と言うワケで今回は前回に引き続き珍妃のお仕置きの回ですね。写真のことで皇后にいびられた珍妃は、李蓮英の売官のことをそれとなーく光緒帝に告げ口して、却って分を超えて政治に口出ししたことを慈嬉太后に責められて罰を受けます…。
と言うコトになっていますが、史実に残る事件は真逆ですね…。ちょっと長くなりますが引用します。
(前略)長春宮の回廊を飾る『紅楼夢』に壁画である。
透視図による斬新な構図と巧妙な遠近法、一草一葉にいたる細密絵画の手法は、あたかも長春宮が『紅楼夢』の世界の中に存在しているかのような錯覚をもたらす。
中国の『源氏物語』ともいわれる曹雪芹の長編小説『紅楼夢』は、帝王の封建制を批判したという理由で乾隆が「禁書」としたが、晩清にいたって西太后の愛読書となり、爆発的な流行をみた。西太后の熱中ぶりを知る瑾妃と珍妃の姉妹が、西太后六十歳の賀の贈物として、太后の居宮を飾るべく趣向を凝らしたのであろう。清末の進士で宮廷事情に通じた九鐘主人こと呉士鍳の著『清宮詞』の珍妃を詠った部分の注として「珍、瑾二妃は畫苑をして紅楼夢大観園を畫かしめ、内廷臣に詩を題せしむ」の添書がある。姉妹が発案して大観園の絵画を描かせただけでなく、さらに内定の官人に詩文を求めていたことが知られる。(中略)
まさに才気煥発を謳われた珍妃姉妹が西太后への恭順を示す「気のきいた贈物」であった。しかしこの抜群のアイディアが王臣達の疑念を招く結果になる。これだけの作品に要した金銭的負担───いかに皇帝の寵愛をうけているとはいえ、この正月、妃に昇格したばかりの姉妹ではないか。その封銀でとうてい賄えるはずもないこの制作費は、いったいどこから出たのだろうか、と。1
(前略)西太后六十歳の賀の恩恵として珍嬪とその姉は妃に昇格した。その感謝のしるしとして秋の祝典に披露された『紅楼夢』の障壁画は、その抜群の着想で廷臣たちをあっと言わせた。しかしその直後、もう一度全宮廷をあっと言わせる事件が生じる。姉妹そろって妃から無品の貴人に二階級降格させられたのである。(中略)
その問題とは、口利きによる収賄「売官」であった。2
と言うワケで、慈嬉太后に懲罰を受けたのは出しゃばって売官を糾弾したからではなく、還暦祝いの為に売官して儲けたためだったわけですね。このスキャンダルが発覚すると、芋蔓式に珍妃のお付きの太監や慈嬉太后お付きの太監も罪を問われて、死刑に処されています。となると、この事件の二年後には妃に復帰している珍妃と瑾妃はやはり光緒帝の寵愛あつかったと言うコトでしょうか…。もしくはスキャンダルを利用してお仕置きされたモノか…。どっちもありそうですけど。
2008年11月23日 宣和堂撮影 長春宮扁額
長春宮紅楼夢長廊
と、長春宮の写真です。いつもの如く写真はあるんですが、紅楼夢障壁画は絵画保護のためにガラスがビッチリはめ込まれているので、あんまりきれいに撮れないんですよねぇ…。暗いしフラッシュ弾くでまともに撮れたことがありません。自分の技術ではコレが精一杯。
で、個人的には待ちに待ってた李鴻章が漸く(名前だけ)登場するわけですが…原作と扱いが180°違います……。また大陸で評価変わってきたんですかねぇ…。近代化の英雄=ジェネラル・リーではなくどっちかというと、旧態依然とした漢奸買弁のイメージで進めるみたいですねぇ…。
代わって原作では名前が出て来ない馮子材が清仏戦争の英雄として出てきます。自分は寡聞にして知らなかったので、「ええ~清仏戦争って言ったら黒旗軍の劉永福じゃないの?」とガッカリでしたが、調べてみると実在の人物で太平天国関係では有名な人だった模様…。光緒帝とも縁があるので、あの文脈なら劉永福ではなく馮子材なんだろうなぁ…と納得。ちなみにこんなおじいちゃんだったみたいです。
《清史図典》第十二冊 光緒 宣統朝 下 P.222
今でも公園で太極拳してそうなおじいちゃんですが、六十超えてベトナム遠征してフランス軍の大砲の中に矛持って突っ込んで撃退したり、七十超えても義和団が迫る北京に駆けつけようとしたりする元気なおじちゃんだったみたいです。知らないコトっていっぱいあるんだなぁ…。勉強になりました。
さて、今回は春児の取材から始まります。…原作では取材後にハゲでデブで四十絡みのトマス・バートンが岡圭之介を連れて教会を訪れたりして、郎世寧ことジョゼッペ・カスティリオーネとベネチアングラスの関係について語ったりしたのですが、丸ごとカットですねそうですか…。堂子に安置してある龍玉がダミーという設定自体がすでに無いようなので、仕方が無いかも知れませんね…。
で、珍妃の出番です。今回は珍妃が宮中で写真を撮ると言うので一悶着、いつもイライラしてる皇后にイチャモンつけられます。
中央電視台《故宮》第五集 〈家国之間〉より
珍妃が写真好きであったとか、紫禁城にカメラを最初に持ち込んだのは珍妃であるとか、光緒帝とコスプレして太監に撮らせたとか言う話はあったみたいです。ただ、真っ当な本で読んだことがなかったり…。謎ですねぇ…。
で、今回は珍妃が生活していた景仁宮の写真でお茶濁します。
写真は全て2008年11月23日に宣和堂が北京故宮に参観した際に撮影したモノです。
景仁宮の入り口 障壁が大理石
景仁宮の扁額 質素で飾りがあんまり無いです
割と風情のない外観です
2008年11月23日時点では中で陶磁器を陳列してました
多分満洲国経由で摂取された溥儀旧蔵品
景仁宮でしか見なかった大きな木
景仁宮の井戸 ある意味こっちが本当の珍妃井w
東六宮の一つである景仁宮は、康煕帝の生地である…と同時に珍妃が戊戌変法の前に居住していた宮殿です。慈嬉太后が起居した西六宮と比べて地味な印象なのですが、本来は咸豊帝の正皇后・慈安太后が東六宮で暮らしていたことからも分かるように、宮殿のヒエラルキーとしては東の方が上です。
ただ、慈嬉太后の還暦祝いのリフォームが壮麗であったために、西六宮の方が豪華に見えますよね…。景仁宮は珍妃の悲劇性も相まって、非情に質素で閑散とした印象があります。珍妃井よりも気にしてみてる人はいなかったように思います。
留学時代は非公開地域だったので、参観したときにはテンション上がりましたw
で、今回はおまけで美顔ローラー。
永寿宮の展示室にて 手前右が美顔ローラー
前回見つからなかった美顔ローラーの写真です。自分が行ったときには永寿宮の陳列室で展示されてました。記憶は確かでしたw
え~一回丸ごと恋バナの回ですね。こんな回を入れるくらいなら、李鴻章だって出せたろうに!!ムキー!です。原作では恋愛らしい恋愛もありませんし、玲玲に「乳吸ってよ」とか言わせるわけにも行かないでしょうし、春児×蘭琴の禁断の愛とかも大陸のお茶の間に流すわけに行かないので仕方ないんですが…。ミセス・チャンって全然美人イメージなかったんですけどねぇ…。そもそも、原作ではミセス・チャンと梁文秀って面識なかったと思うんですが…。
ちなみに、劇中、満洲人と漢人は通婚できないと再三言われていますが…実は出来たりしてます。と言っても、漢軍八旗と言われる清の入関前に清に帰順していた漢人部隊の子孫ですが…。蒙古八旗とともに満洲八旗と通婚を繰り返したために、独特の風習をこのクラスは保つことになり、満漢蒙八旗の子弟を総称して旗人と言うようになったわけです。なので、DNA的にはかなり漢人の血は入っていたようです。
ただ、生活習俗は満洲人と変わらなかったため、辛亥革命後に迫害を避けて、漢軍八旗の旗人は漢人に、蒙古八旗の旗人はモンゴル人と言うコトにしたようですが、ナカナカ巧く行かず、結局は旗人をひっくるめて満洲族として扱うようになったみたいですね。この辺は愛新覚羅烏拉煕春先生の『最後の公爵 愛新覚羅恒煦』朝日選書 あたりを読むと詳しく書いてあります。
と言うぐらい今回は書くことがないです。困った…。次回は恭親王と醇親王のネタにします。
最初に…いや、皆さん分かっておいでだと思いますが、龍玉なんて本当はありません。あんなマジックアイテムというか天命の具現化したダイアモンド。《三國演義》に出てくる伝国の玉爾みたいなアイテムですね。
で、肝腎の龍玉の歌ですが、原作とかなり違ってますね。ドラマ版はこんな感じでした。
春去春来
雲聚雲散
龍隠龍飛
玉兮百兮莫能測
得兮失兮莫奈何邦訳
春が来ては 去り
雲が集まり 散りゆく
龍が来て また龍が去る
玉か石かは定かならず
得たか失ったかも分からず
縦読みすると、春雲龍玉得となって実に中国的な予言詩っぽくなりますね。
ちなみに原作の歌はこんな感じ。
万歳爺 万歳爺
哀れな奴才を お許し下さい
広大無辺のみめぐみは
天に轟き 地にあまねき(『蒼穹の昴 2』講談社文庫 P.280)万歳爺 万歳爺
奴才は 口がさけても申しませぬ
乾隆様のお匿しになった
あの龍玉のありかなど(『蒼穹の昴 2』講談社文庫 P.280~281)
流石にこの辺はドラマ版の方がそれっぽいですね。
あと、ドラマでは安徳海の死に際して春児の宝貝を上げちゃうわけですが、原作では陳九老爺こと陳蓮元に上げちゃってますね。この辺、慈嬉太后の寵愛を一身に受けた安徳海なら、たんまりお金を持ってるので宝貝も買い戻してるハズですから、このあたり、うだつの上がらないぐうたら師匠・陳九老爺に春児が惜しげもなく自分の宝貝を与えて後宮の太監の人気を一気に得る!と言う場面には繋がらないですねぇ…。さして親しかったとも言えない人にダーンと上げちゃうあたりが春児なんですけどねぇ…。
さらに、刀子匠が字幕では畢五になってましたけど、セリフでは小刀劉って言ってますね…。どちらも原作に出てきますけど、畢五も原作ほど出て来ないし…蘭琴も怪しいほどにきれいじゃないし、春児の義兄弟でもないですし…。ここは小刀劉でも良かったかもですね。原作だとあんな恰幅良くなかったですし、良い暮らしもしてなかったですし…。
ちなみに春児の棒叩きの原因になったのが、慈嬉太后の料理。原作でも春児の料理の師匠・周麻子も造蘇肉に李蓮英に羽虫入れられたために、足を折られて後宮追い出されたりしたわけですが、ホントにこんな事あったのかなぁ…と思っていたらこんな記事も…。
西太后専用の西膳房の責任者は、謝太監が取り仕切る。房には太監の弟、謝二をはじめ今では倣膳飯荘に残る「四大抓(北京編一四三頁参照)」料理を作ったとして知られる有名な厨師が揃っていた。なかでも謝二は西太后の大好物の、焼麦を作るのが得意で、皮は紙のごとく薄く餡もとても旨く作るので大のお気に入りとなっていた。
ある日、西太后が東陵に出かけたときのこと。この時西膳房から房師が随行したのだが、謝二は所用を理由に随行しなかった。西太后はいつものように焼麦を所望した。一口食べるといつもの味と香りとは違うことに気がついた。そのことを問いただすと、謝二ではなく劉大という者が作ったと分かった。それを聞いた西太后は怒るまいことか。責任は劉大ではなく謝二にありと、至急に謝二を呼び出し、大板による四十たたきの刑に処したのである。大板で十もたたかれると背の皮が剥けた、といわれるか謝二は焼麦一つで死ぬ目にあわされたのだ。[1 横田文代良『中国の食文化研究〈天津編〉』辻学園調理・製菓専門学校 P.116]
慈嬉太后は食通だという伝説とともに、料理の失敗で処刑された!という伝説は割と多いですね。ドラマとかだと割とメジャーなネタかと。あと、原作に出てきた菜包は多分、愛新覚羅浩さんの『食在宮廷』の記事からだとおもわれ…。ただ、菜包の故事の主人公がドルゴンだったりホンタイジだったりしてあやふやな話だったと思いますが…。あんまり慈嬉太后と菜包を繋げる記事は見たことないですね。
かなり間を開けてしまいましてスンマセン。忙しかったわけでもないんですが、何となく機を逸してしまいました。
今回は何とも…。原作とも史実ともあんまり重ならない部分だったので仕方なく北洋水師でお茶濁そうかと…。
《清史図典》第十二冊 光緒宣統下 P.249
男の子のロマン・戦艦ですね。北洋水師が誇る戦艦・鎮遠です。創建光緒6(1880)年、世界最大規模の戦艦で旗艦・定遠の同型艦です。定遠、鎮遠を中心とした清の海軍力は光緒11(1885)年当時、世界八位、アジア一位の規模を誇っていました。光緒14(1888)年に北洋水師が正式に成立とともにその中核を担います。が、日清戦争(甲午戦争)は光緒20(1894)年ですから新鋭艦というワケではなっかったわけです。その後も戦艦クラスの艦艇が増設されることもなかったわけですから、頤和園造営のために資金が削減されたかどうかはともかく、北洋水師にあまり資金は回らなかった…少なくとも日本の連合艦隊ほど潤沢な資金はなかったといえるでしょう。
《清史図典》第十二冊 光緒宣統朝 下 P.247
便乗して『坂の上の雲』にも出てきた、北洋提督・丁汝昌の写真。結構NHKドラマの役者さんは似てたと思います。日清戦争後にピストル自殺しますが、このあたりのイメージが王逸に紛れ込んでいるんでしょうね。
《清史図典》第十一冊 光緒宣統 上 P.135
関係ないですが、北洋新軍…つまり陸軍の演習風景です。新式軍隊とは言え、この頃はまだ辮髪結ってたわけです。
《清史図典》第十一冊 光緒宣統朝 上 P.135
これはナカナカ面白い絵です。