鑲紅旗 承澤親王ショセ その2
流石に絶版文献参考するのは時間かかるなぁ…と、前回の記事書いてぐぬぬ…と思っていたら、手元にあった杜家驥《八旗与清朝政治论集》をパラッと見てたら、注にありましたね…。ショセのニルが元々ショトのニルであった説を長いけど引用してみましょう。
宣和堂の節操のない日記
流石に絶版文献参考するのは時間かかるなぁ…と、前回の記事書いてぐぬぬ…と思っていたら、手元にあった杜家驥《八旗与清朝政治论集》をパラッと見てたら、注にありましたね…。ショセのニルが元々ショトのニルであった説を長いけど引用してみましょう。
と言うワケで、鈴木真センセの「清朝入関後、旗王によるニル支配の構造」iをツラツラ読んでいると、
ダイシャンの二子ショトは、ホンタイジ死去後に罪を得て処刑され、麾下の鑲紅旗ニルはやがて順治帝の異母兄・多羅承澤郡王ショセ麾下に賜与された(後の和碩荘親王家)。ii
等という文章にあたり、椅子からズリ落っこちました。ええ?そうだったの?
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