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	<title>宣和堂遺事 &#187; 珍妃</title>
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	<description>宣和堂の節操のない日記</description>
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		<title>義和団事件風雲録</title>
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		<pubDate>Sat, 12 Feb 2011 08:24:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[中国史]]></category>
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		<category><![CDATA[大清]]></category>
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		<category><![CDATA[珍妃]]></category>
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		<description><![CDATA[　と言うワケで、菊池章太『義和団事件風雲録 －ペリオの見た北京』あじあブックス を読了。義和団事件と言うよりは、ペリオの日誌の北京部分にフォーカスを当てた本ですね。ペリオは言わずもがな、敦煌文書で有名なフランスの東洋学者 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで、菊池章太『<strong>義和団事件風雲録 －ペリオの見た北京</strong>』あじあブックス を読了。<strong>義和団事件</strong>と言うよりは、<strong>ペリオ</strong>の日誌の<strong>北京</strong>部分にフォーカスを当てた本ですね。<strong>ペリオ</strong>は言わずもがな、<strong>敦煌文書</strong>で有名な<strong>フランス</strong>の<strong>東洋学者</strong>ですね。</p>
<div align="center"><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=FFFFFF&#038;IS2=1&#038;npa=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=sengnadou-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as4&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;asins=4469233129" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></div>
<p><span id="more-949"></span><br />
　<a href="http://www.taishukan.co.jp/">大修館のホームページ</a>を確認すると、<a href="http://plaza.taishukan.co.jp/shop/Product/Detail/30586">目次</a>はこんな感じデス。</p>
<blockquote><p>
<strong>はじめに</strong></p>
<p><strong>第１章　義和団事件の世界地図</strong><br />
中国の悲劇か／ザビエルの遺志／宗教行為 vs. 風俗習慣<br />
こじれたあげくの禁教／神社参拝にもつながっている<br />
おんぼろ帆船を口実に／義和団事件のふりだし／ただ一度の勝利の代償<br />
満洲皇族勢揃い／驚天動地オンパレード／清国争奪のひきがね／ついに暴発<br />
あわれ義和団の末路</p>
<p><strong>第２章　ペリオの手帳から</strong><br />
敦煌写本の発見／北京へ向けて／ナポレオンの遺産／再発見された手帳<br />
北京の日本人社会／舞台と装備一式／ペリオの仲間たち／動乱のきざし</p>
<p><strong>第３章　暗雲たれこめる北京</strong><br />
動乱はじまる／もたらされる情報／援軍の至急要請へ<br />
ペリオ、救援に向かう／いくつもの顔を持つ男／誤解の元凶か<br />
日本人書記生の受難</p>
<p><strong>第４章　翻弄される人々の群れ</strong><br />
戦闘のはずが？／どこよりも安全／また一斉射撃が／日本兵の面目躍如<br />
ついえた民族の遺産／救援軍到着のきざしか／期待と失望のはざま<br />
救援軍、鳩をはなつ？／籠城者の夢想談／あげくのはては開きなおり<br />
すべては清国兵が／もうひとつの籠城劇／難攻不落の物語<br />
いくらでも維持できる</p>
<p><strong>第５章　単身敵陣乗りこみ</strong><br />
ペリオ、敵の軍旗を奪う／軍旗の代償／得意げな男／敵陣乗りこみ<br />
危険なことは何もない？／おしゃべりで命拾い／休戦状態のはじまり<br />
戦いのあとで／北堂救出の諸相／何度でも建て直そう／フランス翰林学士の追想</p>
<p><strong>第６章　前近代か、汎時代的か</strong><br />
子どもを陣頭に／白蓮教から義和団へ／不老不死という願望<br />
こりない皇帝たち／ペリオの白蓮教研究／刀槍不入の幻想／孫悟空の憑依<br />
山東という土地柄／脅威の向かう先／多発する軋轢と葛藤<br />
騒動のかげにインテリあり／インドシナの教訓／義和団の名づけ親<br />
伸縮自在な勅令／毓賢から袁世凱へ／陰門には陽門で<br />
愛国者の国民的決起／紅い扇をかざす女神／ふたりの女神の末期<br />
日の下に新しいものなし／生きつづける教民</p>
<p><strong>第７章　いくつもの女帝像</strong><br />
西太后残酷物語／スパイの自白から／うずく古傷／徳齢の回想録<br />
問わずがたりに／端郡王への猜疑／老いのくりごと／権力者の揺らぎ<br />
戊戌政変への反動／宣教師なんか大嫌い／古都の静けさ／西太后の素顔</p>
<p><strong>第８章　ペリオ、中央アジアへ</strong><br />
義和団事件後のペリオ／ふたたびアジアへ／流謫の皇族との邂逅<br />
いやされざる記憶／先陣争いには敗れたが／洞窟のなかでの格闘<br />
華北でのやりのこし／チベットの研究、そして探検<br />
チベット大蔵経の日本将来／まぼろしの門戸開放計画／義和団事件の遺産<br />
東洋学のひとつの出発点</p>
<p><strong>参考文献</strong></p>
<p><strong>登場人物</strong></p>
<p><strong>あとがき</strong></p></blockquote>
<p>　読み応えがあったのは、第一章の<strong>典礼問題</strong>のあたりと、やはり第六章の<strong>義和団</strong>の記述ですね。その他は<strong>ペリオ</strong>の日誌に付属した写真は貴重ですね。<strong>ペリオ</strong>が奪取したという官軍（おそらく董福祥の軍）の旗の写真は文章と相まってナカナカ感慨深かったです。<br />
　逆に第七章の<strong>慈嬉太后</strong>のあたりは、ワザワザ<strong>徳齢</strong>の記事から<strong>慈嬉太后</strong>の言動を擁護しようとしているようですが、よりによって…という気もしますね…。<strong>徳齢</strong>ってどうも牽強付会で自分に都合の良いように事実を曲げる人って言う印象が強くて…。<br />
　個人的には当時、《<strong>永楽大典</strong>》の副本と《<strong>古今図書集成</strong>》の銅版本が<strong>公使館街</strong>に隣接した<strong>翰林院</strong>にあり、尚且つ<strong>八ヶ国連合軍</strong>の侵攻ではなく、無知蒙昧な<strong>義和団</strong>の破壊活動で焼失したわけではないことが書かれているのがなるほどと言った感じデスね。この辺は柴五郎・服部宇之吉/大山梓 『<strong>北京篭城―付北京篭城回顧録</strong>』東洋文庫 あたりでも出てきますが、<strong>ペリオ</strong>は放火ではなく火災という表現を使っているみたいです。どちらにしろ<strong>八ヶ国連合軍</strong>が意図的に<strong>翰林院</strong>を襲って《<strong>永楽大典</strong>》を燃やしたわけではありません。大砲の下敷きににはしたみたいですけど…。<br />
　<strong>端郡王</strong>・<strong>載漪</strong>と<strong>輔国公</strong>・<strong>載瀾</strong>は捉えられた間者から、名指しで<strong>公使館</strong>攻撃の急先鋒とされてますね。その割に<strong>大阿哥</strong>・<strong>溥儁</strong>は名前が出てきませんwでも、<strong>ペリオ</strong>が後年、<strong>西域</strong>探索のために<strong>ウルムチ</strong>に立ち寄った際に、<strong>輔国公</strong>・<strong>載瀾</strong>からかなり厚遇を受けた模様です。感慨深いですね。<strong>ペリオ</strong>が引くくらい<strong>輔国公</strong>・<strong>載瀾</strong>はあれやこれやと世話を焼いてくれて、酒の勢いで<strong>義和団</strong>事件の思い出話をした上、男泣きしたみたいです。彼曰く、<strong>義和団</strong>を<strong>北京</strong>に引き入れたのは彼でも<strong>端郡王</strong>でもなく<strong>軍機大臣</strong>の<strong>剛毅</strong>だったと主張してますが、これも帰京に対する一縷の望みを<strong>ペリオ</strong>に託したのでは？とも取れるので何とも言えませんね。</p>
<p>　あと、<strong>義和団</strong>関係の記事は面白いですね。特に騒乱の影にインテリが関わっており、民衆を扇動したのではないか？という記事には考えさせられました。また、役所に頼るよりも迅速且つ有利な結果が得られるコトが多かったので、ゴロツキ同然の人間が洗礼を受けて教会に属すことがあったので、一般的な民衆からは恨みを買ったというのはなるほど納得です。更には<strong>義和団事件</strong>後に騒乱の中心地であった<strong>山東</strong>では、騒乱前よりも<strong>キリスト教徒</strong>が数を増やしていることから、<strong>義和団</strong>に属して騒乱に参加したした人たちの中で、<strong>官憲</strong>からの追求を逃れるために教会の庇護を求めたのでは？という推論はかなり説得力があります。庇護が求められるのであれば、どういう勢力でも構わなかったと言うことですねぇ…。<br />
　詳しくは三石善吉『<strong>中国、1900年―義和団運動の光芒</strong>』中公新書 あたりを読んだ方が良いと思いますが、こちらでは更に怪しい事例が紹介されてますね…。</p>
<blockquote><p>　公使館区包囲の情勢を奏上した檔案のなかに奇異な一文がある。<br />
　公使館の門前にすっぱだかの女が立ちはだかり、守備につとめているという。義和団員もびっくりこいて刀槍不入も身体鍛錬も効かなくなってしまうのだった。<br />
　この秘術、人呼んで陰門陣という。陰部まるだしの女を陣頭に立てて敵の火砲を沈黙させる。大砲を男根に見立てて、陰々たる圧力でそれを萎縮させるのだ。そんなアホなと思われるかも知れないが、史上例が少なくない。<sup><a href="http://sengna.com/2011/02/12/giwada/#footnote_0_949" id="identifier_0_949" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="P.124">i</a></sup></p></blockquote>
<p>　おお！<strong>西洋妖術</strong>対<strong>義和拳</strong>のスペシャル対決が！心躍る対決ですが、種明かしをすれば、以下の通りになる模様…。</p>
<blockquote><p>　さて、問題は檔案の記事である。かくのごとき高等戦術をわきまえぬ西洋人には、とてもできることではない。どこから出た訛伝なのか。<br />
　ペリオの手帳、六月二十一日の記事に言う。</p>
<blockquote><p>義和団の軍隊が頭上に旗をかかげてオーストリア公使館までいたり、殺戮をはじめた。マネキン二体を使う。英兵と日本兵が発砲。相手はしろうとの中国人だ。</p></blockquote>
<p>　マネキンをかつぎ出し、敵にやりたいだけやらせているところを銃撃したのか。相手はマネキンなど見たこともない人種である。そうとは知らない清国兵が見たら、西洋婦人もいよいよ陰門陣開陳かと勘違いしても無理はない。弾丸よけの呪法も破られて当然なのだ。<sup><a href="http://sengna.com/2011/02/12/giwada/#footnote_1_949" id="identifier_1_949" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="P.125">ii</a></sup></p></blockquote>
<p>　何だかガッカリですね…。ロマンがありませんwでも、報告書で当然のように出て来るくらい<strong>陰門陣</strong>はポピュラーな存在だったみたいですね。長くなりますが引用すると以下の通りです。</p>
<blockquote><p>　明末の崇禎十五年（一六四二）、李自成が河南第一の都市汴梁（開封）を襲ったときのことである。官軍による城壁の守りはすこぶる強固であった。そこで拉致してきた女たちを裸にして陰門陣で臨んだところ、城壁の大砲は発火しなくなった。あわてた官軍は坊さんをはだかにして陽門陣で対抗したところ、賊軍の砲火も不発に終わったという。陰を封ずるに陽をもってするところは流石である。しかもどちらも効果てきめんというのがまたすごい。<br />
　相田洋氏によれば、陰門陣の登場は十六世紀にまでさかのぼるという。このころヨーロッパから仏郎機砲が伝わり、さらに巨大な紅衣砲が伝わって、官軍の火砲は威力は圧倒的になった。そのため賊軍の方では、軍事的劣勢をおぎなうために呪法にでもたよらざるを得なくなったのだろう。かくして明末に盛んになり、その後も延々と使われつづけた。太平天国の乱のときも陰門大活躍だったそうだ。これは魯迅が乳母から聞いた話として、『朝花夕捨』に出てくる。<sup><a href="http://sengna.com/2011/02/12/giwada/#footnote_2_949" id="identifier_2_949" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="P.124～125">iii</a></sup></p></blockquote>
<p>　暇があったらちょっと<strong>陰門陣</strong>については調べてみたいです。<br />
　ともあれ、<strong>辮髪</strong>的には読んで損ナシという感じの本でしたね。写真も多くてナカナカです。個人的には<strong>ペリオ</strong>抜きで<strong>義和団</strong>と<strong>清国朝廷</strong>だけの構成でもっと読みたかったデス。</p>
<div align="center"><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=FFFFFF&#038;IS2=1&#038;npa=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=sengnadou-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as4&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;asins=458280053X" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br />
　<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=FFFFFF&#038;IS2=1&#038;npa=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=sengnadou-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as4&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;asins=4121012992" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></div>
<p>　<br />
　それにしても、今回の記事でWikipediaの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1">義和団の項目</a>を見てみたんですが、相変わらず<strong>珍妃</strong>の遺体を引き上げたのは<strong>日本軍</strong>ってコトになっているんですね…。何が出典なのかな…。一応、加藤徹『<strong>西太后―大清帝国最後の光芒</strong>』中公新書 によると、<strong>西安</strong>からの帰京前に<strong>慈嬉太后</strong>の命で引き上げられたとかなり具体的に書かれているんですけどねぇ…。</p>
<div align="center"><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=FFFFFF&#038;IS2=1&#038;npa=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=sengnadou-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as4&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;asins=4121018125" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></div>
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		<title>NHKドラマ 蒼穹の昴 第１２回　それぞれの戦（いくさ）</title>
		<link>http://sengna.com/2010/04/20/soukyuu12/</link>
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		<pubDate>Tue, 20 Apr 2010 07:03:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　と言うワケで今回は前回に引き続き珍妃のお仕置きの回ですね。写真のことで皇后にいびられた珍妃は、李蓮英の売官のことをそれとなーく光緒帝に告げ口して、却って分を超えて政治に口出ししたことを慈嬉太后に責められて罰を受けます… [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで今回は前回に引き続き<strong>珍妃</strong>のお仕置きの回ですね。写真のことで<strong>皇后</strong>にいびられた<strong>珍妃</strong>は、<strong>李蓮英</strong>の売官のことをそれとなーく<strong>光緒帝</strong>に告げ口して、却って分を超えて政治に口出ししたことを<strong>慈嬉太后</strong>に責められて罰を受けます…。</p>
<p>　と言うコトになっていますが、史実に残る事件は真逆ですね…。ちょっと長くなりますが引用します。</p>
<blockquote><p>　（前略）長春宮の回廊を飾る『紅楼夢』に壁画である。<br />
　透視図による斬新な構図と巧妙な遠近法、一草一葉にいたる細密絵画の手法は、あたかも長春宮が『紅楼夢』の世界の中に存在しているかのような錯覚をもたらす。<br />
　中国の『源氏物語』ともいわれる曹雪芹の長編小説『紅楼夢』は、帝王の封建制を批判したという理由で乾隆が「禁書」としたが、晩清にいたって西太后の愛読書となり、爆発的な流行をみた。西太后の熱中ぶりを知る瑾妃と珍妃の姉妹が、西太后六十歳の賀の贈物として、太后の居宮を飾るべく趣向を凝らしたのであろう。清末の進士で宮廷事情に通じた九鐘主人こと呉士鍳の著『清宮詞』の珍妃を詠った部分の注として「珍、瑾二妃は畫苑をして紅楼夢大観園を畫かしめ、内廷臣に詩を題せしむ」の添書がある。姉妹が発案して大観園の絵画を描かせただけでなく、さらに内定の官人に詩文を求めていたことが知られる。（中略）<br />
　まさに才気煥発を謳われた珍妃姉妹が西太后への恭順を示す「気のきいた贈物」であった。しかしこの抜群のアイディアが王臣達の疑念を招く結果になる。これだけの作品に要した金銭的負担───いかに皇帝の寵愛をうけているとはいえ、この正月、妃に昇格したばかりの姉妹ではないか。その封銀でとうてい賄えるはずもないこの制作費は、いったいどこから出たのだろうか、と。<sup><a href="http://sengna.com/#fn-1171-1">1</a></sup></p>
</blockquote>
<blockquote><p>　（前略）西太后六十歳の賀の恩恵として珍嬪とその姉は妃に昇格した。その感謝のしるしとして秋の祝典に披露された『紅楼夢』の障壁画は、その抜群の着想で廷臣たちをあっと言わせた。しかしその直後、もう一度全宮廷をあっと言わせる事件が生じる。姉妹そろって妃から無品の貴人に二階級降格させられたのである。（中略）<br />
　その問題とは、口利きによる収賄「売官」であった。<sup><a href="http://sengna.com/#fn-1171-2">2</a></sup></p>
</blockquote>
<p>　と言うワケで、<strong>慈嬉太后</strong>に懲罰を受けたのは出しゃばって<strong>売官</strong>を糾弾したからではなく、還暦祝いの為に<strong>売官</strong>して儲けたためだったわけですね。このスキャンダルが発覚すると、芋蔓式に<strong>珍妃</strong>のお付きの太監や<strong>慈嬉太后</strong>お付きの太監も罪を問われて、死刑に処されています。となると、この事件の二年後には妃に復帰している<strong>珍妃</strong>と<strong>瑾妃</strong>はやはり<strong>光緒帝</strong>の寵愛あつかったと言うコトでしょうか…。もしくはスキャンダルを利用してお仕置きされたモノか…。どっちもありそうですけど。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/04/P1020376.jpg" alt="2008年11月23日 宣和堂撮影 長春宮扁額" title="長春宮扁額" width="400" height="300">
<p>2008年11月23日 宣和堂撮影 長春宮扁額</p>
</div>
</div>
<div align="center">
<div style="width:310px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/04/P1020382.jpg" alt="長春宮紅楼夢長廊" title="珍妃瑾妃の労作" width="300" height="400">
<p>長春宮紅楼夢長廊</p>
</div>
</div>
<p>　と、<strong>長春宮</strong>の写真です。いつもの如く写真はあるんですが、<strong>紅楼夢障壁画</strong>は絵画保護のためにガラスがビッチリはめ込まれているので、あんまりきれいに撮れないんですよねぇ…。暗いしフラッシュ弾くでまともに撮れたことがありません。自分の技術ではコレが精一杯。</p>
<p>　で、個人的には待ちに待ってた<strong>李鴻章</strong>が漸く（名前だけ）登場するわけですが…原作と扱いが１８０°違います……。また大陸で評価変わってきたんですかねぇ…。近代化の英雄＝<strong>ジェネラル・リー</strong>ではなくどっちかというと、旧態依然とした<strong>漢奸買弁</strong>のイメージで進めるみたいですねぇ…。</p>
<p>　代わって原作では名前が出て来ない<strong>馮子材</strong>が<strong>清仏戦争</strong>の英雄として出てきます。自分は寡聞にして知らなかったので、「ええ～<strong>清仏戦争</strong>って言ったら<strong>黒旗軍</strong>の<strong>劉永福</strong>じゃないの？」とガッカリでしたが、調べてみると実在の人物で<strong>太平天国</strong>関係では有名な人だった模様…。<strong>光緒帝</strong>とも縁があるので、あの文脈なら<strong>劉永福</strong>ではなく<strong>馮子材</strong>なんだろうなぁ…と納得。ちなみにこんなおじいちゃんだったみたいです。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/04/fuusizai1.jpg" alt="《清史図典》第十二冊 光緒 宣統朝 下 P.222" title="馮子材" width="400" height="551">
<p>《清史図典》第十二冊 光緒 宣統朝 下 P.222</p>
</div>
</div>
<p>　今でも公園で<strong>太極拳</strong>してそうなおじいちゃんですが、六十超えて<strong>ベトナム遠征</strong>して<strong>フランス軍</strong>の大砲の中に矛持って突っ込んで撃退したり、七十超えても<strong>義和団</strong>が迫る<strong>北京</strong>に駆けつけようとしたりする元気なおじちゃんだったみたいです。知らないコトっていっぱいあるんだなぁ…。勉強になりました。
</p>
<div>
<div></div>
<ol>
<li>入江曜子『紫禁城──清朝の歴史を歩く』岩波新書 P.147～148 <span><a href="http://sengna.com/#fnref-1171-1">↩</a></span></li>
<li>入江曜子『紫禁城──清朝の歴史を歩く』岩波新書 P.156 <span><a href="http://sengna.com/#fnref-1171-2">↩</a></span></li>
</ol>
</div>
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		<item>
		<title>NHKドラマ 蒼穹の昴 第１１回　初めての取材</title>
		<link>http://sengna.com/2010/04/13/soukyuu11/</link>
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		<pubDate>Tue, 13 Apr 2010 06:57:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　さて、今回は春児の取材から始まります。…原作では取材後にハゲでデブで四十絡みのトマス・バートンが岡圭之介を連れて教会を訪れたりして、郎世寧ことジョゼッペ・カスティリオーネとベネチアングラスの関係について語ったりしたので [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　さて、今回は<strong>春児</strong>の取材から始まります。…原作では取材後にハゲでデブで四十絡みの<strong>トマス・バートン</strong>が<strong>岡圭之介</strong>を連れて教会を訪れたりして、<strong>郎世寧</strong>こと<strong>ジョゼッペ・カスティリオーネ</strong>と<strong>ベネチアングラス</strong>の関係について語ったりしたのですが、丸ごとカットですねそうですか…。<strong>堂子</strong>に安置してある<strong>龍玉</strong>がダミーという設定自体がすでに無いようなので、仕方が無いかも知れませんね…。<br />
　で、<strong>珍妃</strong>の出番です。今回は<strong>珍妃</strong>が宮中で写真を撮ると言うので一悶着、いつもイライラしてる<strong>皇后</strong>にイチャモンつけられます。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/04/chincamera.jpg" alt="中央電視台《故宮》第五集 〈家国之間〉より" title="中央電視台《故宮》" width="400" height="300">
<p>中央電視台《故宮》第五集 〈家国之間〉より</p>
</div>
</div>
<p>　<strong>珍妃</strong>が写真好きであったとか、<strong>紫禁城</strong>にカメラを最初に持ち込んだのは<strong>珍妃</strong>であるとか、<strong>光緒帝</strong>とコスプレして<strong>太監</strong>に撮らせたとか言う話はあったみたいです。ただ、真っ当な本で読んだことがなかったり…。謎ですねぇ…。</p>
<p>　で、今回は<strong>珍妃</strong>が生活していた<strong>景仁宮</strong>の写真でお茶濁します。<br />
　写真は全て2008年11月23日に宣和堂が<strong>北京故宮</strong>に参観した際に撮影したモノです。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/04/P1020474.jpg" alt="景仁宮の入り口 障壁が大理石" title="景仁門" width="400" height="300">
<p>景仁宮の入り口 障壁が大理石</p>
</div>
</div>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/04/P1020476.jpg" alt="景仁宮の扁額 質素で飾りがあんまり無いです" title="景仁宮扁額" width="400" height="300">
<p>景仁宮の扁額 質素で飾りがあんまり無いです</p>
</div>
</div>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/04/P1020477.jpg" alt="割と風情のない外観です" title="景仁宮" width="400" height="300">
<p>割と風情のない外観です</p>
</div>
</div>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/04/P1020484.jpg" alt="2008年11月23日時点では中で陶磁器を陳列してました" title="景仁宮内景" width="400" height="300">
<p>2008年11月23日時点では中で陶磁器を陳列してました</p>
</div>
</div>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/04/P1020482.jpg" alt="多分満洲国経由で摂取された溥儀旧蔵品" title="汝窯青磁" width="400" height="300">
<p>多分満洲国経由で摂取された溥儀旧蔵品</p>
</div>
</div>
<div align="center">
<div style="width:310px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/04/P1020475.jpg" alt="景仁宮でしか見なかった大きな木" title="景仁宮の樹木" width="300" height="400">
<p>景仁宮でしか見なかった大きな木</p>
</div>
</div>
<div align="center">
<div style="width:310px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/04/P1020485.jpg" alt="景仁宮の井戸 ある意味こっちが本当の珍妃井ｗ" title="珍妃の井戸" width="300" height="400">
<p>景仁宮の井戸 ある意味こっちが本当の珍妃井ｗ</p>
</div>
</div>
<p>　<strong>東六宮</strong>の一つである<strong>景仁宮</strong>は、<strong>康煕帝</strong>の生地である…と同時に<strong>珍妃</strong>が<strong>戊戌変法</strong>の前に居住していた宮殿です。<strong>慈嬉太后</strong>が起居した<strong>西六宮</strong>と比べて地味な印象なのですが、本来は<strong>咸豊帝</strong>の<strong>正皇后</strong>・<strong>慈安太后</strong>が<strong>東六宮</strong>で暮らしていたことからも分かるように、宮殿のヒエラルキーとしては東の方が上です。<br />
　ただ、<strong>慈嬉太后</strong>の還暦祝いのリフォームが壮麗であったために、<strong>西六宮</strong>の方が豪華に見えますよね…。<strong>景仁宮</strong>は<strong>珍妃</strong>の悲劇性も相まって、非情に質素で閑散とした印象があります。<strong>珍妃井</strong>よりも気にしてみてる人はいなかったように思います。<br />
　留学時代は非公開地域だったので、参観したときにはテンション上がりましたｗ</p>
<p>　で、今回はおまけで<strong>美顔ローラー</strong>。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/04/P1020338.jpg" alt="永寿宮の展示室にて 手前右が美顔ローラー" title="永寿宮展示室" width="400" height="300">
<p>永寿宮の展示室にて 手前右が美顔ローラー</p>
</div>
</div>
<p>　前回見つからなかった<strong>美顔ローラー</strong>の写真です。自分が行ったときには<strong>永寿宮</strong>の陳列室で展示されてました。記憶は確かでしたｗ</p>
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		<title>NHKドラマ 蒼穹の昴 第四回 皇后選び</title>
		<link>http://sengna.com/2010/01/25/soukyuu4/</link>
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		<pubDate>Mon, 25 Jan 2010 06:17:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
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		<category><![CDATA[乾隆帝]]></category>
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		<description><![CDATA[　と言うワケで、今週は親政を睨んでの光緒帝の選秀女＝皇后選びですね。ここで有名な珍妃登場です。 　ドラマの中でも、光緒帝が徳馨の娘二人の美貌にぽわわ～んとなって危うく未来の皇后の象徴である玉の如意を渡しそうになったのを、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで、今週は親政を睨んでの<strong>光緒帝</strong>の<strong>選秀女</strong>＝皇后選びですね。ここで有名な<strong>珍妃</strong>登場です。<br />
　ドラマの中でも、<strong>光緒帝</strong>が<strong>徳馨</strong>の娘二人の美貌にぽわわ～んとなって危うく未来の<strong>皇后</strong>の象徴である<strong>玉の如意</strong>を渡しそうになったのを、<strong>慈嬉太后</strong>が『<strong>皇上</strong>！』と、一括して弟・<strong>桂祥</strong>の娘＝姪の<strong>靜芬</strong>（<span style="font-size:80%">ドラマでは喜子になってましたが…</span>）に渡すように促してましたね…。この一件で<strong>慈嬉太后</strong>は<strong>徳馨</strong>の娘二人に危機感を抱いたため、代わりに<strong>長敘</strong>の娘二人に<strong>荷包</strong>を押しつけた…要するに<strong>貴嬪</strong>として宮中に招いたわけですね。<br />
　当然、<strong>靜芬</strong>は後の<strong>隆裕皇太后</strong>。<strong>長敘</strong>の娘二人は後の<strong>瑾妃</strong>と<strong>珍妃</strong>です。</p>
<div align="center">
<div style="width:272px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2009/10/chinhi.jpg" alt="故宮周刊 第三十期 第一版→劉宮女の証言では南海で撮影されたという" title="珍妃？" width="262" height="400">
<p>故宮周刊 第三十期 第一版→劉宮女の証言では南海で撮影されたという</p>
</div>
</div>
<p>　悲劇性と茶目っ気のある挿話が相まって、人気のある<strong>珍妃</strong>も絶世の美女とされる事もあるのですが…。男装して<strong>光緒帝</strong>に侍っているところを臣下と謁見しても、お付きの若い<strong>宦官</strong>ぐらいにしか思われなかったみたいなので、人目を引く容姿ではなかったのかも知れません。<br />
　と言うワケで以前にも出した<strong>珍妃</strong>？と言われる画像を再掲。</p>
<p>　あと、<strong>乾隆帝</strong>が登場。<strong>一神教</strong>の神様かよ！という感じの登場でしたが、<strong>光緒帝</strong>の初夜にデバガメするような茶目っ気はなさそうですね…。<strong>壽皇殿</strong>は歴代皇帝を祀った場所なので、ああいう感じの使い方で良いんだと思います。でも、<strong>壽皇殿</strong>は<strong>景山</strong>の麓にあるんですがそんな感じの描写ではなかったですね。</p>
<div align="center">
<div style="width:329px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/01/kenryuu.jpg" alt="若き日の乾隆帝 郎世寧画？" title="乾隆帝" width="319" height="400">
<p>若き日の乾隆帝 郎世寧画？</p>
</div>
</div>
<p>　今回は<strong>乾隆帝</strong>の若かりし日の<strong>肖像画</strong>上げておきます。<strong>皇帝</strong>の<strong>肖像画</strong>には<strong>落款</strong>が無いので普通は作者は分からないのですが、あまりにも独特なタッチなので間違えようがないので<strong>郎世寧</strong>です。</p>
<p>　一方、<strong>春児</strong>は<strong>黒牡丹</strong>に弟子入りして<strong>京劇</strong>の英才教育を受けます。流石に<strong>京劇役者</strong>さんだけあってこういうシーンは映えますね…。正直驚きました。<br />
　あと、<strong>王逸</strong>の<strong>李鴻章</strong>麾下への転属ってこんなに早かったかなぁ…と。<strong>順桂</strong>に比べて<strong>王逸</strong>の出番が少ないような…。</p>
<p>　と、来週は漸く<strong>春児</strong>の入内…じゃない宮中入りですね。</p>
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		<item>
		<title>NHKドラマ 蒼穹の昴 第二回 母と子</title>
		<link>http://sengna.com/2010/01/10/soukyuu2/</link>
		<comments>http://sengna.com/2010/01/10/soukyuu2/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 10 Jan 2010 05:44:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>宣和堂</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史]]></category>
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		<category><![CDATA[ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[北京]]></category>
		<category><![CDATA[大清]]></category>
		<category><![CDATA[故宮]]></category>
		<category><![CDATA[李鴻章]]></category>
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		<category><![CDATA[蒼穹の昴]]></category>
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		<description><![CDATA[　と言うワケで第二回です。ドラマ版では春児と玲玲が孤児になってて、梁文秀の実の母に育てられたので、なんだか義兄弟になりましたという改変にポカーン。春雷にいちゃん…いないことになっちゃったよ…。 　と言うコトで今回は前回話 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　と言うワケで第二回です。ドラマ版では<strong>春児</strong>と<strong>玲玲</strong>が孤児になってて、<strong>梁文秀</strong>の実の母に育てられたので、なんだか義兄弟になりましたという改変にポカーン。<strong>春雷</strong>にいちゃん…いないことになっちゃったよ…。<br />
<span></span><br />
　と言うコトで今回は前回話が出た<strong>光緒帝</strong>の親政へ向けて、<strong>垂廉聴政</strong>から<strong>訓政</strong>に移る過程…ですね。<br />
　<strong>大清</strong>…というか<strong>ダイチン・グルン</strong>は早くから<strong>漢化</strong>されて、<strong>乾隆年間</strong>頃には<strong>満洲人</strong>は<strong>漢人</strong>とほとんど変わらなかった！とか言われがちですが、それこそが<strong>ダイチン・グルン</strong>が腐心して支配下の<strong>漢人</strong>に植え付けた”<strong>中国</strong>”イメージによるモノです。<strong>満漢合壁</strong>の<strong>勅旨</strong>なども、<strong>満文</strong>は<strong>漢文</strong>と同じ事が書かれているだけだ！なんて思われがちですが、最近の<strong>マンジュ語研究</strong>では<strong>マンジュ語</strong>の文章の方がより詳細で、具体的な内容であることが分かってきているようです。このドラマが言うように、<strong>漢人</strong>を信じるな！的な事はほんとにあったみたいなんですよね。</p>
<div align="center">
<div style="width:410px"><img src="http://sengna.com/wp-content/uploads/2010/01/koucyo.jpg" alt="《清史図典 第十一冊 光緒 宣統朝 上》紫禁城出版 P.6" title="光緒帝朝服像" width="400" height="770">
<p>《清史図典 第十一冊 光緒 宣統朝 上》紫禁城出版 P.6</p>
</div>
</div>
<p>　実際、<strong>清朝</strong>は歴代、<strong>科挙制</strong>は残されて、<strong>漢人</strong>にも相当な権力があったように誤解しますが、あんまり軍事権や行政権の大権は<strong>漢人</strong>には貸与されていませんし、<strong>満洲人</strong>が<strong>八旗</strong>以外の<strong>漢人</strong>と婚通することも無かったようなので、通常考えられているよりもずっと<strong>漢化</strong>していなかったりするようです（<span style="font-size:80%">実は、新中国になってから満人…とされているのは、満洲八旗はもちろん、漢人八旗、蒙古八旗を含む旗人だったりする。旗人間では通婚が盛んで生活様式も旗人様式と言えるモノだった模様。なので、遺伝的には漢人の血は入っている</span>）。<br />
　本当の意味で<strong>ダイチン・グルン</strong>が<strong>漢化</strong>したのは実は<strong>慈嬉太后</strong>（<span style="font-size:80%">西太后</span>）の頃だったのではないか？と個人的には思っています。<strong>慈嬉太后</strong>は治世の前期こそ、<strong>恭親王</strong>・<strong>奕訢</strong>をはじめとする<strong>満洲貴族</strong>を頼ったモノの、<strong>清末</strong>の国難に対して軍事の大権を<strong>曾国藩</strong>や<strong>李鴻章</strong>、<strong>左宗棠</strong>などの<strong>漢人官僚</strong>に与えました。<strong>光緒帝</strong>も<strong>戊戌変法</strong>の際には<strong>康有為</strong>や<strong>梁啓超</strong>ら<strong>漢人</strong>に頼りました。劇中に出てくる<strong>栄禄</strong>は<strong>満洲人</strong>ですが、やはり実力的には<strong>李鴻章</strong>らと比較すると、ちょっと見劣りするのが事実…。<br />
　最終的には<strong>宣統帝</strong>・<strong>溥儀</strong>の<strong>満洲人</strong>蔑視…と言っても良いくらいの不信感に繋がっていくわけです。実は<strong>国父摂政王 醇親王</strong>・<strong>載灃</strong>が組閣した、<strong>清末</strong>の<strong>満洲貴族</strong>の内閣は、<strong>満洲復古</strong>の目から見れば、いつ裏切るか分からない<strong>漢人</strong>の手から、信用のおける<strong>満洲貴族</strong>に大権を戻す試みだったわけです。結局、その試み自体は<strong>辛亥革命</strong>で頓挫するわけで、時期をわきまえないお坊ちゃんの誇大妄想だの、民情を顧みない暴挙だのと後世からは言われるワケです。<strong>漢化</strong>から<strong>ダイチン・グルン</strong>を復活させるため…と考えれば、非難されるべき施策ではないんですが、ちょっとやり方は拙かったんでしょうね。結局、<strong>醇親王・載灃</strong>はあんまり良いところを見せることなく、一度は追放した<strong>袁世凱</strong>に頼って、結局は<strong>ダイチン・グルン</strong>を滅亡させたワケですから、よく言われることはないんですけどね…。<br />
　ちなみにこのドラマに出てくる、<strong>光緒帝</strong>の父親である<strong>醇親王・奕譞</strong>はもちろん、<strong>宣統帝・溥儀</strong>の父親である<strong>醇親王・載灃</strong>の父親でもあります。<strong>光緒帝</strong>と<strong>醇親王・載灃</strong>は兄弟ですから…。<br />
　と、ドラマの関係ない<strong>系図</strong>と<strong>漢化</strong>の話するくらいですから、あんまり大した感銘を受ける回ではなかったと言うコトです。<strong>安徳海</strong>は実在の人物ですが、<strong>慈嬉太后</strong>の不興を買って処刑されたわけではなく、<strong>同治年間</strong>に<strong>慈嬉太后</strong>の助命嘆願を無視されて、官僚に処刑された<strong>太監</strong>なんですけどねぇ…。<br />
　あ、あと<strong>珍妃</strong>は新しいモノ好きで、<strong>紫禁城</strong>に最初にカメラを持ち込んだのは<strong>珍妃</strong>だとも言われています。コスプレして<strong>光緒帝</strong>とのツーショットを<strong>宦官</strong>に撮らせたとも言われていますが、現像された写真の実物はありません。<strong>光緒帝</strong>の肖像も写真のモノは残念ながらありません。なので、もっとも有名な朝服図でも貼っておきます。</p>
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