NHKドラマ 蒼穹の昴 第二回 母と子
と言うワケで第二回です。ドラマ版では春児と玲玲が孤児になってて、梁文秀の実の母に育てられたので、なんだか義兄弟になりましたという改変にポカーン。春雷にいちゃん…いないことになっちゃったよ…。
と言うコトで今回は前回話が出た光緒帝の親政へ向けて、垂廉聴政から訓政に移る過程…ですね。
大清…というかダイチン・グルンは早くから漢化されて、乾隆年間頃には満洲人は漢人とほとんど変わらなかった!とか言われがちですが、それこそがダイチン・グルンが腐心して支配下の漢人に植え付けた”中国”イメージによるモノです。満漢合壁の勅旨なども、満文は漢文と同じ事が書かれているだけだ!なんて思われがちですが、最近のマンジュ語研究ではマンジュ語の文章の方がより詳細で、具体的な内容であることが分かってきているようです。このドラマが言うように、漢人を信じるな!的な事はほんとにあったみたいなんですよね。
《清史図典 第十一冊 光緒 宣統朝 上》紫禁城出版 P.6
実際、清朝は歴代、科挙制は残されて、漢人にも相当な権力があったように誤解しますが、あんまり軍事権や行政権の大権は漢人には貸与されていませんし、満洲人が八旗以外の漢人と婚通することも無かったようなので、通常考えられているよりもずっと漢化していなかったりするようです(実は、新中国になってから満人…とされているのは、満洲八旗はもちろん、漢人八旗、蒙古八旗を含む旗人だったりする。旗人間では通婚が盛んで生活様式も旗人様式と言えるモノだった模様。なので、遺伝的には漢人の血は入っている)。
本当の意味でダイチン・グルンが漢化したのは実は慈嬉太后(西太后)の頃だったのではないか?と個人的には思っています。慈嬉太后は治世の前期こそ、恭親王・奕訢をはじめとする満洲貴族を頼ったモノの、清末の国難に対して軍事の大権を曾国藩や李鴻章、左宗棠などの漢人官僚に与えました。光緒帝も戊戌変法の際には康有為や梁啓超ら漢人に頼りました。劇中に出てくる栄禄は満洲人ですが、やはり実力的には李鴻章らと比較すると、ちょっと見劣りするのが事実…。
最終的には宣統帝・溥儀の満洲人蔑視…と言っても良いくらいの不信感に繋がっていくわけです。実は国父摂政王 醇親王・載灃が組閣した、清末の満洲貴族の内閣は、満洲復古の目から見れば、いつ裏切るか分からない漢人の手から、信用のおける満洲貴族に大権を戻す試みだったわけです。結局、その試み自体は辛亥革命で頓挫するわけで、時期をわきまえないお坊ちゃんの誇大妄想だの、民情を顧みない暴挙だのと後世からは言われるワケです。漢化からダイチン・グルンを復活させるため…と考えれば、非難されるべき施策ではないんですが、ちょっとやり方は拙かったんでしょうね。結局、醇親王・載灃はあんまり良いところを見せることなく、一度は追放した袁世凱に頼って、結局はダイチン・グルンを滅亡させたワケですから、よく言われることはないんですけどね…。
ちなみにこのドラマに出てくる、光緒帝の父親である醇親王・奕譞はもちろん、宣統帝・溥儀の父親である醇親王・載灃の父親でもあります。光緒帝と醇親王・載灃は兄弟ですから…。
と、ドラマの関係ない系図と漢化の話するくらいですから、あんまり大した感銘を受ける回ではなかったと言うコトです。安徳海は実在の人物ですが、慈嬉太后の不興を買って処刑されたわけではなく、同治年間に慈嬉太后の助命嘆願を無視されて、官僚に処刑された太監なんですけどねぇ…。
あ、あと珍妃は新しいモノ好きで、紫禁城に最初にカメラを持ち込んだのは珍妃だとも言われています。コスプレして光緒帝とのツーショットを宦官に撮らせたとも言われていますが、現像された写真の実物はありません。光緒帝の肖像も写真のモノは残念ながらありません。なので、もっとも有名な朝服図でも貼っておきます。