<特別展>書聖 王羲之

 と言うワケで、先週、東京国立博物館 平成館で開催されている<特別展>書聖 王羲之を見てきました。正直な所、書道何てよく分からないので、主に判子を見てきましたが…。では、ちょくちょく見たモノを纏めてみます。
 全体として、王羲之の書は少ないですね。まぁ、真筆は戦乱に巻き込まれて殆ど無くなってるし、模筆や拓本にしても珍しいモノですからしょうがないってものです。
 王羲之以前の書として展示されていた、鍾繇の№15:薦季直表と№16:宣示表は石刻拓本だったのですが、宣和印政和印が押されている部分も石刻されており、何とも不思議な感じはしましたが、鑑蔵印も確認出来ました。これも面白いですね~。拓本を見るに、中には虫食い部分も再現された石刻もあったようで、なかなか芸が細かいんですね。
 個人的にはプリンストン大学付属美術館蔵の№60:行穣帖は、北宋徽宗双竜印宣和印政和印乾隆帝古希天子印乾隆御覧之寳印乾隆鑑賞印乾隆御筆印などが狭い紙面に広がってて満足できました。図録でも鑑蔵印についての紹介がありましたね。狭い紙面に所狭しと押された鑑蔵印はなかなか壮観です。展示でも横のモニターで双鉤填墨という複製技法が紹介されてましたし、告知ポスターでも真ん中に出てますし、この展示としては一押しの書なんでしょうが…今ひとつ会場に伝わってるようには見えませんでした。
 あと、話題の№64:王羲之尺牘 大報帖ですが…。まぁ、鑑蔵印が全く押されていない状態の書だったので、自分としてはほぼスルーという状態でした。内容も今ひとつわからんですしねぇ。
 №85:宣和内府旧蔵蘭亭序はに押された宣和印はともかく、宣和◯寳印は本物なのか疑問でした。しかも、双龍印が押してあったのですが…丸じゃなくて四角なんですよね。書のことは分からないンですが、鑑蔵印は果てしなく怪しい…という感じでした。
 №67:蘭亭図巻-万暦本-は明代の画像磚ですが、拓本にした際の墨の濃淡が出るように工夫された面白い拓本でした。エッヂもシャープで面白かったデス。書じゃないですけど。

 と、こんな感じでしょうか?じっくり見たつもりですが、感想となるとこんな感じですかね。あと、東洋館が耐震工事が終わりリニューアルしてました。展示品は以前とそう変わらないように見えましたが、照明や展示方法が変わったためか、見やすくなった印象がありますね。こちらもオススメです。

映画 《円明園》

乾隆帝と噴水

 ふと思い出したのでサルベージ。以前記事にしたモノの吹っ飛ばしてしまったのですが、映画《圓明園》の画像です。この映画、2006年に公開されたモノの評価は散々…まぁ、厳密には映画と言うよりはNHKドキュメントの再現ドラマが延々と続くような内容なので、血湧き肉躍るワクワクストーリーみたいなモノが無いので、まあ…当然の結果かなと。
 個人的には望遠鏡を嬉々として覗く康煕帝圓明園に作った仙窟の中で仙丹を練る老眼鏡かけた雍正帝、犬を抱えた宦官の横でコスプレ親子のデッサンを取る郎世寧十二支噴水の監修をする乾隆帝。その他、圓明園西洋楼の再現CG満載で個人的には大満足ですw
 まぁ、勿論十二支噴水がデッカク出て来るあたりで分かるとおり愛国高揚映画でもあるので、ストレスのあまりアヘンを吸う鬼気迫る咸豊帝とか圓明園を炎上させる英仏連合軍とか出てきますですね。個人的には面白い映画なんですけどねぇ…。老眼鏡かけた雍正帝出てきた時腹抱えて笑いましたしw

《円明園》メニュー


康煕帝

ピーピングエンペラー!


雍正帝

眼鏡雍正帝ヘブンモード


郎世寧

イタリア人画家 ジョゼッペ・カスティリオーネ


円明園での一家

お犬様とコスプレ親子


乾隆帝と容妃

乾隆帝と容妃と円明園


乾隆帝と噴水

乾隆帝と十二支噴水


海晏堂

十二支噴水再現図


噴水

十二支噴水!


萬花陣花園

萬花陣花園の灯籠


大水法

大水法噴水!


咸豊帝

鬼気迫る咸豊帝


アロー号戦争

英仏連合軍円明園に進駐

草原の王朝 契丹─美しき3人のプリンセス─

 と言うワケで、珍しく静岡にも展示が来るというので、草原の王朝 契丹─美しき3人のプリンセス─を見に行ってきました。陳国公主墓の出土品は以前、今は無きエキスポランドの催し物会場に来た時に見に行ったりしましたが、今度は新発掘のトルキ山古墓慶州の白塔(慶陵を鎮守する目的で建造された模様)を修築した際に中から見つかった文物が来てましたね。この三カ所の出土文物が中核を締める展示なので、美しき3人のプリンセスという副題がついてるみたいです。何のかんの耶律羽之墓から出土した文物もそこそこ多かったように感じたんですが、その辺は積極的にスルーしたみたいですね。
 と言うワケで、展示の雑感です。

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マンジュ史書を整理してみた

 と言うワケで、こないだの記事で《満洲実録》を扱ってから悶々としていた宣和堂です。うーん。実はこの辺が良くわからんのですよね…。

《満洲実録》ヌルハチ首実検

 ご存じの通り、現在知られる満洲語の歴史書で一番有名なのは、内藤湖南日露戦争終結の頃に瀋陽故宮で発見した、通称《満文老檔》です。
 で、この際に見つかった他の書物が清朝歴代皇帝の実録である《清朝実録》 と、合戦絵図と言われる《満洲実録》です…。中身や成立過程については後回しにしましょう。
 あと同じく名前が挙がるのが《五体清文鑑》ですね。元々は満洲語の辞典で元々の題名も《Han i araha manju gisun i buleku bithe(漢語題名《清文鑑》)》。これが増補を繰り返し、漢語チベット語モンゴル語ウイグル語をも収録した拡張版が《五体清文鑑》と言うコトのようです。検索したらこれに関してはさっくり画像がありました→《五体清文鑑》早稲田スゲー!むしろ、《満洲実録》も置いてよ!とか思うモノの我慢。

 で、Twitterで満文老檔について発言した時に教えて頂いた本でサクサク検索したところ、疑問が氷解です。

満文老檔
 《満文老檔》と言う名称自体が、そもそも内藤湖南が名付けた便宜上の名前であって、表題は単に《Tongki fuka sindaha hergen i dangse(トンギ フカ シンダハ ヘルゲン イ ダンソ=有圏点檔案)》若しくは《Tongki fuka akū hergen i dangse(トンギ フカ アク ヘルゲン ダンソ=無圏点檔案)》。発見当初は表題だけ見ても何の書物かは分からなかったみたいですね。ただ、自分レベルではこの無圏点本有圏点本の違いはよく分かりません。調べて見ると、内容はともかく冊数と題材は同じようですね…。
 ものの本によると、ヌルハチホンタイジ時代の記録としてはもっとも詳細で重要な根本記事とされているようです。ただ、乾隆年間に編纂されたモノなので、清朝に都合の悪いことはさっくり削除されているわけです。漢化された皇帝という見方をされることの多い乾隆帝ですが、マンジュ視点に立った場合、民族主義を奨励した指導者と言う評価も出来るんですよね。

満洲実録
 《満洲実録》の売りは絵が載ってるコトなので比較的図版が引用されていますね。
 内容については、順治年間に作成された《清太祖武皇帝実録》とほぼ同じ…ここで注意したいのが、現行本の《太祖実録》が乾隆年間の重修本である点ですね。後の時代には忌避しているコトでも採録しているようです。でも、満洲音の漢字表記は乾隆年間の方式に改められているようです。また、絵画については《太祖実録戦図(《清太祖実録戦跡図》?)》の引き写しみたいですね。乾隆年間にいいとこ取りして編纂されたモノの様です。やはり絵画については元絵の《太祖実録戦図》を引いた方が良いみたいですね…。まあ、見当たらないのですが…。どうやら、盛京崇謨閣にはマンジュ文本漢文本との二組が収蔵されてたみたいです。…と、参考図書には書いてますが、書影を見るに戦図に関しては満漢合壁の模様ですね。

清朝実録
 現在中華書局から出版されている《清実録》は巻頭に《満洲実録》を置き、以後《太祖実録》、《太宗実録》、《世祖実録》、《聖祖実録》、《世宗実録》、《高宗実録》、《仁宗実録》、《宣宗実録》、《文宗実録》、《穆宗実録》、《徳宗実録》、《宣統政紀》が収録されているようです。これは全て漢文の模様。
 この内、盛京・崇謨閣にあったのは、マンジュ文漢文の《太祖実録》、《太宗実録》、《世祖実録》、《聖祖実録》、《世宗実録》、《高宗実録》、《仁宗実録》、《宣宗実録》、《文宗実録》、《穆宗実録》の模様…です。で、内藤湖南盛京を調査して《満文老檔》を発見したのは、明治38(光緒31、1905)年ですから、光緒5(1879)年成立の《穆宗実録》までを発見したと考えて良いようですね。《徳宗実録》は中華民国10(1921)年成立ですし、《宣統政紀》に至っては成立年代も良くわからんみたいなので、発見されるわけがないわけです。一応、満洲国務院が《大清歴朝実録》として、これらの《実録》を1937年に刊行した際には、《徳宗実録》と併せて《宣統政紀》が収録されているので、その頃には成立はしていたと考えて良いんでしょうけど…。
 北京皇城内皇史宬にはマンジュ文モンゴル文漢文実録が保管されていたようですが、やはりそれも《穆宗実録》まで。《徳宗実録》は漢文のみ現存しているようですが、マンジュ文はなかったのかも知れませんね…。自分が漠然と、マンジュ・グルンと言うか、清朝がまるきり漢化されたのは光緒年間じゃないかと思うのは、こういう所なんですが、まあ、今回は関係ないので触れません。

旧満州檔》《満文原檔
 で、乾隆年間に編纂された《満文老檔》の元になった檔案が、1931年に北京内閣大庫から《満文老檔》と一緒に発見されたようです。この檔案のことを、日本では《旧満州檔》と称していたわけです。で、あまり研究がなされないうちに、盧溝橋事件が勃発して日本軍の侵攻が始まり、かの有名な文物南遷の際に、この檔案も北京から逃避行に出たわけですね。最終的に台北故宮博物院に収蔵され、《満文原档》という題名で影印出版されたみたいです。この際に《満文老檔》には含まれていない、天聰9年部分の檔案、所謂《天聰九年檔》も収録されたようです。

 とまあ、自分が疑問だった史書類はこれであらかた疑問は氷解という感じデス。この辺の資料はwikiや百度でも記事が足りないので、大変スッキリしました。ちなみに参考資料は以下の通り。

神田信夫・山根幸夫 編『中国史籍解題辞典』燎原書店
神田信夫『満学五十年』刀水書房
清朝とは何か』藤原書店

 

※ご指摘によりマンジュ文献のローマ字変更しました(6/26)

黄馬掛

 と言うワケで辮髪画像が整理つかなくなってきたので、その過程で見つけた…というか今まで気がつかなかっただけなんですが、黄馬掛の画像を見つけたので、お茶濁すべくアップ。
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