特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」1

 と言うワケで、色々問題があったモノの、6/24から開催されている特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」を見に行ってきました。
 JR上野駅で買った当日券はチケットぴあで発券したようなチケットで、絵がないですが良いですか?と念を押されたんですが、平成館の会場入り口でもぎられるときに、台北 “國立”故宮博物院展のチケットに交換されちゃいました。まぁ、チケットぴあみたいなチケットにもちゃんと“國立”ってクレジットも入ってましたが、一律に交換することにしたみたいです。こんなの初めてなので驚きました。やっぱり騒動の後ですね…。実際、同行者の中には國立が入ってないチケットを持っている方もおられましたから、そういう配慮からなんでしょうが、無駄にお金かかってる印象です。

 さて、東博敷地内に入るとまずは行列です。今回唯一の目玉と言って良いNo.229 翠玉白菜の列ですね…凄く列んでましたね。正直、北京故宮博物院200選の時の清明上河図巻ほど、何時間列んでも見たい!というモチベーションが持てなかったので、自分は行列を横目に見て、待ち時間180分というのを冷やかすくらいでした。確かに、翡翠白菜台北故宮を代表する文物であることは間違いないのですが、台北故宮を何度か見ている人間からすると、正直物足りなさは否めないのですが、それはまた置いておきましょう。
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天命~康煕の旗王と序列メモ

※マンジュ・グルン建国
建州左衞都指揮使・ヌルハチと建州右衞都指揮使・シュルガチとの二頭体制
四旗制⇒1:黄旗(ヌルハチ)、2:白旗(チュエン)、3:紅旗(ダイシャン)、4:青旗(シュルガチ)
×シュルガチ、チュエン失脚⇒黄旗(ヌルハチ)、紅旗(ダイシャン)、白旗(ホンタイジ)、藍旗(アミン)

※天命年間
両黄旗(ヌルハチ)、両紅旗(ダイシャン)、鑲藍旗(アミン)、正藍旗(マングルタイ)、正白旗(ホンタイジ)、鑲白旗(ドゥドゥ)⇒四大ベイレ(アンバ・ベイレ=ダイシャン、アミン、マングルタイ、ドゥイチ・ベイレ=ホンタイジ)
1:鑲黄旗(アジゲ、ドルゴン)、2正黄旗(ドド)、3:正紅旗(?i)、4:鑲紅旗(ヨト)、5:鑲藍旗(アミン、ジルガラン)、6:正藍旗(マングルタイ、デゲレイ)、7:鑲白旗(?ii)、8:正白旗(ホンタイジ)⇒八ホショ・ベイレ
旗王の序列(天命9年)⇒1:アンバ・ベイレ=ダイシャン、2:モンゴル諸侯、3:アミン・ベイレ、4:マングルタイ・ベイレ、5;ドゥイチ・ベイレ=ホンタイジ、6:アジゲ・アゲ、7:ドド・アゲ、8:アバタイ・アゲ、ドゥドゥ・アゲ、9:ヨト・アゲ、ショセ・アゲ

※天聰年間
三大ベイレ(アンバ・ベイレ=ダイシャン、アミン、マングルタイ)
1:正黄旗(ホンタイジ)、2:鑲黄旗(ホーゲ、アバタイ)、3:正紅旗(ダイシャン、サハリヤン)、4:鑲紅旗(ヨト)、5:鑲藍旗(アミン、ジルガラン)、6:正藍旗(マングルタイ、デゲレイ)、7:鑲白旗(ドルゴン、アジゲ)、8:正白旗(ドド)⇒両黄旗と両白旗の入れ替え
旗王の序列(天聰5年)⇒1:ベイレ・アバタイ(鑲黄旗)、2:ベイレ・デゲレイ(正藍旗)、3:ベイレ・ジルガラン(鑲藍旗)、4:ベイレ・メルゲン・ダイチン=ドルゴン(鑲白旗)、5:ベイレ・エルケ・チュフル=ドド(正白旗)、6:ベイレ・ショト(鑲紅旗)、7:ベイレ・サハリヤン(正紅旗)、8:ベイレ・ホーゲ(正黄旗)

×アミン、マングルタイ、デゲレイの失脚
正黄旗(ホンタイジ)、鑲黄旗(ホーゲ、アバタイ)、正紅旗(ダイシャン、サハリヤン)、正白旗(ドド)、鑲紅旗(ヨト)、鑲白旗(ドルゴン、アジゲ)、鑲藍旗(ジルガラン)、正藍旗()⇒両黄旗:北、両白旗:東、両紅旗:西、両藍旗:南に相当、右翼:正黄旗、正紅旗、鑲紅旗、鑲藍旗、左翼:鑲黄旗、正白旗、鑲白旗、正藍旗

※崇徳年間
×正藍旗解体=新正藍旗再編
1:鑲黄旗(ホンタイジ)、2:正黄旗(ホンタイジ)、3:正白旗(ドド)、4:正紅旗(ダイシャン、サハリヤン)、5:鑲白旗(ドルゴン、アジゲ)、6:鑲紅旗(ヨト)、7:正藍旗(ホーゲ、アバタイ)、8:鑲藍旗(ジルガラン)⇒両黄旗:北、両白旗:東、両紅旗:西、両藍旗:南に相当、左翼:鑲黄旗、正白旗、鑲白旗、正藍旗、右翼:正黄旗、正紅旗、鑲紅旗、鑲藍旗、この頃は上二旗、内六旗(モンゴルなど外藩部の外八旗と比較して”内”)
ホショ・チンワン⇒ホショ・ドロンゴ・チンワン(和碩禮親王)=ダイシャン、ホショ・メルゲン・チンワン(和碩睿親王)=ドルゴン、ホショ・エルケ・チンワン(和碩豫親王)=ドド、ホショ・ウジェン・チンワン(和碩荘親王)=ジルガラン、和碩成親王=ヨト
ドロ・ギュンワン⇒ドロ・バトゥル・ギュンワン(多羅武英郡王)=アジゲ、ドロ・バヤン・ギュンワン(多羅饒餘郡王)=アバタイ

×サハリヤン、ヨト死去
1:鑲黄旗(ホンタイジ)、2:正黄旗(ホンタイジ)、3:正白旗(豫郡王・ドド)、正紅旗(禮親王・ダイシャン)、鑲白旗(睿親王・ドルゴン、武英郡王・アジゲ)、鑲紅旗(衍禧郡王・ロロホン(Lolohon 羅洛宏iii)、鑲藍旗(鄭親王・ジルガラン)、正藍旗(肅親王・ホーゲ、饒餘郡王・アバタイ)

※順治年間
1:鑲黄旗(フリン)、2:正黄旗(フリン)、3:正白旗(睿親王・ドルゴン)、4:正紅旗(禮親王・ダイシャン)、5:鑲白旗(豫親王・ドド、英親王・アジゲ)、6:鑲紅旗(衍禧郡王・ロロホン)、7:鑲藍旗(鄭親王・ジルガラン)、正藍旗(饒餘郡王・アバタイ、肅親王・ホーゲ)⇒崇徳8年のドドの処罰ivにより、鑲白旗と正白旗を換旗。
順治5年、反ドルゴン派粛正
×ホーゲ、ダイシャン、ドド逝去⇒ホーゲ旗下の正藍旗とドド旗下の鑲白旗の換旗が行われる

1:鑲黄旗(フリンv)、2:正黄旗(フリンvi)、3:正白旗(睿親王・ドルゴン)、4:正紅旗(巽親王・マンダハイ(Mandahai 満達海vii)、順承恭恵郡王・レクデフン(Lekdehuni 勒克徳渾viii)、5:鑲白旗(睿親王・ドルゴン)、6:鑲紅旗(敬謹郡王・ニカン(Nikan 尼堪ix)、謙襄郡王・ワクダ(Wakuda 瓦克達x))、7:鑲藍旗(鄭親王・ジルガラン)、8:正藍旗(信親王・ドニ(Doni 多尼xi)、英親王・アジゲ、端重郡王・ボロ(Bolo 博洛))⇒マンダハイ、ニカン、ボロはドルゴンに重用され、理政三王と称された

×ドルゴン逝去直後
1:鑲黄旗(フリン)、2:正黄旗(フリン)、3:正白旗(睿親王・ドルボ(Dorbo 多爾博xii))、4:正紅旗(巽親王・マンダハイ(Mandahai 満達海xiii)、順承恭恵郡王・レクデフン(Lekdehuni 勒克徳渾xiv)、5:鑲白旗(睿親王・ドルボ)、6:鑲紅旗(敬謹郡王・ニカン(Nikan 尼堪xv)、謙襄郡王・ワクダ(Wakuda 瓦克達xvi)、承澤親王・ショセ(Šose 碩塞xvii))、7:鑲藍旗(鄭親王・ジルガラン)、8:正藍旗(信親王・ドニ(Doni 多尼xviii)、端重郡王・ボロ(Bolo 博洛))

×マンダハイ、ボロ、レクデフン、ワクダ、ショセ、ニカン、ジルガランが相次いで逝去
1:鑲黄旗(フリン)、2:正黄旗(フリン)、3:正白旗(フリン)、4:正紅旗(巽親王・チャンガタイxix)、5:鑲白旗(顕親王・フシェオ(富綬 Fušeoxx))、6:鑲紅旗(荘親王・ボゴド(Bokodo 博果鐸xxi))、ベイレ・ドゥルフ(durhu 杜爾砧xxii)))、7:鑲藍旗(鄭親王・ジルガラン、簡郡王・ジドゥ(jidu 濟度xxiii)、敏郡王・レドゥ(ledu 勒度xxiv)、ベイレ・シャンシャン(sangsan 尚善xxv))、8;正藍旗(安郡王・ヨロ(yolo 岳楽xxvi)、信郡王・ドニ)

×フリン崩御時
1:鑲黄旗(フリン)、2:正黄旗(フリン)、3:正白旗(フリン)、4:正紅旗(康親王・ギイェシュxxvii、順承郡王・レルギイェンxxviii、ベイレ・チャンガタイxxix)、5:鑲白旗(顕親王・フシェオ(富綬 Fušeoxxx)、温郡王・モンゴ)、6:鑲紅旗(荘親王・ボゴド(Bokodo 博果鐸xxxi)、ベイレ・ランプxxxii)、ベイレ・ドゥルフ(durhu 杜爾砧xxxiii)))、7:鑲藍旗(テセxxxiv)、8;正藍旗(安郡王・ヨロ(yolo 岳楽xxxv)、ベイレ・チクシンxxxvi、信郡王・チャニxxxvii

※康煕年間
鑲白旗と正藍旗は皇帝庶子が封じられるモノの、他の旗に関しては皇帝といえども基本的に不干渉。
追記:(皇太子冊立時)
1:鑲黄旗(上三旗 皇帝直属 輔国公・常舒(議政王))、2:正黄旗(上三旗 皇帝直属)、3:正白旗(上三旗 皇帝直属)、4:正紅旗(康親王・ギイェシュ(議政王)、順承郡王・レルギイェン(議政王))、5:鑲白旗(顕親王・丹臻、裕親王・福全(議政王)、純親王・隆禧、温郡王・仏永恵)、6:鑲紅旗(荘親王・ボゴド、平郡王家・ロゴド、恵郡王・ボンゴノ、鎮國公・スヌ(議政王))、7:鑲藍旗(簡親王・ラブ、ベイレ・シャンシャン(議政王)、ベイセ・ウンチ(議政王)、輔國将軍・バルカン(議政王))、8:正藍旗(安親王・ヨロ(議政王)、信郡王・オジャ、ベイレ・チャニ(議政王)、ベイレ・ドンゲ(議政王)、恭親王・常寧(議政王))

参考資料:杜家驥《八旗与清朝政治論稿》人民出版社
    :内田直文「清朝入関後における内廷と侍従集団」九州大学東洋史論集 37号
    :鈴木 真 「清朝康煕年間の皇位継承者問題と旗王・権門の動向」史學雜誌 120(1)

  1. 実質的な旗手はダイシャン [戻る]
  2. 実質的な旗手はアバタイ? [戻る]
  3. ヨト長子 [戻る]
  4. ホーゲに接近して范文程の妻を強奪しようとした? [戻る]
  5. ドルゴン実効支配? [戻る]
  6. ドルゴン実効支配? [戻る]
  7. ダイシャン第七子 [戻る]
  8. サハリヤン第二子 [戻る]
  9. チュエン第三子 [戻る]
  10. ダイシャン第四子 [戻る]
  11. ドド第二子 [戻る]
  12. ドド第五子、ドルゴンの養子 [戻る]
  13. ダイシャン第七子 [戻る]
  14. サハリヤン第二子 [戻る]
  15. チュエン第三子 [戻る]
  16. ダイシャン第四子 [戻る]
  17. ホンタイジ第五子 [戻る]
  18. ドド第二子 [戻る]
  19. 常阿岱 マンダハイの長子 [戻る]
  20. ホーゲ第四子 [戻る]
  21. ショセ・長子 [戻る]
  22. ドゥドゥの長子 [戻る]
  23. ジルガラン第二子 [戻る]
  24. ジルガラン第三子 [戻る]
  25. ジルガランの弟のフィヤングの子 [戻る]
  26. アバタイ第四子 [戻る]
  27. ダイシャン八子・フセ後裔 [戻る]
  28. サハリヤン系 [戻る]
  29. マンダハイ後裔 [戻る]
  30. ホーゲ第四子 [戻る]
  31. ショセ・長子 [戻る]
  32. 順治18年6月、敬謹親王を継位 [戻る]
  33. ドゥドゥの長子 [戻る]
  34. 順治18年2月荘親王襲位 [戻る]
  35. アバタイ第四子 [戻る]
  36. 端重親王家、順治帝崩御の二日後に没。無嗣断絶 [戻る]
  37. 順治18年正月より空位、同年6月襲位 [戻る]

欽定宗室王公功績表伝

 ネットをウロウロしてたら漢文版の《欽定宗室王公功績表伝》が見つかったので、ベルリン州立図書館デジタルアーカイブ…についたローマ字に直したマンジュ語漢語版から拾った漢字との対応表でも作っておくかと…。

《欽定宗室王公功績表傳》⇒Hesei toktobuha uksun i wang gung sai gungge faššan i iletun ulabuni
◇巻一 表一 親王 郡王⇒Iletun i uju. Cin wang. giyûn wang

◇巻二 表二 貝勒 貝子 鎮國公 輔國公 以罪黜宗室貝勒⇒Iletun i jai. beile beise gurun be dalire gung gurun de aisilara gung Weilei turgunde uksun i dangse ci tucibuhe beile

◇巻三 傳一 親王⇒Ulabun i uju. Cin wang
和碩禮親王・代善:Hošoi doronggo cin wang Daišan i ulabun
和碩英親王・阿濟格:Hošoi baturu cin wang Ajige i ulabun

◇巻四 傳二 親王⇒Ulabun i jai. Cin wang
和碩睿親王・多爾袞:Hošoi mergen cin wang Dorgon i ulabun

◇巻五 傳三 親王⇒Ulabun i ilaci. Cin wang
和碩豫親王・多鐸:Hošoi erke cin wang Dodo
和碩肅親王・豪格:Hošoi fafungga cin wang Hooge
和碩承澤親王・碩塞:Hošoi kesingge cin wang Šose

◇巻六 傳四 親王⇒Ulabun i duici. Cin wang
和碩鄭親王・濟爾哈朗:Hošoi ujen cin wang Jirgalang

◇巻七 傳五 親王⇒Ulabun i sunjaci. Cin wang
和碩敬謹親王・尼堪⇒Hošoi ginggun cin wang Nikan
和碩穎親王・薩哈璘⇒Hošoi sure cin wang Sahaliyen
和碩端重親王・博洛⇒Hošoi jingji cin wang Bolo

◇巻八 傳六 郡王⇒Ulabun i ningguci. Giyûn wang
多羅通達郡王・雅爾哈齊⇒Doroi hafuka giyûn wang Yarhaci
多羅饒餘郡王・阿巴泰⇒Doroi bayan giyûn wang Abtai
多羅克勤郡王・岳託⇒Doroi kicehe giyûn wang Yoto
多羅謙郡王・瓦克達⇒Doroi gocishûn giyûn wang Wakda
多羅順承郡王・勒克徳渾⇒Doroi dahashûn giyûn wang Lekdehuni

◇巻九 傳七 貝勒⇒Ulabun i nadaci. Beile
和碩貝勒・阿敏⇒Hošoi beile Amin
多羅誠毅貝勒・穆爾哈齊⇒Doroi cing baturu beile Murgaci
多羅篤義貝勒・巴雅喇⇒Doroi joriktu beile Bayara
多羅廣略貝勒・褚英⇒Doroi argatu tumen beile Cuyeng
多羅貝勒・芬古⇒Doroi beile fiyanggû
多羅安平貝勒・杜度⇒Doroi elehun beile Dudu
多羅貝勒・察尼⇒Doroi beile Cani
多羅貝勒・哈爾楚渾⇒Doroi beile Kalcuhûn
多羅貝勒・巴思哈⇒Doroi beile Basha

◇巻十 傳八 貝子⇒Ulabun i jakûci. Beise
固山貝子・務達海⇒Gûsai beise Mudahai
固山貝子・博和託⇒Gûsai beise Bohoto
固山貝子・固爾瑪渾⇒Gûsai beise Gûlmahûn
固山貝子・洛託⇒Gûsai beise Loto
固山貝子・傳喇塔⇒Gûsai beise Fulata
固山貝子・穆爾祜⇒Gûsai beise Murhu
固山貝子・特爾祜⇒Gûsai beise Terhu
固山貝子・薩弼⇒Gûsai beise Sabi
固山貝子・蘇布圖⇒Gûsai beise Subutu
固山貝子・温齊⇒Gûsai beise Unci

◇巻十一 傳九 鎮國公 輔國公⇒Ulabun i uyuci. Gurun be dalire gung. gurun de aisilara gung
鎮國公・阿拜⇒Gurun be dalire gung Abai
鎮國公・巴布泰⇒Gurun be dalire gung Babutai
鎮國公・漢岱⇒Gurun be dalire gung Handai
鎮國公・恭阿⇒Gurun be dalire gung Gungga
鎮國公品級・屯齊⇒Gurun be dalire gung ni jergi Tunci
輔國公・塔拜⇒Gurun de aisilara gung Dabai
輔國公・頼慕布⇒Gurun de aisilara gung Laimbu
輔國公・瑪瞻⇒Gurun de aisilara gung Majan
輔國公・穆布爾善⇒Gurun de aisilara gung Bamburšan
輔國公・巴爾堪⇒Jakûn ubude dosimbuhakû gurun de aisilara gung Barkan
輔國公品級・扎喀納⇒Gurun de aisilara gung ni jergi Jakana

◇巻十二 傳十 以罪黜宗室貝勒⇒Ulabun i juwanci. Weilei turgunde uksun i dangse ci tucibuhe beile
和硯貝勒・莽古爾泰⇒Hošoi beile Manggûltai
多羅貝勒・徳格類⇒Doroi beile Degelei
多羅貝勒・拜音圖Doroi beile Baintu
多羅貝勒・碩託⇒Doroi beile Šoto
多羅貝勒・延信⇒Doroi beile Yansin

 それにしても、ベルリン州立図書館、他にもマンジュ語文献サラッと公開してくれてるんですが、何やってくれてるんですかね…。
おまけに、Uksun i wang gung sai gungge faššan be iletulere ulabun = 宗室淸文王功續表傳 5卷iiとかいうのも別にあって、これは編者が二十四阿哥允秘になってたりするんですが何ですかこりゃ…。1765年作成となってるから、乾隆30年ってコトになるけどそういや二十四阿哥は乾隆38年まで存命だったからありえるんですねぇ…。

  1. Digitalisierte Sammlungen der Staatsbibliothek zu Berlin 欽定宗室清文王公功績表傳》12巻 [戻る]
  2. 宗室淸文王功續表傳 [戻る]

ネット上のマンジュな電子史料

 と言うワケで、デジタルアーカイブを図書館などで公開してくれるおかげで、かなりイカした感じのモノが読めたり眺めたりが可能になってきてるので、備忘録がわりにまとめてみたり…。

国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
清国北京皇城写真帖 小川一真⇒八ヶ国連合軍北京占領時に撮影された紫禁城内の写真集。故宮の古写真はだいたいここからの転載。
満文老档. 太祖の巻 藤岡勝二 訳⇒フリーハンドの《満文老檔》の訳
満文老档. 太宗天聡の巻 藤岡勝二 訳
満文老档. 太宗天徳の巻i 藤岡勝二 訳

ディジタル・シルクロード 国立情報学研究所 – ディジタル・シルクロード・プロジェクト 『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ
圓明園東長春宮西洋樓圖 郎世寧(Giuseppe Castiglione)⇒圓明園西洋楼の銅版画。東洋文庫所蔵品。全幅は中々見られない。
Baukunst und Landschaft in China Ernst Boerschmann⇒清末各地の道観寺院などの写真が相当量。
Views of China : vol.1 George Ernest Morrison⇒東洋文庫の元となったモリソン・コレクションモリソンの写真帖。
Views of China : vol.2 George Ernest Morrison
Album of Photographic Views in China Felice Beato⇒幕末から明治にかけての日本の写真で有名なベアトの写真集。
乾隆京城全図⇒およそ、清代の北京で何か調べようとする人は必ず触れなければならない地図。リンク先は画像だが、Google Maps版もある。個人的にはGoogle Earth版が死ぬ程使いやすい。

早稲田大学図書館 古典籍総合データベース
唐土名勝図会原稿岡田玉山(編述・画)岡熊岳・大原東野(画)⇒長崎からの情報を元に江戸時代に書かれたガイドブック…なのだが、異常に細かい。北京内城八旗の縄張りなども見てきたように詳細に書かれている。ちなみに早稲田には手稿本の他に三冊蔵書があって全てPDF化されているのでグレイト。
唐土名勝図会
唐土名勝図会
唐土名勝図会
鴻雪因縁図記宗室ワンギャ氏(Wanggiyan Hala 完顔氏)出身の文人・リンキン(linking 麟慶)の図入り北京案内。当時の名所の様子を知るには一級の書物。

 日本語や漢語でマンジュ・ダイチン関係のPDF論文が読めるのあるみたいなんで、機会あったらまとめてみようかと…。

  1. 正しくは崇徳の巻 [戻る]
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