<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>宣和堂遺事 &#187; 大明</title>
	<atom:link href="http://sengna.com/tag/%e5%a4%a7%e6%98%8e/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://sengna.com</link>
	<description>宣和堂の節操のない日記</description>
	<lastBuildDate>Sun, 05 Feb 2012 12:40:00 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.3.1</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://sengna.com/tag/%e5%a4%a7%e6%98%8e/feed/" />
		<item>
		<title>特別展 北京故宮博物院200選 その２</title>
		<link>http://sengna.com/2012/01/30/gugong200_%ef%bc%92/</link>
		<comments>http://sengna.com/2012/01/30/gugong200_%ef%bc%92/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 30 Jan 2012 14:54:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
				<category><![CDATA[オフ会]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[モンゴル]]></category>
		<category><![CDATA[乾隆帝]]></category>
		<category><![CDATA[北宋]]></category>
		<category><![CDATA[南宋]]></category>
		<category><![CDATA[大明]]></category>
		<category><![CDATA[大清]]></category>
		<category><![CDATA[康煕帝]]></category>
		<category><![CDATA[故宮]]></category>
		<category><![CDATA[辮髪]]></category>
		<category><![CDATA[雍正帝]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://sengna.com/?p=1377</guid>
		<description><![CDATA[　と言うコトで特別展 北京故宮博物院200選の続き。展示会場の１／４を占めるダイチン・グルン（大清国）の展示です。個人的にはこのあたりが一番内容濃かったように思います。この展示内容だと、基本的には書道や磁器、青銅器も来て [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うコトで<a href="http://www.kokyu200.jp/" target="_blank">特別展 北京故宮博物院200選</a>の続き。展示会場の１／４を占める<strong>ダイチン・グルン</strong>（大清国）の展示です。個人的にはこのあたりが一番内容濃かったように思います。この展示内容だと、基本的には<strong>書道</strong>や<strong>磁器</strong>、<strong>青銅器</strong>も来てますが、メインは<strong>絵画</strong>だと思います。特にこのあたりは<strong>絵画</strong>の濃度が濃かったように思います。では、始めましょう。<br />
<span id="more-1377"></span><br />
　まずは、《<strong>康煕南巡図</strong>》ですね。この絵画も風俗画としての側面もある以上、《<strong>清明上河図</strong>》と比較されるでしょう…。存在は知っていましたがなかなか全幅を掲載している図録も見当たらず、まして直に見るような機会はなかったので、この機会に見ることが出来たのは幸いでした。図録を見るに全巻が残っているわけではなく現存するのは全11巻の中、９巻分のみで、しかも世界中に散らばっているようですね…。作成の意図はあくまで政治的なデモンストレーションの絵画的な記録と言うコトなんでしょう。芸術品ではないからか、鑑蔵印や鑑賞印は押されていませんでした。まぁ、流石の<strong>乾隆帝</strong>も敬愛する祖父・<strong>康煕帝</strong>の御影には判子攻撃は出来なかったってコトなんでしょうけどねw<br />
　<strong>№110 康煕南巡図巻</strong> は<strong>南巡</strong>の日程としてはクライマックスにあたる箇所で、<strong>康煕帝</strong>が<strong>龍船</strong>に乗って、<strong>江南</strong>を旅している様子が描かれています。感心したのは<strong>康煕帝</strong>の側に仕える<strong>旗人</strong>は<strong>黄馬掛</strong>の人が多いと言うあたりです。見つけた時は小さく叫びましたwまた、<strong>康煕帝</strong>の周りには八旗を掲げた船に囲まれていて、<strong>八旗制</strong>を視覚的に描くという意味もあるのだなぁ…と、感じ入りました。<strong>同治</strong>元（1862）年に制定された、<strong>清国国旗</strong>は<strong>正黄旗</strong>の船旗が元だと言いますから、実に<strong>康煕帝</strong>の船に立つ<strong>正黄旗</strong>こそが元祖と言うコトになります。話は変わりますが、<strong>清末</strong>の<strong>漢人</strong>を迷信深いと小馬鹿にしたネタで、船には眼がついていないと進まないと信じていた！と言うのがありますが、この絵を見る限り、船には眼は書いてないようですね。<br />
　<strong>南巡</strong>の途中、<strong>康煕帝</strong>が通った街並みや寺院を克明に描いている点が見所でしょう。この辺も写実的に南巡の料亭を描いた…と言うよりは、旅程の印象をコラージュのように名場面集にしたんでしょうね。街行く人々は大体男性で、笠を被り<strong>長襂</strong>に<strong>馬掛</strong>と言う出で立ちです。ただ、建物の屋内には女性が見られたり、笠を被らずに<strong>辮髪</strong>を晒す男性も描かれています。これを素直に受け止めて、<strong>江南</strong>では女性は日中出歩くことはなく、殆どの人が<strong>辮髪</strong>を晒すことはなかった…と考えるのは早計でしょうね…。<strong>清末</strong>の写真を見ると思ったよりも<strong>女性</strong>が街中を歩いていたり、男性が笠も被らずに<strong>辮髪</strong>を鉢巻きにしている姿が存在します。どちらが正解とかではないのですが、宮廷画では服装を形式的に描き、写実的には描かないことがママあると言うことです。事実、<strong>台湾故宮</strong>を象徴する絵画・<strong>清院本清明上河図</strong>は、<strong>清代</strong>の<strong>蘇州</strong>を描きながら登場する人々は<strong>明代</strong>の<strong>漢服</strong>で描かれていたりします。<br />
　で、お次は<strong>№111 康煕南巡図巻 第十二巻</strong>です。面白い構成になっていて、<strong>康煕帝</strong>の帰りを待つ<strong>太和殿</strong>の中から絵巻は始まっています。人っ子一人いない<strong>太和門</strong>を経て、百官と象が列ぶ<strong>午門外</strong>、<strong>端門</strong>の外から<strong>天安門</strong>から<strong>千歩廊</strong>を経て<strong>大清門</strong>まで、騎馬の<strong>旗人</strong>がまばらに見えます。<strong>大清門</strong>の横には<strong>下馬標</strong>らしきモノが見えるのですが、この人達は<strong>下馬標</strong>すら免除された人達なんでしょうかねぇ？まばらな騎馬の<strong>旗人</strong>は<strong>正陽門</strong>こと<strong>前門</strong>まで続きます。以前、<a href="http://sengna.com/2011/03/21/kankou/" target="_blank">前門の関帝廟</a>という記事でネタにした、<strong>前門甕城内</strong>にある<strong>関帝廟</strong>が克明に描かれています。残念ながら<strong>関羽像</strong>があるかどうかまでは確認出来ませんでしたがw<br />
　<strong>前門</strong>を出て<strong>前門大街</strong>に出てくると、ようやくようやく黄色い天蓋の<strong>康煕帝</strong>がお目見えします。賑やかな<strong>前門大街</strong>は<strong>皇帝</strong>が通るために通りに面した店は全て規制で雨戸を閉めている状態です。通りの向こうの筋ではいつも通りの人だかりのようです。<strong>康煕帝</strong>の後には<strong>八旗</strong>を掲げた騎馬の群れが、<strong>康煕帝</strong>を頂点として雁行する様な特殊な陣形で騎行しています。好き勝手無茶苦茶に馬を歩かせているように見えて、俯瞰するとシンメトリックなあたり面白いですね。騎馬の群れが通りきらないにも関わらず、交通止めで不便していたような民衆は待ちきれずに扉を押し開けようとしています。扉を押さえる側の役人も行列が終わっていないのでヒヤヒヤしていそうですね。郊外に出て来ると人文字…まあ、マスゲームで<strong>天子万年</strong>と言う文字を形作っています。<strong>北京</strong>が好きな人なら、この絵は何時間見ていても飽きないでしょう。というか、飽きませんww<br />
　お次は<strong>№113～120 雍正帝行楽図像冊</strong>です。平たく言うと<strong>雍正帝</strong>の<strong>コスプレ写真集</strong>ですね。今回展示されていたのは<strong>モンゴル</strong>の<strong>ハーン</strong>、<strong>チベット僧</strong>、<strong>道士</strong>、<strong>文人</strong>、<strong>漁師</strong>、<strong>狩人</strong>に変身した<strong>雍正帝</strong>でした。冷徹で過酷な<strong>皇帝</strong>として知られる<strong>雍正帝</strong>ですが、文物を通して見る<strong>雍正帝</strong>はリキの入ったコスプレ好きなオッサンです。今回は来ていませんでしたが、<strong>ルイ14世</strong>風のヅラを被って洋服を着て何故か槍を構えた<strong>雍正帝</strong>が虎と戦う場面も<strong>雍正帝行楽図像冊</strong>にはあります。というか、コスプレ絵画に便宜上<strong>雍正帝行楽図像冊</strong>と言う名前をつけているに過ぎないので、何個かシリーズはあるみたいです。<br />
　このコスプレイヤーの血は着実に<strong>乾隆帝</strong>にも受け継がれたようで、<strong>№174 乾隆帝文殊菩薩画像</strong> のような、コスプレタントラまで作るようになるわけです…。まあ、こんなにコスプレ絵画が好きなのもこの親子くらいなモンですが…。でも、<strong>珍妃</strong>は<strong>紫禁城</strong>にカメラを持ち込んで、<strong>光緒帝</strong>とコスプレ写真を撮って二人してノリノリで楽しんだと言いますから、案外歴代皇帝コスプレを多かれ少なかれ好きだったのかも知れませんねw<br />
　書籍もいくらか来ていて、<strong>№122 《御製五体清文鑑》</strong>は<strong>内藤湖南</strong>が<strong>瀋陽故宮</strong>で発見して、<strong>《満文老檔》</strong>同様の価値を認めた、<strong>満漢蒙蔵回</strong>の五カ国語の辞書、<strong>№123 《清聖祖実録》漢文本</strong> と<strong>№124 《清聖祖実録》満文稿本</strong> は<strong>康煕帝</strong>の<strong>実録</strong>の<strong>漢文版</strong>と<strong>マンジュ語版</strong>の草稿、<strong>№125 《世宗実録》満文稿本</strong> は<strong>順治帝</strong>の<strong>実録</strong>の<strong>マンジュ語版</strong>の草稿。見るだけでもワクワクしますね。<br />
　また、<strong>乾隆帝コレクション</strong>の<strong>カタログ</strong>である、<strong>№147《西清古鑑》</strong>、<strong>№148 《西清硯譜》</strong>、№149《<strong>秘殿珠林</strong>》<strong>№150 《石渠宝笈》（貯乾清宮套）</strong>、<strong>№152 《天禄琳琅》</strong>も展示されていました。<br />
　<strong>№91 乾隆帝像</strong>です。本によっては<strong>乾隆朝服座像</strong>とか称される絵画です。<strong>乾隆帝</strong>の肖像としては、おそらく最も有名な絵画ではないでしょうか？大きいとは思いましたが、畳一畳ほどの実に大きな絵画です。落款はありませんが、おそらくは<strong>ジョゼッペ・カスティリオーネ</strong>（郎世寧）の作だとされています。西洋絵画の手法を取り入れた絵画なので、てっきり油絵のような重ね塗りの技法が使われているのかと勝手に思っていたのですが、使用しているのは顔料みたいですね。つまりこの明暗を重ね塗りではなく色の濃淡だけで表現しているわけで、この辺は驚きですね。画面構成上、特に主張するべきだとも思えない絨毯の描写がかなり手が込んでいて驚きました。<br />
　基本的に<strong>東洋</strong>では<strong>肖像画</strong>は死後、祖先崇拝の祭祀のために飾られるコトの方が多く、事実<strong>台湾故宮</strong>に収蔵されている帝王像の多くはその用途で使用されたと考えられます。しかし、この<strong>乾隆帝像</strong>は即位の年に描かれたようです。朝服を着た姿で描かれた写実的な肖像画です。基本的に<strong>帝王</strong>の<strong>肖像画</strong>はその用途からも、<strong>鑑賞印</strong>や<strong>鑑蔵印</strong>は押されないことが多いのですが、何故かこの肖像画には<strong>五福五代堂古希天子之寶</strong>、<strong>八徴耄念之寶</strong>、<strong>太上皇帝之寶</strong>の三つの印爾が押されています。いずれも<strong>乾隆帝</strong>が老境に差し掛かってから…というか70～80代という高齢になってから使用した印なので、おそらく書かれてから随分後になって押した印なんでしょうが、なんとも謎ですね。老いてからこの絵を見返して、かつての青年の日々を思い出したのでしょうか？<br />
　もう一つ、有名な乾隆帝の肖像画が来てましたね。<strong>№192 乾隆帝大閲像軸</strong>は<strong>NHK</strong>の<strong>シリーズ故宮</strong>の図録が出た際に最終刊はこの絵が表紙でした。<br />
　これも、<strong>№91 乾隆帝像</strong>と同じく、<strong>ジョゼッペ・カスティリオーネ</strong>のタッチで描かれた<strong>乾隆帝像</strong>ですね。甲冑と馬が実に見事でした。間近に見るに、こんな淡い色でどうやってあんなに立体的に見える様に塗れるのかは本当に不思議です。隣に<strong>№96～97</strong>の甲冑が置いてありましたけど、まあ、ここに描かれている甲冑とは違うモノでしょうねw参考展示って感じデス。<br />
　<strong>№121 乾隆帝紫光閣遊宴図巻</strong>は何より、<strong>冰嬉</strong>が描かれているのが楽しいですね。<strong>冰嬉</strong>は要するにスケート競技です。スケートを履いた<strong>旗人</strong>が、スケートリンクに置かれたゲートに吊られた的めがけて滑りながら矢を射かける競技だったようです。競技は<strong>八旗</strong>対抗で行われたらしく、どのような態勢でどの部位を射たのか？で、点数が決まったようです。なので、滑ってる人は各自分が所属する<strong>グサ</strong>の<strong>旗</strong>を背負って滑っているわけです。<strong>乾隆帝</strong>の<strong>マンジュ復興策</strong>によって振興された競技で、<strong>乾隆年間</strong>は<strong>皇帝</strong>を始め熱狂的に支持されたスポーツだったようです。なので、この絵でも右側に<strong>冰嬉</strong>が競技されている所を描き、左側では<strong>南海</strong>にある<strong>紫光閣</strong>中央に座った<strong>乾隆帝</strong>から宴が下賜される様子を描いています。ただ、氷が張るほど寒いのに、地べたに座卓で料理食べるのはどうでしょうかね？随分と寒々しい感じがします。また、こういった絵では珍しく、<strong>紫光閣</strong>の裏手でテントを張って料理の準備をする<strong>蘇拉</strong>？が描かれています。蒸し器を使っている所から見ると、饅頭でも蒸しているんでしょうか？<br />
　さて、<strong>№121 乾隆帝紫光閣遊宴図巻</strong>が<strong>マンジュ</strong>の<strong>ハーン</strong>としての<strong>乾隆帝</strong>の絵だとしたら、<strong>№126 乾隆帝是一是二図軸</strong>は<strong>漢人</strong>の<strong>皇帝</strong>としての絵ですかね。<strong>中国絵画</strong>ではよくある、文人が己のコレクションを自慢するタイプの絵画なワケですが、この絵画が凄いところは、この絵画に描かれた文物が<strong>台湾故宮</strong>と<strong>北京故宮</strong>に別れているとはいえ、今も現存することですね。事実この展示では、№128～№133、№135と絵の中で紹介されている八つの文物が展示されていました。まぁ、何とも贅沢な話です。<br />
　後は、個人的には<strong>円明園</strong>の<strong>万方安和</strong>という卍型の宮殿の模型、<strong>№143 円明園｢万方安和｣模型</strong> があったのも嬉しかったですね。これ自体は実際に宮殿を作る前に作られたモックアップみたいなモノみたいですが、実に精巧な出来です。宮殿自体は英仏連合軍の焼き討ちにあってとっくに消し炭になってるわけですが、こうやって模型の方がまだ残っていると言うのも不思議な感じデスね。<br />
　<strong>№199 万国来朝図軸</strong>は画面の1/5あたりの下の方で、<strong>乾隆帝</strong>に新年の挨拶に訪れた各国の使節が主題のワリには小さいです。ご丁寧に旗に国名まで書いているわけですがwまぁ、軸なんで下の方にかためないと見えないんでしょうけど…。で、門の前で待たせておいて、当の<strong>乾隆帝</strong>は宮殿でまだ子供達と年越し行事を楽しんでいたりするわけで、その対比も面白いですね。<br />
　<strong>№200 乾隆帝生春詩意北京図軸</strong> は、<strong>乾隆帝</strong>が北京の名所で詠んだ詩を、<strong>北京</strong>の俯瞰図を使って、ここのことを詠んだ詩だよ？という様なことをしている絵ですね。まぁ、Googleマップでやれってはなしですよね。しかし、これで乾隆帝が具体的にどの風景を読んだのか分かる。今は失われてしまった名所の場所がこれで分かったりするわけですね。そう言う意味では京迷にはたまらない、素晴らしい絵です。細かいことですが、やっぱり<strong>中南海</strong>で<strong>冰嬉</strong>をやっていて、これはこれで個人的には感動的です。<br />
　<strong>三希堂</strong>の再現展示も面白かったんですが、<strong>雍正帝</strong>と<strong>乾隆帝</strong>親子のだまし絵はキャプションでも用意しておかないと、見た人若らんのじゃないですかね？大体の人はあそこでポカーンとしていましたので…。<br />
　と言うコトで、備忘録がわりにザッと思いつくまま書いてみました。いや～やっぱり良い展示ですね。<strong>清明上河図</strong>の展示期間が終わってからもう一度見に言って見ますw</p>
<iframe src="http://www.facebook.com/plugins/like.php?href=http%3A%2F%2Fsengna.com%2F2012%2F01%2F30%2Fgugong200_%25ef%25bc%2592%2F&amp;layout=standard&amp;show_faces=true&amp;width=450&amp;action=like&amp;colorscheme=light&amp;height=80" scrolling="no" frameborder="0" style="border:none; overflow:hidden; width:450px; height:80px;" allowTransparency="true"></iframe>]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://sengna.com/2012/01/30/gugong200_%ef%bc%92/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://sengna.com/2012/01/30/gugong200_%ef%bc%92/" />
	</item>
		<item>
		<title>特別展 北京故宮博物院２００選</title>
		<link>http://sengna.com/2012/01/23/gugong200/</link>
		<comments>http://sengna.com/2012/01/23/gugong200/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 22 Jan 2012 15:03:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
				<category><![CDATA[オフ会]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[モンゴル]]></category>
		<category><![CDATA[乾隆帝]]></category>
		<category><![CDATA[北宋]]></category>
		<category><![CDATA[南宋]]></category>
		<category><![CDATA[大明]]></category>
		<category><![CDATA[大清]]></category>
		<category><![CDATA[康煕帝]]></category>
		<category><![CDATA[故宮]]></category>
		<category><![CDATA[辮髪]]></category>
		<category><![CDATA[雍正帝]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://sengna.com/?p=1367</guid>
		<description><![CDATA[　と言うワケで特別展 北京故宮博物院200選に行ってきました。どうにもこうにもお蔵出しの清明上河図が人を呼ぶらしく、噂に違わぬ盛況ぶりでした。8:30に東博について列んで、見られたのが11:00なので思ったよりは早かった [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで<a href="http://www.kokyu200.jp/" target="_blank">特別展 北京故宮博物院200選</a>に行ってきました。どうにもこうにもお蔵出しの<strong>清明上河図</strong>が人を呼ぶらしく、噂に違わぬ盛況ぶりでした。8:30に東博について列んで、見られたのが11:00なので思ったよりは早かったモノのやはり結構掛かりましたね…。でも、予想外だったのがそれ以降にも結構な時間掛かったことですね。17:00に設定したオフ会ギリギリまで掛かって見てしまいましたね…。あんまり期待せずに行ったんですが、清明上河図以外にも結構良いものが来てます。大物の絵巻物の展示が３巻もあったので図録にすると小さいのですが、全幅載っているのは素晴らしいですね。絵の部分だけではなく賛や跋の部分もカラーでガッツリ載ってますから、自分の様に鑑賞印とか鑑蔵印見るだけでニヤニヤ出来る人には勝って損なしです。と言うか、展示に行かなくても図録だけ買っても良いくらいですね。実に素晴らしい！と言うワケで以下備忘録です。<br />
<span id="more-1367"></span><br />
　まあ、この展示での売りはなによりかにより、<strong>№2.清明上河図巻</strong>です。個人的には中国絵画の中でもとびきり好きな絵なので、オリジナルが見られたのは本当に感無量です。学生時代に卒業論文書く際に恩師の研究室で白黒のコピーで絵の部分だけ全幅見せて頂いてからもう20年近く経ちますが、ようやく見ることが出来ました。といっても、北京に行った際に故宮で２回模筆は見てますし、模筆のカラーコピーも持ってるんですが、うーん…やはりオリジナルはよかったです。<br />
　サイズ自体は模筆はオリジナルと同じ程度なのですが、やはりオリジナルの方が気持ち線が細く、人物の表情も豊かなように見えます。それに思ったほど経年劣化も酷くなく色鮮やかな画面に驚きました。模筆とオリジナルの差が明らかな、例のギャロップする馬も確認出来ました。感無量です。<br />
　折角なので判子ばっかり見ていたんですが、嘉慶鑑賞、嘉慶御覧之寶、宣統御覧之寶、宣統鑑賞が確認出来ました。図録によると《続資治通鑑》の編纂をした<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A2%E3%82%B2%E3%83%B3" target="_blank">畢沅</a>の所有物だったモノを<strong>白蓮教徒の乱</strong>の時に<strong>畢沅</strong>が失脚して、家財を没収された時に宮中に入ったと言うので、<strong>乾隆年間</strong>には宮中になかったので<strong>乾隆御覧之寶</strong>とか<strong>五福五代堂古希天子之寶</strong>とか<strong>八徴耄念之寶</strong>とか<strong>三希堂</strong>とか<strong>太上皇帝</strong>とか<strong>乾隆辰翰</strong>とか色々な判子をボコボコ押されずに済んだみたいですね…。この記事書くためにWikipediaの<strong>畢沅</strong>の項みたら、<strong>袁枚</strong>にラブレター送りつけたガチホモだったとか、実にいらん知識も入ってしまったのですが、まぁ、<strong>畢沅</strong>グッジョブ！<br />
　<strong>北宋</strong>の<strong>社会史</strong>やる人間の大半はこの<strong>清明上河図</strong>と《<strong>東京夢華録</strong>》にやられて道を踏み外すのですから、この魔力たるや実に大したものです。４時間待ちもむべなるかな…です。<br />
　それにしても感激したのが、図録の解説でキチンとこの絵が<strong>溥儀</strong>の<strong>満州国コレクション</strong>経由で<strong>北京故宮</strong>に収蔵されたことがキチンと書かれてることですね。まぁ、サラッとですけど。でも、最近は<strong>清明上河図</strong>は<strong>張択端</strong>が<strong>徽宗</strong>の画院で書いたことになってるんですねぇ…。それはちょっと自分は賛同出来ないんですけど、最近出た本読んでまた勉強してみます。<br />
　<strong>北宋</strong>の書については結構来てましたね。<strong>蔡襄</strong>については<strong>№24 草書入春帖</strong>、<strong>№25 行楷書蒙恵帖</strong>、<strong>№26 行楷書山堂帖</strong>、<strong>№27 行書扈従帖</strong>と四点も来てました。書はサッパリ分からないですが、多分この手の展示で<strong>蔡襄</strong>が一度にこんなに来ることはそう無かったと思います。<br />
　更に<strong>米芾</strong>の<strong>№28 行書苕渓詩巻</strong>、<strong>黄庭堅</strong>の<strong>№29 草書諸上座帖巻</strong>が来てました。<strong>米芾</strong>の方がエキセントリックなイメージあったんですが、なんだか<strong>黄庭堅</strong>の方がもの凄い突っ走った書でしたね。何書いてるのかは分かりませんでしたが、何か凄かったですw<br />
　<strong>№3 瑞龍石図</strong> は徽宗の作と言うことになっていますが…どうなんですかねぇ…。自分は宋代の絵には見えませんでしたけど、そうなんですかねぇ…。<strong>徽宗</strong>の<strong>痩金体</strong>もなんだかわざとらしく見えるんですが…。まだ、<strong>№31 楷書書簡中秋月詩帖</strong>の方がまだしも徽宗が書いたように見えますw<br />
　あと、絵画では<strong>№11 長江万里図</strong>も山水画というか水墨画の逸品ですね。霞というか霧というか、山あいの表現の仕方が素晴らしいと思いました。今回の展示では<strong>南宋</strong>の一番お気に入りの絵です。<br />
　何故かこの展示、<strong>趙孟頫</strong>をやたらとフューチャーしていたのですが、実際には<strong>№13 水村図巻</strong> と<strong>№35 楷書帝師肝巴碑巻</strong>、<strong>№36 行書洛神賦巻</strong>くらいで、<strong>趙孟頫</strong>の次子・<strong>趙雍</strong>、孫の<strong>趙麟</strong>、嫁の<strong>菅道昇</strong>とファミリーで水増ししてる感がありました。でも、<strong>№35 楷書帝師肝巴碑巻</strong>には<strong>帝師・パスパ</strong>（巴思八）の名前も見えたんですが、図録では触れられてませんね…。どう言う経緯で書かれたのか興味あるんですがw<br />
あと、<strong>モンゴル時代</strong>に相応しい書として<strong>№43 草書述張旭筆法巻</strong> が出展されてました。作者は<strong>康里巙巙</strong>という<strong>トルコ系遊牧民</strong>出身の<strong>色目人</strong>と言うコトですが…いたって真っ当な書でしたね。出自が面白いだけで書としては実にスタンダードです。</p>
<p>　と、長くなったので残りはまた今度…。</p>
<iframe src="http://www.facebook.com/plugins/like.php?href=http%3A%2F%2Fsengna.com%2F2012%2F01%2F23%2Fgugong200%2F&amp;layout=standard&amp;show_faces=true&amp;width=450&amp;action=like&amp;colorscheme=light&amp;height=80" scrolling="no" frameborder="0" style="border:none; overflow:hidden; width:450px; height:80px;" allowTransparency="true"></iframe>]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://sengna.com/2012/01/23/gugong200/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>5</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://sengna.com/2012/01/23/gugong200/" />
	</item>
		<item>
		<title>前門の関帝廟</title>
		<link>http://sengna.com/2011/03/21/kankou/</link>
		<comments>http://sengna.com/2011/03/21/kankou/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Mar 2011 13:42:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
				<category><![CDATA[徒然]]></category>
		<category><![CDATA[モンゴル]]></category>
		<category><![CDATA[中国史]]></category>
		<category><![CDATA[中華民国]]></category>
		<category><![CDATA[写真]]></category>
		<category><![CDATA[北京]]></category>
		<category><![CDATA[大明]]></category>
		<category><![CDATA[大清]]></category>
		<category><![CDATA[康煕帝]]></category>
		<category><![CDATA[書籍]]></category>
		<category><![CDATA[辮髪]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://sengna.com/?p=1073</guid>
		<description><![CDATA[　今まで何となく買いそびれていた、内田道夫 編『北京風俗図譜』東洋文庫 を購入したので、パラパラ捲ってフムフム言ってます。オンデマンド版だと図版が大きくて些かお得気分です。なんか東洋文庫のサイズだと図版ちっこそうで躊躇し [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　今まで何となく買いそびれていた、内田道夫 編『<strong>北京風俗図譜</strong>』東洋文庫 を購入したので、パラパラ捲ってフムフム言ってます。<a href="http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/series.toyo/wide.html">オンデマンド版</a>だと図版が大きくて些かお得気分です。なんか<strong>東洋文庫</strong>のサイズだと図版ちっこそうで躊躇していた部分はあるんですよねぇ…。で、寡聞にして知らなかったんですが、これ絵画部分は<strong>青木正兒</strong>センセが留学してた時に現地の絵師雇って書いて貰ったモノの様ですね。もっともこの本の肝は各画の解説部分にあるので、注釈を付けた<strong>内田道夫</strong>センセの本だと言うコトは間違いないんですけど。<br />
　で、パラパラ捲っているとこんな記事に遭遇。</p>
<blockquote><p>　神仏をまつる寺廟にも、それぞれはやりすたりはあるが、北京城内のそれは、いずれも整頓されたものが多かった。前門の関帝廟は『三国志』で有名な関羽の霊をまつるもので、鼓楼の関帝廟とともに人を集め、つつましやかな男女の神前にぬかずく姿が見られた。明の成祖永楽帝が蒙古王ベンヤシリを遠征したとき、関公が霊威をあらわし、砂塵煙霧のうちに、常に軍隊を誘導したと伝える（劉侗『帝京景物略』）。<sup><a href="http://sengna.com/2011/03/21/kankou/#footnote_0_1073" id="identifier_0_1073" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="内田道夫『北京風俗図譜 ２』P.18">i</a></sup></p></blockquote>
<p>　かつての<strong>北京</strong>には至る所に<strong>関帝廟</strong>があったようですね。その中でも<strong>前門</strong>の<strong>関帝廟</strong>は場所もあいまってランドマーク的な意味合いもあって大層人気があった模様です。で、上の記事で上げられてる《<strong>帝京景物略</strong>》が手元にあったのでパラパラ捲ってみたところ、確かに該当の記事がありますね。</p>
<blockquote><p>關帝廟<br />
關廟白古今、偏華夷。其祠於京畿也、鼓鐘接聞、又歳有増焉、又月有増焉。而獨著正陽門廟者、以門於宸居近、左宗廟、右社稷之間、朝廷歳一命祀。（中略）<br />
先是成祖北征本雅失理、經闊灤海、至斡難河、撃敗阿魯台。軍前毎見沙濛霧靄中、有神、前我軍駆、其巾袍刀仗、貌色髯影、果然關公也、獨所跨馬白。凱還、燕市先傅、車駕北發日、一居民所畜白馬、晨出立庭中、不動不食、晡則喘汗、定乃食、回蹕則止。事聞、乃勅崇祀。<sup><a href="http://sengna.com/2011/03/21/kankou/#footnote_1_1073" id="identifier_1_1073" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="劉伺・于奕正《帝京景物略》北京古籍出版社 P.97 巻之三 城南内外">ii</a></sup>
</p></blockquote>
<p>　と、まあこんな感じデス。砂漠でいきなり砂嵐に遭遇したら、髯のオッサンが現れて先導してくれたわけですね。髯だからアイツ<strong>関羽</strong>だったんじゃね？と軍中で噂になって、帰ってきたら<strong>前門</strong>に妙ちきりんな白馬がいるからとりあえず祀ってやるさ！って感じですかね？<br />
　胡散臭さ満点なので、多分<strong>関帝廟</strong>の箔付けのために<strong>永楽帝</strong>に仮託された与太話なんでしょうけど、少なくとも<strong>明代</strong>には<strong>前門</strong>には<strong>関帝廟</strong>があったという証拠にはなるでしょう。</p>
<p>　で、その<strong>前門関帝廟</strong>は今現在存在しません。いつの間に消えて無くなったんでしょうか？</p>
<p>　<strong>明代</strong>はとにかく軍人中心に<strong>関羽</strong>信仰が強かったと言われます。何せ、<strong>豊臣秀吉</strong>の<strong>朝鮮出兵</strong>の際に、<strong>朝鮮半島</strong>に進駐した<strong>明軍</strong>は駐屯地に<strong>関帝廟</strong>をワザワザ建設されたと言います<sup><a href="http://sengna.com/2011/03/21/kankou/#footnote_2_1073" id="identifier_2_1073" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="この辺は本ではなく三国志学会 第ニ回大会で金文京センセの発表で聞いた話。詳しくはこのページを参照&rarr;2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感１ 三国志ニュース">iii</a></sup>。遠征の駐屯地にすら<strong>関帝廟</strong>を欲するくらいですから、<strong>国都</strong>の中心たる<strong>前門</strong>に<strong>関帝廟</strong>があったとしても驚くには足りないのかも知れません 。<br />
　次の<strong>清代</strong>では<strong>マンジュ</strong>の<strong>皇族</strong>からして大の<strong>関羽</strong>好きです。<strong>入関</strong>前には<strong>ホンタイジ</strong>が<strong>漢人官僚</strong>に批判されるくらい《<strong>三国演義</strong>》にのめり込んだり、のめりこむあまり《<strong>三国演義</strong>》の<strong>マンジュ語訳</strong>が国家事業としておこなわれたり、その後も<strong>ダイチン・グルン</strong>の<strong>歴代皇帝</strong>は毎夕<strong>坤寧宮</strong>で<strong>シャーマン</strong>が<strong>関羽</strong>を祀ったといいますから、国を挙げて<strong>関羽</strong>が好きだったみたいですね。　試しに手持ちの絵画を捜してみたら、<strong>康煕帝</strong>が南巡した際の様子を描いた《<strong>康煕帝南巡図巻・回鑾京師</strong>》の部分に<strong>前門</strong>の<strong>甕城内</strong>に描かれた<strong>関帝廟</strong>らしき建物が確認出来ました。<br />
<div id="attachment_1118" class="wp-caption aligncenter" style="width: 610px"><a href="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/03/kanteibyou.jpg" rel="lightbox[1073]"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/03/kanteibyou.jpg" alt="" title="康煕年間の前門関帝廟" width="600" height="250" class="size-full wp-image-1118" /></a><p class="wp-caption-text">《康煕帝南巡図巻・回鑾京師》（部分）<sup><a href="http://sengna.com/2011/03/21/kankou/#footnote_3_1073" id="identifier_3_1073" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="《清史図典》第三冊 康煕朝 上 P.91">iv</a></sup></p></div><br />
　<strong>清代</strong>では<strong>天壇</strong>で祭事を行う際、<strong>歴代皇帝</strong>は<strong>前門・関帝廟</strong>を参拝して線香を供えたと言いますから、余程崇拝されたんでしょうね。</p>
<p>　で、その後の顛末を<strong>Wikipedia</strong>で確認して見ると、<strong>前門</strong>こと<strong>正陽門</strong>は1900年の<strong>義和団事件</strong>で戦乱に巻き込まれて外郭である<strong>大柵欄</strong>が焼け、それに続く<strong>八ヶ国連合軍</strong>進駐の際に見張りに立っていた<strong>インド兵</strong>の不審火が原因で火事が発生して<strong>前門</strong>が焼け落ちたみたいです<sup><a href="http://sengna.com/2011/03/21/kankou/#footnote_4_1073" id="identifier_4_1073" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="正阳门箭楼在1900年义和团拳民焚烧前门外大栅栏时被飞溅火星引燃烧毁，城楼在当年冬天被生火取暖的印度士兵不慎烧毁，目前的正阳门是民国三年（1914年）改建的。 Wikipedia 正阳门">v</a></sup>。当然、この際に件の<strong>関帝廟</strong>も焼け落ちたと考えても良いでしょう。</p>
<p>　で、焼け落ちたのなら今の<strong>正陽門</strong>は何なの？と言うコトになりますね。現在の<strong>正陽門</strong>は<strong>中華民国</strong>3（1914）年に再建されたモノです。その際に<strong>関帝廟</strong>も再建された様ですね。<br />
　ただ、1909年刊行の『<strong>北清大観</strong>』という写真集にも<strong>関帝廟</strong>と<strong>菩薩廟</strong>らしき建物が<a href="http://dsr.nii.ac.jp/toyobunko/III-2-C-a-145/V-1/images/gray/0141.jpg" rel="lightbox[1073]">写っている</a><sup><a href="http://sengna.com/2011/03/21/kankou/#footnote_5_1073" id="identifier_5_1073" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="ディジタル・シルクロード 東洋文庫アーカイブ 北清大観 : vol.1 P.141">vi</a></sup>ので、再建されたモノなのか？元々<strong>甕城</strong>内は被害が軽微だったのかは自分には判断出来ません…。<br />
　<strong>中華民国</strong>4（1915）年に<strong>京奉鐵路</strong>敷設のために<strong>前門</strong>の<strong>甕城</strong>が除去された際も、<strong>関帝廟</strong>は壊されなかったようです。その後、<strong>軍閥抗争</strong>の際にも、<strong>日中戦争</strong>時にも、<strong>国共内戦</strong>の時も、再建された<strong>関帝廟</strong>は壊れずにいたようですね。<br />
　下の写真は1957年頃撮影された<strong>正陽門</strong>ですが、バッチリ<strong>関帝廟</strong>も<strong>菩薩廟</strong>も写ってます。<br />
　<br />
<div id="attachment_1130" class="wp-caption aligncenter" style="width: 650px"><a href="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/03/qianmen.jpg" rel="lightbox[1073]"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/03/qianmen.jpg" alt="" title="前門" width="640" height="344" class="size-full wp-image-1130" /></a><p class="wp-caption-text">1957年頃の前門<sup><a href="http://sengna.com/2011/03/21/kankou/#footnote_6_1073" id="identifier_6_1073" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="『北京』岩波写真文庫 P.19">vii</a></sup></p></div><br />
　では、戦火を潜り抜けてきた<strong>関帝廟</strong>はいつ消えて無くなってしまったのか？というのを、先の<strong>Wikipedia</strong>の記事で確認して見ると…案の定、<strong>文革</strong>の時に壊されてしまい、そのまま今日まで再建されていないようですね…<sup><a href="http://sengna.com/2011/03/21/kankou/#footnote_7_1073" id="identifier_7_1073" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="文革期间，正阳门关帝庙与观音庙一同拆除。Wikipedia 正阳门">viii</a></sup>。<br />
<div id="attachment_1116" class="wp-caption aligncenter" style="width: 650px"><a href="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/03/P1020788.jpg" rel="lightbox[1073]"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/03/P1020788.jpg" alt="" title="正陽門" width="640" height="480" class="size-full wp-image-1116" /></a><p class="wp-caption-text">正陽門（2008年11月宣和堂撮影）</p></div><br />
　今、<strong>民国</strong>初期風の街並みをモデルに綺麗に整備された<strong>正陽門</strong>の前に<strong>関帝廟</strong>を再建すれば、それなりに観光客を集めることにはなるんでしょうが、なんだかやるせないですねぇ…。勿論、考証的にはココに<strong>関帝廟</strong>がないとおかしいんですが…。まあ、以前なら<strong>文革</strong>でぶっ壊れたなんて言う記事は捜しても見つからなかったはずですから、時代も変わったと信じましょう。</p>
<iframe src="http://www.facebook.com/plugins/like.php?href=http%3A%2F%2Fsengna.com%2F2011%2F03%2F21%2Fkankou%2F&amp;layout=standard&amp;show_faces=true&amp;width=450&amp;action=like&amp;colorscheme=light&amp;height=80" scrolling="no" frameborder="0" style="border:none; overflow:hidden; width:450px; height:80px;" allowTransparency="true"></iframe><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_1073" class="footnote">内田道夫『北京風俗図譜 ２』P.18</li><li id="footnote_1_1073" class="footnote">劉伺・于奕正《帝京景物略》北京古籍出版社 P.97 巻之三 城南内外</li><li id="footnote_2_1073" class="footnote">この辺は本ではなく<a href="http://www.daito.ac.jp/sangoku/taikai02.html">三国志学会 第ニ回大会</a>で金文京センセの発表で聞いた話。詳しくはこのページを参照→<a href="http://cte.main.jp/newsch/article.php/152">2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感１</a> <a href="http://cte.main.jp/newsch/">三国志ニュース</a></li><li id="footnote_3_1073" class="footnote">《清史図典》第三冊 康煕朝 上 P.91</li><li id="footnote_4_1073" class="footnote">正阳门箭楼在1900年义和团拳民焚烧前门外大栅栏时被飞溅火星引燃烧毁，城楼在当年冬天被生火取暖的印度士兵不慎烧毁，目前的正阳门是民国三年（1914年）改建的。 <a href="http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E9%98%B3%E9%97%A8#.E5.8E.86.E5.8F.B2">Wikipedia 正阳门</a></li><li id="footnote_5_1073" class="footnote"><a href="http://dsr.nii.ac.jp/">ディジタル・シルクロード</a> <a href="http://dsr.nii.ac.jp/toyobunko/">東洋文庫アーカイブ</a> <a href="http://dsr.nii.ac.jp/toyobunko/III-2-C-a-145/V-1/">北清大観 : vol.1</a> <a href="http://dsr.nii.ac.jp/toyobunko/III-2-C-a-145/V-1/page-hr/0141.html.ja">P.141</a></li><li id="footnote_6_1073" class="footnote">『北京』岩波写真文庫 P.19</li><li id="footnote_7_1073" class="footnote">文革期间，正阳门关帝庙与观音庙一同拆除。<a href="http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E9%98%B3%E9%97%A8#.E5.BB.BA.E7.AD.918">Wikipedia 正阳门</a></li></ol>]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://sengna.com/2011/03/21/kankou/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://sengna.com/2011/03/21/kankou/" />
	</item>
		<item>
		<title>錦衣衞</title>
		<link>http://sengna.com/2011/02/15/14-blades/</link>
		<comments>http://sengna.com/2011/02/15/14-blades/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 15 Feb 2011 13:49:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
				<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[大明]]></category>
		<category><![CDATA[東トルキスタン]]></category>
		<category><![CDATA[武侠]]></category>
		<category><![CDATA[甄子丹]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://sengna.com/?p=976</guid>
		<description><![CDATA[　と言うワケで、甄子丹目当てで今ひとつ評判の上がらない武侠片、《錦衣衞（英題：14 Blades 邦題：処刑剣 14 Blades）》をBDで鑑賞。いや、それにしても邦題最悪…ww 　まあ、錦衣衞自体が明代のスパイ機関だ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで、<strong>甄子丹</strong>目当てで今ひとつ評判の上がらない武侠片、《<a href="http://ent.sina.com.cn/f/m/jywgw/index.shtml">錦衣衞</a>（英題：14 Blades 邦題：<a href="http://shokeiken.com/">処刑剣 14 Blades</a>）》をBDで鑑賞。いや、それにしても邦題最悪…ww<br />
　まあ、<strong>錦衣衞</strong>自体が<strong>明代</strong>のスパイ機関だったわけで、<strong>東廠</strong>と並んで<strong>明朝</strong>の暗部をになっていたわけで、処刑もその職務の一部ではあったんですが…<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%A6%E5%88%91%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC">処刑ライダー</a>じゃあるまいしもっと何か無かったのかと…。<br />
　まあ、英題も主人公・<strong>青龍</strong>の持ってるギミックフルな暗殺道具からなんでしょうけど、もうちょっとスマートな題名にできなかったモノかと…。でも、思い起こせば<strong>錦衣衞無頼</strong>とか、<strong>ドニー・イェン</strong>の<strong>タイガー・イン</strong>とかでも良いような内容なんでどうでも良いですね。要するに<strong>チャイニーズ・ウエスタン</strong>です。<br />
<span id="more-976"></span><br />
適当なあらすじ</p>
<blockquote><p>　<strong>錦衣衞</strong>の<strong>青龍</strong>（甄子丹）は勅命を受け、いつものように職務を遂行の為大臣・<strong>趙審言</strong>（劉松仁）を暗殺しに行く。しかし、大臣の家にあったのは<strong>伝国の玉爾</strong>…<strong>大明国</strong>の「<strong>皇帝之</strong>寶」…。<strong>青龍</strong>は<strong>玉爾</strong>強奪計画のため陰謀にはめられたのだ！<strong>東廠</strong>の太監・<strong>賈精忠</strong>（羅家英）は<strong>錦衣衞</strong>の四人の頭目の内の<strong>玄武</strong>（戚玉武）と手を組み、<strong>朱雀</strong>、<strong>白虎</strong>を刑死に追い込み、逃亡した<strong>青龍</strong>に追っ手を放つ。<br />
　命からがら逃げ延びた<strong>青龍</strong>は、解散寸前の鏢局・<strong>馭天鏢局</strong>に転がり込み逃亡を助けるように乞う。追っ手を振り払うために結局は<strong>総鏢頭</strong>・<strong>喬永</strong>（牛馬）の娘・<strong>喬花</strong>（趙薇）と二人で逃げることになる。<br />
　<strong>西域</strong>に逃亡した<strong>青龍</strong>は偶然にも秘密を知る。どうやら<strong>賈精忠</strong>はかつて罪に問われて<strong>西域</strong>に流された皇族・<strong>慶親王</strong>（洪金寶）の謀反に荷担して「<strong>皇帝之寶</strong>」を奪ったらしい。<br />
　<strong>青龍</strong>は<strong>西域</strong>を縄張りにする<strong>天鷹幇</strong>の<strong>大漠判官</strong>（呉尊）に助力を乞い、<strong>玄武</strong>や<strong>慶親王</strong>の養女・<strong>脱脱</strong>の猛追を受けつつ復讐を遂げようとする…。</p></blockquote>
<p>　ちなみに<strong>青龍</strong>・<strong>朱雀</strong>・<strong>白虎</strong>・<strong>玄武</strong>は官職であって名前ではないのだそうな…。で、幼い頃から暗殺術を仕込まれていたので名前がないと言うコトです。<strong>青龍</strong>はその昔、任務のために自分の兄を手にかけていたりして、その辺が映画に影を落としているのだそうな。<br />
　ま、この映画の<strong>ド兄</strong>さんは<a href="http://cache.mars.sina.com.cn/nd/dataent/moviepic/pics/115/moviepic_e7e5f18cd4f195afd28834cb91c5abb6.jpg" rel="lightbox[976]">ウェービーヘアにチョビ髭はやした皮のシャンプーハット被ったおっさん</a>です。それ以上でもそれ以下でもない。あと、冒頭いきなり脱いで、<a href="http://cache.mars.sina.com.cn/nd/dataent/moviepic/pics/115/moviepic_584dfe8e1c49693e31dc79ab35acd3fa.jpg" rel="lightbox[976]">中盤で風呂にも入ります</a>が、何故か<strong>小燕子</strong>よりも裸シーンが多いデス。あ、<strong>小燕子</strong>は相変わらず<strong>小燕子</strong>です。<br />
　アクションの見所としては、<a href="http://cache.mars.sina.com.cn/nd/dataent/moviepic/pics/115/moviepic_9695c969c93dc354b5e79b51825c75de.jpg" rel="lightbox[976]">一本眉毛女子</a>であるところの<strong>西域妖術師</strong>・<strong>脱脱</strong>の<a href="http://cache.mars.sina.com.cn/nd/dataent/moviepic/pics/115/moviepic_b7e7fcbf1543d4a6c5538c8853a1d893.jpg" rel="lightbox[976]">質量のある残像を残しつつやるストリップ</a>ですね。何で脱ぐのか今ひとつ不明ですけどw後何で<strong>飛倫海</strong>は<a href="http://cache.mars.sina.com.cn/nd/dataent/moviepic/pics/115/moviepic_2b0727e6ce91e44622491b2305c5f372.jpg" rel="lightbox[976]">ジャック・スパロウの出来損ないみたいなカッコ</a>してたんですかね…。<br />
　<strong>鏢局</strong>や<strong>幇会</strong>が出てきたり、<strong>江湖</strong>というフレーズが出て来る割に、<strong>軽功</strong>で飛びませんし（ワイヤーで釣られますが）必殺技があるわけではない（とはいえ、ギミック満載の暗殺道具が出てきますが…）あたり、ストイックな感じデスね…。<strong>武侠片</strong>と言うよりは<strong>古装片</strong>といった感じはしますね…。まあ、<strong>古装</strong>と言った所で<strong>古龍</strong>っぽい世界ではあるんですがw<br />
　最終的には<a href="http://www.youtube.com/watch?v=OaKH9bywzgQ">こんな曲</a>が似合いそうな映画でしたww<strong>ウエスタン</strong>でしたよwwやたら弩が出てきましたしw<br />
　ま、<strong>ド兄</strong>が好きというのでもなければあんまり見なくても良いかも知れません。ただ、お金は掛かっているので、服飾やセットを見るのは楽しいですね。</p>
<iframe src="http://www.facebook.com/plugins/like.php?href=http%3A%2F%2Fsengna.com%2F2011%2F02%2F15%2F14-blades%2F&amp;layout=standard&amp;show_faces=true&amp;width=450&amp;action=like&amp;colorscheme=light&amp;height=80" scrolling="no" frameborder="0" style="border:none; overflow:hidden; width:450px; height:80px;" allowTransparency="true"></iframe>]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://sengna.com/2011/02/15/14-blades/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>2</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://sengna.com/2011/02/15/14-blades/" />
	</item>
		<item>
		<title>もろこし銀侠伝・もろこし紅遊録</title>
		<link>http://sengna.com/2011/01/25/morokosi/</link>
		<comments>http://sengna.com/2011/01/25/morokosi/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 15:26:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
				<category><![CDATA[オフ会]]></category>
		<category><![CDATA[書籍]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[モンゴル]]></category>
		<category><![CDATA[中国史]]></category>
		<category><![CDATA[先秦]]></category>
		<category><![CDATA[北宋]]></category>
		<category><![CDATA[南宋]]></category>
		<category><![CDATA[大明]]></category>
		<category><![CDATA[大清]]></category>
		<category><![CDATA[武侠小説]]></category>
		<category><![CDATA[辮髪]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://sengna.com/?p=929</guid>
		<description><![CDATA[　と言うワケで、読んでから暫く経ってたんですが、秋梨惟喬『もろこし銀侠伝』創元推理文庫 と『もろこし紅遊録』創元推理文庫 を読了。 　と、真っ当なレビューはここら当たりで読んで下さいw 時代伝奇夢中道　主水血笑録 　「も [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで、読んでから暫く経ってたんですが、秋梨惟喬『<strong>もろこし銀侠伝</strong>』創元推理文庫 と『<strong>もろこし紅遊録</strong>』創元推理文庫 を読了。<br />
　と、真っ当なレビューはここら当たりで読んで下さいw</p>
<blockquote><p><a href="http://denki.txt-nifty.com/mitamond/">時代伝奇夢中道　主水血笑録</a><br />
　<a href="http://denki.txt-nifty.com/mitamond/2010/09/post-33e7.html">「もろこし銀侠伝」（その一）　武侠世界ならではのミステリ</a><br />
　<a href="http://denki.txt-nifty.com/mitamond/2010/09/post-9300.html">「もろこし銀侠伝」（その二）　浪子が挑む謎の暗器</a><br />
　<a href="http://denki.txt-nifty.com/mitamond/2010/12/post-6ffa.html">「もろこし紅游録」（その一）　銀牌、歴史を撃つ</a><br />
　<a href="http://denki.txt-nifty.com/mitamond/2010/12/post-0891.html">「もろこし紅游録」（その二）　結末と再びの始まりと</a></p></blockquote>
<p>　ザッというと「黄帝から続く銀牌をもつ侠客が各時代に庶民の味方となって活躍していたのだった！」と言う建前の<strong>中国</strong>を舞台にした<strong>時代推理小説</strong>デス。<br />
　時代はバラバラで登場人物も違いますが、各話に共通しているのは、比較的平和な時代に、民間で殺人事件が起こり、<strong>銀牌</strong>を持った人間やその関係者が、隠されたシステムを解き明かして、事件の解決にいたる手助けをする…と言う話ですね。<br />
　舞台とする時代が<strong>戦国時代</strong>、<strong>北宋</strong>、<strong>南宋</strong>、<strong>元</strong>、<strong>明</strong>、<strong>清</strong>、<strong>民国</strong>と様々でバラエティーに富んでいる上に、登場人物はみな魅力的な良作でした。一個一個の事件のトリックには正直どうかと思うモノも中にはありましたが、それを補ってあまりある人物描写と考証で楽しめました。<br />
　ただ、割と殺伐としたハードボイルドな話が多いのに、ひらがなの”<strong>もろこし</strong>”というタイトルと、ほのぼのとした表紙はちょっと合ってないかな…という気も。あと、言われているほど<strong>武侠テイスト</strong>は感じられず、どっちかというと<strong>陳舜臣</strong>の<strong>初期中国モノ</strong>の様に<strong>推理モノ</strong>と<strong>中国モノ</strong>の融合した小説…という側面が強いのかな…とは思いました。<br />
　<strong>武侠</strong>と言えば<strong>軽功</strong>ですが…<strong>軽功</strong>は一応出てきますが、むしろ、<strong>水滸伝</strong>的な<strong>神行法</strong>とか<strong>縮地法</strong>的な描き方でしたね。<strong>水滸伝</strong>の登場人物も『<strong>もろこし銀侠伝</strong>』には出てきますしw勿論、派手な必殺技が出てきて、技名を絶叫するわけでもないですし、腫れた惚れたの愛憎劇があるわけではないので、コレが<strong>武侠</strong>か？と言われるとやっぱりNO！と言わざるを得ませんね。<strong>武侠小説</strong>を求めてこの小説を読むのはちょっと危険です。<strong>武侠小説</strong>のテイストも確かに混入されていますが、むしろ<strong>水滸伝</strong>や<strong>志怪小説</strong>のような古典の方に雰囲気は近いと思います。<strong>武侠小説</strong>よりも洗練された<strong>江湖</strong>よりの世界を舞台にした<strong>中国推理もの</strong>と言った方がすんなりします。<br />
　しかし、オフ会で作者の方と同席する栄誉を賜ったのですが、残念ながらまだ読了して無かったのが悔やまれます。色々書きましたがオススメの小説です！</p>
<div align="center"><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=FFFFFF&#038;IS2=1&#038;npa=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=sengnadou-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&#038;asins=4488413110" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe> <iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=FFFFFF&#038;IS2=1&#038;npa=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=sengnadou-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&#038;asins=4488413129" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></div>
<iframe src="http://www.facebook.com/plugins/like.php?href=http%3A%2F%2Fsengna.com%2F2011%2F01%2F25%2Fmorokosi%2F&amp;layout=standard&amp;show_faces=true&amp;width=450&amp;action=like&amp;colorscheme=light&amp;height=80" scrolling="no" frameborder="0" style="border:none; overflow:hidden; width:450px; height:80px;" allowTransparency="true"></iframe>]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://sengna.com/2011/01/25/morokosi/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://sengna.com/2011/01/25/morokosi/" />
	</item>
	</channel>
</rss>

