清の実録館

 と言うわけで、《清实录研究》に実録の編纂場所……つまり、実録館の位置が載っていたので比定してみました。位置については……正直自信有りません…。と言うのも、実録館は常設の役所ではなく、皇帝代替わりの実録編纂時期にのみ官員が任命される性質の役所なので位置がころころ変わるんですね…。雍正~乾隆にかけての実録館は実録の告成後しばらく放置されたようですが、乾隆30年頃に国史館(《清史列傳》などを編纂した)に転用されたように、その時々の空いている場所を転々としたようです。
 しかし、実録の簡易版を《東華録》と称したように、概ね東華門近くに設置されたようです。まぁ咸豐年間以降はほぼ場所は固定されたようですが…。この辺、紫禁城に関する本を見ても今ひとつ詳しく載ってないんですよね…。ただ、Wikipediaの日本語版紫禁城の項には実録館の満文=yargiyan kooli bithei kurenも載っているので何かしら詳しい本があるんでしょうけど…って、これ咸安宮に付随する形で載ってますから、嘉慶年間の実録館ですかね。
 

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大紅綾本、小紅綾本、小黄綾本

 実録の資料を読んでいると、割とサラッと大紅綾本小紅綾本…あと小黄綾本という版本に関する用語が出てきます。常識みたいな感じであんまり説明もないんで、いや、それ何よ…と、思って調べてみました。結構時間かかりましたが…。簡単に言うと、この大紅綾本小黄綾本…という版本の違いは正本副本の差ですね…。あと、収蔵場所も違いますが。
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