蘭陵王#2源氏
昨日の蘭陵王の記事で忘れていた個所があったのでついでにアップ。
というのは、後書きの個所。
北朝の魏では臣籍降下した皇族に「源」姓をあたえるという制があり、それは日本でも採用された。(P.345)
え~と、これ以前にnagaichiさんの所で話題に出て、自分も調べたことですよね…。
恐らくここで指摘しているのは、禿髪破羌が北魏皇帝から源氏を下賜されて、氏名を源賀と改めたことを指しているんだと思います。
禿髮破羌が源氏を下賜されたのは、元々独立勢力・南涼として勢力を保っていた禿髪氏が、西秦の乞伏熾磐に滅ぼされたために、同族の拓跋氏が樹立した北魏を頼ってきたタイミングだといわれています。日本の皇族に対する臣籍降下とはまた事情が異なると思うんですけどね…。
世祖素聞其名,及見,器其機辯,賜爵西平侯,加龍驤將軍.謂賀曰:「卿與朕源同,因事分姓,今可為源氏.」
《魏書》巻四十一 列傳第二十九 源賀
強調部分を下手な訳をすると、「卿と朕は元々は同源であるから、これを機に姓を分けて、今より源氏とせよ」となります。恐らく、拓跋氏も禿髪氏も漢字表記が異なるだけで、鮮卑語では同音で紛らわしかったから、源氏下賜というコトが行われたのではないでしょうか?孝文帝以前の北魏朝廷では、まだ鮮卑語が幅利かせてたでしょうし…。
北魏の皇族が元氏を称したのが六代孝文帝の太和20(496)年ですから、禿髪破羌が源氏を下賜された三代太武帝(在位423~452年)の方が先なんですよね。
でも、皇族の元氏と音通だから、同族の禿髪氏は源氏を下賜された…と言う記事も見た気がするので、この辺は禿髪破羌の子孫が、事実よりも源氏下賜のタイミングを遡って箔を付けた記事だとも考えられます…というか、皇族である拓跋氏が元氏を名乗ったので、同族の禿髪氏は音通の源氏を名乗った…とする方がしっくり来ますよね。
あと、細かい事言いますが、日本の「源」は姓ですが、北魏の「源」は氏ですね。細かいことですけど。
小説中でいくらこういうコトやっても田中芳樹ワールドなので許されると思いますが、後書きとかでやらかすのは如何なモノかと思いますが…。
と言うワケで、消しちゃった記事で触れた個所です。ネタのリサイクルですね。
あと、田中芳樹の年齢コンプレックスが高じて、年表前の最後の頁に
登場人物の年齢はすべてかぞえ年である。(P.347)
とあったのが、何だか笑うところなのか、引くところなのか判断に困りました。……笑うところですよね?
まあ、この小説はフィクションです。とか書かれてたら、それはそれで恐れ入っちゃいますけど…。
更に、《資治通鑑》が引用していた《通典》の記事が中央研究院 漢籍電子文獻で見つかったので、一応引用。
大面出於北齊.蘭陵王長恭才武而貌美,常著假面以對敵.嘗擊周師金墉城下,勇冠三軍,齊人壯之,為此舞以效其指麾擊刺之容,謂之蘭陵王入陣曲.
《通典》巻一百四十六 樂六 散樂
そう言えば、田中版『蘭陵王』では印象的に蘭陵王入陣曲が出てくる割に、サラッとした印象でしたね…。どうも、仮面を付けて踊る様な記述も無かったですし…軍楽の一種ととらえたんですかねぇ…。
追記: 更にコメント覧でさいらさんに教えてもらったので、《舊唐書》の記事も貼り付けておきます。
大面出於北齊.北齊蘭陵王長恭,才武而面美,常著假面以對敵.嘗擊周師金墉城下,勇冠三軍,齊人壯之,為此舞以效其指麾擊刺之容,謂之蘭陵王入陣曲.
《舊唐書》巻二十九 志第九 音樂二 散樂
…なるほどそのまんま記事引き写しですね…。