ネット上のマンジュな電子史料

 と言うワケで、デジタルアーカイブを図書館などで公開してくれるおかげで、かなりイカした感じのモノが読めたり眺めたりが可能になってきてるので、備忘録がわりにまとめてみたり…。

国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
清国北京皇城写真帖 小川一真⇒八ヶ国連合軍北京占領時に撮影された紫禁城内の写真集。故宮の古写真はだいたいここからの転載。
満文老档. 太祖の巻 藤岡勝二 訳⇒フリーハンドの《満文老檔》の訳
満文老档. 太宗天聡の巻 藤岡勝二 訳
満文老档. 太宗天徳の巻i 藤岡勝二 訳

ディジタル・シルクロード 国立情報学研究所 – ディジタル・シルクロード・プロジェクト 『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ
圓明園東長春宮西洋樓圖 郎世寧(Giuseppe Castiglione)⇒圓明園西洋楼の銅版画。東洋文庫所蔵品。全幅は中々見られない。
Baukunst und Landschaft in China Ernst Boerschmann⇒清末各地の道観寺院などの写真が相当量。
Views of China : vol.1 George Ernest Morrison⇒東洋文庫の元となったモリソン・コレクションモリソンの写真帖。
Views of China : vol.2 George Ernest Morrison
Album of Photographic Views in China Felice Beato⇒幕末から明治にかけての日本の写真で有名なベアトの写真集。
乾隆京城全図⇒およそ、清代の北京で何か調べようとする人は必ず触れなければならない地図。リンク先は画像だが、Google Maps版もある。個人的にはGoogle Earth版が死ぬ程使いやすい。

早稲田大学図書館 古典籍総合データベース
唐土名勝図会原稿岡田玉山(編述・画)岡熊岳・大原東野(画)⇒長崎からの情報を元に江戸時代に書かれたガイドブック…なのだが、異常に細かい。北京内城八旗の縄張りなども見てきたように詳細に書かれている。ちなみに早稲田には手稿本の他に三冊蔵書があって全てPDF化されているのでグレイト。
唐土名勝図会
唐土名勝図会
唐土名勝図会
鴻雪因縁図記宗室ワンギャ氏(Wanggiyan Hala 完顔氏)出身の文人・リンキン(linking 麟慶)の図入り北京案内。当時の名所の様子を知るには一級の書物。

 日本語や漢語でマンジュ・ダイチン関係のPDF論文が読めるのあるみたいなんで、機会あったらまとめてみようかと…。

  1. 正しくは崇徳の巻 [戻る]

旗王と八旗その2+色々メモ

 『清朝とは何か』藤原書店 を読み返してたら、先日まとめたのとは違う説が紹介されていたのでまたまたメモ。

ヌルハチ期の領旗
正黄旗⇒ヌルハチ直轄(アジゲ、ドルゴン、ドド)
鑲黄旗⇒ヌルハチ直轄(アジゲ、ドルゴン、ドド)
正紅旗⇒ダイシャン、サハリヤン、フセ(hūse 祜塞)
鑲紅旗⇒ダイシャン、ヨト
正白旗⇒ホンタイジ
鑲白旗⇒ドゥドゥ
正藍旗⇒マングルタイ、デゲレイ
鑲藍旗⇒アミン、ジルガランi

 アジゲドルゴンドドの三兄弟はヌルハチ晩年に両黄旗に配された。ホンタイジ即位までに鑲白旗ホンタイジの勢力下に入り、ドゥドゥ鑲紅旗に移動したという。

ホンタイジ期の領旗
正黄旗⇒ホンタイジ直轄
鑲黄旗⇒ホンタイジ直轄
正紅旗⇒ダイシャン、サハリヤン、フセ
鑲紅旗⇒ヨト、ドゥドゥ
正白旗⇒アジゲ、ドルゴン、ドド
鑲白旗⇒アジゲ、ドルゴン、ドド
正藍旗⇒ホーゲ
鑲藍旗⇒ジルガランii

 ホンタイジは即位と共に勢力下にあった両白旗両黄旗に改称(陣容はそのまま)。同時に両黄旗両白旗に改称(これまた、陣容はそのまま)。両黄旗アジゲドルゴンドドはそのまま両白旗旗王に。デゲレイ死後に罪に問うてその後継者に正藍旗を継承させず、解体没収して再編した後に長子・ホーゲ新正藍旗旗王に据えたとしている。確かに正藍旗の旗王が空位のまま、皇帝直轄であるはずの鑲黄旗ホーゲを据えるというのはスッキリいかないのでこっちの方がスッと落ちる説明……とはいえ、ホーゲがどのタイミングで旗王になったのかでどの旗を管轄したかは違ってくる気はする。ともあれ、この際、鑲黄旗正黄旗正藍旗三旗が皇帝直属の上三旗とされた。
 このあたりは、『ヌルハチの都』で紹介されている〈盛京城闋図〉を見てみると面白いiii康煕7(1668)年に書かれたとは言え、入関直前のムクデンの様子が再現されている。と、瀋陽の住人にヒヤリングした結果割り出した八旗方位ivに当て嵌められた王府の位置vを見てみると、豫親王府(ドド王府)は正黄旗叡親王府(ドルゴン王府)と巴図魯郡王(アジゲ王府)は鑲黄旗の場所にある。両黄旗が陣容そのままで両白旗に名称だけ変更したとするなら、成る程納得な場所と言える。
 ちなみに、他の王府の場所をみると以下の通り。正紅旗禮親王府(ダイシャン王府)、穎親王府(サハリヤン王府)、鑲紅旗成親王府(ヨト王府)、敬謹親王府(ニカン王府)、正藍旗⇒王府無し、鑲藍旗鄭親王府(ジルガラン王府)、鑲白旗肅親王府(ホーゲ王府)、饒餘郡王府(アバタイ王府)、正白旗⇒王府無し…となる。八旗方位に基づいた復元では、やはりホーゲ鑲黄旗の旗王と考えた方が良さそうなのだが…。あと、この本で名前だけ挙がっている荘親王…と言うよりこの時期なら承澤親王と言うべきショセの王府が抜けているのが少し気になる。ニカンチュエンの第3子でドゥドゥの弟なので、ドゥドゥの地位を継承したモノと思われる。

ドルゴン期の領旗
正黄旗⇒皇帝直轄(ドルゴン実効支配)
鑲黄旗⇒皇帝直轄(ドルゴン実効支配)
正紅旗⇒?vi
鑲紅旗⇒?vii
正白旗⇒ドルゴン
鑲白旗⇒ドドviii
正藍旗⇒ホーゲ→?ix(ドルゴン実効支配)
鑲藍旗⇒ジルガラン

 この時期は図示されていないモノの書いてあることxを勝手にまとめると上のような感じか?また、ホンタイジの二次即位の際にはドルゴン鑲白旗の所属だった模様xiだが、死ぬ間際には正白旗所属になっておりxiiドドと所属を交代していた模様。その他、ドルゴンホンタイジ死後には両黄旗を掌握し、ホーゲを追い落とした後さらに正藍旗を勢力下に置いて、上三旗を完全に掌握した。しかし、ドルゴン死後は両黄旗正白旗順治帝の直轄になり、以後上三旗皇帝直轄として固定。下五旗は一族諸王家が分割する体制が確立した。

 ついでに八旗マンジュ語表記もメモ。

八旗⇒ジャクン・グサ(jakūn gūsa)

左翼
鑲黄旗⇒クブヘ・スワヤン・グサ(kubuhe suwayan gūsa)上三旗 八旗首位
正白旗⇒グル・シャンギャン・グサ(gulu sanyan gūsa)上三旗(元・下五旗)
鑲白旗⇒クブヘ・シャンギャン・グサ(kubuhe sanyan gūsa)下五旗
正藍旗⇒グル・ラムン・グサ(gulu lamun gūsa)下五旗(元・上三旗)

右翼
正黄旗⇒グル・スワヤン・グサ(gulu suwayan gūsa)上三旗
正紅旗⇒グル・フルギャン・グサ(gulu fulgiyan gūsa)下五旗
鑲紅旗⇒クブヘ・シャンギャン・グサ(kubuhe fulgiyan gūsa)下五旗
鑲藍旗⇒クブヘ・ラムン・グサ(kubuhe lamun gūsa)下五旗

 こうやって見ると、崇徳年間大明遠征の時、左翼指揮官が鑲白旗ドルゴンで、右翼指揮官が鑲紅旗ヨトって言うのはこう言うことなのかと。

 あと、三順王ホンタイジ二次即位時、崇徳元(1636)年、王に封じられている模様。

天助兵⇒恭順王・孔有徳、懐順王・耿仲明
天祐兵⇒智順王・尚可喜

 順治元(1644)年、入関時に呉三桂平西王に封じられ、順治3(1646)年、孔有徳平南将軍を任じられる。

 順治6(1649)年に王号を改めて賜う。

定南王・孔有徳、、靖南王・耿仲明、平南王・尚可喜

 その後、順治6(1649)年、耿仲明は罪に問われて自殺、靖南王家は息子の耿継茂が継承。順治9(1652)年、南明・桂王政権制圧時に孔有徳が戦死。後継者がいなかった定南王家は断絶。と言うワケで、清初の三藩がこの時から固定され、三藩の乱まで継続することになる。

平西王・呉三桂、靖南王・耿継茂、平南王・尚可喜

 あと、内三院の内訳は、内国史院内弘文院内秘書院

  1. 『清朝とは何か』藤原書店 杉山靖彦「マンジュ国から大清帝国へ【その勃興と展開】」P.81 [戻る]
  2. 『清朝とは何か』藤原書店 杉山靖彦「マンジュ国から大清帝国へ【その勃興と展開】」P.81 [戻る]
  3. 三宅理一『ヌルハチの都 満洲遺産のなりたちと変遷』ランダムハウス講談社P.141 [戻る]
  4. 三宅理一『ヌルハチの都 満洲遺産のなりたちと変遷』ランダムハウス講談社P.162 [戻る]
  5. 三宅理一『ヌルハチの都 満洲遺産のなりたちと変遷』ランダムハウス講談社P.164 [戻る]
  6. 宣和堂の推論⇒ダイシャン第七子=和碩巽親王・マンダハイ? [戻る]
  7. 宣和堂の推論⇒サハリヤン第二子=多羅順承郡王・ルクドゥフン? [戻る]
  8. 漢語Wikipediaによるとドドはホーゲ失脚後?に正藍期に移った模様。その後の旗王は不明 [戻る]
  9. 漢語Wikipediaによるとドド 宣和堂の推論⇒ドドの第二子=和碩豫親王・ドニ? [戻る]
  10. 『清朝とは何か』藤原書店 杉山靖彦「マンジュ国から大清帝国へ【その勃興と展開】」P.89 [戻る]
  11. 『清朝とは何か』藤原書店 杉山靖彦「マンジュ国から大清帝国へ【その勃興と展開】」P.85 [戻る]
  12. 『清朝とは何か』藤原書店 杉山靖彦「マンジュ国から大清帝国へ【その勃興と展開】」P.89 [戻る]

孝荘文皇后と愉快な仲間達-ダイチン諸王編1

 と言うワケで、「辮髪を惜しんで大事が成せるか!」「辮髪も守れずに国を守るだと?」「だが、これからは死んでも辮髪は失わない」などの名台詞と共に、一気に辮髪ドラマの金字塔になった態のドラマ『宮廷の泪 山河の恋』のお話です。取りあえず、あらすじだけでも見て欲しい…。
 と、今回はドラマの主役の一人、ドルゴンとその兄弟たちです。

 

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孝荘文皇后と愉快な仲間達-モンゴル女性編

 と言うワケで、BSジャパンで始まった《山河戀·美人無淚(邦題:宮廷の泪 山河の恋)》をツラツラ見てます。このドラマ、清初皇后というか皇太后というか太皇太后として有名な孝荘文皇后の一代記ですね。孝荘文皇后モンゴルホルチン部ボルジギット氏出身なので、お粗末ですがモンゴルのシーンがあります。意外と新鮮ですね。こんなに頻繁に往来できるほど、盛京(ムクデン・ホトン)とホルチン部の放牧地が近いとは思えませんが、孝荘文皇后のドラマというとホンタイジに嫁いでからドルゴン初めとしたマンジュの人々と絡む印象があったんですが、確かに孝荘文皇后の叔母である孝端文皇后も姉である敏恵恭和元妃も当然モンゴルに居たときからの血縁ですからモンゴルから話を始めて因縁を描くのはありだなぁ…と感心した次第です。まぁ、そこは良いのですが、モンゴルの装束の考証は無茶苦茶ですし、折角八旗が出て来るのにホンタイジドルゴンも馬に乗らずに袁崇煥と対戦してるあたりは…そこまで予算無かったのかなぁと悲しくなりますが…。まぁ、ちゃんとドルゴン正白旗の鎧着てたりするので、その辺は大目に見ないとダメっすかねぇ…。
 と、ドラマ見てて気になったのでこのドラマに出て来る人達の記事をWikipediaとか百度の記事あたりを見ながらツラツラまとめてみようかと思います。
 尚、人名はカタカナ(マンジュ語ローマ字表記 漢語表記)という順番で表記していこうかと。

 

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