖 郎世寧(Giuseppe Castiglione)⇒圓明園西洋楼の銅版画。東洋文庫所蔵品。全幅は中々見られない。
Baukunst und Landschaft in China Ernst Boerschmann⇒清末各地の道観寺院などの写真が相当量。
Views of China : vol.1 George Ernest Morrison⇒東洋文庫の元となったモリソン・コレクションモリソンの写真帖。
Views of China : vol.2 George Ernest Morrison
Album of Photographic Views in China Felice Beato⇒幕末から明治にかけての日本の写真で有名なベアトの写真集。
乾隆京城全図⇒およそ、清代の北京で何か調べようとする人は必ず触れなければならない地図。リンク先は画像だが、Google Maps版もある。個人的にはGoogle Earth版が死ぬ程使いやすい。

早稲田大学図書館 古典籍総合データベース
唐土名勝図会原稿岡田玉山(編述・画)岡熊岳・大原東野(画)⇒長崎からの情報を元に江戸時代に書かれたガイドブック…なのだが、異常に細かい。北京内城八旗の縄張りなども見てきたように詳細に書かれている。ちなみに早稲田には手稿本の他に三冊蔵書があって全てPDF化されているのでグレイト。
唐土名勝図会
唐土名勝図会
唐土名勝図会
鴻雪因縁図記宗室ワンギャ氏(Wanggiyan Hala 完顔氏)出身の文人・リンキン(linking 麟慶)の図入り北京案内。当時の名所の様子を知るには一級の書物。

 日本語や漢語でマンジュ・ダイチン関係のPDF論文が読めるのあるみたいなんで、機会あったらまとめてみようかと…。

  1. 正しくは崇徳の巻 [戻る]

マンジュの年号と王号

と言うワケで、清初の人物を調べていてマンジュ語の表記がある事に気がついたモノのメモ。

年号⇒
天命(1616-1626):abkai fulingga
天聰(1627-1635):sure han
崇徳(1636-1643):wecihūn eedemungge
順治(1644-1661):ijishūn dasan
康煕(1662-1722):elhe taifin
雍正(1723-1735):hūwaliyasun tod
乾隆(1736-1795):abkai wehiyehe
嘉慶(1796-1820):saicungga fengšen
道光(1821-1861):doro eldengge
咸豊(1851-1861):gubci elgiyengge
同治(1862-1874):yooningga dasan
光緒(1875-1908):badarangga doro
宣統(1909-1911):gehungge yosoi
 これだけあると、祺祥とか保慶マンジュ語にも興味が出てきますね。後で気がつきましたけど、普通にWikipediaにこの辺は出てますね…。

 あと、国初の親王郡王号マンジュ表記をば。

親王・郡王号⇒
和碩禮親王・代善:Hošoi doronggo cin wang Daišanii
和碩英親王・阿濟格:Hošoi baturu cin wang Ajige
和碩睿親王・多爾袞:Hošoi mergen cin wang Dorgoniii
和碩豫親王・多鐸:Hošoi erke cin wang Dodoiv
和碩肅親王・豪格:Hošoi fafungga cin wang Hoogev
和碩承澤親王・ 碩塞:Hošoi kesingge cin wang Šosevi
和碩鄭親王・濟爾哈朗:Hošoi ujen cin wang Jirgalangvii
和碩敬謹親王・尼堪⇒Hošoi ginggun cin wang Nikan
和碩穎親王・薩哈璘⇒Hošoi sure cin wang Sahaliyen
和碩端重親王・博洛⇒Hošoi jingji cin wang Bolo
多羅通達郡王・雅爾哈齊⇒Doroi hafuka giyûn wang Yarhaci
多羅饒餘郡王・阿巴泰⇒Doroi bayan giyûn wang Abtai
多羅克勤郡王・岳託⇒Doroi kicehe giyûn wang Yotoviii
多羅謙郡王・瓦克達⇒Doroi gocishûn giyûn wang Wakda
多羅順承郡王・勒克徳渾⇒Doroi dahashûn giyûn wang Lekdehunixx

 ちなみに、八大鐵帽子王家乾隆43(1778)年に決まったというから多分、この記事のタイミングで世襲罔替が決まった模様。

乾隆(中略)四十三年春正月(中略)辛未,追復睿親王封爵及豫親王多鐸、禮親王代善、鄭親王濟爾哈朗、肅親王豪格、克勤郡王岳託原爵,並配享太廟。xi

  1. 河内良弘・淸瀨義三郎則府『満洲語文語入門』京都大学出版社P.58 [戻る]
  2. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  3. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  4. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  5. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  6. 八大鉄帽子王家⇒和碩荘親王⇒Hošoi ambalinggu cin wang [戻る]
  7. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  8. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  9. 八大鉄帽子王家 [戻る]
  10. ベルリン州立図書館デジタルアーカイブ欽定宗室清文王公功績表伝 [戻る]
  11. 《清史稿》本紀巻十四 本紀十四 高宗 弘曆五 [戻る]

《嘯亭雑録》と礼親王・昭槤

 そんなこんなで、清代王府の位置を知る過程で《嘯亭雑録》を買ってみました。サラッと読むと、やはり歴史の話題を中心とした随筆ですね。神田信夫『清朝史論考』山川出版 の中にそのものズバリ、「『嘯亭雑録』と其の著者礼親王昭槤」という論文が載っているのですが、コレを読むとどうやら《嘯亭雑録》はかなり歴史的価値の高い随筆みたいですね。個人的にはいきなり〈太宗讀金史〉の項で辮髪と言うか満洲の衣冠に触れていた点で評価高まりましたし、その次が〈設間誅袁崇煥〉だったりするので、序盤からおお!って思いますわね。

 で、その著者である昭槤ですが…この人、九代目・礼親王なんですよね。礼親王ダイシャンの後裔です。漢語版Wikipediaの記事によると、乾隆41(1776)年の生まれで、道光13(1833)年に病没しているようです。礼親王の王位には、嘉慶10(1805)年から嘉慶20(1815)年までの十年間ついていたみたいですね。在位中は散逸大臣に任じられているようですが、これは宗室に対する名誉職みたいなモノで、特に何か重責を担っていたわけではないみたいですね。いずれにしても、政治的な功績よりも文化的な功績が大きい家柄だったみたいなので、特に問題でも無いでしょう。
 しかし、普通、親王は没するまで王位にあるものなので、これは問題起こして王位を剥奪されてるわけです。「『嘯亭雑録』と其の著者礼親王昭槤」によると、御史果良額が弾劾し調査の結果、礼親王昭槤が大臣・景録を陵辱したり、戸部尚書景安を自家の奴と面斥しただけに留まらず、不法の刑具を用いて家来を虐待し、その上、家人に軍機中堂と呼ばせていた等の罪状で王位を剥奪されて身柄を拘束されたようです。景録景安は同じ字を使ってることから何となく同族なんじゃ無いかと思うモノの、よく分かりませんね。この事件そのものが昭槤の濡れ衣じゃないかという説もありながら、《嘯亭雑録》でも自分の過失とする文章がいくらか残ってるみたいですから、昭槤自体がサディスティックで激しやすい性格だったことは間違いなさそうです。李贊華さんにしろ、文化的な王族が残虐な行為で弾劾されるって結構あるんですかね…。
 その後、礼親王位は昭槤の従兄弟である麟趾の系統に嗣がれて辛亥革命を迎えています。昭槤の子孫は目立った官位には就いていませんが、文化的な家柄は続いたみたいですね…。

康煕帝諸皇子の王府3

 と、前回の続きで康煕帝皇子達の王府の位置を再度調べて見ました。
 本文に入る前に、以前に作った地図を《清北京歴史地図iで不明確だった王府の位置を特定したり、後で入手した資料で補強した地図を提示しておきます。


より大きな地図で 康煕帝阿哥府邸地図 を表示

 思ったほど偏ってはいないんですが、何故か西南隅には王府がなかったみたいなんですよねぇ…。折角地図にしたのでちょっと八旗の居住地と王府の位置関係も確認して見たのですが今ひとつよく分かりませんでした。あと、平西府密雲県博物館もチェックしてます。
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  1. 《清北京歴史地図》北京燕山出版社 ちなみに《乾隆京城全図》を複数の版本を比較して校訂した《加摹乾隆京城全図》を出版したのもこの会社。 [戻る]
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