西太后“稀代の悪女”その真実

 ボサッとしてたら、NHKで慈嬉太后の特番をやっていた模様。

  •  とりあえず、録画して見てみました。どうせ、希代の悪女!とかナンとか言ってまたドジャーン!ツボからあの女の首が!みたいな番組なんだろうナァ…と思ったら、『西太后 大清帝国最後の光芒』中公新書 の加藤徹センセがゲストの上に、存外まともな構成でビックリ。『蒼穹の昴』の番宣かなぁ…とも思いますが、かなり慈嬉太后よりの構成でした。ナカナカ興味深かったです。
     慈寧宮ってそう言えば姥捨て山って言うか、子供を産めなかった女の人達が集まる場所だったなぁ…とか思い出したり、実際にスタジオに運ばれた中華料理…というか満漢全席うまそー!(駱駝のこぶの蒸し物とか蝶鮫とか)とか、慈嬉太后の本名が杏貞と紹介されてるのは、どんな根拠なんだろう~とか、慈嬉太后は写真を撮るときには必ず咸豊帝に貰ったイヤリングをしたとか(初耳~)、色々楽しめました。
     でも、徳齢の証言って面白いのが多いものの、学術的にはあんまり評価されないと聞いたんですが(矛盾とか飛躍が多いとか何とか)、何処まで信用して良いのかしら…とか、慈嬉太后の妹の子孫を”西太后の末裔”とか、珍妃の母親の妹の子孫を”珍妃の末裔”と称するのは…ちょっとどうかと思いますが…。血のつながりないジャン!一族の末裔だよ!なんて思ったりもしましたが…。

     と言うワケで、2008年11月に北京に行ったときの写真御蔵出し…。消しちゃったので再掲載。

    珍妃井のキャプション

    驚くほど小さい珍妃井

    精衞通誠

    珍妃井の向かいにある…けどあんまり人がいない場所

     更に、珍妃?と言われる写真だけど、あんまり紹介されていない写真も再掲。別人だという説でもあるんですかねぇ…。

    故宮周刊 第三十期 第一版→劉宮女の証言では南海で撮影されたという

     ま、このネタも案外好きなんですよと。