Posts Tagged 北洋軍閥

NHKドラマ 蒼穹の昴 第12回 それぞれの戦(いくさ)

 と言うワケで今回は前回に引き続き珍妃のお仕置きの回ですね。写真のことで皇后にいびられた珍妃は、李蓮英の売官のことをそれとなーく光緒帝に告げ口して、却って分を超えて政治に口出ししたことを慈嬉太后に責められて罰を受けます…。

 と言うコトになっていますが、史実に残る事件は真逆ですね…。ちょっと長くなりますが引用します。

 (前略)長春宮の回廊を飾る『紅楼夢』に壁画である。
 透視図による斬新な構図と巧妙な遠近法、一草一葉にいたる細密絵画の手法は、あたかも長春宮が『紅楼夢』の世界の中に存在しているかのような錯覚をもたらす。
 中国の『源氏物語』ともいわれる曹雪芹の長編小説『紅楼夢』は、帝王の封建制を批判したという理由で乾隆が「禁書」としたが、晩清にいたって西太后の愛読書となり、爆発的な流行をみた。西太后の熱中ぶりを知る瑾妃と珍妃の姉妹が、西太后六十歳の賀の贈物として、太后の居宮を飾るべく趣向を凝らしたのであろう。清末の進士で宮廷事情に通じた九鐘主人こと呉士鍳の著『清宮詞』の珍妃を詠った部分の注として「珍、瑾二妃は畫苑をして紅楼夢大観園を畫かしめ、内廷臣に詩を題せしむ」の添書がある。姉妹が発案して大観園の絵画を描かせただけでなく、さらに内定の官人に詩文を求めていたことが知られる。(中略)
 まさに才気煥発を謳われた珍妃姉妹が西太后への恭順を示す「気のきいた贈物」であった。しかしこの抜群のアイディアが王臣達の疑念を招く結果になる。これだけの作品に要した金銭的負担───いかに皇帝の寵愛をうけているとはいえ、この正月、妃に昇格したばかりの姉妹ではないか。その封銀でとうてい賄えるはずもないこの制作費は、いったいどこから出たのだろうか、と。1

 (前略)西太后六十歳の賀の恩恵として珍嬪とその姉は妃に昇格した。その感謝のしるしとして秋の祝典に披露された『紅楼夢』の障壁画は、その抜群の着想で廷臣たちをあっと言わせた。しかしその直後、もう一度全宮廷をあっと言わせる事件が生じる。姉妹そろって妃から無品の貴人に二階級降格させられたのである。(中略)
 その問題とは、口利きによる収賄「売官」であった。2

 と言うワケで、慈嬉太后に懲罰を受けたのは出しゃばって売官を糾弾したからではなく、還暦祝いの為に売官して儲けたためだったわけですね。このスキャンダルが発覚すると、芋蔓式に珍妃のお付きの太監や慈嬉太后お付きの太監も罪を問われて、死刑に処されています。となると、この事件の二年後には妃に復帰している珍妃瑾妃はやはり光緒帝の寵愛あつかったと言うコトでしょうか…。もしくはスキャンダルを利用してお仕置きされたモノか…。どっちもありそうですけど。

2008年11月23日 宣和堂撮影 長春宮扁額

2008年11月23日 宣和堂撮影 長春宮扁額

長春宮紅楼夢長廊

長春宮紅楼夢長廊

 と、長春宮の写真です。いつもの如く写真はあるんですが、紅楼夢障壁画は絵画保護のためにガラスがビッチリはめ込まれているので、あんまりきれいに撮れないんですよねぇ…。暗いしフラッシュ弾くでまともに撮れたことがありません。自分の技術ではコレが精一杯。

 で、個人的には待ちに待ってた李鴻章が漸く(名前だけ)登場するわけですが…原作と扱いが180°違います……。また大陸で評価変わってきたんですかねぇ…。近代化の英雄=ジェネラル・リーではなくどっちかというと、旧態依然とした漢奸買弁のイメージで進めるみたいですねぇ…。

 代わって原作では名前が出て来ない馮子材清仏戦争の英雄として出てきます。自分は寡聞にして知らなかったので、「ええ~清仏戦争って言ったら黒旗軍劉永福じゃないの?」とガッカリでしたが、調べてみると実在の人物で太平天国関係では有名な人だった模様…。光緒帝とも縁があるので、あの文脈なら劉永福ではなく馮子材なんだろうなぁ…と納得。ちなみにこんなおじいちゃんだったみたいです。

《清史図典》第十二冊 光緒 宣統朝 下 P.222

《清史図典》第十二冊 光緒 宣統朝 下 P.222

 今でも公園で太極拳してそうなおじいちゃんですが、六十超えてベトナム遠征してフランス軍の大砲の中に矛持って突っ込んで撃退したり、七十超えても義和団が迫る北京に駆けつけようとしたりする元気なおじちゃんだったみたいです。知らないコトっていっぱいあるんだなぁ…。勉強になりました。

  1. 入江曜子『紫禁城──清朝の歴史を歩く』岩波新書 P.147~148
  2. 入江曜子『紫禁城──清朝の歴史を歩く』岩波新書 P.156

Tags: , , , , , , ,

北京古建築地図 目次

 中国のamazon…というかJOYO.COM(卓越網)で遊んでいたら、先日紹介した《北京古建築地図(上冊)(中国古代建築知識普及与伝承系列叢書•北京古建築五書)》精華大学出版社 が売っていたので、思わずリンク。更に、目次があったのでコピペしてみようかと…。
Read the rest of this entry »

Tags: , , , , , , , , , ,

中原の虹

 と言うワケで、浅田次郎『中原の虹』講談社 を読了しました。イヤハヤ…ホント没法子な状況に天命を帯びた?張作霖満洲に降り立ったぜ!と言うお話でした。
 『蒼穹の昴』でも、史上最凶の皇后という評判のある慈嬉太后や、漢奸のそしりを受けることが多い李鴻章を…まあ、贔屓の引き倒しではなく見方を変えることによって、慈嬉太后を永遠の可憐な少女として、李鴻章を徹底した政治家として描写していました。今回は、似たような手法で百日変法の結果、非常に険悪だったとされる慈嬉太后光緒帝を実の親子以上の絆で結ばれた関係としたり、史上最悪の簒奪者とされる袁世凱も状況が悪化すると呼び出されて道化じみた芝居をさせられる苦労人として描写しています。この辺、オイオイ!と言いながら引き込まれてしまうあたり流石です。
 という所で、ネタバレ全開で登場人物の描写に関する感想です。
Read the rest of this entry »

Tags: , , , , , , , ,

名は体を表す

 ようやっと浅田次郎『中原の虹』講談社に取りかかってたり…。いや、張作霖の話か~気が重いなぁ…と思っていたら、「アンタ間違ってるよ!これはダイシャンの話だよ!」というすすめがあって、読んでみることに…。ダイシャンがクローズアップされる小説なんて無いだろ…普通。
 確かにダイシャンが出てきて興奮。頑張れダイシャン!やったね!で、劇中、漢語でもそう難しい語彙ではない「没法子」という言葉が印象的に使われていたり…。で、日々の報道で「没法子」で思い出すのはやっぱりのりピー容疑者だったりね…。
 酒井法子は「没法子」だ~とか言う駄洒落を思いついたら、中国圏では誰もが思いつくレベルの駄洒落だったらしい。

  • 酒井容疑者逮捕 中華圏も“沸騰”
  •  確かにスポーツ新聞レベルの駄洒落だよなぁ…。

    Tags: , , , , ,

    漢奸の意味

     モノのついでに王柯『多民族国家 中国』岩波新書 もチョコチョコ走り読み。一度読んだんだけど、内容スッカリ忘れてる~面白かったというのだけは覚えてるけど…。
     で、気になったところを抜き書き。

     清の康煕二十九(一六九〇)年、貴州巡撫である漢族の田雯(一六三五─一七〇四)は『黔書』で「苗(ミャオ、中国南西部の民族)盗の患は、多くは漢奸から由来するものなり」と記し、清の「ミャオ族」に関する政策を邪魔するものが「漢族の悪者」という意味で「漢奸」を用い、糾弾した。後に「民族的」意味をもつようになる「漢奸」が、ここでは漢族と満洲族以外の第三の民族集団に関する議論に中で登場しており、それは、この場で漢族対満洲族という「民族的」対立が存在していなかったこと意味している。(中略)
     康煕帝の後継者である雍正帝は「漢奸」を好んで使っていた。(P.30)

     元々はダイチングルン政府異民族の間で利己的に行動する漢人のことを漢奸と呼んでいたわけですね。破廉恥漢とか痴漢というマイナスイメージの”“の使用法だと考えていいでしょう。奸佞でこすいコトするのは漢人だ!というイメージ操作も感じられます。イギリスに於けるオランダ人のようにマイナスイメージを纏った代名詞として使われたわけですね。まあ、雍正帝漢奸という用語は好きそうですよね…。こういうのが許せない性分でしょうし…。

     しかし、道光年間以降、帝国主義列強による中国侵略に伴い、「漢奸」は中国と外国との関係上の概念へと変わり、「中国」の「裏切り者」、「売国奴」として使われるようになった。アヘン戦争、中仏戦争、そして日清戦争に数多くの「漢奸」が出現した。(中略)
     「売国奴」としての「漢奸説」は、あっという間に民間社会まで広まった。(P.32)
     清朝政府の努力もあって、「清朝」は漢族によって「中国」に読みかえられた。そのため、漢族社会に於いて「漢奸」も「売国奴」と読みかえられた。「漢奸」が誕生してからここまで、「清朝と漢の利益は共通している」と言うニュアンスをもつことは、一向に変わりがなかった。清朝政府のアピールがかなりの効果を上げていたことはまちがいない。しかし、「売国奴」と読みかえられて「漢奸」も、究極的に言えば非漢民族出身の立場から「漢」を差別する用語であり、「民族的」意識を持つ漢族にとって聞き心地が悪いものであった。(P.33)
     清朝末期に清朝政府は清朝の転覆の試みを繰り返している革命者に対しても、「漢奸」と断罪するようになった。革命派にすれば、これはまったく清朝政府の「賊喊捉賊」(どろぼうが他人をどろぼう呼ばわりすること)であり、「韃虜」である清朝によって「漢奸」だと攻撃されたのは、彼らにとって屈辱的で我慢できることではなかった。(P.34)

     面白いコトに、革命派の人々も漢奸と言われたんですね…。ここまでは”中国“=”ダイチングルン“だったわけですから、ダイチングルンの転覆を企んで、列強に利するテロリスト達はなるほど”売国奴“=”漢奸“ですね。
     ただ、基本的に革命派は熱狂的な民族主義者が多いので、漢奸呼ばわりはプライドが許さなかったでしょうねぇ…。

     「中国」は「清」ではなく「漢」である、「漢奸」はこうした「漢」の利益を害する人間だという説であった。清朝の中国支配を崩壊させるために、「漢奸」の意味を正すことを通じて、清朝が腐心して構築した「清朝と漢族の利益は共通している」と言う幻想を、まずやらねばならなかった。しかしそれは、清朝までの中国の多民族国家という伝統を破るものでもあった。(P.34)

     つまり、漢奸とは呉三桂とか曾國藩李鴻章みたいな人間のことだ!と革命派は騒いで、ダイチングルン治下の幻想を打ち破るわけです。今、現在、共産党が掲げる中華民族の幻想とそう変わりはないですよね…。でも、マンジュは絶対的少数だっただけに、共産党の幻想よりはより甘い夢を漢人に見させたんじゃないでしょうかね…。

    Tags: , , ,

    Get Adobe Flash playerPlugin by wpburn.com wordpress themes
    FireStats icon Powered by FireStats