燕京八景 瓊島春陰

 今日も去年、2008年11月に北京に行った際の写真のお蔵出し。昨日は意外と長い文章になったので今回はサラッと。

これ撮る時に派手に転んで同行者たちをドン引きさせました

これ撮る時に派手に転んで同行者たちをドン引きさせました

 今回は燕京八景瓊島春陰章宗の頃からいわれ出した1名所のキャッチフレーズに、乾隆帝が乗っかって文句を代えたり場所を変えたりしたわけです。

横にも何か掘ってます

横にも何か掘ってます

 ちなみに明昌年間乾隆年間燕京八景は以下の通り。
■明昌年間■
1:太液秋風 2:瓊島春陰 3:道陵夕照 4:薊門飛雨 5:西山積雪 6:玉泉垂虹 7:盧溝暁月 8:居庸畳翠
■乾隆年間■
1:太液秋風 2:瓊島春陰 3:金台夕照 4:薊門煙樹 5:西山晴雪 6:玉泉趵突 7:盧溝暁月 8:居庸畳翠2

 文句の異同があるのは三カ所、場所の異同があるのは一カ所ですね。ちなみに道陵章宗の陵墓です。整備された絶景だったようですが、明代万暦帝女真族の末裔たる満洲族に対する報復として道陵を破壊させたので、乾隆帝の選からは外れています。いたたまれない話ですが、ドルゴン北京入城する際に道陵破壊の報復として、万暦帝定陵の地上部分を破壊されたようです。因果応報ですね…

聳え立つ感じで素敵です

聳え立つ感じで素敵です

 で、現在立ち入りを禁止されている箇所を除いて、燕京八景の石碑巡りでもしたいナァ…と考えていたら、ググるともうやっておられる方がおられました…。

 この際の北京旅行ではできるだけこの石碑を巡ろうと思いつつ、結局地下鉄10号線 金台夕照駅に近い金台夕照にすら行けず、瓊島春陰のみになってしまったわけです。せめて太液秋風くらいは遠景から眺めたいと思ったのですが、団体行動を乱すわけにも行かずこれも断念…。

 ちなみに瓊島春陰の石碑は北海公園内の以下の場所にあります。


より大きな地図で 北京観光 を表示
  1. 《明昌遺事》…ただ、燕京八景のソースとしてよく提示されるモノの、作者すら不明。
  2. 百度百科 燕京八景
  3. 散歩ing老北京 ~北京街歩き写真集

普渡寺=睿親王府

 と言うワケで、2008年11月に北京に行った際に観光した場所の第二段。このときの旅のテーマである普度寺睿親王府です。

結構見かけない様式の建築

結構見かけない様式の建築


 で、この普度寺、元々明代には皇城東苑とか小南城とか言われておりました。皇太子が居住する重華宮という宮殿だったようですね。有名なところでは土木の変後、北京に送還された正統帝がこの宮苑の敷地内にあった崇質宮景泰帝に幽閉されたとか言われてます。まあ、天順帝になってまた皇城に戻るわけですけど。

あんまりかっこよくないドルゴン像

あんまりかっこよくないドルゴン像

 で、清初には睿親王ドルゴン重華宮を府邸を定めました。大体、世襲鉄帽子王家でも北京内城府邸を置くことはあっても、ドルゴンのように皇城内に府邸を置くことはその後もありませんでした。北京に入場した際に一時的に武英殿で玉座についたというのも肯けますね。ドルゴンが執政した当時は夜になっても車馬が絶えることが無かったと言います。

民家一つ分高い基壇の上に建ってます

民家一つ分高い基壇の上に建ってます

 で、どの文献を見ても「睿親王府は土台が高く、宮城が見渡せた」という類のことが書いてあるんですが、今ひとつピンと来なかった訳です。ちなみに、この高台皇城と秘密の通路でつながっている…という類の伝説もあるみたいですね。その通路を通ってドルゴン紫禁城睿親王府を行き来したとか言うコトになってるみたいです。

車と比較すると基壇が相当高い

車と比較すると基壇が相当高い

 ご存じの通り、ドルゴンは齢三十九という若さで狩猟中に死去した後、順治帝により大逆の罪に問われて睿親王家王位は剥奪されて、皇籍からも抹消されました。

山門の中が睿親王府と普度寺関連の展示室です

山門の中が睿親王府と普度寺関連の展示室です

 この時、府第も没収されたのですが、一時は皇帝と同様に義宗という廟号までドルゴンは追号されていますから、その後王府は再利用されることは無く、次第に荒れてゆきました。
 で、順治帝の短い治世が過ぎて康煕帝の御代になると、元々冤罪であったドルゴンの名誉回復が行われ、次いで睿親王府跡もモンゴルから招来したマカカラ仏大黒天を祀る嗎噶喇廟に改装されました。

マカカラ仏の残骸らしきモノの展示

マカカラ仏の残骸らしきモノの展示

 更に乾隆年間に修築されて嗎噶喇廟普渡寺もしくは普度寺と改称されます。ちなみに《乾隆京城全図1では啞滿逹■嘎廟2となっています。

使い勝手良すぎ今の学生恵まれすぎ

使い勝手良すぎ今の学生恵まれすぎ

 おそらく、普度寺に改称される前の地図なんでしょうけど、嗎噶喇廟と音通…と言いたいけど言えないような字面ですね…。それにしても、ディジタル・シルクロードが公開している《乾隆京城全図》のGoogle Earth版古都北京デジタルマップの使いやすさは異常です。

ちなみにドルゴンは鑲白旗の旗王です

ちなみにドルゴンは鑲白旗の旗王です

 《日下旧聞考3によると、乾隆年間普度寺にはマカカラ像とともにドルゴンの遺品(武具など)が安置されていたようです。その後、国家の庇護の元、清末まで普度寺は広大な境内を所有しつつ、《天咫遇聞4によると、マカカラ像らしき仏像とドルゴンの遺品とともにかれの護衛兵というかバートルの像も残っていたという記述があります。

おされシティー

おされシティー

 しかし、さしもの普度寺辛亥革命後は廃れていきます。中共成立後にはついに南池子小学校の校舎として使用されたようです。文革の被害とも無縁ではなかったはずです。少なくとも1980年代には辿り着くのも難しい様なごちゃごちゃとした胡同の中にあったようで、中の建築はお世辞にも良い保存状態ではなかったようです5

北京税務博物館(月曜休館)

北京税務博物館(月曜休館)

 その後、1990年代の改革開放とともに徐々に整備され、2007年05月16日に北京税務博物館として一般公開されるに至ったわけです6。自分が行った時には周りも景観区としてかなり整備されいて、迷うかと思ってビクビクしながら探したら意外にも一発で発見できました。…もっとも、定休日で北京税務博物館として解放されている本殿には入れませんでしたが…。

看板ドーン!

看板ドーン!

 正直、叡親王ドルゴンに思い入れが無い人にお勧めできるほどすばらしい観光地ではないのですが、ドルゴンと聞いてピンとくる方は是非訪問してはいかがでしょうか?タダですし…。

本殿の基壇自体も高い

本殿の基壇自体も高い

  1. ディジタル・シルクロード – 文化遺産のデジタルアーカイブ
  2. ディジタル・シルクロード > 古都北京デジタルマップ > 地名検索
  3. 于敏中等編日下旧聞考》北京古籍出版 巻四十 皇城
  4. 震鈞《天咫遇聞》北京古籍出版 巻一 皇城
  5. 阿南・ヴァージニア・史代/小池晴子『千年の都北京 樹と石と水の物語』ランダムハウス講談社 P.97 「〈大黒〉を祀る石の基壇」
  6. 北京税务博物馆向社会免费开放

それは康煕帝…

 一番大きな画像は康煕帝…。ちなみに、サザビーズに出品されるのは乾隆帝の『八征耄念之寶』…在位五十五年、傘寿八十歳を記念して作られた玉爾です。判子大好き皇帝の乾隆帝がいろいろ持ってた玉爾の内の一個だとは思うんですが、十二支噴水と同じような愛国アイテムになり得るんでしょうかねぇ…。でも、この程度で大騒ぎだと、まかり間違って日本に『十全老人之寶』があるとか言うのが報道されたら、デモの洪水が藤井斉成会有鄰館に殺到するんですかね…。

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