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	<title>宣和堂遺事 &#187; 東漢</title>
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	<description>宣和堂の節操のない日記</description>
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		<title>誕生！中国文明 展</title>
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		<pubDate>Sun, 05 Sep 2010 08:03:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
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		<category><![CDATA[歴史]]></category>
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		<description><![CDATA[　と言うワケで、７月に見に行ったモノの諸般事情のために中途半端にしか見られなかった誕生！中国文明 展が終了するので上京ついでに東京国立博物館で見てきました。正直、ちょっとバカにしてたンですが、改めて見直すとやはり来てるモ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで、７月に見に行ったモノの諸般事情のために中途半端にしか見られなかった<a href="http://tanjochina.jp/">誕生！中国文明</a> 展が終了するので上京ついでに<a href="http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=X00/processId=00" class="broken_link">東京国立博物館</a>で見てきました。正直、ちょっとバカにしてたンですが、改めて見直すとやはり来てるモノは良かったと思います。<br />
　まぁ、基本的に今回の展示は<strong>河南省</strong>から出土した文物だけと言うコトで、話題の<strong>曹操墓</strong>の博物館建設のための出稼ぎ感アリアリとか、<strong>河南省</strong>は<strong>文物</strong>の宝庫ながら一級品は<strong>中国国家博物館</strong>に入っているから大したものは来ないとか、色々言われたわけです。さして期待してませんでしたが、そこそこ面白い文物来てたと思います。<br />
<span></span><br />
　<strong>第一部 王朝の誕生</strong> については…まあ、時系列になっていてわかりやすいですね。<strong>先史時代</strong>（<span style="font-size:80%">いわゆる夏代</span>）から<strong>後漢</strong>までズラーッと代表的な文物が並べてあってわかりやすいと思います。<strong>青銅器</strong>とか<strong>玉</strong>とか<strong>瑪瑙</strong>の装飾品とか<strong>銀縷玉衣</strong>とかわかりやすさ満載ですねwただ、<strong>青銅器</strong>あたりは綺麗すぎて<strong>複製品</strong>なのか？<strong>出土品</strong>なのか？はたまた<strong>偽造品</strong>なのか？色々考えながら見てしまいました。うーん…思い込みかも知れませんが、青銅ってもうちょっと器の形が変形して出土するって言う思い込みがあるのでどうも最近出土の<strong>青銅器</strong>って慣れません。<br />
　ただ、思ったよりも<strong>河南省</strong>から出土する<strong>青銅器</strong>は<strong>楚</strong>の様式のモノが多いと言うことが分かっただけでも展示を見た意義はあったと思います。<br />
　<strong>第二部 技の誕生</strong> の切り口は面白かったデスね。特に<strong>№52炉</strong> と<strong>№54 動物の解体</strong>  は目を奪われました。<br />
　<strong>№52炉</strong>はキャプションに拠ると<strong>漢墓</strong>から出土したとのことですが、<strong>炉</strong>を模した<strong>明器</strong>の上に<strong>蝉</strong>が載せられています。なんと<strong>蝉</strong>の炙り焼きを模した土器なワケです。前々から<strong>銀縷玉衣</strong>で埋葬された人物の口に<strong>玉蝉</strong>が噛まされていることが不思議だったんですが、あるいは<strong>漢代</strong>では<strong>蝉</strong>ってポピュラーで神聖な食べ物だったの？と考えるに足る文物です。キャプションに拠ると今でも<strong>河南省</strong>の一部の地域では<strong>蝉</strong>を食べるんだそうです。何か凄いですねw<br />
　一方、<strong>№54 動物の解体</strong>は家畜の解体風景を象った土器です。写実的とは言えませんが、かなり解体作業の一場面を具体的に描いています。ナカナカ動物の解体シーンなどは絵に描かれたりすることはないので珍しいですね。解体している人物の足下で犬が骨を囓っているのも何だかほほえましいです。<br />
　この二つの土器は同じ<strong>濟源市泌北電廠西窯頭工地１０号墓</strong>からの出土なので、もしかすると<strong>墓主</strong>はそこそこの食いしん坊だったのかも知れませんね。<br />
　<strong>第三部 美の誕生</strong> の初っ端が<strong>神仙の世界</strong>で、これも面白かったデス。失われた<strong>楚</strong>の神話体系で重要な位置を占めたとも言われる<strong>羽人</strong>をモチーフにした<strong>文物</strong>が多くてナカナカ楽しめました。特に<strong>№95羽人</strong> の西洋の悪魔像のような造形はナカナカ面白かったデス。結局<strong>羽人</strong>って何なんだろうって言うコトを考えながら見るのも一興です。<br />
　<strong>№90－1,2,3 神面</strong> は<strong>西周時代</strong>の<strong>青銅製のお面</strong>なワケですが、特に<strong>№90-1</strong>は横を向いた女性を模した面でパッと見た目が<strong>諸星大二郎</strong>っぽくてむしろビックリしました。これ見て図録買っちゃったんですけどね。<br />
　<strong>神仙世界</strong>の後は仏教世界に行っちゃうので正直興味は減退するんですが、<strong>№117三彩舎利容器</strong> は<strong>北宋</strong>の年号である<strong>咸平元年</strong>と刻された<strong>三彩</strong>でちょっとドッキリしました。何となく<strong>イスラム様式</strong>の建物を模した舎利容器だったんですが、寡聞にして<strong>宋三彩</strong>という文物があることを知らなかったのでまじまじと見ちゃいました。<br />
　<strong>№136盟書</strong> は史書でよく出て来る<strong>盟約</strong>の際に作られた<strong>盟書</strong>の実物。犠牲を捧げて<strong>盟約</strong>を交わした証拠となるモノで、ホントにあったんだ！という類のモノ。石に墨と毛筆で書かれたと言うコトだけど、どうやって残ったモノか気になりますw<br />
　<strong>№140楊国忠進鋋</strong> と、<strong>№141王尚恭墓誌</strong> は有名人が関わるキャッチーな文物ですね。<strong>№141</strong> は<strong>范純仁</strong>の撰で<strong>司馬光の</strong>書ですね。図録でもキャプションでも<strong>司馬光</strong>ばっかり大きく取り上げてましたが、<strong>范純仁</strong>も有名人だと思うんですがねぇ…。<br />
　他にも面白い<strong>文物</strong>はあったモノの力尽きたので以上。まあ、今日で<strong>東京国立博物館</strong>でのこの展示終わっちゃうわけですが、お近くの<strong>博物館</strong>に来た際には見ても損はしないと思います。<br />
　ただ、各テーマごとに時代がリセットされてしまうので、場所によっては<strong>唐代</strong>の<strong>文物</strong>の横に<strong>殷代</strong>の<strong>文物</strong>…という具合になってしまって、何となくそのあたりが見づらいかな…という気はしますね…。</p>
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		<title>古代中国の虚像と実像</title>
		<link>http://sengna.com/2009/11/25/honblog/</link>
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		<pubDate>Wed, 25 Nov 2009 05:13:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[中国史]]></category>
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		<description><![CDATA[　と言うワケで、落合淳思『古代中国の虚像と実像』講談社現代新書 を読了…。まあ、予想通りサラッと読める本ではありました。 　どういう本かというと、金文偉い！二次文献資料カッコワルイ！と言う、発掘ブームに沸く中国の世相を反 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで、落合淳思『<strong>古代中国の虚像と実像</strong>』講談社現代新書 を読了…。まあ、予想通りサラッと読める本ではありました。<br />
　どういう本かというと、金文偉い！二次文献資料カッコワルイ！と言う、発掘ブームに沸く<strong>中国</strong>の世相を反映した最近の学会の風潮をデデーンと主張してる本です。まあ、文献資料でも古い時代に書かれたモノに価値があり、数百年経ってから書かれたモノにはあまり価値がないというスタンスですね。<br />
　言わんとしていることはわかるものの「密室で会話されたとするモノが史書に書かれているのがそもそもおかしい」という類の事例を押し並べて「だからこの話は作り話だ！」という感じでガンガン断定していくのはどうかと…<sup><a href="http://sengna.com/#fn-900-1">1</a></sup>。史書に書かれている”<strong>史実</strong>”は、そのまま当時起きた”<strong>事実</strong>”とは違うのは…、何というか今更ご高説垂れて貰うまでもなく常識の範疇ではないかなぁ…とも思うんですけどねぇ…。せいぜいが「密室で行われたことが外に漏れる可能性は極めて低いので信憑性には欠けるモノの、後世の<strong>史家</strong>及び当時の<strong>市井の人々</strong>が納得する説話であった」とする方がいいと思うんですけどねぇ。それならば一番わかりやすい<strong>四知</strong>でも例に出せばいいのに…と思うんですが…。</p>
<blockquote><p>大將軍鄧騭聞其賢而辟之，舉茂才，四遷荊州刺史﹑東萊太守．當之郡，道經昌邑，故所舉荊州茂才王密為昌邑令，謁見，至夜懷金十斤以遺震．震曰：「故人知君，君不知故人，何也？」密曰：「暮夜無知者．」震曰：「天知，神知，我知，子知．何謂無知！」密愧而出．後轉涿郡太守．性公廉，不受私謁．子孫常蔬食步行，故舊長者或欲令為開產業，震不肯，曰：「使後世稱為清白吏子孫，以此遺之，不亦厚乎！」<sup><a href="http://sengna.com/#fn-900-2">2</a></sup></p>
</blockquote>
<p>　まあ、有名な話なので<strong>楊震</strong>、<strong>四知</strong>とでも検索すれば意味は出てくると思います。要するに、要職にあった<strong>楊震</strong>の元に夜半、<strong>王密</strong>という人が任官の便を図って貰おうとして、賄賂を持って行ったところ<strong>楊震</strong>は受け取らず、<strong>王密</strong>が「今は夜ですし知っている人もいません」と促すと「天知る地知る我知る君知る…なんで誰も知らないと言うことがあろうか！」といったという説話ですよね。<br />
　本当にこのことを知る人がいなかったのなら、この話は史書に載ることなく二人だけの秘密になったはずですが、史書に残されているところを見ると<strong>楊震</strong>が恐れていたように誰かに見張られていたのか、恩を感じた<strong>王密</strong>が喧伝したのか、改心のディベートを<strong>楊震</strong>自信が吹聴して回ったのかいずれかですよね？史書にはママどうしてこの話が伝わったんだろう…という話は多くあります。こういうのを一つ一つあげつらって「作り話だ！」というのは…ナンセンスだと自分は思うんですけどねぇ…。むしろ、当時その説話が事実だと信じられた…もしくは史書を書いた人物にとっては事実だと信じ…そして後世の人も事実だと信じた…という社会的な側面の方が中国史では特に留意すべきだと思うんですが…。信憑性が薄いというのであれば同意するんですけど、信憑性が薄い＝作り話であるというのは些か飛躍のしすぎだと思うんですが…。この辺、一般書だから敢えて強調したかったのかも知れませんが、ちょっと飛躍しすぎのような印象を受けました。</p>
<p>　で、<strong>文学</strong>と<strong>史学</strong>が未分化の状態とよく言われる《<strong>史記</strong>》や、あの<strong>平勢氏</strong>によると<strong>プロパガンダ</strong>だと言われる《<strong>春秋左伝</strong>》も、事件の数百年後に書かれた<strong>史書</strong>で信用に値しないとか書かれていますが…。この論法で行くと《<strong>史記</strong>》の<strong>武帝朝</strong>の記述は同時代資料として全面的に信頼が置ける文章と言うコトになるでしょうし、《<strong>春秋左伝</strong>》も比較的記事の新しい部分については作為が少ないといえることになるんでしょうけど、その辺についてはスルーですね…。こういう人が見落とすのは、「一次資料も同時代資料も、二次資料や後世の資料同様嘘をつくし、完全な事実を述べない」と言うコトですね。むしろ、社会的な制約のある一次資料の方が禁忌に触れて書けないこともあるはずですから、扱いには十分注意が必要なはずです。</p>
<p>　あと、《<strong>孫子</strong>》については、いろいろ根拠をあげて《<strong>孫子</strong>》が<strong>春秋時代</strong>の<strong>孫武</strong>の著作ではない根拠をあげています。その中で<strong>孫武</strong>が<strong>呉</strong>で活躍したのが事実ならば、<strong>海上戦</strong>に関する記述がないのはおかしい…と書かれてます<sup><a href="http://sengna.com/#fn-900-3">3</a></sup>。むしろ<strong>戦国時代</strong>に書かれた兵書なら、一般的に言われているように、何故<strong>攻城戦</strong>の記述がないのか？と言うコトにも答えないと断言はできないはずなんですけどねぇ…。<br />
　それに《<strong>史記</strong>》では、<strong>孫武</strong>は<strong>斉</strong>の出身で、元々『<strong>孫子兵法十三篇</strong>』が評判だったために<strong>闔廬</strong>に謁見したように読めるんですが<sup><a href="http://sengna.com/#fn-900-4">4</a></sup>、自分の<strong>漢文力</strong>がないから<strong>呉</strong>に行ってから《<strong>孫子</strong>》を書き上げたように読めないのか…それとも最近の研究で《<strong>史記</strong>》の<strong>孫子呉起列伝</strong>が否定されているのかは知りませんが、どうして<strong>海上戦</strong>の記述がないことが《<strong>孫子</strong>》の偽書疑惑の根拠になるのかさっぱりわかりません…。この部分に関しては<strong>平勢氏</strong>同様の胡散臭さを感じるのが残念ですねぇ…。</p>
<p>　面白かったのが、やっぱり専門の<strong>甲骨文</strong>と、<strong>平勢氏完全否定</strong>のところだけだったのが残念でしたが…。</p>
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<li>まず問題になる部分は、趙高らによって破棄されたはずの始皇帝の爾書の内容が記録されている点であり、これは事実としてありえない。また帝位継承者を替える密談が記載されていることも不自然である。始皇帝が死んだのは紀元前二一〇年であるが、『史記』が著されたのは前漢中期（紀元前九〇年ごろの完成とされる）であり、百年以上の時代差がある。要するに、始皇帝本紀の内容は、その間につくられた作り話だったのである。『古代中国の虚像と実像』P.13 <span><a href="http://sengna.com/#fnref-900-1">↩</a></span></li>
<li>《後漢書》巻五十四 楊震列傳第四十四 楊震 <span><a href="http://sengna.com/#fnref-900-2">↩</a></span></li>
<li>しかも、呉の地方は湿潤な気候のため湿地帯が多く、軍隊の移動や物資の輸送には船が有効なのであるが、『孫子』にはそうした状況での兵法はほとんど記されていない。『古代中国の虚像と実像』P.106 <span><a href="http://sengna.com/#fnref-900-3">↩</a></span></li>
<li>孫子武者，齊人也．以兵法見於吳王闔廬．闔廬曰：「子之十三篇，吾盡觀之矣，可以小試勒兵乎？」《史記》巻六十五 孫子呉起列傳第五 孫子 <span><a href="http://sengna.com/#fnref-900-4">↩</a></span></li>
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