ゴールデンバウム歴代皇帝

 と言うワケで、昨日の元ネタ。手元の徳間ノベルズ版『銀河英雄伝説外伝1』に列挙された皇帝をザッと一覧で引用。今回の記事の引用は全て徳間ノベルズ版です。

 ……建国以来、銀河帝国において、「全宇宙の支配者、全人類の統治者」という称号を受けたゴールデンバウム一族の名はつぎのとおりである。
一  ルドルフ(大帝)
二  ジギスムント一世
三  リヒャルト一世
四  オフリート一世
五  カスパー
六  ユリウス
七  ジギスムント二世(痴愚帝)
八  オトフリート二世
九  アウグスト一世
一〇 エーリッヒ一世
一一 リヒャルト二世
一二 オットー・ハインツ一世
一三 リヒャルト三世
一四 アウグスト二世(流血帝)
一五 エーリッヒ二世(止血帝)
一六 フリードリヒ一世
一七 レオンハルト一世
一八 フリードリヒ二世
一九 レオンハルト二世
二〇 フリードリヒ三世(敗軍帝)
二一 マクシミリアン・ヨーゼフ一世
二二 グスタフ(百日帝)
二三 マクシミリアン・ヨーゼフ二世(晴眼帝)
二四 コルネリアス一世
二五 マンフレート一世
二六 ヘルムート
二七 マンフレート二世(亡命帝)
二八 ウィルヘルム一世
二九 ウィルヘルム二世
三〇 コルネリアス二世
三一 オトフリート三世
三二 エルウィン・ヨーゼフ
三三 オトフリート四世(強精帝)
三四 オットー・ハインツ二世
三五 オトフリート五世
三六 フリードリヒ四世
(P.142)

 〈星を砕く者〉の作中時間は本編開始前なので、当然本編中に即位する三十七代・エルウィン・ヨーゼフ二世三十八代・カザリン・ケートヘンを補ってます。ちなみに、作中ではカザリン・ケートヘン一世と称する場面もありますが、二世もいないのに普通は一世とかつけません。このリストではエルウィン・ヨーゼフ二世が即位前なので、エルウィン・ヨーゼフ一世エルウィン・ヨーゼフになっているこだわりと矛盾する気がしますが…。で、皇帝の名前を片っ端から『銀河英雄伝説ハンドブック』デュアル文庫 で検索して、相関関係を系図にしていったわけです。……普通こう言うの人物辞典とかの巻末に載せる付録でも作ればいいのに…と思いつつ…。読み返している時に作ったので、つどつど確認もしましたけど。

 ちなみに謎の三十五代皇帝・ルードヴィッヒ三世本編4巻策謀編に登場します。

先々帝ルードヴィッヒ三世の第三皇女の孫がおります。(P.53)

 ラインハルトエルウィン・ヨーゼフ二世の後釜を下問されて、ここでは趙普じみたオーベルシュタインが即座に答えたのが、上の台詞です。当時の皇帝が三十七代のエルウィン・ヨーゼフ二世で、その先代が三十六代のフリードリヒ四世なので、先々代は三十五代皇帝と言うコトになるわけです。
 でも、外伝一巻ではよせばいいのにこんな説明がついていたり…。

 ルードヴィッヒという名の皇太子は四人もいたが、なぜか父帝に先だって病死したり、暗殺されたりして、一人も帝冠をいただくことができなかった。
(P.143)

 ………ますます謎だぜ!

 あと、もう一人の謎の皇帝ゲオルク二世本編4巻策謀編に登場します。

 帝国博物学協会のビルの地下倉庫からはじまる総延長一二・七キロの地下通路は、アルフレットの五代前の先祖が、当時の皇帝ゲオルク二世の勅命を受けて工事にあたったもので、その先祖は皇帝の寵姫の一人を下賜され、さらに、後世、皇帝の身に危急のことある時はこの通路を使って救出せよ、とのかたじけない御諚をたまわった、ということであった。(P.56)

 …まあ、アルフレット・フォン・ランズベルク伯爵の伝聞なので、妄想と言うコトでオチがついてるみたいですが…。

 ちなみに奥付けを確認すると、『銀河英雄伝説 4 策謀編』は1984年10月31日初版で、『銀河英雄伝説外伝1』は1986年4月30日初版ですから、設定固まる前に出しちゃったのが、ルードヴィッヒ三世であり、ゲオルク二世というコトなんでしょうけどねぇ…。

ゴールデンバウム王朝系図

 落ち込んでいた時に、何故か十年ぶりに『銀英伝』が読みたくなって(ようやく外伝3巻まで来ました)、読んでいたらゴールデンバウム王朝の系図を確認したくなったモノの、ネットで適当なのが転がっていなかったので、勢いで作ってしまった。自分で作ったワリに今ひとつ使い勝手が悪い…。とりあえず、外伝1巻の歴代皇帝を列挙した部分を元に、『銀河英雄伝説ハンドブック』デュアル文庫を元に系図を作成…。確認すると、謎の三十五代皇帝ルードヴィッヒ三世創元社文庫版でも健在な模様。あと、謎のゲオルク二世とか何処に入れようかと思ったけど辞めた。
 あと、マンフレート二世ウィルヘルム一世の関係とか、フリードリヒ三世マクシミリアン・ヨーゼフ一世バルトバッフェル侯の関係とか、よく分からない所が結構ありますな…。

  •  今読むと、ヤン・ウェンリーって追い込まれる境遇が岳飛に似てるけど、結果は違うなぁ…とか、オーベルシュタインって石田三成っぽいナァ…とか、小説版だとイゼルローンって外壁は流体金属じゃないから、デススターじゃん!とか、むしろ、イゼルローンって襄陽ジャン!とか、何となく銀河帝国北朝同盟南朝イメージなんだよな…ダゴン星域会会戦のときにも、謝安ネタが出て来るくらいだしなぁ…どうせ出すなら下駄の歯が折れるところまでやってくれたらいいのに…等々、今にして思うと…という感想が結構出ました。イヤ…。
     ………不良中年と言われたシェーンコップの享年と並んじゃったんだけどなぁ…。

    髯のない劉備

     相変わらず易中天/鋤柄治郎『三国志 素顔の英雄たち 下巻』冨山房インターナショナル を読んでます。厚い本だなぁ…。
     で、読んでて気になったのが劉備が髯を蓄えていなかったという記事。

    というのは、劉備はひげを蓄えていなかったからである。『三国志・周羣伝』に「先主にはひげがなかった」とあるとおりである。(P.127)

     京劇などでは女性的なイメージで髯がないのが当たり前みたいな劉備ですが、本当に髯がなかったみたいですね…。気になったので、久しぶりに中央研究院 漢籍電子文獻で検索してみました。

    初,先主與劉璋會涪時,裕為璋從事,侍坐.其人饒鬚,先主嘲之曰:「昔吾居涿縣,特多毛姓,東西南北皆諸毛也,涿令稱曰『諸毛繞涿居乎』!」裕即答曰:「昔有作上黨潞長,遷為涿令(涿令)者,去官還家,時人與書,欲署潞則失涿,欲署涿則失潞,乃署曰『潞涿君』.」先主無鬚,故裕以此及之.
    《三國志》蜀書巻四十二 蜀書十二 周羣 張裕

     面倒臭いので訳はスッ飛ばしますが、劉備にやってきた頃、劉璋の部下であった張裕のヒゲが濃いことを劉備がからかうと、張裕は逆に劉備にヒゲがないことをからかい返した…ってコトですね。これだけなら笑い話で済むんですが、後々これを根に持った劉備に処刑されたりするので、後味が悪い話になってますね。
     張裕蜀郡の出身ですから、元々外来政権である劉璋政権のことも劉備政権のことも快く思っていないグループに属していたわけです。それにしても、譙周筆頭にの在地勢力の人って予言とか人相見とか神秘思想っぽいコトで有名な人が多いですねぇ…。
     この本では諸葛亮が泣いて馬謖を斬らなければいけなかったのは、法律の厳格さを強調するよりも、衆目に反する人事であったために(先鋒を任せるなら魏延なり呉壱に任せるのが順当と言われていた)、旧劉璋閥東州集団在地勢力益州集団だけでなく、劉備の元々の部下達=荊州集団の不満を解消するための政治的な判断であったと強調するなど、蜀漢政権内の矛盾を再三指摘してます。これはこれで面白いんですけど、自分のようなライトな三国志フリークとしては、ヒゲのない劉備というエピソードの方が心惹かれたりするんですけどね。パッとwikiを見てもヒゲのことは書いてあるので、ディープな人には常識みたいですねぇ…。自分はしらんかったです。

    禰衡

     と言うワケで、ツラツラと易中天/鋤柄治郎『三国志 素顔の英雄たち 下巻』冨山房インターナショナル を読書中…。央視の教養番組《品三国》のムック本の訳本です。基本的に史書《三国志》をベースに話を進めていくので、日本人が大好きなパターンですね。でも、ずっしり重い本です。
     で、大体は史書ベースにマッハの差といっても良いコトをアレコレしているので、自分みたいなライトな三国志ファンは「へー」程度の感想しか沸いて出てきません。が、曹操が文人達を次々に抹殺する様を追っていく第二十八章 邪魔者は他人の手で始末する 及び、第二十九章 死の真相 は面白かったですね。
     禰衡孔融楊脩崔琰曹操に何故殺されたのか?を二章に渡って考察するんですが、今回のネタにするお題は禰衡。大体、禰衡という人は過分な評価を得ているような気はしていたのですが、この本ではケタクソに書かれていますね…。有名なエピソードだと思うので、詳しくはwikiかなんかを読んで下さい。
     で、禰衡皇帝のお膝元・に現れて権力者に毒舌を吐きかけ、奇行を振りまいて一躍時の人になるわけですね…。で、数少ない友人の孔融を介して曹操の元に呼ばれて毒舌を吐いた結果、劉表のもとに厄介払いされ、更に黄祖に押しつけられて殺されます。大体は権力者に楯突いた隠士として人気があるんですが、この本では禰衡は正義感が強かったから、気骨があるから権力者を罵ったわけではなく、罵りたいから罵っただけだと喝破してます。確かに…。結局は禰衡の敵は権力者だけではなく社会全体であり、禰衡は全ての人を軽蔑していたし、自分の気骨を表現するためなら、数少ない友人である孔融の立場が怪しくなろうが知ったことではなかった…と。賢者などではなく馬鹿者じゃないか!と喝破します。うーん…反論できない。
     言われてみると、禰衡って何かポリシーがあって権力者に楯突いたわけでもないですしねぇ…。道化としては面白いですが、友人付き合いは難しいかも知れません…。禰衡に褒められた孔融にしろ、楊脩にしろ、結局は曹操に殺されてるので、何か呪われた交友関係って気がしますね。

    吾妻鏡の謎

     と言うワケで奥富敬之『吾妻鏡の謎』吉川弘文館 を読了。うーん…スンナリ読めてしまった…。この本では鎌倉時代の基本資料である『吾妻鏡』が北条得宗家を賛美する目的で、おそらくは金沢流北条家が中心となって得宗被官などと共に編纂された…としてますね。確かに金沢流ならあり得ますが何でも金沢流にしてしまうのもどうかと…。
     で、北条得宗家を称揚するあまり、歴代将軍はネガティブなイメージで描かれているわけですね。権力委譲もやむなかったという立場からでしょうけど。最近は、二代将軍・頼家や三代将軍・実朝の再評価もされていますから尚のこと『吾妻鏡』でのヘタレッぷりは事実を歪曲したモノではなかったのか?と言うコトになります。『吾妻鏡』では流石に、創業者である頼朝には遠慮しているものの、やはり殊更ネガティブなエピソードを記載しているようです。
     また、源実朝が暗殺される直前に、御剣役として近侍していた北条義時が夢で見た戌神の幻覚を見て急に体調を崩したため難を逃れた…とする個所を、当時の日記を駆使して、実は義時は雪の中で実朝中門で待つように命じられたために難を逃れたモノの、あんまりにもかっこ悪いので神霊話をくっつけて退居したことにしたら却って後世から、実朝暗殺の黒幕に仕立てられちゃったとか何とか…。
     下は十二神将戌神のお陰で難を逃れた義時が、戌神を祀るために作った大倉薬師堂…を元に、貞時の時に蒙古襲来の調伏を目的に建てられた覚園寺江戸時代明治以降の再建が多い鎌倉の神社仏閣の中では珍しく薬師堂室町創建。ただ、江戸時代に改築に近い大修理を受けているため、そのまま室町時代のモノかというとそうでもないらしい。境内撮影禁止がちょっと残念。

    覚園寺塔頭

     後、御家人は当時、団結する、結束するという意味で一揆と言う言葉を使い、逆にその団結から外れようとする行為を独歩と称したみたいですね。で、独歩とみなされた場合は族滅もやむなしというぐらい、苛烈な弾圧を受けたみたいです。ヤクザか忍者の足抜けみたいなイメージでしょうか?
     と言うワケで、自分は北条家のエピソードに期待して購入したんですが、どちらかというと頼朝親族兄弟御落胤御門葉といったことに紙数が割かれていて、ちょっと肩すかしを食らった気分になりました。ムムー残念です。まあ、頼朝をねらった刺客…という段は、頼朝鬼平みたいな理屈で刺客を検挙したというエピソードが紹介されていて面白かったです。

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