Twitterで辮髪好きな方と絡むことも多くなったんですが、未知の大地に辮髪の花は開くモンなんですね。日本にもこんなに辮髪を愛する人たちがいるなんて胸が熱くなりすぎます。時代は変わったよ…ボクは一人じゃないんだ…と、独りごちるコトしばしです。
で、その中で、ラーメンマン辮髪について話が出たりしたわけですが、自分もネットか何かでラーメンマン辮髪も史実として存在したという記事を見たことがあります。しかも、ラーメンマン辮髪自体は正当なマンジュ風俗で、映画等にでてる辮髪は清末の大衆的な髪型であって、どちらも正解という感じでした。そんなこんなで、ラーメンマン辮髪の正式な言い方の方はすっかり失念していたんですが、ご指摘いただいたとおり、金銭鼠尾という名称みたいですね。語源は、銅銭程度の髪を残して、鼠の尻尾のように結んで垂らす…というところみたいです。
ちなみに、清朝において薙髪令で定められたあの髪型のことを日本では古くから辮髪と呼んでいたわけですが、当地ではそんな呼び方をしてはいないみたいなんですよね…。ちなみに、辮髪という用例自体は検索すれば古文でいくらでも引っかかるので和製漢語というわけではないです。ただ、清朝で通行したあの髪型をそう称すことは日本だけみたいですが。ではなんと呼ぶかというと、大体は大辮子とか単に辮子と言う言い方するみたいなです。これはPigtailと同じく女の子のお下げ髪のことも指すわけで、検索するとお下げ髪の女子の方がヒットしてノイズありまくりでナカナカ思ったような結果が得られませんでした(何かエロい記事とかも多いので特に)。で、金銭鼠尾というキーワードを入れてみると、ザクザク辮髪記事や辮髪画像が得られるわけです。やった~!
で、検索結果出てきたのがこの文章です…→清代辫子的演变:从鼠尾、猪尾到牛尾
どうも、この新聞記事?がそこら中にコピペされて検索に引っかかりまくってるようですね。この記事によると、清朝初期、入関した頃は金銭鼠尾といわれる、所謂ラーメンマン辮髪にしていたようですね。髯をどこまで伸ばして良いのか?といった規定まであったと、この記事では書いてますね。このあたりは自分も初耳です。
と言うワケで以下は訳ではなく大意、意訳デス…念のため。
辮髪今昔
1-後金時期:ダイチン・グルンは降伏した漢族に帰順の意思表示としてその辮髪を強要した。結果的にダイチン・グルン領内の漢人男性の大部分は頭髪を剃り上げることになった。その際には頭のうしろの毛を小指ほど残して結んで垂らしていた。髯も上唇にはやすだけであった。これを金銭鼠尾式といった。
2-入関時期:明の旧領を接収したダイチン・グルンは領土内の全ての漢人に辮髪を強要する。辮髪を嫌って反乱を起こす漢人は多く犠牲となった。この時期から徐々に髪を残す部位は頭の後から頭頂に移動したが、これも金銭鼠尾式と称しても良いだろう。
3-清代中期:髪を生やす部位は変わらなかったが、髪を留めておく面積が増えてた。かつては金銭一枚分の面積だけだったのが、この頃には金銭四~五枚分=こぶし一個分の面積を残すようになっていた。髯は上唇だけでなく、あごまで伸ばしても良くなった。
4-清代後期:嘉慶以後、次第に頭頂を中心とした髪の周縁を部分を剃るだけになっており、髪は頭の後で三つ編みにして垂らしていた。この髪型は辮子とか、髪辮と呼ばれた。
5-清代末期:清末から清の滅亡まで、開明的な知識人や学生は民主化や革命運動の中で、辮髪を切り落とすことを重要なコトだと捉えていた。清全土で身分の上下を問わず辮髪を切り落とす現象はどこでも見られた。
で、あと辮髪変遷の傾向として上げられているのが以下の三点です。
1-頭髪を残す範囲が段々大きくなる傾向がある。初期の金銭鼠尾式から中期の髪をこぶし大残すモノでは面積が大きくなっているし、後期は殆どの髪を残すまでになっている。このことを比喩的に表現すると、はじめは鼠の尻尾で、次第に豚の尻尾になり、最後には牛の尻尾になったと言える。また、頭髪は時代を経ると面積本数ともに増える傾向にあり、辮髪は編み目が大きく荒くなる傾向がある。
2-清代通しての辮髪の変遷を整理すると、為政者の意志を反映したモノではなく、また、リーダーシップを取った者も不在で、ごく自然発生した変遷であったこと。漢満の別もなく、軍民の別もなく、官吏・商人・農民・市民・皇帝の別もなく、皆一様に変化している。
3-辮髪の変化の速度は一様ではないこと。順治元(1644)年の清の入関から、嘉慶4(1799)年までの間は155年あり、清朝267年の歴史の大半を占める。髪を留めておく面積は増加の傾向にあるものの、その速度は実にゆっくりとしたものであった。嘉慶年間に入っても、最も多い人間でも髪は全体の三分の一程度であった。しかし、嘉慶以後髪を留めておく速度は加速し、百年もしないうちに頭髪の大部分を残し、全体の三分の二まで残すようにまでなった。髪型の変遷のスピードは清朝の統治能力の強弱と丁度反比例しており、統治能力が高い時は変遷は緩やかだが、統治能力が落ちると変遷は加速している。
最終的にこの文章では、テレビドラマの辮髪は皆、清代後期の辮髪を参考にしていて、考証的には間違っていると指摘してますね。ドルゴンなら後頭部型の金銭鼠尾式のハズですし、乾隆帝なら中期のこぶし大の辮髪のハズですからねぇ。
とはいえ、ちょっと図版等を見るとこの記事鵜呑みには出来ないなぁ…とも思うわけで…その辺はまた機会があれば。