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	<title>宣和堂遺事 &#187; 大清</title>
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	<description>宣和堂の節操のない日記</description>
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		<title>特別展 北京故宮博物院200選 その２</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Jan 2012 14:54:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　と言うコトで特別展 北京故宮博物院200選の続き。展示会場の１／４を占めるダイチン・グルン（大清国）の展示です。個人的にはこのあたりが一番内容濃かったように思います。この展示内容だと、基本的には書道や磁器、青銅器も来て [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うコトで<a href="http://www.kokyu200.jp/" target="_blank">特別展 北京故宮博物院200選</a>の続き。展示会場の１／４を占める<strong>ダイチン・グルン</strong>（大清国）の展示です。個人的にはこのあたりが一番内容濃かったように思います。この展示内容だと、基本的には<strong>書道</strong>や<strong>磁器</strong>、<strong>青銅器</strong>も来てますが、メインは<strong>絵画</strong>だと思います。特にこのあたりは<strong>絵画</strong>の濃度が濃かったように思います。では、始めましょう。<br />
<span id="more-1377"></span><br />
　まずは、《<strong>康煕南巡図</strong>》ですね。この絵画も風俗画としての側面もある以上、《<strong>清明上河図</strong>》と比較されるでしょう…。存在は知っていましたがなかなか全幅を掲載している図録も見当たらず、まして直に見るような機会はなかったので、この機会に見ることが出来たのは幸いでした。図録を見るに全巻が残っているわけではなく現存するのは全11巻の中、９巻分のみで、しかも世界中に散らばっているようですね…。作成の意図はあくまで政治的なデモンストレーションの絵画的な記録と言うコトなんでしょう。芸術品ではないからか、鑑蔵印や鑑賞印は押されていませんでした。まぁ、流石の<strong>乾隆帝</strong>も敬愛する祖父・<strong>康煕帝</strong>の御影には判子攻撃は出来なかったってコトなんでしょうけどねw<br />
　<strong>№110 康煕南巡図巻</strong> は<strong>南巡</strong>の日程としてはクライマックスにあたる箇所で、<strong>康煕帝</strong>が<strong>龍船</strong>に乗って、<strong>江南</strong>を旅している様子が描かれています。感心したのは<strong>康煕帝</strong>の側に仕える<strong>旗人</strong>は<strong>黄馬掛</strong>の人が多いと言うあたりです。見つけた時は小さく叫びましたwまた、<strong>康煕帝</strong>の周りには八旗を掲げた船に囲まれていて、<strong>八旗制</strong>を視覚的に描くという意味もあるのだなぁ…と、感じ入りました。<strong>同治</strong>元（1862）年に制定された、<strong>清国国旗</strong>は<strong>正黄旗</strong>の船旗が元だと言いますから、実に<strong>康煕帝</strong>の船に立つ<strong>正黄旗</strong>こそが元祖と言うコトになります。話は変わりますが、<strong>清末</strong>の<strong>漢人</strong>を迷信深いと小馬鹿にしたネタで、船には眼がついていないと進まないと信じていた！と言うのがありますが、この絵を見る限り、船には眼は書いてないようですね。<br />
　<strong>南巡</strong>の途中、<strong>康煕帝</strong>が通った街並みや寺院を克明に描いている点が見所でしょう。この辺も写実的に南巡の料亭を描いた…と言うよりは、旅程の印象をコラージュのように名場面集にしたんでしょうね。街行く人々は大体男性で、笠を被り<strong>長襂</strong>に<strong>馬掛</strong>と言う出で立ちです。ただ、建物の屋内には女性が見られたり、笠を被らずに<strong>辮髪</strong>を晒す男性も描かれています。これを素直に受け止めて、<strong>江南</strong>では女性は日中出歩くことはなく、殆どの人が<strong>辮髪</strong>を晒すことはなかった…と考えるのは早計でしょうね…。<strong>清末</strong>の写真を見ると思ったよりも<strong>女性</strong>が街中を歩いていたり、男性が笠も被らずに<strong>辮髪</strong>を鉢巻きにしている姿が存在します。どちらが正解とかではないのですが、宮廷画では服装を形式的に描き、写実的には描かないことがママあると言うことです。事実、<strong>台湾故宮</strong>を象徴する絵画・<strong>清院本清明上河図</strong>は、<strong>清代</strong>の<strong>蘇州</strong>を描きながら登場する人々は<strong>明代</strong>の<strong>漢服</strong>で描かれていたりします。<br />
　で、お次は<strong>№111 康煕南巡図巻 第十二巻</strong>です。面白い構成になっていて、<strong>康煕帝</strong>の帰りを待つ<strong>太和殿</strong>の中から絵巻は始まっています。人っ子一人いない<strong>太和門</strong>を経て、百官と象が列ぶ<strong>午門外</strong>、<strong>端門</strong>の外から<strong>天安門</strong>から<strong>千歩廊</strong>を経て<strong>大清門</strong>まで、騎馬の<strong>旗人</strong>がまばらに見えます。<strong>大清門</strong>の横には<strong>下馬標</strong>らしきモノが見えるのですが、この人達は<strong>下馬標</strong>すら免除された人達なんでしょうかねぇ？まばらな騎馬の<strong>旗人</strong>は<strong>正陽門</strong>こと<strong>前門</strong>まで続きます。以前、<a href="http://sengna.com/2011/03/21/kankou/" target="_blank">前門の関帝廟</a>という記事でネタにした、<strong>前門甕城内</strong>にある<strong>関帝廟</strong>が克明に描かれています。残念ながら<strong>関羽像</strong>があるかどうかまでは確認出来ませんでしたがw<br />
　<strong>前門</strong>を出て<strong>前門大街</strong>に出てくると、ようやくようやく黄色い天蓋の<strong>康煕帝</strong>がお目見えします。賑やかな<strong>前門大街</strong>は<strong>皇帝</strong>が通るために通りに面した店は全て規制で雨戸を閉めている状態です。通りの向こうの筋ではいつも通りの人だかりのようです。<strong>康煕帝</strong>の後には<strong>八旗</strong>を掲げた騎馬の群れが、<strong>康煕帝</strong>を頂点として雁行する様な特殊な陣形で騎行しています。好き勝手無茶苦茶に馬を歩かせているように見えて、俯瞰するとシンメトリックなあたり面白いですね。騎馬の群れが通りきらないにも関わらず、交通止めで不便していたような民衆は待ちきれずに扉を押し開けようとしています。扉を押さえる側の役人も行列が終わっていないのでヒヤヒヤしていそうですね。郊外に出て来ると人文字…まあ、マスゲームで<strong>天子万年</strong>と言う文字を形作っています。<strong>北京</strong>が好きな人なら、この絵は何時間見ていても飽きないでしょう。というか、飽きませんww<br />
　お次は<strong>№113～120 雍正帝行楽図像冊</strong>です。平たく言うと<strong>雍正帝</strong>の<strong>コスプレ写真集</strong>ですね。今回展示されていたのは<strong>モンゴル</strong>の<strong>ハーン</strong>、<strong>チベット僧</strong>、<strong>道士</strong>、<strong>文人</strong>、<strong>漁師</strong>、<strong>狩人</strong>に変身した<strong>雍正帝</strong>でした。冷徹で過酷な<strong>皇帝</strong>として知られる<strong>雍正帝</strong>ですが、文物を通して見る<strong>雍正帝</strong>はリキの入ったコスプレ好きなオッサンです。今回は来ていませんでしたが、<strong>ルイ14世</strong>風のヅラを被って洋服を着て何故か槍を構えた<strong>雍正帝</strong>が虎と戦う場面も<strong>雍正帝行楽図像冊</strong>にはあります。というか、コスプレ絵画に便宜上<strong>雍正帝行楽図像冊</strong>と言う名前をつけているに過ぎないので、何個かシリーズはあるみたいです。<br />
　このコスプレイヤーの血は着実に<strong>乾隆帝</strong>にも受け継がれたようで、<strong>№174 乾隆帝文殊菩薩画像</strong> のような、コスプレタントラまで作るようになるわけです…。まあ、こんなにコスプレ絵画が好きなのもこの親子くらいなモンですが…。でも、<strong>珍妃</strong>は<strong>紫禁城</strong>にカメラを持ち込んで、<strong>光緒帝</strong>とコスプレ写真を撮って二人してノリノリで楽しんだと言いますから、案外歴代皇帝コスプレを多かれ少なかれ好きだったのかも知れませんねw<br />
　書籍もいくらか来ていて、<strong>№122 《御製五体清文鑑》</strong>は<strong>内藤湖南</strong>が<strong>瀋陽故宮</strong>で発見して、<strong>《満文老檔》</strong>同様の価値を認めた、<strong>満漢蒙蔵回</strong>の五カ国語の辞書、<strong>№123 《清聖祖実録》漢文本</strong> と<strong>№124 《清聖祖実録》満文稿本</strong> は<strong>康煕帝</strong>の<strong>実録</strong>の<strong>漢文版</strong>と<strong>マンジュ語版</strong>の草稿、<strong>№125 《世宗実録》満文稿本</strong> は<strong>順治帝</strong>の<strong>実録</strong>の<strong>マンジュ語版</strong>の草稿。見るだけでもワクワクしますね。<br />
　また、<strong>乾隆帝コレクション</strong>の<strong>カタログ</strong>である、<strong>№147《西清古鑑》</strong>、<strong>№148 《西清硯譜》</strong>、№149《<strong>秘殿珠林</strong>》<strong>№150 《石渠宝笈》（貯乾清宮套）</strong>、<strong>№152 《天禄琳琅》</strong>も展示されていました。<br />
　<strong>№91 乾隆帝像</strong>です。本によっては<strong>乾隆朝服座像</strong>とか称される絵画です。<strong>乾隆帝</strong>の肖像としては、おそらく最も有名な絵画ではないでしょうか？大きいとは思いましたが、畳一畳ほどの実に大きな絵画です。落款はありませんが、おそらくは<strong>ジョゼッペ・カスティリオーネ</strong>（郎世寧）の作だとされています。西洋絵画の手法を取り入れた絵画なので、てっきり油絵のような重ね塗りの技法が使われているのかと勝手に思っていたのですが、使用しているのは顔料みたいですね。つまりこの明暗を重ね塗りではなく色の濃淡だけで表現しているわけで、この辺は驚きですね。画面構成上、特に主張するべきだとも思えない絨毯の描写がかなり手が込んでいて驚きました。<br />
　基本的に<strong>東洋</strong>では<strong>肖像画</strong>は死後、祖先崇拝の祭祀のために飾られるコトの方が多く、事実<strong>台湾故宮</strong>に収蔵されている帝王像の多くはその用途で使用されたと考えられます。しかし、この<strong>乾隆帝像</strong>は即位の年に描かれたようです。朝服を着た姿で描かれた写実的な肖像画です。基本的に<strong>帝王</strong>の<strong>肖像画</strong>はその用途からも、<strong>鑑賞印</strong>や<strong>鑑蔵印</strong>は押されないことが多いのですが、何故かこの肖像画には<strong>五福五代堂古希天子之寶</strong>、<strong>八徴耄念之寶</strong>、<strong>太上皇帝之寶</strong>の三つの印爾が押されています。いずれも<strong>乾隆帝</strong>が老境に差し掛かってから…というか70～80代という高齢になってから使用した印なので、おそらく書かれてから随分後になって押した印なんでしょうが、なんとも謎ですね。老いてからこの絵を見返して、かつての青年の日々を思い出したのでしょうか？<br />
　もう一つ、有名な乾隆帝の肖像画が来てましたね。<strong>№192 乾隆帝大閲像軸</strong>は<strong>NHK</strong>の<strong>シリーズ故宮</strong>の図録が出た際に最終刊はこの絵が表紙でした。<br />
　これも、<strong>№91 乾隆帝像</strong>と同じく、<strong>ジョゼッペ・カスティリオーネ</strong>のタッチで描かれた<strong>乾隆帝像</strong>ですね。甲冑と馬が実に見事でした。間近に見るに、こんな淡い色でどうやってあんなに立体的に見える様に塗れるのかは本当に不思議です。隣に<strong>№96～97</strong>の甲冑が置いてありましたけど、まあ、ここに描かれている甲冑とは違うモノでしょうねw参考展示って感じデス。<br />
　<strong>№121 乾隆帝紫光閣遊宴図巻</strong>は何より、<strong>冰嬉</strong>が描かれているのが楽しいですね。<strong>冰嬉</strong>は要するにスケート競技です。スケートを履いた<strong>旗人</strong>が、スケートリンクに置かれたゲートに吊られた的めがけて滑りながら矢を射かける競技だったようです。競技は<strong>八旗</strong>対抗で行われたらしく、どのような態勢でどの部位を射たのか？で、点数が決まったようです。なので、滑ってる人は各自分が所属する<strong>グサ</strong>の<strong>旗</strong>を背負って滑っているわけです。<strong>乾隆帝</strong>の<strong>マンジュ復興策</strong>によって振興された競技で、<strong>乾隆年間</strong>は<strong>皇帝</strong>を始め熱狂的に支持されたスポーツだったようです。なので、この絵でも右側に<strong>冰嬉</strong>が競技されている所を描き、左側では<strong>南海</strong>にある<strong>紫光閣</strong>中央に座った<strong>乾隆帝</strong>から宴が下賜される様子を描いています。ただ、氷が張るほど寒いのに、地べたに座卓で料理食べるのはどうでしょうかね？随分と寒々しい感じがします。また、こういった絵では珍しく、<strong>紫光閣</strong>の裏手でテントを張って料理の準備をする<strong>蘇拉</strong>？が描かれています。蒸し器を使っている所から見ると、饅頭でも蒸しているんでしょうか？<br />
　さて、<strong>№121 乾隆帝紫光閣遊宴図巻</strong>が<strong>マンジュ</strong>の<strong>ハーン</strong>としての<strong>乾隆帝</strong>の絵だとしたら、<strong>№126 乾隆帝是一是二図軸</strong>は<strong>漢人</strong>の<strong>皇帝</strong>としての絵ですかね。<strong>中国絵画</strong>ではよくある、文人が己のコレクションを自慢するタイプの絵画なワケですが、この絵画が凄いところは、この絵画に描かれた文物が<strong>台湾故宮</strong>と<strong>北京故宮</strong>に別れているとはいえ、今も現存することですね。事実この展示では、№128～№133、№135と絵の中で紹介されている八つの文物が展示されていました。まぁ、何とも贅沢な話です。<br />
　後は、個人的には<strong>円明園</strong>の<strong>万方安和</strong>という卍型の宮殿の模型、<strong>№143 円明園｢万方安和｣模型</strong> があったのも嬉しかったですね。これ自体は実際に宮殿を作る前に作られたモックアップみたいなモノみたいですが、実に精巧な出来です。宮殿自体は英仏連合軍の焼き討ちにあってとっくに消し炭になってるわけですが、こうやって模型の方がまだ残っていると言うのも不思議な感じデスね。<br />
　<strong>№199 万国来朝図軸</strong>は画面の1/5あたりの下の方で、<strong>乾隆帝</strong>に新年の挨拶に訪れた各国の使節が主題のワリには小さいです。ご丁寧に旗に国名まで書いているわけですがwまぁ、軸なんで下の方にかためないと見えないんでしょうけど…。で、門の前で待たせておいて、当の<strong>乾隆帝</strong>は宮殿でまだ子供達と年越し行事を楽しんでいたりするわけで、その対比も面白いですね。<br />
　<strong>№200 乾隆帝生春詩意北京図軸</strong> は、<strong>乾隆帝</strong>が北京の名所で詠んだ詩を、<strong>北京</strong>の俯瞰図を使って、ここのことを詠んだ詩だよ？という様なことをしている絵ですね。まぁ、Googleマップでやれってはなしですよね。しかし、これで乾隆帝が具体的にどの風景を読んだのか分かる。今は失われてしまった名所の場所がこれで分かったりするわけですね。そう言う意味では京迷にはたまらない、素晴らしい絵です。細かいことですが、やっぱり<strong>中南海</strong>で<strong>冰嬉</strong>をやっていて、これはこれで個人的には感動的です。<br />
　<strong>三希堂</strong>の再現展示も面白かったんですが、<strong>雍正帝</strong>と<strong>乾隆帝</strong>親子のだまし絵はキャプションでも用意しておかないと、見た人若らんのじゃないですかね？大体の人はあそこでポカーンとしていましたので…。<br />
　と言うコトで、備忘録がわりにザッと思いつくまま書いてみました。いや～やっぱり良い展示ですね。<strong>清明上河図</strong>の展示期間が終わってからもう一度見に言って見ますw</p>
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		<title>特別展 北京故宮博物院２００選</title>
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		<pubDate>Sun, 22 Jan 2012 15:03:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　と言うワケで特別展 北京故宮博物院200選に行ってきました。どうにもこうにもお蔵出しの清明上河図が人を呼ぶらしく、噂に違わぬ盛況ぶりでした。8:30に東博について列んで、見られたのが11:00なので思ったよりは早かった [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで<a href="http://www.kokyu200.jp/" target="_blank">特別展 北京故宮博物院200選</a>に行ってきました。どうにもこうにもお蔵出しの<strong>清明上河図</strong>が人を呼ぶらしく、噂に違わぬ盛況ぶりでした。8:30に東博について列んで、見られたのが11:00なので思ったよりは早かったモノのやはり結構掛かりましたね…。でも、予想外だったのがそれ以降にも結構な時間掛かったことですね。17:00に設定したオフ会ギリギリまで掛かって見てしまいましたね…。あんまり期待せずに行ったんですが、清明上河図以外にも結構良いものが来てます。大物の絵巻物の展示が３巻もあったので図録にすると小さいのですが、全幅載っているのは素晴らしいですね。絵の部分だけではなく賛や跋の部分もカラーでガッツリ載ってますから、自分の様に鑑賞印とか鑑蔵印見るだけでニヤニヤ出来る人には勝って損なしです。と言うか、展示に行かなくても図録だけ買っても良いくらいですね。実に素晴らしい！と言うワケで以下備忘録です。<br />
<span id="more-1367"></span><br />
　まあ、この展示での売りはなによりかにより、<strong>№2.清明上河図巻</strong>です。個人的には中国絵画の中でもとびきり好きな絵なので、オリジナルが見られたのは本当に感無量です。学生時代に卒業論文書く際に恩師の研究室で白黒のコピーで絵の部分だけ全幅見せて頂いてからもう20年近く経ちますが、ようやく見ることが出来ました。といっても、北京に行った際に故宮で２回模筆は見てますし、模筆のカラーコピーも持ってるんですが、うーん…やはりオリジナルはよかったです。<br />
　サイズ自体は模筆はオリジナルと同じ程度なのですが、やはりオリジナルの方が気持ち線が細く、人物の表情も豊かなように見えます。それに思ったほど経年劣化も酷くなく色鮮やかな画面に驚きました。模筆とオリジナルの差が明らかな、例のギャロップする馬も確認出来ました。感無量です。<br />
　折角なので判子ばっかり見ていたんですが、嘉慶鑑賞、嘉慶御覧之寶、宣統御覧之寶、宣統鑑賞が確認出来ました。図録によると《続資治通鑑》の編纂をした<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A2%E3%82%B2%E3%83%B3" target="_blank">畢沅</a>の所有物だったモノを<strong>白蓮教徒の乱</strong>の時に<strong>畢沅</strong>が失脚して、家財を没収された時に宮中に入ったと言うので、<strong>乾隆年間</strong>には宮中になかったので<strong>乾隆御覧之寶</strong>とか<strong>五福五代堂古希天子之寶</strong>とか<strong>八徴耄念之寶</strong>とか<strong>三希堂</strong>とか<strong>太上皇帝</strong>とか<strong>乾隆辰翰</strong>とか色々な判子をボコボコ押されずに済んだみたいですね…。この記事書くためにWikipediaの<strong>畢沅</strong>の項みたら、<strong>袁枚</strong>にラブレター送りつけたガチホモだったとか、実にいらん知識も入ってしまったのですが、まぁ、<strong>畢沅</strong>グッジョブ！<br />
　<strong>北宋</strong>の<strong>社会史</strong>やる人間の大半はこの<strong>清明上河図</strong>と《<strong>東京夢華録</strong>》にやられて道を踏み外すのですから、この魔力たるや実に大したものです。４時間待ちもむべなるかな…です。<br />
　それにしても感激したのが、図録の解説でキチンとこの絵が<strong>溥儀</strong>の<strong>満州国コレクション</strong>経由で<strong>北京故宮</strong>に収蔵されたことがキチンと書かれてることですね。まぁ、サラッとですけど。でも、最近は<strong>清明上河図</strong>は<strong>張択端</strong>が<strong>徽宗</strong>の画院で書いたことになってるんですねぇ…。それはちょっと自分は賛同出来ないんですけど、最近出た本読んでまた勉強してみます。<br />
　<strong>北宋</strong>の書については結構来てましたね。<strong>蔡襄</strong>については<strong>№24 草書入春帖</strong>、<strong>№25 行楷書蒙恵帖</strong>、<strong>№26 行楷書山堂帖</strong>、<strong>№27 行書扈従帖</strong>と四点も来てました。書はサッパリ分からないですが、多分この手の展示で<strong>蔡襄</strong>が一度にこんなに来ることはそう無かったと思います。<br />
　更に<strong>米芾</strong>の<strong>№28 行書苕渓詩巻</strong>、<strong>黄庭堅</strong>の<strong>№29 草書諸上座帖巻</strong>が来てました。<strong>米芾</strong>の方がエキセントリックなイメージあったんですが、なんだか<strong>黄庭堅</strong>の方がもの凄い突っ走った書でしたね。何書いてるのかは分かりませんでしたが、何か凄かったですw<br />
　<strong>№3 瑞龍石図</strong> は徽宗の作と言うことになっていますが…どうなんですかねぇ…。自分は宋代の絵には見えませんでしたけど、そうなんですかねぇ…。<strong>徽宗</strong>の<strong>痩金体</strong>もなんだかわざとらしく見えるんですが…。まだ、<strong>№31 楷書書簡中秋月詩帖</strong>の方がまだしも徽宗が書いたように見えますw<br />
　あと、絵画では<strong>№11 長江万里図</strong>も山水画というか水墨画の逸品ですね。霞というか霧というか、山あいの表現の仕方が素晴らしいと思いました。今回の展示では<strong>南宋</strong>の一番お気に入りの絵です。<br />
　何故かこの展示、<strong>趙孟頫</strong>をやたらとフューチャーしていたのですが、実際には<strong>№13 水村図巻</strong> と<strong>№35 楷書帝師肝巴碑巻</strong>、<strong>№36 行書洛神賦巻</strong>くらいで、<strong>趙孟頫</strong>の次子・<strong>趙雍</strong>、孫の<strong>趙麟</strong>、嫁の<strong>菅道昇</strong>とファミリーで水増ししてる感がありました。でも、<strong>№35 楷書帝師肝巴碑巻</strong>には<strong>帝師・パスパ</strong>（巴思八）の名前も見えたんですが、図録では触れられてませんね…。どう言う経緯で書かれたのか興味あるんですがw<br />
あと、<strong>モンゴル時代</strong>に相応しい書として<strong>№43 草書述張旭筆法巻</strong> が出展されてました。作者は<strong>康里巙巙</strong>という<strong>トルコ系遊牧民</strong>出身の<strong>色目人</strong>と言うコトですが…いたって真っ当な書でしたね。出自が面白いだけで書としては実にスタンダードです。</p>
<p>　と、長くなったので残りはまた今度…。</p>
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		<title>九月の本</title>
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		<pubDate>Wed, 14 Sep 2011 10:54:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
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		<description><![CDATA[09/12 石井進『中世武士団』講談社学術文庫 09/12 石橋崇雄『大清帝国への道』講談社学術文庫 09/16 深町英夫『孫文革命文集』岩波文庫 09/18 武田知弘『ナチスの発明』彩図社文庫 『大清帝国への道』は講談 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>09/12 石井進『<strong>中世武士団</strong>』講談社学術文庫<br />
09/12 石橋崇雄『<strong>大清帝国への道</strong>』講談社学術文庫<br />
09/16 深町英夫『<strong>孫文革命文集</strong>』岩波文庫<br />
09/18 武田知弘『<strong>ナチスの発明</strong>』彩図社文庫<br />
<span id="more-1316"></span><br />
『<strong>大清帝国への道</strong>』は講談社メチエで出ていた『<strong>大清帝国</strong>』の文庫化だけど、終章を加筆だとか…。<a href="http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2920719&#038;x=B" target="_blank">→ソース</a></p>
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		<title>マンジュ史書を整理してみた</title>
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		<pubDate>Sat, 25 Jun 2011 16:31:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　と言うワケで、こないだの記事で《満洲実録》を扱ってから悶々としていた宣和堂です。うーん。実はこの辺が良くわからんのですよね…。 　ご存じの通り、現在知られる満洲語の歴史書で一番有名なのは、内藤湖南が日露戦争終結の頃に瀋 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで、こないだの記事で《<strong>満洲実録</strong>》を扱ってから悶々としていた宣和堂です。うーん。実はこの辺が良くわからんのですよね…。</p>
<div align="center"><div id="attachment_1273" class="wp-caption aligncenter" style="width: 309px"><a href="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/nikanwairan11.jpg" rel="lightbox[1271]"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/nikanwairan11.jpg" alt="" title="《満洲実録》" width="299" height="640" class="size-full wp-image-1273" /></a><p class="wp-caption-text">《満洲実録》ヌルハチ首実検</p></div></div>
<p>　ご存じの通り、現在知られる<strong>満洲語</strong>の歴史書で一番有名なのは、<strong>内藤湖南</strong>が<strong>日露戦争</strong>終結の頃に<strong>瀋陽故宮</strong>で発見した、通称《<strong>満文老檔</strong>》です。<br />
　で、この際に見つかった他の書物が<strong>清朝歴代皇帝</strong>の実録である《<strong>清朝実録</strong>》　と、<strong>合戦絵図</strong>と言われる《<strong>満洲実録</strong>》です…。中身や成立過程については後回しにしましょう。<br />
　あと同じく名前が挙がるのが《<strong>五体清文鑑</strong>》ですね。元々は<strong>満洲語</strong>の辞典で元々の題名も《<strong>Han i araha manju gisun i buleku bithe（漢語題名《清文鑑》）</strong>》。これが増補を繰り返し、<strong>漢語</strong>、<strong>チベット語</strong>、<strong>モンゴル語</strong>、<strong>ウイグル語</strong>をも収録した拡張版が《<strong>五体清文鑑</strong>》と言うコトのようです。検索したらこれに関してはさっくり画像がありました→《<a href="http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ho05/ho05_01928/index.html">五体清文鑑</a>》早稲田スゲー！むしろ、《<strong>満洲実録</strong>》も置いてよ！とか思うモノの我慢。</p>
<p>　で、Twitterで<a href="http://twitter.com/#!/sengnadow/status/79202579875241984">満文老檔について発言した時</a>に教えて頂いた本でサクサク検索したところ、疑問が氷解です。</p>
<p>《<strong>満文老檔</strong>》<br />
　《<strong>満文老檔</strong>》と言う名称自体が、そもそも<strong>内藤湖南</strong>が名付けた便宜上の名前であって、表題は単に《<strong>Tongki fuka sindaha hergen i dangse（トンギ フカ シンダハ ヘルゲン イ ダンソ＝有圏点檔案）</strong>》若しくは《<strong>Tongki fuka akū hergen i dangse（トンギ フカ アク ヘルゲン ダンソ＝無圏点檔案）</strong>》。発見当初は表題だけ見ても何の書物かは分からなかったみたいですね。ただ、自分レベルではこの<strong>無圏点本</strong>と<strong>有圏点本</strong>の違いはよく分かりません。調べて見ると、内容はともかく冊数と題材は同じようですね…。<br />
　ものの本によると、<strong>ヌルハチ</strong>、<strong>ホンタイジ</strong>時代の記録としてはもっとも詳細で重要な根本記事とされているようです。ただ、<strong>乾隆年間</strong>に編纂されたモノなので、<strong>清朝</strong>に都合の悪いことはさっくり削除されているわけです。<strong>漢化</strong>された<strong>皇帝</strong>という見方をされることの多い<strong>乾隆帝</strong>ですが、<strong>マンジュ</strong>視点に立った場合、<strong>民族主義</strong>を奨励した指導者と言う評価も出来るんですよね。</p>
<p>《<strong>満洲実録</strong>》<br />
　《<strong>満洲実録</strong>》の売りは絵が載ってるコトなので比較的図版が引用されていますね。<br />
　内容については、<strong>順治年間</strong>に作成された《<strong>清太祖武皇帝実録</strong>》とほぼ同じ…ここで注意したいのが、現行本の《<strong>太祖実録</strong>》が<strong>乾隆年間</strong>の重修本である点ですね。後の時代には忌避しているコトでも採録しているようです。でも、<strong>満洲音</strong>の漢字表記は<strong>乾隆年間</strong>の方式に改められているようです。また、絵画については《<strong>太祖実録戦図</strong>（《清太祖実録戦跡図》？）》の引き写しみたいですね。<strong>乾隆年間</strong>にいいとこ取りして編纂されたモノの様です。やはり絵画については元絵の《<strong>太祖実録戦図</strong>》を引いた方が良いみたいですね…。まあ、見当たらないのですが…。どうやら、<strong>盛京</strong>・<strong>崇謨閣</strong>には<strong>マンジュ文本</strong>と<strong>漢文本</strong>との二組が収蔵されてたみたいです。…と、参考図書には書いてますが、書影を見るに戦図に関しては<strong>満漢合壁</strong>の模様ですね。</p>
<p>《<strong>清朝実録</strong>》<br />
　現在<strong>中華書局</strong>から出版されている《<strong>清実録</strong>》は巻頭に《<strong>満洲実録</strong>》を置き、以後《<strong>太祖実録</strong>》、《<strong>太宗実録</strong>》、《<strong>世祖実録</strong>》、《<strong>聖祖実録</strong>》、《<strong>世宗実録</strong>》、《<strong>高宗実録</strong>》、《<strong>仁宗実録</strong>》、《<strong>宣宗実録</strong>》、《<strong>文宗実録</strong>》、《<strong>穆宗実録</strong>》、《<strong>徳宗実録</strong>》、《<strong>宣統政紀</strong>》が収録されているようです。これは全て<strong>漢文</strong>の模様。<br />
　この内、<strong>盛京・崇謨閣</strong>にあったのは、<strong>マンジュ文</strong>と<strong>漢文</strong>の《<strong>太祖実録</strong>》、《<strong>太宗実録</strong>》、《<strong>世祖実録</strong>》、《<strong>聖祖実録</strong>》、《<strong>世宗実録</strong>》、《<strong>高宗実録</strong>》、《<strong>仁宗実録</strong>》、《<strong>宣宗実録</strong>》、《<strong>文宗実録</strong>》、《<strong>穆宗実録</strong>》の模様…です。で、<strong>内藤湖南</strong>が<strong>盛京</strong>を調査して《<strong>満文老檔</strong>》を発見したのは、<strong>明治</strong>38（光緒31、1905）年ですから、<strong>光緒</strong>5（1879）年成立の《<strong>穆宗実録</strong>》までを発見したと考えて良いようですね。《<strong>徳宗実録</strong>》は<strong>中華民国</strong>10（1921）年成立ですし、《<strong>宣統政紀</strong>》に至っては成立年代も良くわからんみたいなので、発見されるわけがないわけです。一応、<strong>満洲国務院</strong>が《<strong>大清歴朝実録</strong>》として、これらの《<strong>実録</strong>》を1937年に刊行した際には、《<strong>徳宗実録</strong>》と併せて《<strong>宣統政紀</strong>》が収録されているので、その頃には成立はしていたと考えて良いんでしょうけど…。<br />
　<strong>北京皇城内</strong>の<strong>皇史宬</strong>には<strong>マンジュ文</strong>、<strong>モンゴル文</strong>、<strong>漢文</strong>の<strong>実録</strong>が保管されていたようですが、やはりそれも《<strong>穆宗実録</strong>》まで。《<strong>徳宗実録</strong>》は<strong>漢文</strong>のみ現存しているようですが、<strong>マンジュ文</strong>はなかったのかも知れませんね…。自分が漠然と、<strong>マンジュ・グルン</strong>と言うか、<strong>清朝</strong>がまるきり<strong>漢化</strong>されたのは<strong>光緒年間</strong>じゃないかと思うのは、こういう所なんですが、まあ、今回は関係ないので触れません。</p>
<p>《<strong>旧満州檔</strong>》《<strong>満文原檔</strong>》<br />
　で、<strong>乾隆年間</strong>に編纂された《<strong>満文老檔</strong>》の元になった<strong>檔案</strong>が、1931年に<strong>北京内閣大庫</strong>から《<strong>満文老檔</strong>》と一緒に発見されたようです。この<strong>檔案</strong>のことを、日本では《<strong>旧満州檔</strong>》と称していたわけです。で、あまり研究がなされないうちに、<strong>盧溝橋事件</strong>が勃発して<strong>日本軍</strong>の侵攻が始まり、かの有名な<strong>文物南遷</strong>の際に、この檔案も<strong>北京</strong>から逃避行に出たわけですね。最終的に<strong>台北故宮博物院</strong>に収蔵され、《<strong>満文原档</strong>》という題名で影印出版されたみたいです。この際に《<strong>満文老檔</strong>》には含まれていない、<strong>天聰</strong>9年部分の檔案、所謂《<strong>天聰九年檔</strong>》も収録されたようです。</p>
<p>　とまあ、自分が疑問だった史書類はこれであらかた疑問は氷解という感じデス。この辺の資料はwikiや百度でも記事が足りないので、大変スッキリしました。ちなみに参考資料は以下の通り。</p>
<p>神田信夫・山根幸夫 編『<strong>中国史籍解題辞典</strong>』燎原書店<br />
神田信夫『<strong>満学五十年</strong>』刀水書房<br />
『<strong>清朝とは何か</strong>』藤原書店</p>
<div align="center"><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=FFFFFF&#038;IS2=1&#038;npa=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=sengnadou-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as4&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;ref=ss_til&#038;asins=4897480817" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>　<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=FFFFFF&#038;IS2=1&#038;npa=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=sengnadou-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as4&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;ref=ss_til&#038;asins=4887081367" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe> <iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=FFFFFF&#038;IS2=1&#038;npa=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=sengnadou-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as4&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;ref=ss_til&#038;asins=4894346826" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></div>
<p>※ご指摘によりマンジュ文献のローマ字変更しました（6/26）</p>
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		<title>辮髪の変遷</title>
		<link>http://sengna.com/2011/06/09/queue_histor/</link>
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		<pubDate>Thu, 09 Jun 2011 12:10:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[ジェシェン]]></category>
		<category><![CDATA[乾隆帝]]></category>
		<category><![CDATA[大清]]></category>
		<category><![CDATA[故宮]]></category>
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		<category><![CDATA[辮髪]]></category>
		<category><![CDATA[雍正帝]]></category>

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		<description><![CDATA[　と、久しぶりに辮髪ネタです。以前、金銭鼠尾と言う記事で、辮髪の変遷について触れました。うーん、正直あそこで書かれたような具合に変遷してきたかというと、疑問は残ります。というか、事実とは違うのではないかという気がしていま [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と、久しぶりに<strong>辮髪ネタ</strong>です。以前、<a href="http://sengna.com/2011/03/06/rat-tail/">金銭鼠尾</a>と言う記事で、<strong>辮髪</strong>の変遷について触れました。うーん、正直あそこで書かれたような具合に変遷してきたかというと、疑問は残ります。というか、事実とは違うのではないかという気がしています。<br />
　と、以下に参考資料をズラズラ上げてみましょう。</p>
<p>　まず、前期とされる時期の絵画資料デス。</p>
<p>　<strong>ダイ・チングルン</strong>…というか<strong>マンジュ・グルン</strong>建国当初の基本資料である所の所謂《<strong>満洲実録</strong>》です。</p>
<p><div id="attachment_1215" class="wp-caption aligncenter" style="width: 243px"><a href="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/nikanwairan2.jpg" rel="lightbox[1196]"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/nikanwairan2.jpg" alt="" title="生首" width="233" height="246" class="size-full wp-image-1215" /></a><p class="wp-caption-text">《満洲実録》〈齋薩献尼堪外蘭図〉部分<sup><a href="http://sengna.com/2011/06/09/queue_histor/#footnote_0_1196" id="identifier_0_1196" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="《清史図典》第一冊 太祖太宗朝 P．41">i</a></sup></p></div><br />
　いきなり生首で恐縮ですが、絵入りの史料にもかかわらず意外と<strong>辮髪</strong>を真正面から書いた絵が少ないです。基本的に帽子を被るのが<strong>満洲旗人</strong>の嗜みですから、事実がどうあれ絵画に描かれるのは帽子なり兜を被った状態のモノが殆どですねぇ…。まあ、自分も手元に史料を持っているわけではないので他の確認が出来ていないので何とも言えませんが…。<br />
　絵は<strong>ヌルハチ</strong>に敵対した<strong>ジュシェン</strong>（女真）の実力者・<strong>ニカンワイラン</strong>の首級を<strong>ヌルハチ</strong>が検分しているところです。敵対していたとはいえ<strong>ジュシェン</strong>ですから、当然<strong>辮髪</strong>ではありますが、所謂<strong>ラーメンマン辮髪</strong>かというとそうは見えませんね…。<br />
　精々があの記事で主張するところの中期あたりの<strong>辮髪</strong>と言うことになるでしょうか？</p>
<p><div id="attachment_1216" class="wp-caption aligncenter" style="width: 237px"><a href="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/nikanwairan3.jpg" rel="lightbox[1196]"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/nikanwairan3.jpg" alt="" title="辮髪兵" width="227" height="206" class="size-full wp-image-1216" /></a><p class="wp-caption-text">《満洲実録》〈齋薩献尼堪外蘭図〉部分<sup><a href="http://sengna.com/2011/06/09/queue_histor/#footnote_1_1196" id="identifier_1_1196" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="《清史図典》第一冊 太祖太宗朝 P．41">ii</a></sup></p></div><br />
　同じ絵から他のサンプルを見繕ったモノの…あまりよく分かりません。でも、所謂<strong>ラーメンマン辮髪</strong>ではないように思えます。頭のてっぺんではなく、後頭部の毛を残す感じデスよね。</p>
<p><div id="attachment_1213" class="wp-caption aligncenter" style="width: 228px"><a href="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/hada2.jpg" rel="lightbox[1196]"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/hada2.jpg" alt="" title="蒙格布禄" width="218" height="216" class="size-full wp-image-1213" /></a><p class="wp-caption-text">《満洲実録》〈生擒哈達部首領図〉<sup><a href="http://sengna.com/2011/06/09/queue_histor/#footnote_2_1196" id="identifier_2_1196" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="《清史図典》第一冊 太祖太宗朝 P.45">iii</a></sup></p></div><br />
　もう一つ、違う絵から見つけてみましたが、やはりよく分かりません。この人も<strong>アイシンギョロ</strong>の人ではなく、<strong>ハダ</strong>の人ではありますが、<strong>ジュシェン</strong>には違いないので良しとしましょう。<br />
　ただ、《<strong>満洲実録</strong>》は起源は古いモノの、<strong>乾隆年間</strong>に再編されたモノなので、絵自体も当時の風俗ではなく<strong>乾隆年間</strong>の<strong>風俗</strong>を反映している可能性はあるわけですが…。</p>
<p><div id="attachment_1199" class="wp-caption aligncenter" style="width: 410px"><a href="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/yousei.jpg" rel="lightbox[1196]"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/yousei.jpg" alt="" title="雍正帝" width="400" height="500" class="size-full wp-image-1199" /></a><p class="wp-caption-text">〈胤禛読書像〉<sup><a href="http://sengna.com/2011/06/09/queue_histor/#footnote_3_1196" id="identifier_3_1196" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="《清史図典》第五冊 雍正朝 P.7">iv</a></sup></p></div><br />
　で、意外と<strong>辮髪</strong>の画像史料というのがパッと出て来ない…ので、いきなり<strong>雍正帝</strong>の肖像まで跳びます。<strong>雍正帝</strong>即位前の肖像なので、正確には<strong>皇四子和硯雍親王</strong>・<strong>胤禛</strong>の肖像という所ですかねぇ…なので、正解には<strong>雍正年間</strong>ではなく、<strong>康煕年間</strong>の風俗として捉えるべきでしょう。勤勉なイメージに反して<strong>皇帝</strong>の肖像自体はコスプレシリーズもの含めて多く残している印象があります。<br />
　で、ココで強調されているので尚更気がつくわけですが、あんまり剃りが綺麗じゃないようですね。前の《<strong>満洲実録</strong>》の挿絵もそう言えば剃り跡を強調しています。<strong>皇族</strong>自ら<strong>辮髪鉢巻き</strong>している珍しい画像でもありますが、映画みたいに太々しい<strong>辮髪</strong>でも無いようです。成る程貧弱な模様ですね。まあ、<strong>雍正帝</strong>は勉強好きでしたし、後継者争いで勤勉アピールする必要もあったかも知れないので、ちょっとやつれている具合に<strong>辮髪</strong>伸びてるところの肖像画を描かせたという可能性はあるわけですが…。<br />
　で、<strong>辮髪鉢巻き</strong>が出来るくらいなので、やはり頭のてっぺんを残すような<strong>辮髪</strong>ではないようですね。どうにもあの説は眉唾です。</p>
<p><div id="attachment_1197" class="wp-caption aligncenter" style="width: 610px"><a href="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/sumou.jpg" rel="lightbox[1196]"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/sumou.jpg" alt="" title="相撲" width="600" height="400" class="size-full wp-image-1197" /></a><p class="wp-caption-text">〈塞宴四事図〉（部分）<sup><a href="http://sengna.com/2011/06/09/queue_histor/#footnote_4_1196" id="identifier_4_1196" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="《清史図典》第三冊 康煕朝 上P.22">v</a></sup></p></div><br />
　で、次は中期とされる時期である<strong>乾隆年間</strong>のサンプルです。<strong>乾隆帝</strong>が<strong>満洲</strong>特有の風俗を復興させようという意図が見える絵画の中に出て来る<strong>辮髪</strong>なので、もしかしたら差し引いて考えるべきなのかも知れませんが、やはり頭のてっぺんではなく、後頭部の拳大の箇所を残した<strong>辮髪</strong>です。ナカナカ興味深いですね。さらに興味深いのは、残す部分以外は綺麗に剃り上げてますね。サンプルが少ないので何とも言えませんが、むしろおしゃれです。</p>
<p><div id="attachment_1206" class="wp-caption aligncenter" style="width: 610px"><a href="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/hachisyun.jpg" rel="lightbox[1196]"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2011/06/hachisyun.jpg" alt="" title="〈乾隆帝八旬万寿図巻・城市商貿〉之一" width="600" height="400" class="size-full wp-image-1206" /></a><p class="wp-caption-text">〈乾隆帝八旬万寿図巻・城市商貿〉之一（部分）<sup><a href="http://sengna.com/2011/06/09/queue_histor/#footnote_5_1196" id="identifier_5_1196" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="《清史図典》第七冊 乾隆期 下P.326">vi</a></sup></p></div><br />
　で、これも<strong>乾隆年間</strong>の絵画ですが、これは<strong>乾隆帝</strong>の八十歳記念のパレードの様子を描いた絵画ですが、市井の人々も書かれています。漸く市井の人々が後頭部から生やした毛を<strong>辮髪</strong>にしているのが確認が取れました。</p>
<p>　うーん…やっぱり絵画資料からは<strong>ラーメンマン辮髪</strong>はあんまり見られないかも…。というか、頭のてっぺん残すという<strong>辮髪</strong>は写真資料で見たこと無いカモですねぇ…。とはいえ、<strong>清末</strong>のように多くの部分を伸ばすスタイルは存外時代を下らないと散見されないのではないか？という仮説にはたどり着けたかとは思います。でも、このサンプルだけでは何とも言えませんね…。と言うワケで、探求という名の旅は続くのでした…（以下資料を追い続ける旅に出るのです…）</p>
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