ドルゴンの対モンゴル政策 その1 テンギス事件の巻(2017/02/18訂正)

 たびたび、ドルゴンの対モンゴル外交については比重の大きさは感じていたものの今ひとつ流れを捉え切れていなかったのでメモ。
 まず、ドルゴンモンゴル外交の経緯を追っていくと…

①:順治3年5月⇒”騰機思”の離反
②:同年7月⇒ドドによる”騰機思”遠征
③:~順治4年5月迄⇒”二楚虎爾”の清朝との敵対
④:~順治5年8月迄⇒”騰機思”の投降
⑤:順治5年12月⇒大同総兵姜瓖の叛乱⇒ドルゴン2度(順治6年2月と7月)遠征
⑥:順治6年10月⇒大同総兵姜瓖の叛乱平定
⑦:順治6年10月⇒ドルゴンの”二楚虎爾”遠征
⑧:順治7年7月⇒ハラ・ホトン離宮建造の奏上
⑨:順治7年12月⇒ドルゴンハラ・ホトンで狩猟中に薨去

 と言うことになります。順治3年からこっち、順治7年に死没するまで、ドルゴンは毎年モンゴル関係で忙殺されていた事になるかと思います。特に姜瓖二楚虎爾については、ドルゴン本人が軍を率いて遠征してます。ドドホーゲが他界し、アジゲが信用ならない状況下では他に選択肢はなかったんでしょうけど、少なくとも漢土南明以上にモンゴル情勢は重視していたと考えられます。
 なんですが、そもそも、騰機思とか二楚虎爾って何やねんって所からですよね…。
 書いてたら長くなったので、今回はまず、①と②、④のテンギス(Tengis 騰機思)について見ていきましょう。まずは《欽定外藩蒙古回部王公表傳》の蘇尼特部總傳から。
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バトゥ麾下のイギリス人貴族 その3

 ここのところネタにしている、バトゥ麾下のイギリス人将校ネタで取り寄せていた、ガブリエル・ローナイ 著/榊優子 訳『モンゴル軍のイギリス人使節─キリスト教世界を売った男─』角川選書262 が手元に届きました。とりあえず、巻末に上がっているナルボンヌの聖職者イヴォーの書簡を採録したマシュウ・パリスのイギリスの年代記からの引用の中で、件のイギリス人に関連するところを引用してみましょう。
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バトゥ麾下のイギリス人貴族 その2

 と言うわけで、昨日の記事を上げたところ、ありがたいことにTwitterでご指摘を頂きまして…。

 確認したら確かに記述がありましたので、メモついでにこれも上げておきます。

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