地上の天宮 北京故宮博物院展
と言うワケで行ってから一月も経ってしまった上に、もう終わった展示の記事を今頃書いてみたりするのです。
今回は4月の下旬に東京富士美術館で行われていた地上の天宮 北京故宮博物院展です。正直なところ、東博での特別展 北京故宮博物院200選→記事1、2と比べるとどうしても見劣りするわけですが、まぁ、アレも政治的な何かでしょうから、こちらも思ったよりは面白い文物は来てたんですよ?と言うコトで、チョコチョコ見ていきましょう。
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宣和堂の節操のない日記
と言うワケで行ってから一月も経ってしまった上に、もう終わった展示の記事を今頃書いてみたりするのです。
今回は4月の下旬に東京富士美術館で行われていた地上の天宮 北京故宮博物院展です。正直なところ、東博での特別展 北京故宮博物院200選→記事1、2と比べるとどうしても見劣りするわけですが、まぁ、アレも政治的な何かでしょうから、こちらも思ったよりは面白い文物は来てたんですよ?と言うコトで、チョコチョコ見ていきましょう。
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ふと思い出したのでサルベージ。以前記事にしたモノの吹っ飛ばしてしまったのですが、映画《圓明園》の画像です。この映画、2006年に公開されたモノの評価は散々…まぁ、厳密には映画と言うよりはNHKドキュメントの再現ドラマが延々と続くような内容なので、血湧き肉躍るワクワクストーリーみたいなモノが無いので、まあ…当然の結果かなと。
個人的には望遠鏡を嬉々として覗く康煕帝、圓明園に作った仙窟の中で仙丹を練る老眼鏡かけた雍正帝、犬を抱えた宦官の横でコスプレ親子のデッサンを取る郎世寧、十二支噴水の監修をする乾隆帝。その他、圓明園の西洋楼の再現CG満載で個人的には大満足ですw
まぁ、勿論十二支噴水がデッカク出て来るあたりで分かるとおり愛国高揚映画でもあるので、ストレスのあまりアヘンを吸う鬼気迫る咸豊帝とか圓明園を炎上させる英仏連合軍とか出てきますですね。個人的には面白い映画なんですけどねぇ…。老眼鏡かけた雍正帝出てきた時腹抱えて笑いましたしw
と言うコトで特別展 北京故宮博物院200選の続き。展示会場の1/4を占めるダイチン・グルン(大清国)の展示です。個人的にはこのあたりが一番内容濃かったように思います。この展示内容だと、基本的には書道や磁器、青銅器も来てますが、メインは絵画だと思います。特にこのあたりは絵画の濃度が濃かったように思います。では、始めましょう。
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と言うワケで特別展 北京故宮博物院200選に行ってきました。どうにもこうにもお蔵出しの清明上河図が人を呼ぶらしく、噂に違わぬ盛況ぶりでした。8:30に東博について列んで、見られたのが11:00なので思ったよりは早かったモノのやはり結構掛かりましたね…。でも、予想外だったのがそれ以降にも結構な時間掛かったことですね。17:00に設定したオフ会ギリギリまで掛かって見てしまいましたね…。あんまり期待せずに行ったんですが、清明上河図以外にも結構良いものが来てます。大物の絵巻物の展示が3巻もあったので図録にすると小さいのですが、全幅載っているのは素晴らしいですね。絵の部分だけではなく賛や跋の部分もカラーでガッツリ載ってますから、自分の様に鑑賞印とか鑑蔵印見るだけでニヤニヤ出来る人には勝って損なしです。と言うか、展示に行かなくても図録だけ買っても良いくらいですね。実に素晴らしい!と言うワケで以下備忘録です。
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と言うワケで、こないだの記事で《満洲実録》を扱ってから悶々としていた宣和堂です。うーん。実はこの辺が良くわからんのですよね…。
ご存じの通り、現在知られる満洲語の歴史書で一番有名なのは、内藤湖南が日露戦争終結の頃に瀋陽故宮で発見した、通称《満文老檔》です。
で、この際に見つかった他の書物が清朝歴代皇帝の実録である《清朝実録》 と、合戦絵図と言われる《満洲実録》です…。中身や成立過程については後回しにしましょう。
あと同じく名前が挙がるのが《五体清文鑑》ですね。元々は満洲語の辞典で元々の題名も《Han i araha manju gisun i buleku bithe(漢語題名《清文鑑》)》。これが増補を繰り返し、漢語、チベット語、モンゴル語、ウイグル語をも収録した拡張版が《五体清文鑑》と言うコトのようです。検索したらこれに関してはさっくり画像がありました→《五体清文鑑》早稲田スゲー!むしろ、《満洲実録》も置いてよ!とか思うモノの我慢。
で、Twitterで満文老檔について発言した時に教えて頂いた本でサクサク検索したところ、疑問が氷解です。
《満文老檔》
《満文老檔》と言う名称自体が、そもそも内藤湖南が名付けた便宜上の名前であって、表題は単に《Tongki fuka sindaha hergen i dangse(トンギ フカ シンダハ ヘルゲン イ ダンソ=有圏点檔案)》若しくは《Tongki fuka akū hergen i dangse(トンギ フカ アク ヘルゲン ダンソ=無圏点檔案)》。発見当初は表題だけ見ても何の書物かは分からなかったみたいですね。ただ、自分レベルではこの無圏点本と有圏点本の違いはよく分かりません。調べて見ると、内容はともかく冊数と題材は同じようですね…。
ものの本によると、ヌルハチ、ホンタイジ時代の記録としてはもっとも詳細で重要な根本記事とされているようです。ただ、乾隆年間に編纂されたモノなので、清朝に都合の悪いことはさっくり削除されているわけです。漢化された皇帝という見方をされることの多い乾隆帝ですが、マンジュ視点に立った場合、民族主義を奨励した指導者と言う評価も出来るんですよね。
《満洲実録》
《満洲実録》の売りは絵が載ってるコトなので比較的図版が引用されていますね。
内容については、順治年間に作成された《清太祖武皇帝実録》とほぼ同じ…ここで注意したいのが、現行本の《太祖実録》が乾隆年間の重修本である点ですね。後の時代には忌避しているコトでも採録しているようです。でも、満洲音の漢字表記は乾隆年間の方式に改められているようです。また、絵画については《太祖実録戦図(《清太祖実録戦跡図》?)》の引き写しみたいですね。乾隆年間にいいとこ取りして編纂されたモノの様です。やはり絵画については元絵の《太祖実録戦図》を引いた方が良いみたいですね…。まあ、見当たらないのですが…。どうやら、盛京・崇謨閣にはマンジュ文本と漢文本との二組が収蔵されてたみたいです。…と、参考図書には書いてますが、書影を見るに戦図に関しては満漢合壁の模様ですね。
《清朝実録》
現在中華書局から出版されている《清実録》は巻頭に《満洲実録》を置き、以後《太祖実録》、《太宗実録》、《世祖実録》、《聖祖実録》、《世宗実録》、《高宗実録》、《仁宗実録》、《宣宗実録》、《文宗実録》、《穆宗実録》、《徳宗実録》、《宣統政紀》が収録されているようです。これは全て漢文の模様。
この内、盛京・崇謨閣にあったのは、マンジュ文と漢文の《太祖実録》、《太宗実録》、《世祖実録》、《聖祖実録》、《世宗実録》、《高宗実録》、《仁宗実録》、《宣宗実録》、《文宗実録》、《穆宗実録》の模様…です。で、内藤湖南が盛京を調査して《満文老檔》を発見したのは、明治38(光緒31、1905)年ですから、光緒5(1879)年成立の《穆宗実録》までを発見したと考えて良いようですね。《徳宗実録》は中華民国10(1921)年成立ですし、《宣統政紀》に至っては成立年代も良くわからんみたいなので、発見されるわけがないわけです。一応、満洲国務院が《大清歴朝実録》として、これらの《実録》を1937年に刊行した際には、《徳宗実録》と併せて《宣統政紀》が収録されているので、その頃には成立はしていたと考えて良いんでしょうけど…。
北京皇城内の皇史宬にはマンジュ文、モンゴル文、漢文の実録が保管されていたようですが、やはりそれも《穆宗実録》まで。《徳宗実録》は漢文のみ現存しているようですが、マンジュ文はなかったのかも知れませんね…。自分が漠然と、マンジュ・グルンと言うか、清朝がまるきり漢化されたのは光緒年間じゃないかと思うのは、こういう所なんですが、まあ、今回は関係ないので触れません。
《旧満州檔》《満文原檔》
で、乾隆年間に編纂された《満文老檔》の元になった檔案が、1931年に北京内閣大庫から《満文老檔》と一緒に発見されたようです。この檔案のことを、日本では《旧満州檔》と称していたわけです。で、あまり研究がなされないうちに、盧溝橋事件が勃発して日本軍の侵攻が始まり、かの有名な文物南遷の際に、この檔案も北京から逃避行に出たわけですね。最終的に台北故宮博物院に収蔵され、《満文原档》という題名で影印出版されたみたいです。この際に《満文老檔》には含まれていない、天聰9年部分の檔案、所謂《天聰九年檔》も収録されたようです。
とまあ、自分が疑問だった史書類はこれであらかた疑問は氷解という感じデス。この辺の資料はwikiや百度でも記事が足りないので、大変スッキリしました。ちなみに参考資料は以下の通り。
神田信夫・山根幸夫 編『中国史籍解題辞典』燎原書店
神田信夫『満学五十年』刀水書房
『清朝とは何か』藤原書店
※ご指摘によりマンジュ文献のローマ字変更しました(6/26)