冰嬉その3 朝鮮国冬至使の見た冰嬉1【2020/02/20追記・一部改訂】
と言うわけでまた冰嬉の記事デス。今回調べ直した時に実録で冰戯、冰技まで範囲を広げて検索してみたところ、案外《朝鮮王朝実録》でヒットしました。で、中を確認したところ、《清実録》より記述が細かかったのでちょっとメモを残しておきます。 Read more
宣和堂の節操のない日記
と言うわけでまた冰嬉の記事デス。今回調べ直した時に実録で冰戯、冰技まで範囲を広げて検索してみたところ、案外《朝鮮王朝実録》でヒットしました。で、中を確認したところ、《清実録》より記述が細かかったのでちょっとメモを残しておきます。 Read more
今回はマングルタイ兄弟謀反未遂事件に登場する、「金国汗印」もしくは「大金国皇帝之印」、「金国皇帝之印」の話です。
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と言うコトで、帰省がてら奈良に行ってきました。奈良国立博物館で展示されていた神護寺蔵 伝・源頼朝像目当てです。お盆期間中ですし、展示終了時期も迫っていたので大層混んでいるだろうと身構えていったのですが…てんで人が居ませんでしたね。それはもうビックリするくらいwかなりの時間を独り占めで伝・源頼朝像を見ることに充てることが出来ました。
と言う次第で、昨日の続きです。本来は鎌倉で大きな行事をやっていたようなので、そこに行くべきだったんですが…まあ、京急追浜駅に辿り着いてしまった上に、残り時間にもそう余裕はなかったので、のんびり金沢文庫から称名寺に抜けるコースを選択しました。
と言うワケで、金沢文庫です。ちなみに、歴史的な読み方としては、金沢(かねさわ)流北条家が本拠である金沢郷(かねさわごう)に築いた書庫のことなので、歴史的には”かねさわぶんこ”と読みます。ただ、地名としては”かなざわぶんこ”と読むわけでややこしいんですが、北条贔屓としては、やはり”かねさわ”と読みたいですねw
で、ここでは歴代得宗、歴代執権や歴代連書の花押の入った系図などをボンヤリ見ながら、鎌倉幕府の滅亡に思いを馳せたりしましたw潔すぎるにしてもほどがあるwwwやっぱり、鎌倉幕府は承久の乱、蒙古襲来、幕府滅亡が大きな見せ場ですからねwww
で、称名寺の浄土式庭園です。金沢文庫自体が称名寺の庫裏の様なモノだったので、金沢文庫は称名寺のすぐ裏手にあるわけです。まあ、知名度から言うと、全然金沢文庫の方が高いわけですがw
こないだ来た時は橋が修復中だったのでかなり印象違いますね。池は浅くて濁っていましたが、鯉や亀が大量にいて何故か和みました。
見つけるまでもなく必ず視界に入る感じデス。組み体操までしてるくらいですしw
鎌倉の頼朝邸と考えられる大倉幕府跡にあった頼朝の持仏堂を頼朝死後に法華堂としたり、北条義時の持仏堂が大倉薬師堂となって覚園寺の元となったりしています。この時代の寺院の一つの形態として、有力者の邸宅内に持仏堂(仏教的な建築物)が、主の死後仏教的な堂宇として使われ、時には邸宅自体が寺院として整理されると言う類例が多いので、称名寺も元は金沢流北条氏の邸宅内の持仏堂か、若しくは邸宅そのものであった可能性は高いと思います。中でも、この釈迦堂は藁葺きの正方形状の建物で、規模こそ違うモノの覚園寺の薬師堂を彷彿とさせます。実に鎌倉っぽい気がします。気のせいだとは思いますがw
気になって手元にあった松尾剛次『中世都市鎌倉を歩く 源頼朝から上杉謙信まで』中公新書 パラパラ捲ったら、P.78の元亨3(1323)年に書かれた称名寺大結界絵図が載ってたんですが、この絵の中にはこんな建物見当たらないですねぇww
まあ、それより何より三鱗です。流石に開基が北条実時だけあって、境内にはふんだんに三鱗があしらわれています。見つける度に奇声を上げながらカメラに納め捲くりました。以下はその一部ですw
実に映える…。
仏様にも三鱗です。
屋根から降る三鱗の雨あられです。
鎌倉に出られなかったのは残念ですが、実に三鱗フルな休日を送れまして、実に満足でしたwやはり最後は赤門の表にあしらわれてる金地の三鱗ですw