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	<title>宣和堂遺事 &#187; ドルゴン</title>
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	<description>宣和堂の節操のない日記</description>
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		<title>金銭鼠尾</title>
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		<pubDate>Sun, 06 Mar 2011 14:54:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[ドルゴン]]></category>
		<category><![CDATA[中国史]]></category>
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		<category><![CDATA[乾隆帝]]></category>
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		<category><![CDATA[辮髪]]></category>

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		<description><![CDATA[　Twitterで辮髪好きな方と絡むことも多くなったんですが、未知の大地に辮髪の花は開くモンなんですね。日本にもこんなに辮髪を愛する人たちがいるなんて胸が熱くなりすぎます。時代は変わったよ…ボクは一人じゃないんだ…と、独 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　Twitterで<strong>辮髪</strong>好きな方と絡むことも多くなったんですが、未知の大地に<strong>辮髪</strong>の花は開くモンなんですね。日本にもこんなに<strong>辮髪</strong>を愛する人たちがいるなんて胸が熱くなりすぎます。時代は変わったよ…ボクは一人じゃないんだ…と、独りごちるコトしばしです。<br />
　で、その中で、<strong>ラーメンマン辮髪</strong>について話が出たりしたわけですが、自分もネットか何かで<strong>ラーメンマン辮髪</strong>も史実として存在したという記事を見たことがあります。しかも、<strong>ラーメンマン辮髪</strong>自体は正当な<strong>マンジュ</strong>風俗で、映画等にでてる<strong>辮髪</strong>は清末の大衆的な髪型であって、どちらも正解という感じでした。そんなこんなで、<strong>ラーメンマン辮髪</strong>の正式な言い方の方はすっかり失念していたんですが、ご指摘いただいたとおり、<strong>金銭鼠尾</strong>という名称みたいですね。語源は、<strong>銅銭</strong>程度の髪を残して、<strong>鼠</strong>の尻尾のように結んで垂らす…というところみたいです。<br />
　ちなみに、<strong>清朝</strong>において<strong>薙髪令</strong>で定められたあの髪型のことを日本では古くから<strong>辮髪</strong>と呼んでいたわけですが、当地ではそんな呼び方をしてはいないみたいなんですよね…。ちなみに、<strong>辮髪</strong>という用例自体は検索すれば古文でいくらでも引っかかるので<strong>和製漢語</strong>というわけではないです。ただ、<strong>清朝</strong>で通行したあの髪型をそう称すことは<strong>日本</strong>だけみたいですが。ではなんと呼ぶかというと、大体は<strong>大辮子</strong>とか単に<strong>辮子</strong>と言う言い方するみたいなです。これは<strong>Pigtail</strong>と同じく<strong>女の子のお下げ髪</strong>のことも指すわけで、検索すると<strong>お下げ髪の女子</strong>の方がヒットしてノイズありまくりでナカナカ思ったような結果が得られませんでした（何かエロい記事とかも多いので特に）。で、<strong>金銭鼠尾</strong>というキーワードを入れてみると、ザクザク<strong>辮髪記事</strong>や<strong>辮髪画像</strong>が得られるわけです。やった～！</p>
<p>　で、検索結果出てきたのがこの文章です…→<a href="http://www.sznews.com/channel/content/2007-05/13/content_1118005.htm">清代辫子的演变：从鼠尾、猪尾到牛尾</a></p>
<p>　どうも、この新聞記事？がそこら中にコピペされて検索に引っかかりまくってるようですね。<sup><a href="http://sengna.com/2011/03/06/rat-tail/#footnote_0_1092" id="identifier_0_1092" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="百度の金銭鼠尾の項はこれを思いっきりコピペしてたからか？現在閲覧出来なかったり&hellip;Googleのキャッシュにはあったので内容は確認済み。">i</a></sup>この記事によると、<strong>清朝初期</strong>、入関した頃は<strong>金銭鼠尾</strong>といわれる、所謂<strong>ラーメンマン辮髪</strong>にしていたようですね。髯をどこまで伸ばして良いのか？といった規定まであったと、この記事では書いてますね。このあたりは自分も初耳です。<br />
　と言うワケで以下は訳ではなく大意、意訳デス…念のため。</p>
<div align="center"><div id="attachment_1094" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/03/b_71828F1E45D36A9282373E07071956AB.jpg" rel="lightbox[1092]"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/03/b_71828F1E45D36A9282373E07071956AB.jpg" alt="" title="辮髪の変遷" width="400" height="164" class="size-full wp-image-1094" /></a><p class="wp-caption-text">辮髪今昔</p></div></div>
<blockquote><p>１-後金時期：ダイチン・グルンは降伏した漢族に帰順の意思表示としてその辮髪を強要した。結果的にダイチン・グルン領内の漢人男性の大部分は頭髪を剃り上げることになった。その際には頭のうしろの毛を小指ほど残して結んで垂らしていた。髯も上唇にはやすだけであった。これを金銭鼠尾式といった。<sup><a href="http://sengna.com/2011/03/06/rat-tail/#footnote_1_1092" id="identifier_1_1092" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="図で言うところの前期の絵の後頭部から辮髪が伸びているタイプ？">ii</a></sup></p>
<p>２-入関時期：明の旧領を接収したダイチン・グルンは領土内の全ての漢人に辮髪を強要する。辮髪を嫌って反乱を起こす漢人は多く犠牲となった。この時期から徐々に髪を残す部位は頭の後から頭頂に移動したが、これも金銭鼠尾式と称しても良いだろう。<sup><a href="http://sengna.com/2011/03/06/rat-tail/#footnote_2_1092" id="identifier_2_1092" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="図で言うところの前期の絵の頭頂部から辮髪が伸びているタイプ？">iii</a></sup></p>
<p>３-清代中期：髪を生やす部位は変わらなかったが、髪を留めておく面積が増えてた。かつては金銭一枚分の面積だけだったのが、この頃には金銭四～五枚分＝こぶし一個分の面積を残すようになっていた。髯は上唇だけでなく、あごまで伸ばしても良くなった。<sup><a href="http://sengna.com/2011/03/06/rat-tail/#footnote_3_1092" id="identifier_3_1092" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="図で言うところの中期の絵？">iv</a></sup></p>
<p>４-清代後期：嘉慶以後、次第に頭頂を中心とした髪の周縁を部分を剃るだけになっており、髪は頭の後で三つ編みにして垂らしていた。この髪型は辮子とか、髪辮と呼ばれた。<sup><a href="http://sengna.com/2011/03/06/rat-tail/#footnote_4_1092" id="identifier_4_1092" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="図で言うところの後期の絵？">v</a></sup></p>
<p>５-清代末期：清末から清の滅亡まで、開明的な知識人や学生は民主化や革命運動の中で、辮髪を切り落とすことを重要なコトだと捉えていた。清全土で身分の上下を問わず辮髪を切り落とす現象はどこでも見られた。</p></blockquote>
<p>　で、あと<strong>辮髪</strong>変遷の傾向として上げられているのが以下の三点です。</p>
<blockquote><p>１-頭髪を残す範囲が段々大きくなる傾向がある。初期の金銭鼠尾式から中期の髪をこぶし大残すモノでは面積が大きくなっているし、後期は殆どの髪を残すまでになっている。このことを比喩的に表現すると、はじめは鼠の尻尾で、次第に豚の尻尾になり、最後には牛の尻尾になったと言える。また、頭髪は時代を経ると面積本数ともに増える傾向にあり、辮髪は編み目が大きく荒くなる傾向がある。</p>
<p>２-清代通しての辮髪の変遷を整理すると、為政者の意志を反映したモノではなく、また、リーダーシップを取った者も不在で、ごく自然発生した変遷であったこと。漢満の別もなく、軍民の別もなく、官吏・商人・農民・市民・皇帝の別もなく、皆一様に変化している。</p>
<p>３-辮髪の変化の速度は一様ではないこと。順治元（1644）年の清の入関から、嘉慶４（1799）年までの間は155年あり、清朝267年の歴史の大半を占める。髪を留めておく面積は増加の傾向にあるものの、その速度は実にゆっくりとしたものであった。嘉慶年間に入っても、最も多い人間でも髪は全体の三分の一程度であった。しかし、嘉慶以後髪を留めておく速度は加速し、百年もしないうちに頭髪の大部分を残し、全体の三分の二まで残すようにまでなった。髪型の変遷のスピードは清朝の統治能力の強弱と丁度反比例しており、統治能力が高い時は変遷は緩やかだが、統治能力が落ちると変遷は加速している。</p></blockquote>
<p>　最終的にこの文章では、テレビドラマの<strong>辮髪</strong>は皆、<strong>清代後期</strong>の<strong>辮髪</strong>を参考にしていて、考証的には間違っていると指摘してますね。<strong>ドルゴン</strong>なら後頭部型の<strong>金銭鼠尾式</strong>のハズですし、<strong>乾隆帝</strong>なら中期の<strong>こぶし大</strong>の<strong>辮髪</strong>のハズですからねぇ。<br />
　とはいえ、ちょっと図版等を見るとこの記事鵜呑みには出来ないなぁ…とも思うわけで…その辺はまた機会があれば。</p>
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		<item>
		<title>NHKドラマ 蒼穹の昴 第八回 龍玉の歌</title>
		<link>http://sengna.com/2010/03/23/soukyuu8/</link>
		<comments>http://sengna.com/2010/03/23/soukyuu8/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 23 Mar 2010 06:49:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　最初に…いや、皆さん分かっておいでだと思いますが、龍玉なんて本当はありません。あんなマジックアイテムというか天命の具現化したダイアモンド。《三國演義》に出てくる伝国の玉爾みたいなアイテムですね。 　で、肝腎の龍玉の歌で [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　最初に…いや、皆さん分かっておいでだと思いますが、<strong>龍玉</strong>なんて本当はありません。あんなマジックアイテムというか天命の具現化したダイアモンド。《<strong>三國演義</strong>》に出てくる<strong>伝国の玉爾</strong>みたいなアイテムですね。<br />
　で、肝腎の<strong>龍玉の歌</strong>ですが、原作とかなり違ってますね。ドラマ版はこんな感じでした。</p>
<blockquote><p>春去春来<br />
雲聚雲散<br />
龍隠龍飛<br />
玉兮百兮莫能測<br />
得兮失兮莫奈何</p>
<p>邦訳<br />
春が来ては 去り<br />
雲が集まり 散りゆく<br />
龍が来て また龍が去る<br />
玉か石かは定かならず<br />
得たか失ったかも分からず</p>
</blockquote>
<p>　縦読みすると、<strong>春雲龍玉得</strong>となって実に中国的な<strong>予言詩</strong>っぽくなりますね。<br />
　ちなみに原作の歌はこんな感じ。</p>
<blockquote><p>万歳爺 万歳爺<br />
哀れな奴才を お許し下さい<br />
広大無辺のみめぐみは<br />
天に轟き 地にあまねき（『蒼穹の昴 ２』講談社文庫 P.280）</p>
<p>万歳爺 万歳爺<br />
奴才は 口がさけても申しませぬ<br />
乾隆様のお匿しになった<br />
あの龍玉のありかなど（『蒼穹の昴 ２』講談社文庫 P.280～281）</p>
</blockquote>
<p>　流石にこの辺はドラマ版の方がそれっぽいですね。</p>
<p>　あと、ドラマでは<strong>安徳海</strong>の死に際して<strong>春児</strong>の<strong>宝貝</strong>を上げちゃうわけですが、原作では<strong>陳九老爺</strong>こと<strong>陳蓮元</strong>に上げちゃってますね。この辺、<strong>慈嬉太后</strong>の寵愛を一身に受けた<strong>安徳海</strong>なら、たんまりお金を持ってるので<strong>宝貝</strong>も買い戻してるハズですから、このあたり、うだつの上がらないぐうたら師匠・<strong>陳九老爺</strong>に<strong>春児</strong>が惜しげもなく自分の<strong>宝貝</strong>を与えて<strong>後宮</strong>の<strong>太監</strong>の人気を一気に得る！と言う場面には繋がらないですねぇ…。さして親しかったとも言えない人にダーンと上げちゃうあたりが<strong>春児</strong>なんですけどねぇ…。<br />
　さらに、<strong>刀子匠</strong>が字幕では<strong>畢五</strong>になってましたけど、セリフでは<strong>小刀劉</strong>って言ってますね…。どちらも原作に出てきますけど、<strong>畢五</strong>も原作ほど出て来ないし…<strong>蘭琴</strong>も怪しいほどにきれいじゃないし、春児の義兄弟でもないですし…。ここは<strong>小刀劉</strong>でも良かったかもですね。原作だとあんな恰幅良くなかったですし、良い暮らしもしてなかったですし…。</p>
<p>　ちなみに<strong>春児</strong>の棒叩きの原因になったのが、<strong>慈嬉太后</strong>の料理。原作でも<strong>春児</strong>の料理の師匠・<strong>周麻子</strong>も<strong>造蘇肉</strong>に<strong>李蓮英</strong>に羽虫入れられたために、足を折られて後宮追い出されたりしたわけですが、ホントにこんな事あったのかなぁ…と思っていたらこんな記事も…。</p>
<blockquote><p>　西太后専用の西膳房の責任者は、謝太監が取り仕切る。房には太監の弟、謝二をはじめ今では倣膳飯荘に残る「四大抓（北京編一四三頁参照）」料理を作ったとして知られる有名な厨師が揃っていた。なかでも謝二は西太后の大好物の、焼麦を作るのが得意で、皮は紙のごとく薄く餡もとても旨く作るので大のお気に入りとなっていた。<br />
　ある日、西太后が東陵に出かけたときのこと。この時西膳房から房師が随行したのだが、謝二は所用を理由に随行しなかった。西太后はいつものように焼麦を所望した。一口食べるといつもの味と香りとは違うことに気がついた。そのことを問いただすと、謝二ではなく劉大という者が作ったと分かった。それを聞いた西太后は怒るまいことか。責任は劉大ではなく謝二にありと、至急に謝二を呼び出し、大板による四十たたきの刑に処したのである。大板で十もたたかれると背の皮が剥けた、といわれるか謝二は焼麦一つで死ぬ目にあわされたのだ。[1 横田文代良『中国の食文化研究〈天津編〉』辻学園調理・製菓専門学校 P.116]</p>
</blockquote>
<p>　<strong>慈嬉太后</strong>は<strong>食通</strong>だという伝説とともに、料理の失敗で処刑された！という伝説は割と多いですね。ドラマとかだと割とメジャーなネタかと。あと、原作に出てきた<strong>菜包</strong>は多分、<strong>愛新覚羅浩</strong>さんの『<strong>食在宮廷</strong>』の記事からだとおもわれ…。ただ、<strong>菜包</strong>の故事の主人公が<strong>ドルゴン</strong>だったり<strong>ホンタイジ</strong>だったりしてあやふやな話だったと思いますが…。あんまり<strong>慈嬉太后</strong>と<strong>菜包</strong>を繋げる記事は見たことないですね。</p>
<div align="center"> </div>
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		<item>
		<title>NHKドラマ 蒼穹の昴 第六回 皇帝のお気に入り</title>
		<link>http://sengna.com/2010/02/18/soukyuu6/</link>
		<comments>http://sengna.com/2010/02/18/soukyuu6/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 18 Feb 2010 06:33:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　と言うコトで、今回は梁文秀活躍の回ですね。彼が慈嬉太后に《治平宝鑑》を講釈するのが見所ですね。話に出て来る孝荘太后は太宗・ホンタイジの皇后にして順治帝の母后で同時に康煕帝の祖母に当たる人ですね。…まあ、同時にドルゴンと [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うコトで、今回は<strong>梁文秀</strong>活躍の回ですね。彼が<strong>慈嬉太</strong>后に《<strong>治平宝鑑</strong>》を講釈するのが見所ですね。話に出て来る<strong>孝荘太后</strong>は<strong>太宗</strong>・<strong>ホンタイジ</strong>の<strong>皇后</strong>にして<strong>順治帝</strong>の<strong>母后</strong>で同時に<strong>康煕帝</strong>の<strong>祖母</strong>に当たる人ですね。…まあ、同時に<strong>ドルゴン</strong>と恋仲にあったとか言われる人でもあるわけですが…。聡明だったとか、美人であったとか言われる人なんですが…。</p>
<div align="center">
<div style="width:404px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/02/kousou1.jpg" alt="《清史図典１》P.194" title="荘妃朝服図" width="394" height="691">
<p>《清史図典１》P.194</p>
</div>
</div>
<p>　画像を見ると…なんだか、微妙…。頭は良いんでしょうけどね。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/02/kousou2.jpg" alt="《清史図典２》P.175" title="孝荘皇太后朝服図" width="400" height="818">
<p>《清史図典２》P.175</p>
</div>
</div>
<p>　一応、まだまとも？だと思われる画像をチョイス。晩年は<strong>ガキ使いのおばちゃん</strong>（<span style="font-size:80%">浅見千代子</span>）似の老女になっていくわけです…。あわわ…。<br />
　で、原作に出てきたのかよく憶えてませんが、《<strong>治平宝鑑</strong>》と言う書物、どうやらいい加減にチョイスしたわけではなく、本当にある書物みたいですね。</p>
<li><a href="http://baike.baidu.com/view/1906040.htm">呉樵子 註訳 《<strong>治平宝鑑</strong>》</a></li>
<p>　《<strong>治平宝鑑</strong>》は<strong>慈嬉太后</strong>勅撰の書物みたいですね。<strong>漢代</strong>から<strong>明代</strong>までの政治に参与した女性に関する歴史書…だったみたいですね。と言うワケで、<strong>慈嬉太后</strong>に《<strong>治平宝鑑</strong>》の講釈するというのも…なんだか釈迦に説法という感じもしますね。おまけに<strong>明末</strong>で記述が終わっているようなので、この本に<strong>孝荘皇后</strong>が出てくるかはちょっと微妙ですし…。</p>
<p>　ちなみに字幕では<strong>孝<span style="font-size:120%">庄</span>文皇后</strong>となっていましたが、《<strong>清史稿</strong>》などでは<strong>孝<span style="font-size:120%">莊</span>文皇后</strong>ですね。<strong>簡体字</strong>変換するときに間違えたんでしょうが、国営放送がカッコワルイ。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>普渡寺=叡親王府</title>
		<link>http://sengna.com/2009/11/17/eishinnoufu/</link>
		<comments>http://sengna.com/2009/11/17/eishinnoufu/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 17 Nov 2009 04:48:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
				<category><![CDATA[オフ会]]></category>
		<category><![CDATA[旅行]]></category>
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		<category><![CDATA[ドルゴン]]></category>
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		<category><![CDATA[辮髪]]></category>

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		<description><![CDATA[　と言うワケで、2008年11月に北京に行った際に観光した場所の第二段。このときの旅のテーマである普度寺＝叡親王府です。 結構見かけない様式の建築 　で、この普度寺、元々明代には皇城東苑とか小南城とか言われておりました。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで、2008年11月に北京に行った際に観光した場所の第二段。このときの旅のテーマである<strong>普度寺</strong>＝<strong>叡親王府</strong>です。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/11/P1020891.jpg" alt="結構見かけない様式の建築" title="普度寺正殿" width="400" height="300">
<p>結構見かけない様式の建築</p>
</div>
</div>
<p><span></span><br />
　で、この<strong>普度寺</strong>、元々<strong>明代</strong>には<strong>皇城東苑</strong>とか<strong>小南城</strong>とか言われておりました。<strong>皇太子</strong>が居住する<strong>重華宮</strong>という宮殿だったようですね。有名なところでは<strong>土木の変</strong>後、<strong>北京</strong>に送還された<strong>正統帝</strong>がこの宮苑の敷地内にあった<strong>崇質宮</strong>で<strong>景泰帝</strong>に幽閉されたとか言われてます。まあ、<strong>天順帝</strong>になってまた<strong>皇城</strong>に戻るわけですけど。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/11/P1020864.jpg" alt="あんまりかっこよくないドルゴン像" title="ドルゴン銅像" width="400" height="300">
<p>あんまりかっこよくないドルゴン像</p>
</div>
</div>
<p>　で、<strong>清初</strong>には<strong>叡親王</strong>・<strong>ドルゴン</strong>が<strong>重華宮</strong>を府邸を定めました。大体、世襲<strong>鉄帽子王家</strong>でも<strong>北京内城</strong>に<strong>府邸</strong>を置くことはあっても、<strong>ドルゴン</strong>のように<strong>皇城</strong>内に<strong>府邸</strong>を置くことはその後もありませんでした。<strong>北京</strong>に入場した際に一時的に<strong>武英殿</strong>で玉座についたというのも肯けますね。<strong>ドルゴン</strong>が執政した当時は夜になっても車馬が絶えることが無かったと言います。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/11/P1020862.jpg" alt="民家一つ分高い基壇の上に建ってます" title="普渡寺正門" width="400" height="300">
<p>民家一つ分高い基壇の上に建ってます</p>
</div>
</div>
<p>　で、どの文献を見ても「<strong>叡親王府</strong>は土台が高く、宮城が見渡せた」という類のことが書いてあるんですが、今ひとつピンと来なかった訳です。ちなみに、この<strong>高台</strong>が<strong>皇城</strong>と秘密の通路でつながっている…という類の伝説もあるみたいですね。その通路を通って<strong>ドルゴン</strong>は<strong>紫禁城</strong>と<strong>叡親王府</strong>を行き来したとか言うコトになってるみたいです。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/11/P1020949.jpg" alt="車と比較すると基壇が相当高い" title="普度寺基壇" width="400" height="300">
<p>車と比較すると基壇が相当高い</p>
</div>
</div>
<p>　ご存じの通り、<strong>ドルゴン</strong>は齢三十九という若さで狩猟中に死去した後、<strong>順治帝</strong>により大逆の罪に問われて<strong>叡親王家</strong>の<strong>王位</strong>は剥奪されて、<strong>皇籍</strong>からも抹消されました。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/11/P1020868.jpg" alt="山門の中が叡親王府と普度寺関連の展示室です" title="普度寺山門" width="400" height="300">
<p>山門の中が叡親王府と普度寺関連の展示室です</p>
</div>
</div>
<p>　この時、<strong>府第</strong>も没収されたのですが、一時は<strong>皇帝</strong>と同様に<strong>義宗</strong>という<strong>廟号</strong>まで<strong>ドルゴン</strong>は追号されていますから、その後<strong>王府</strong>は再利用されることは無く、次第に荒れてゆきました。<br />
　で、<strong>順治帝</strong>の短い治世が過ぎて<strong>康煕帝</strong>の御代になると、元々冤罪であった<strong>ドルゴン</strong>の名誉回復が行われ、次いで<strong>叡親王府</strong>跡も<strong>モンゴル</strong>から招来した<strong>マカカラ仏</strong>＝<strong>大黒天</strong>を祀る<strong>嗎噶喇廟</strong>に改装されました。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/11/P1020884.jpg" alt="マカカラ仏の残骸らしきモノの展示" title="マカカラ仏？" width="400" height="300">
<p>マカカラ仏の残骸らしきモノの展示</p>
</div>
</div>
<p>　更に<strong>乾隆年間</strong>に修築されて<strong>嗎噶喇廟</strong>は<strong>普渡寺</strong>もしくは<strong>普度寺</strong>と改称されます。ちなみに《<a href="http://dsr.nii.ac.jp/toyobunko/II-11-D-802/">乾隆京城全図</a>》<sup><a href="http://sengna.com/#fn-870-1">1</a></sup>では<strong>啞滿逹■嘎廟</strong><sup><a href="http://sengna.com/#fn-870-2">2</a></sup>となっています。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/11/kenryuukeijyouzenzu.jpg" alt="使い勝手良すぎ今の学生恵まれすぎ" title="古都北京デジタルマップ" width="400" height="278">
<p>使い勝手良すぎ今の学生恵まれすぎ</p>
</div>
</div>
<p>　おそらく、<strong>普度寺</strong>に改称される前の地図なんでしょうけど、<strong>嗎噶喇廟</strong>と音通…と言いたいけど言えないような字面ですね…。それにしても、<a href="http://dsr.nii.ac.jp/">ディジタル・シルクロード</a>が公開している《<strong>乾隆京城全図</strong>》の<strong>Google Earth版</strong>＝<a href="http://dsr.nii.ac.jp/beijing-maps/">古都北京デジタルマップ</a>の使いやすさは異常です。</p>
<div align="center">
<div style="width:310px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/11/P1020878.jpg" alt="ちなみにドルゴンは鑲八旗の旗王です" title="正白旗" width="300" height="400">
<p>ちなみにドルゴンは鑲八旗の旗王です</p>
</div>
</div>
<p>　《<strong>日下旧聞考</strong>》<sup><a href="http://sengna.com/#fn-870-3">3</a></sup>によると、<strong>乾隆年間</strong>の<strong>普度寺</strong>には<strong>マカカラ像</strong>とともに<strong>ドルゴン</strong>の遺品（<span style="font-size:80%">武具など</span>）が安置されていたようです。その後、国家の庇護の元、<strong>清末</strong>まで<strong>普度寺</strong>は広大な境内を所有しつつ、《<strong>天咫遇聞</strong>》<sup><a href="http://sengna.com/#fn-870-4">4</a></sup>によると、<strong>マカカラ像</strong>らしき仏像と<strong>ドルゴン</strong>の遺品とともにかれの<strong>護衛兵</strong>というか<strong>バートル</strong>の像も残っていたという記述があります。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/11/P1020952.jpg" alt="おされシティー" title="整備された街並み" width="400" height="300">
<p>おされシティー</p>
</div>
</div>
<p>　しかし、さしもの<strong>普度寺</strong>も<strong>辛亥革命</strong>後は廃れていきます。<strong>中共</strong>成立後にはついに<strong>南池子小学校</strong>の校舎として使用されたようです。<strong>文革</strong>の被害とも無縁ではなかったはずです。少なくとも1980年代には辿り着くのも難しい様なごちゃごちゃとした<strong>胡同</strong>の中にあったようで、中の建築はお世辞にも良い保存状態ではなかったようです<sup><a href="http://sengna.com/#fn-870-5">5</a></sup>。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/11/P1020888.jpg" alt="北京税務博物館（月曜休館）" title="普度寺本殿" width="400" height="300">
<p>北京税務博物館（月曜休館）</p>
</div>
</div>
<p>　その後、1990年代の<strong>改革開放</strong>とともに徐々に整備され、2007年05月16日に<strong>北京税務博物館</strong>として一般公開されるに至ったわけです<sup><a href="http://sengna.com/#fn-870-6">6</a></sup>。自分が行った時には周りも<strong>景観区</strong>としてかなり整備されいて、迷うかと思ってビクビクしながら探したら意外にも一発で発見できました。…もっとも、定休日で<strong>北京税務博物館</strong>として解放されている<strong>本殿</strong>には入れませんでしたが…。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/11/P1020863.jpg" alt="看板ドーン！" title="北京税務博物館" width="400" height="300">
<p>看板ドーン！</p>
</div>
</div>
<p>　正直、<strong>叡親王</strong>・<strong>ドルゴン</strong>に思い入れが無い人にお勧めできるほどすばらしい観光地ではないのですが、<strong>ドルゴン</strong>と聞いてピンとくる方は是非訪問してはいかがでしょうか？タダですし…。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/11/P1020889.jpg" alt="本殿の基壇自体も高い" title="普度寺正殿基壇" width="400" height="300">
<p>本殿の基壇自体も高い</p>
</div>
</div>
<div>
<div></div>
<ol>
<li><a href="http://dsr.nii.ac.jp/">ディジタル・シルクロード – 文化遺産のデジタルアーカイブ</a> <span><a href="http://sengna.com/#fnref-870-1">↩</a></span></li>
<li><a href="http://dsr.nii.ac.jp/cgi-bin/beijing/place.pl?code=2221&amp;lang=ja">ディジタル・シルクロード &gt; 古都北京デジタルマップ &gt; 地名検索</a>  <span><a href="http://sengna.com/#fnref-870-2">↩</a></span></li>
<li>于敏中<span style="font-size:80%">等編</span>《<strong>日下旧聞考</strong>》北京古籍出版 巻四十 皇城 <span><a href="http://sengna.com/#fnref-870-3">↩</a></span></li>
<li>震鈞《<strong>天咫遇聞</strong>》北京古籍出版 巻一 皇城 <span><a href="http://sengna.com/#fnref-870-4">↩</a></span></li>
<li>阿南・ヴァージニア・史代/小池晴子『<strong><span style="font-size:80%">千年の都北京</span> 樹と石と水の物語</strong>』ランダムハウス講談社 P.97 ｢〈大黒〉を祀る石の基壇｣ <span><a href="http://sengna.com/#fnref-870-5">↩</a></span></li>
<li><a href="http://news.xinhuanet.com/society/2007-05/17/content_6112677.htm">北京税务博物馆向社会免费开放</a> <span><a href="http://sengna.com/#fnref-870-6">↩</a></span></li>
</ol>
</div>
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		<title>中原の虹</title>
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		<pubDate>Tue, 15 Sep 2009 16:16:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[ドルゴン]]></category>
		<category><![CDATA[中国史]]></category>
		<category><![CDATA[中華民国]]></category>
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		<category><![CDATA[小説]]></category>
		<category><![CDATA[慈嬉太后]]></category>
		<category><![CDATA[浅田次郎]]></category>
		<category><![CDATA[辮髪]]></category>

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		<description><![CDATA[　と言うワケで、浅田次郎『中原の虹』講談社 を読了しました。イヤハヤ…ホント没法子な状況に天命を帯びた？張作霖が満洲に降り立ったぜ！と言うお話でした。 　『蒼穹の昴』でも、史上最凶の皇后という評判のある慈嬉太后や、漢奸の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで、浅田次郎『<strong>中原の虹</strong>』講談社 を読了しました。イヤハヤ…ホント<strong>没法子</strong>な状況に天命を帯びた？<strong>張作霖</strong>が<strong>満洲</strong>に降り立ったぜ！と言うお話でした。<br />
　『<strong>蒼穹の昴</strong>』でも、史上最凶の皇后という評判のある<strong>慈嬉太后</strong>や、<strong>漢奸</strong>のそしりを受けることが多い<strong>李鴻章</strong>を…まあ、贔屓の引き倒しではなく見方を変えることによって、<strong>慈嬉太后</strong>を永遠の可憐な少女として、<strong>李鴻章</strong>を徹底した政治家として描写していました。今回は、似たような手法で<strong>百日変法</strong>の結果、非常に険悪だったとされる<strong>慈嬉太后</strong>と<strong>光緒帝</strong>を実の親子以上の絆で結ばれた関係としたり、史上最悪の簒奪者とされる<strong>袁世凱</strong>も状況が悪化すると呼び出されて道化じみた芝居をさせられる苦労人として描写しています。この辺、オイオイ！と言いながら引き込まれてしまうあたり流石です。<br />
　という所で、ネタバレ全開で登場人物の描写に関する感想です。<br />
<span></span></p>
<blockquote><p>慈嬉太后：西洋諸国に中国を渡さないために、敢えて悪女の風評を喧伝させて、中国内部から革命を起こそうとした。又、わが子・同治帝と容姿はそっくりなのに出来の良い光緒帝を心から愛し、西洋人にいじめられないために無理心中。→モノは言い様だけど、流石に無理心中は無いよ…。
</p>
</blockquote>
<blockquote><p>光緒帝：瀛台に蟄居させられて遂には精神を病む…と装って意外と正気で、電信機を使って革命派を煽って武昌で武装蜂起するように示唆したり、袁世凱に清朝を簒奪するように唆したりする。→親爸爸愛しさに無理心中とかあり得ないだろう…。それなら大阿哥こと保慶帝はどうやって説明するんだろう…と思ったら、熱狂的慈嬉太后ファンクラブ会員として再登場…。</p>
</blockquote>
<blockquote><p>ダイシャン：清初のスーパースターでドルゴンやホーゲを引き連れて、ホンタイジを謀殺したり、呉三桂を降伏させたり、薙髪令を出したりと六面八臂の大活躍をする。→いくら何でも活躍しすぎ。この人のお陰でダイチングルンは飛躍したといっても良いくらいの活躍ッぷり。ありえね～。</p>
</blockquote>
<blockquote><p>張作霖：根っからの馬賊で、鬼でも仏でもない張作霖。→偉くなり過ぎちゃって内面描写があんまり無いので、この小説中では神様みたいな存在。まあ、神でも悪魔でもない張作霖なんだけど。</p>
</blockquote>
<blockquote><p>袁世凱：熟慮するよりも勘で動いて名声を得てきた俗人。ガンガン思いつきで行動してノシノシと競争者を排除してきたように見えて、実は竹馬の友・徐世昌に急かされて行動してきた。宋教仁のことを誰よりも評価していて、その死後は勘が鈍ってヘタを打った。→極めつけの俗物なのに気が小さくて何かと言えば徐世昌を頼るので、読んでいると感情移入して可愛く感じてくる。ある意味この小説の主人公。まさか、中華皇帝即位が追い込まれた末の苦渋の選択だったとは…と危うく欺されかねないほど感情移入してしまった。</p>
</blockquote>
<blockquote><p>徐世昌：中正、中庸の人で調整役にうってつけ。袁世凱とは長年の友で、科挙に失敗して自殺しようとした袁世凱を助けたことから、長年続く腐れ縁が始まる。→日和見主義のヌボーっとした総統という印象が強かったのだけど、袁世凱とコンビ組ませると可愛くて仕方が無い。</p>
</blockquote>
<blockquote><p>宋教仁：言わずと知れた民初のスーパーアイドル。本書でも遺憾なくアイドルッぷりが発揮される。→アイドルパワーが炸裂しすぎて、中国全土の没法子を背負って立つ存在とまで言われてしまう。この小説での暗殺者は大阿哥・溥雋子飼いの鉄砲玉。袁世凱に濡れ衣を着せるのが動機というやるせなさ。</p>
</blockquote>
<blockquote><p>趙爾巽：《清史稿》編纂者にして実質的な初代東三省総督…という点だけでも面白いオッサンなのに、『ワシも若ければ張作霖と同じようなことをした』みたいなコトを言っちゃうノリノリの爺さん。→自分は趙爾巽が満洲八旗の生まれなのに、漢人八旗の家に養子に出たという記述がホントかどうか気になった。</p>
</blockquote>
<blockquote><p>大阿哥・溥雋：幻の保慶帝。義和団事件の後、ヤクザ社会に足を踏み入れてアヘン窟の王になる。→あれ？大阿哥って義和団の後は新設の新疆省に流されたんじゃあ…とか思ったけど、出番が少ないのに袁世凱暗殺とか美味しい役どころが転がってくるあたり、作者にかなり好かれているモノと見られ…。</p>
</blockquote>
<blockquote><p>鎮国公・載沢：西洋かぶれでシルクハットを被った英語も達者なオシャレ皇族。何やっても怒られないという非常に羨ましい立場ながら、紫禁城内で映画が上映されるという白昼夢的な何かを見て大往生的なフェードアウトをする。→慈嬉太后派の頭脳派皇族として名を残しているモノの、本当にシルクハット被ったジェントルメンだったのかは調べがつかなかった…。</p>
</blockquote>
<p>　ザッと思いつく限りはこんなモンかしら…。</p>
</p>
<p>　コレ読んだら、澁谷由里『<strong>馬賊で見る「満洲」―張作霖のあゆんだ道</strong>』講談社メチエ を読みたくなるのも自然な流れ。<strong>白虎張</strong>とか<strong>漢卿</strong>は勿論、<strong>好大人</strong>とか<strong>麒麟ランパ</strong>も写真が見られたりするので魅力的！</p>
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