中国のamazon…というかJOYO.COM(卓越網)で遊んでいたら、先日紹介した《北京古建築地図(上冊)(中国古代建築知識普及与伝承系列叢書•北京古建築五書)》精華大学出版社 が売っていたので、思わずリンク。更に、目次があったのでコピペしてみようかと…。
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Posts Tagged 北洋軍閥
北京古建築地図 目次
10月 27
中原の虹
9月 16
と言うワケで、浅田次郎『中原の虹』講談社 を読了しました。イヤハヤ…ホント没法子な状況に天命を帯びた?張作霖が満洲に降り立ったぜ!と言うお話でした。
『蒼穹の昴』でも、史上最凶の皇后という評判のある慈嬉太后や、漢奸のそしりを受けることが多い李鴻章を…まあ、贔屓の引き倒しではなく見方を変えることによって、慈嬉太后を永遠の可憐な少女として、李鴻章を徹底した政治家として描写していました。今回は、似たような手法で百日変法の結果、非常に険悪だったとされる慈嬉太后と光緒帝を実の親子以上の絆で結ばれた関係としたり、史上最悪の簒奪者とされる袁世凱も状況が悪化すると呼び出されて道化じみた芝居をさせられる苦労人として描写しています。この辺、オイオイ!と言いながら引き込まれてしまうあたり流石です。
という所で、ネタバレ全開で登場人物の描写に関する感想です。
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名は体を表す
8月 30
ようやっと浅田次郎『中原の虹』講談社に取りかかってたり…。いや、張作霖の話か~気が重いなぁ…と思っていたら、「アンタ間違ってるよ!これはダイシャンの話だよ!」というすすめがあって、読んでみることに…。ダイシャンがクローズアップされる小説なんて無いだろ…普通。
確かにダイシャンが出てきて興奮。頑張れダイシャン!やったね!で、劇中、漢語でもそう難しい語彙ではない「没法子」という言葉が印象的に使われていたり…。で、日々の報道で「没法子」で思い出すのはやっぱりのりピー容疑者だったりね…。
酒井法子は「没法子」だ~とか言う駄洒落を思いついたら、中国圏では誰もが思いつくレベルの駄洒落だったらしい。
確かにスポーツ新聞レベルの駄洒落だよなぁ…。
漢奸の意味
7月 22
モノのついでに王柯『多民族国家 中国』岩波新書 もチョコチョコ走り読み。一度読んだんだけど、内容スッカリ忘れてる~面白かったというのだけは覚えてるけど…。
で、気になったところを抜き書き。
清の康煕二十九(一六九〇)年、貴州巡撫である漢族の田雯(一六三五─一七〇四)は『黔書』で「苗(ミャオ、中国南西部の民族)盗の患は、多くは漢奸から由来するものなり」と記し、清の「ミャオ族」に関する政策を邪魔するものが「漢族の悪者」という意味で「漢奸」を用い、糾弾した。後に「民族的」意味をもつようになる「漢奸」が、ここでは漢族と満洲族以外の第三の民族集団に関する議論に中で登場しており、それは、この場で漢族対満洲族という「民族的」対立が存在していなかったこと意味している。(中略)
康煕帝の後継者である雍正帝は「漢奸」を好んで使っていた。(P.30)
元々はダイチングルン政府と異民族の間で利己的に行動する漢人のことを漢奸と呼んでいたわけですね。破廉恥漢とか痴漢というマイナスイメージの”漢“の使用法だと考えていいでしょう。奸佞でこすいコトするのは漢人だ!というイメージ操作も感じられます。イギリスに於けるオランダ人のようにマイナスイメージを纏った代名詞として使われたわけですね。まあ、雍正帝は漢奸という用語は好きそうですよね…。こういうのが許せない性分でしょうし…。
しかし、道光年間以降、帝国主義列強による中国侵略に伴い、「漢奸」は中国と外国との関係上の概念へと変わり、「中国」の「裏切り者」、「売国奴」として使われるようになった。アヘン戦争、中仏戦争、そして日清戦争に数多くの「漢奸」が出現した。(中略)
「売国奴」としての「漢奸説」は、あっという間に民間社会まで広まった。(P.32)
清朝政府の努力もあって、「清朝」は漢族によって「中国」に読みかえられた。そのため、漢族社会に於いて「漢奸」も「売国奴」と読みかえられた。「漢奸」が誕生してからここまで、「清朝と漢の利益は共通している」と言うニュアンスをもつことは、一向に変わりがなかった。清朝政府のアピールがかなりの効果を上げていたことはまちがいない。しかし、「売国奴」と読みかえられて「漢奸」も、究極的に言えば非漢民族出身の立場から「漢」を差別する用語であり、「民族的」意識を持つ漢族にとって聞き心地が悪いものであった。(P.33)
清朝末期に清朝政府は清朝の転覆の試みを繰り返している革命者に対しても、「漢奸」と断罪するようになった。革命派にすれば、これはまったく清朝政府の「賊喊捉賊」(どろぼうが他人をどろぼう呼ばわりすること)であり、「韃虜」である清朝によって「漢奸」だと攻撃されたのは、彼らにとって屈辱的で我慢できることではなかった。(P.34)
面白いコトに、革命派の人々も漢奸と言われたんですね…。ここまでは”中国“=”ダイチングルン“だったわけですから、ダイチングルンの転覆を企んで、列強に利するテロリスト達はなるほど”売国奴“=”漢奸“ですね。
ただ、基本的に革命派は熱狂的な民族主義者が多いので、漢奸呼ばわりはプライドが許さなかったでしょうねぇ…。
「中国」は「清」ではなく「漢」である、「漢奸」はこうした「漢」の利益を害する人間だという説であった。清朝の中国支配を崩壊させるために、「漢奸」の意味を正すことを通じて、清朝が腐心して構築した「清朝と漢族の利益は共通している」と言う幻想を、まずやらねばならなかった。しかしそれは、清朝までの中国の多民族国家という伝統を破るものでもあった。(P.34)
つまり、漢奸とは呉三桂とか曾國藩と李鴻章みたいな人間のことだ!と革命派は騒いで、ダイチングルン治下の幻想を打ち破るわけです。今、現在、共産党が掲げる中華民族の幻想とそう変わりはないですよね…。でも、マンジュは絶対的少数だっただけに、共産党の幻想よりはより甘い夢を漢人に見させたんじゃないでしょうかね…。
鉄血十八星旗
7月 18
ツラツラと横山宏章『中国の異民族支配』集英社新書 を読んでいたら…。
武昌起義を内部から支えた革命派結社の共進会のシンボルが「十八星旗」であった。(P.84)
と言う記述にぶち当たりました。おや~!ツンツントゲトゲしたあの旗って元々は革命結社の会旗だったのか…。
そう言えば、青天白日旗も陸皓東が残して、孫文がハワイで興中会結成の際に革命軍旗に制定したんだっけナァ…。《黄飛鴻之二 男児當自強》でも出てきたよなぁ…と思っていたら、こんな文章にも遭遇。
無知で妄想にとらわれていたものが、革命が成功するとその初めに漢、満、モンゴル、回、チベットの「五族共和」の説を創設し、官僚もまたこれに付和した。これによって清朝一品武官の五色旗がわが中華民国の国旗となった。五色とは、漢、満、モンゴル、回、チベット、代表するものである。革命党の人々も深く考えずに、わが共和革命の最初の犠牲者である陸皓東先生が定めた中華民国の青天白日旗を捨てて、四分五裂の官僚旗を採用してしまった。(「三民主義」一九一九年)
(P.104)
おお~五色旗って元々はダイチングルンゆかりの旗だったとは知りませんでした…。五族共和は後付けだったんですね。
この本を読むと、1911年10月10日の武昌蜂起から1912年1月1日の中華民国成立までに三ヶ月があったモノの、臨時大総統に推された孫文は、武昌蜂起当時はアメリカのデンバーにいて、中国に帰国したのも1911年12月の末だったようです。孫文が着いた頃にはもうあらかた中華民国の国の形が出来上がってたわけですから、孫文はやっぱりお飾りの大総統として呼ばれたわけですね。ともあれ、革命派が中華民国の主流を占められなかったと言う事実が、国旗一つにも現れているようです。
武昌蜂起から中華民国設立までの三ヶ月の間に、十八星旗、五色旗、青天白日旗、他に井字旗、金瓜斧鉞旗などからどの旗を国旗にするか?と言う国旗の制定に関する議論もあったみたいですね。青天白日旗は見た目が地味だと言うコトで色々改良が試みられて、四種類ほどの草案が作られたようです。結局は南京臨時政府では国旗は五色旗と制定され、十八星旗が陸軍旗として、青天白日満地紅旗が海軍旗として、井字旗は元帥旗(方藍井白)、副元帥旗(方白井藍)として採用されたようです。
しかし、その後も孫文は青天白日旗とその改良版の青天白日満地紅旗にこだわり続けて歩みを共にするわけです。孫文の政治的な主張は時によってコロコロ変わるわけですが、旗幟は変えずに人生を全うしたと言えますね。下の草案を見ると、草案四が青天白日満地紅旗に、草案三が北伐後の陸軍旗になった模様デス。
で、気になったのでwikiでこれらの旗を検索したらコロコロ出てきますね。この中で、それぞれの旗の正式名称を見てると面白かったのでメモ。
鉄血十八星旗の赤と黒は革命の鉄血主義を表し、九つの黒い角は《禹貢》の九州を、十八の星は清末の内地十八行省(直隷(河北)、河南、山東、山西、陝西、甘粛、江蘇、浙江、安徽、江西、湖北、湖南、四川、福建、広東、広西、雲南、貴州)を表すようです。それにしても名前と言いデザインと言い悪の秘密結社っぽい旗ですね…。こんな色してたんだ。
追記:五色共和旗は元々はダイチングルンの海軍旗であった模様。なので、五色は漢満蔵蒙回を表したモノではなく、五色官旗を改変したモノというので官僚機構を象徴したモノだった…若しくは五行を表し、赤は火を、黃は土を、青は木を、白は金を、黒は水を象徴したモノだった模様。ただ、何で海軍旗が武昌蜂起後の江蘇、浙江、安徽等の省で革命のシンボルとして採用され、あまつさえ南京臨時政府で国旗として採用されるに至ったのかは不明。
ネットで検索すると、清末、北洋艦隊の旗で使われた五色は黄、白、黒、緑、赤で色合いが違うので、五色共和旗が本当に清代の海軍旗に由来するのかはやっぱり不明とした方がよさそう。孫文が故意に五色共和旗を貶める意図があって事実を歪曲した可能性があると言うコト。
ちなみに五族共和を象徴する旗とされてからは、赤=漢族、黄=満洲族、青=モンゴル族、白=ウイグル族、黒=チベット族を表しているとされているものの、異同はある模様。北洋軍閥や南京傀儡政権で使用されたり、五色旗を元にした旗を洪憲帝・袁世凱の中華帝国が使用したり、康徳帝・溥儀の傀儡政権・満洲国が使ったりしたのでいいイメージで語られることが少ない気がします。
更に追記:ネットで検索かけたら北洋艦隊の五色長方旗=大官旗を発見したので画像載せときます。孫文によると五色旗は、一品官と二品官の大官旗であったと書いてますが、北洋艦隊では提督が従一品官だったようなので、北洋艦隊提督旗と北洋艦隊全軍将領旗も載っけておきます。やっぱり配色が違いますね。北洋艦隊の旗としては、ダイチングルン末期の旗である黄龍旗とその変形である三角黄龍旗の方が圧倒的に有名ですね。でも、中国版のwiki読むと、元々は上三旗の筆頭である正黄旗の旗を使用していたモノを、西洋風に長方形に改めたのが黄龍旗だとか書いてますね。本当かなぁ…。
参考:
十八星旗
中華民国国旗
五色旗
中国国旗
從五色旗到青天白日滿地紅
北洋海军军旗
中國歷代海軍旗幟
你不知道的鍵盤功能:~生 活 隨 筆~《海軍旗》













